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7巻
7-2
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レンブラント夫妻を宿に送り届けた帰路、真は突如現れた学生達について考えを巡らせた。しかし、記憶を辿っても何も浮かばない。
そこで彼は商会に戻ってすぐに従者である識を呼び出し、この話を聞かせた。
ロッツガルドに来てからの出来事を思い返し、押し黙る識。
しばしの静寂の後、識が口を開く。
「若、もしかしたらアレではありませんか?」
「何か思い当たった? 僕は全くダメだったよ」
「こちらに来てすぐだったと思うのですが、ルリアに絡んでいた学生を制裁した事があったかと」
識の発言を聞いて、真は膝を叩いた。
「おお! そう言えば絡まれてたあの子を気まぐれで助けたっけ。でも、そいつらは殺されかけたとか言っていたぞ? あれはちょっと脅かしただけだった気がするんだけど」
「下は石畳でしたので、あの高さから落ちれば死ぬ可能性はそれなりにあります。何より連中は、誰も浮遊の術が使えませんでした。その恐怖はなかなかのものだったかと」
「……だったね。あれか、あれで殺されかけた、かあ」
真は肩を落として大きく息を吐き出した。
少し高いところから落とされたくらいで大袈裟な、こちとらこの世界に来たときにもっとヒドイ目に遭ってきたんだぞ、といった感情が湧きあがってきて、思わず出たため息だった。
「一応、その生徒については明日にでも調べておきましょう。ジンと同行する約束がありますから」
「そっか。闘技大会の抽籤だったっけ。僕も巴と澪、それにルトと一緒に覗くよ。そのとき、ジン達に少し時間を作らせてくれる? 嫌がらせを受けるかもしれないから彼らに忠告しておかないとね」
「忠告、でございますか」
「そ、忠告。その程度の障害はそろそろ自力で解決してくれないと頼りに出来ないからね。事務室から受講生を増やせないか何度か言われているから、ジン達には頑張ってもらないと困るんだよ。必ずしもその指示に従う必要はないんだろうけど、学園のお偉方と僕との間で板挟みになって弱っていく職員さんが少し不憫なんだ。あの七人がそれなりに育てば教育係に使えるし」
真の言葉に識が静かに頷く。
(さて、それじゃあ巴と澪、余計だけどルトも待っている店に行くか。今日何をしていたのか報告を聞かないとね。今夜はしこたま飲むつもりなんだろうし、まだまだ気合入れていこう!)
長い一日だ。そんな考えが頭をよぎり、真は苦笑しながら商会を出た。
3
目立っている。
和装の巴と澪。それに真っ白なスーツを着た痩躯の美青年、ルト。いや、確かヒューマンの前ではファルスとか名乗ってたな。まあ、役職名であるギルドマスターと呼んでおけば問題ないね。
ともかく、そんな三人と一緒にいると僕まで異様に目立ってしまう。
男二人女二人のこの構図を見ても、道行く人々がダブルデートだとは思わないだろうという自信がある。だって、男のルトがぴったりと僕の隣にいるんだから。とてもデートには見えない。ついでにそれが原因で、少し後ろを歩く澪が結構お怒りになっている。
最近、喚いたり手を出すだけじゃなく、静かに怒る事も覚えたようだ。怒りのバリエーションを豊富にしてほしくない。
僕ら四人は学園祭で行われる注目イベント、闘技大会の抽籤会場に向かっていた。
今日開催されるめぼしい催し物はないというのに、人の数が凄い。普段は広い通りだと思っていた道が、歩くだけで精一杯に感じるくらいだ。抽籤会も立派なイベントになっているんだな。
実際に大会が行われるのは明日から。選手として出場する生徒のお披露目だけの今日よりも確実に人の数は増える。
大した集客力だ。屋台を出すのに、この通りが一番倍率も場所代も高い理由が良くわかった。
この人出を見て、クズノハ商会として屋台をやらなくて良かったと思ってしまう僕は、まだまだ商人としては半人前なんだろうな。
「いいものだね、こんな風に好きな人と並んで歩くのは」
そう言ってルトが満面の笑みを僕に向ける。
「変態的な言動は慎め、マスター殿」
彼の軽口に、巴が怒りのこもった注意を投げかける。
「至って真摯な気持ちでの告白なのに」
「……それにじゃ。少しは周囲の目も気にしてもらいたい。つまり、もう少し若から離れてもらえんかの」
「これは正当な権利。譲る気も辞退する気もないね。今日の午前中は自由だし、僕が誰とどこを見て回っても良いんだから」
やれやれ。ルトもなんだかんだで毎日のように来賓の一人としてあっちに呼ばれこっちに呼ばれでストレスが溜まっているのかね。
昨夜、僕が店に到着したときには三人とも見事に出来上がっていた。亜空の住人達との酒宴でも不思議に思ったけど、どうして学園祭に入ってからの酒席では誰も彼も酔っ払うのか。ザルのはずのルトも、ほんのり頬を赤く染めてケラケラ笑っていた。
宴席では、今日誰が僕の隣に並ぶかの勝負も開催された。
戦闘力を剥き出しにした実力行使だと相当問題があるので、勝負と言っても平和的な方法を選んだ。最初は叩いてかぶってジャンケンポンにしようと思ったけど、叩くのは危険だと考え、あっちむいてホイに変えた。我ながら英断である。
で、勝者がルトだったのだ。彼の言う権利は確かに正当で、敗者の二人は僕達の後ろを仲良く並んで歩いている。
なのに、どういうわけかすれ違う人々からは、ルトが二人の美女を侍らせて選手を見に行く中、僕が無理に彼に同行しているのでは、といった感じの会話が聞こえてくる。濡れ衣だ。
ルトの表情を見れば、そんな状況じゃないって簡単にわかるだろうに。
もう少し現実を素直に受け止めろってんだ……。
「――で、ローレルには確かに漢字が伝わってるんだな? という事は、日本語もある程度伝わっているのか?」
抽籤会場への道すがら、僕はローレルの彩律と出会った事をルトに話した。どうやら彼はそのあたりの事情にも詳しいらしく、僕の疑問にもすらすら答えてくれた。
「賢人文字って名前でね。漢字とは別に日本語も使われているようだけど、地球のものから結構変化しているかな」
「方言みたいな変化?」
「そんなレベルじゃないね。……良いたとえがあるよ。地球で言う俗ラテン語みたいな感じかな」
「……何それ?」
「あれ、じゃあ口語ラテン語って言えばわかる? 今はもう学者くらいしか使わない言葉って感じなのさ」
「……さっぱり知らない単語なんだけど。お前、一体どんな日本人と接してきたわけ?」
「至って普通だと本人は言ってたけどね」
う。でも僕は普通の範疇にいる、はず。たとえに出てきた言語を知らなくても問題ない、よね?
「よくわからないけど、日本語で話していて、それを理解される可能性はあるのか?」
ルトのたとえは難解だったので、とりあえず僕が今押さえておきたいポイントを確認する。
僕の問いかけに、ルトは嘆息しながら返す。
「……また考えるのを放棄したね。その癖は直した方が良い。疑問はきちんと考えて自分なりにでも答えを見つけておく事が一番だよ。正しいかはともかく、後悔は少ない。懸念している日本語については、勇者にでも聞かれない限り、この世界で理解される心配はない。そもそも、ローレルでは特殊な念話で異世界の客人と対話しているから、日本語を正確に理解している者はいないはず。殆どの場合はすぐに精霊を通じて祝福を受けて共通語を使えるようになるから、こちらに来た異世界人が母国語を使う機会はほぼないと言っても過言ではないよ」
「なるほど。この世界で日本語を理解できるのは異世界人だけなんだ……そうなると、特殊な念話ってのが気になるな」
「ちなみにその特殊な念話は、魔族の使っている高性能な念話技術の基礎にもなってるよ。……真君、魔将とも接触したみたいだし、やっぱり気になるんだね」
「あ、ああ」
……やっぱり色々知っているよな。
「気になると言えば――」
ルトが更に会話を広げようとしたとき――。
「若様! これ、さっきつまみましたけど美味でした。よろしかったらどうぞ」
澪だ。さっきから屋台を見つけては、手当たり次第買い食いしている。あれだけ食べたうえで厳選された味なら、興味あるな。せっかくだしもらおう。
「ありがと、澪。お前のオススメはいつも大当たりだから嬉しいよ」
「っ! はい!」
嬉しそうに返事をして差し出してくれたのは、逆三角の容器に親指くらいの狐色の物体が山盛りに詰められたものだった。香ばしい油の匂い、揚げ物か。
その中の、串が刺さった一つを口に運ぶ。
衣はカリッと揚がっていた。中は肉。味は淡泊で、肉質はササミに近い。旨みのある肉汁と独特の食感。ナンコツ回りの肉をブツ切りにして揚げたのかな。衣には香辛料がまぶされているらしく、いいアクセントになっている。そしてふりかけた絶妙な塩の具合。これは美味い。
唐揚げにはレモンをかける派の僕としては、レモン汁みたいな柑橘系のアクセントが欲しいと思った。このままでも十分だけど。
「へえ、美味しそうだね。澪ちゃん、僕の分は?」
ルトが僕の持っている容器を覗きこみながら澪に尋ねる。
「あるわけないでしょう変態。お前に澪ちゃんなどと呼ばれる覚えもありませ――ああっ!?」
澪の言葉を聞き終える前に、ルトは僕から串を取り上げて揚げ物を口に運んだ。
「あ、ライドウ殿、串を借りますよっと。ふむ、へえ、これは……。この肉はありふれた物だけど、こんな調理法は初めてだな。うん、美味しい」
串をルトに取られて、容器の中にある揚げ物を一つ奪われてしまった。何という早業。しかもちらりとどこかを見て何故か僕をライドウ殿と呼んだ。多分、真と呼んでいるのを聞かれると面倒な人の存在が目に入ったとかだろう。どんな周辺把握能力だよ、変態め。
「……今すぐ死にたいですか、それとも、今すぐ死にたいですか」
……澪。同じ事言ってるから。
ワナワナと震える澪を宥めるため、声をかける。
「これだけ良い匂いなんだし、一つくらいは勘弁してやってよ。せっかく澪のおかげで僕に新しい好物が一個出来たんだからさ」
「! 好物! でしたら今度食卓にも並べます。いえ、並べてみせますわ!!」
「期待してるね。あ、そのときさ――」
僕は、さっきひとつ食べたときに抱いた要望を口に出そうとすると、澪が笑顔で発言を遮る。
「レモン塩か柚子を使って香りをつけてみます。その方がお好きですよね?」
「……うん」
何故わかった。もしかして、思考が顔に出てたのかな。だとしたら、ちょっと恥ずかしい。
「……」
ルトは僕と澪の会話に割って入らず、ボーっとしている。珍しいな。
「マスター殿、何を黙っておる?」
ルトの隣で同じ揚げ物を黙々と食べていた巴が口を開く。
澪が僕に揚げ物を差し出してきた関係で、前二人、後ろ二人だった構図が澪、僕、ルト、巴の四人が横並びになるかたちに変わった。
「……ちょっと昔を思い出していただけだよ。恋人にササミのフライが食べたいってねだられたときの事をね。この肉を使って苦心して料理をした覚えがある。日本で食べていたものに凄く近い味だ、って褒められたな。……悔しかった」
「褒められたのであろう? なら嬉しいのではないか?」
巴が当然の疑問を呈する。
「同じ味を、目指したんだ。でも、彼の願いを僕は満たせなかったんだ。だから悔しかったのさ。お前だって、侍みたいだ、とか侍っぽいって言われるんじゃなくて、侍だって言われたいだろう?」
「……なるほど」
ルトの返答を聞いて、巴がうんうんと頷く。
「あ、若様。あの屋台、覗いてみま――」
少ししんみりしたムードを無視し、澪が楽しげにそう言って僕の手を引こうとする。
そんな澪をルトが制する。
「はい、そこまで。勝者は僕なんだよ、澪ちゃん。はい、巴と一緒に一歩進んでね。今日、真君の隣は僕。会場の中でも立場を弁えてね、二人共」
「くっ」
「ちっ」
巴と澪が二人揃って舌打ちをして僕とルトの前へ歩み出る。何やかや言いながらも約束を守るあたり、律儀だな。
ややあって、僕の眼前に目的の建物が現れた。この三人と一緒だと、時間が過ぎるのが速い。
確か、抽籤会場には識が先に到着しているはず。早く合流しなくては。
……昨夜、大胆に宣戦布告してきた学生も、まだちょっかいを出してきていない。
巴と澪の虫の居所があまり良くない事を考えると、このタイミングで出てきてほしくないなぁなどと密かに祈っている。
会場内にはルトをギルドマスターと知る人もいるかもしれない。でも彼は今日、公人としてではなくプライベートで来ている。何か言われても、個人的な友人と紹介してもらえば大丈夫だろう。
可愛い生徒達はどうなっているだろうか。彼らが抽籤の段階から緊張しているという事もないだろうが、レンブラントさんに大見得を切った手前もある。少し不安だ。気が抜けているようだったら、活を入れてやらねば。
……いろいろと気にかかる事が多い。でもその分、楽しみもある。生徒の前で情けない姿は見せられないから、胸を張っていこう。
そう決意して、僕は会場へ入った。
◇◆◇◆◇
会場に入った僕らは入り口付近で待っていた識と合流し、ジン達のいる場所に向かった。
ルトも一緒について来る予定だったんだけど、巴と澪に僕を譲ってやるなどと馬鹿な事を言って、会場に着いた途端どこかへ行ってしまった。大切な用事を忘れていた、とも言っていたな。
――あからさまな嘘だった。
あいつは、何か目的を持ってこの場へ来ている。
うまく核心を突けば教えてくれるかもしれない。でも、何を企んでいるか、狙っているかと曖昧に尋ねても絶対に教えてくれないだろう。まあ、本人がいない今、あれこれ考えても仕方ないな。
識の案内で、ジン達のいる控え室に到着した。
巴が面白そうに僕の生徒を眺めている。
彼らにとって巴の視線は居心地が悪いかもしれない。初対面の人間から値踏みするようにジロジロを見られるのは、いい気がしないだろうから。
「ほっほー、これが若の生徒ですか。おお、そこの二人は肖像画を見た事がある! レンブラント殿のご息女じゃな」
緊張した面持ちの生徒達とは対照的な笑みを浮かべた巴が、シフとユーノに声をかける。
「は、はい! 初めまして、シフ=レンブラントと申します!」
「妹のユーノ=レンブラントです! 初めまして!」
二人が元気よく返事をする。顔を合わせるのは初めてだが、レンブラントさんを通じていろいろと巴の話は聞いているだろう。他の五人と比べても、何か緊張というか興奮してるし。
「良い返事じゃ。流石はレンブラント家の人間。顔を合わせるのは初めてじゃが、儂らは――」
「クズノハ商会の巴様と澪様ですね。父からお噂はかねがね聞いております。お会い出来て光栄です」
巴の言葉を遮りながら、びしっとした口調でシフが二人に挨拶した。興奮気味なテンションを考えてもこういうときは大体ユーノが先に口を開くのに。珍しい。
「強欲じゃと言われておらねば良いがな。だが名を知っていてもらえて嬉しいぞ。澪はともかく、儂はあまりツィーゲにおらんのに」
「父はお二人の事を、ライドウ先生とクズノハ商会を公私共に支える二本柱だと申しておりました」
「巴さんと同列なのはともかく、二本柱と称したなら、まあ良しとしましょうか。……そこの男を含めて三本柱にしなかったあたり、よくわかっておいでですわね」
澪、巴への対抗意識丸出しだな。しかもさらっと識までイジメるなんて。本人を見ながらそんな風に言うなよ。
「私など、お二人に比べればまだまだ未熟でございます。澪殿がツィーゲの店舗を切り盛りして下さり、巴殿が外商をまとめて下さっているから、私はライドウ様のお傍で、いろいろと勉強させて頂けているのです。日々、感謝しております」
識が澪の視線に応えるように、にこやかに学生の横で頭を下げた。
澪はツィーゲを拠点にしてはいるが、日々亜空と行ったり来たりしながら料理をしているだけのはず。その合間に冒険者のサポートをしているみたいだけど、店舗を切り盛りって……。
巴は日本の四季を求めてあっちにふらふら、こっちにふらふら。大陸各地に放った森鬼を使って情報収集こそしてくれているけど……外商? これも初耳だぞ。
僕に至っては商会の運営や判断など、むしろ識に教えてもらっている事も多い。
……識、そこまで気を遣わなくても良いんだよ。どこかで発散させないと前のライム失踪のときみたいに暴発しかねないな。気をつけよ。
[ジン、アベリア、ダエナ、ミスラ、イズモ。お前達とは完全な初対面になるな。私の腹心の部下であるトモエと、ミオだ]
残りの五人にも二人を紹介しておく。
「巴じゃ。よろしく頼む」
「澪よ」
みじかっ! シフとユーノ以外に興味がないの丸わかりじゃん!
そんなそっけない二人にも、生徒達は礼で応えた。シフとユーノがそうしたから、それに倣ったのかもしれない。彼らには、多分巴と澪がどの程度の実力か察する事は出来ないと思うし。見た目が威厳はない上に、こいつら能力を隠すの上手いから。
「……あの、先生。腹心と仰いましたけど。識さんは……」
アベリアだ。識に傾倒しているからか、ややきつめの口調。
[さっき本人が言った通り、識はまだ勉強中の身だ。商売の面のみで言えば、彼は私が商会で最も信頼している一人ではあるがな。危険の処理、つまり運搬や調達における戦闘能力や自衛能力まで含めた総合的な力では、二人にはまだ及ばないといえよう]
「戦闘、能力?」
ダエナが疑わしそうに、というか信じたくなさそうに呟く。
「識さんが劣っている?」
イズモも何を馬鹿なと苦笑して続く。ただし表情はひくついていた。
「……悪夢だ」
最後にミスラ。何とも端的な感想だ。
三人は、僕の言葉を受けて恐ろしい想像をしているようだった。
「ときにお主ら。若の教えを受けているのなら、レベルや数値だけが勝敗を決めるものではない事は承知しておろうな?」
巴が突然レベルについての話を始める。何だいきなり?
『……』
五人は黙って頷く。レンブラント姉妹は彼らよりもひと呼吸早く頷いていた。
……あはは、こりゃあレンブラントさん、巴と澪のレベル、多分話しているな。
「まあ、何が言いたいのかと言えばな。これまでお主らが強さの絶対的な指標としてきたであろうレベル。これは精々その者がそれほど積極的に他者を傷つけてきたかの証明に過ぎん。決して強さをそのまま示したりはしておらんのじゃ。たとえばな、レベル1のヒューマンにレベル1000を超える者二人が軽くあしらわれたりもするんじゃ」
『っ!?』
七人が一斉に動揺する。幾ら僕の非常識な講義を受けて一般的な感覚から少々外れているといっても、数字を聞くとびっくりするよな。
生徒達の反応に気を良くしたのか、巴は笑顔で続ける。
「嘘ではないぞ? ……ふふふ、若や識がお前達に目をかけるのもわかる気がするのう。まだまだ鍛錬が必要ではあるが、皆、いい面構えをしておる。お主らの試合、楽しませてもらおう」
「……はぁ、私には今一つわかりかねます。ようやく卵から頭が出たばかりのひよこではありませんか。この者達の試合なんて、ただの体当たりを眺めているようなものじゃありませんの?」
澪……。そりゃお前からすればそんなものかも知れないけど、言い方に気をつけてよ。
「やれやれ、教える喜びというものを少しはお前も学ぶと良い。明日からは大人しく屋台の料理でも食べて静かにしておれ、若を不快にさせるでないぞ」
巴は森鬼虐めから教育の喜びを学んだのだろうか。方法はどうであれ、教える楽しさを知ってくれたのは嬉しい。未熟である事を、ただ見下すようにはならなくなるだろうから。
「私が若様を不快にさせるわけがないでしょう!」
澪も、料理を誰かに教えたりするようになれば少しはわかってくれるかもしれない。今はまだ、自分が教えを乞い、実力アップに夢中だからな。
[二人とも、こんな場所で喧嘩をするな。少しは識を見習え。ところで識、例の件についてだけど]
バトルが始まりそうな気配を察し、巴と澪に釘を刺しておく。
今日、ここに来た主な理由はジン達への忠告。昨日、僕の前に現れて生徒達への攻撃を宣言した不届き者についてだ。
レンブラントさんにご安心ください、と言った手前、不測の事態は絶対に避けなければいけない。
そのためには、標的となっている生徒達に前もって情報を伝えておく必要がある。
「……はい。すでに彼らへ大体の内容は伝えております。調べてみましたところ、あの学生はリミアのホープレイズ家の次男でした。ホープレイズは王家とも血縁のある、リミアでも三本の指に入る大貴族です。次男なので継承権こそありませんが、彼自身が高い評価を得ており、長男とさして変わらない扱いを受けています」
[それはまた大物だな。行動は伴っていなかったが]
貴族の力が強いリミア王国で、大貴族ね。しかも次男か。当主や長男が戦争に参加すれば命を落とす危険もある。そんな事情から、次期当主の可能性がある彼も大切に育てられているのだろう。
リミアでは戦争ともなれば、貴族の義務として積極的に当主や長男が戦地に赴いて命を張るのが当然という風潮があるらしい。今やっている魔族との戦争が久々の大きな戦いらしいから、どこまで実践されているのかは怪しい気もするけど。
そうか、結構大物だったか。リミア、ホープレイズ家。
……何をしてきてもジン達に対処させる予定だったけど、少し事情が変わったな。そんなに簡単な相手じゃなさそうだし。
度が過ぎる手段を使ってきた場合はこっちで対処しよう。金にものを言わせて凶悪な刺客を雇ったり、毒物を使用したり、場外で見苦しく動くようならね。
「ライドウ先生って面倒な奴に絡まれるの、結構得意ですよね」
ジンめ。その「もう慣れてきましたよ」的な表情はやめて欲しい。
[ジン。お前のその物怖じしない態度は実に素晴らしい。識から聞いていると思うが嫌がらせには自分達で対処するようにな。……それから、予選は皆通ったようだが、全力で挑んではいないな?]
「勿論です。五割の力で流して全員通過です」
おお、七人がドヤ顔で胸を張っている。予選から全力で余裕なく戦ったりはしていないみたいだな。参加者の中だとレベルもかなり高い方だし、当然と言えば当然か。
[素晴らしい。良くやったな、皆]
『……』
[どうした、嬉しくないのか?]
「基本、先生が褒めてくれるときは何かあります」
恐る恐る手を挙げてジンが発言する。
……結構警戒されてるんだな、僕。とりあえず、闘技大会での戦いぶりを見て、新しい生徒を加えるかどうか判断したいから、今回も少し厳しくいかないと。
褒めた後にこんな話をするのは少し悲しいけどさ。
[勘が良い。予選については基本的にお前達からの伝聞だけなのだが。それでもお前達の力が抜きん出ているのはわかった]
『……』
[よって、お前達には制約を設ける事にした。各自、識がこれから伝える内容を守って本選に参加するように]
来賓が多く訪れる学園祭で、出場希望者に対してのんびりと予選から大会を始めたりはしない。準備期間中に本選出場者は既に選抜が終了している。来賓の目に留まるにはまず、学内できちんと実力を示さないといけないというわけだ。
識から生徒に、僕が考えた禁止事項を伝えてもらう。
強張っていく彼らの表情、中には声を出してしまった者もいた。
僕の講義よりはるかにレベルが低いであろうこの大会で、己の実力を全てさらけ出したところで何の意味もないのは明白。そこで、今回は縛りプレイで戦ってもらう事にしたのだ。
「……あの、本気ですか」
アベリアがやや青ざめた表情で僕の意図を確認してくる。失礼な。本気に決まってる。
[勿論だ。明日からの試合、巴、澪、識、私の全員で観戦させてもらう。楽しみにしているぞ]
さて、用は済んだな。
巴は思わせぶりな笑みを振りまき、澪は一瞥するのみ。
識は彼らのお守りに残しておくか。大貴族様の妨害があったとき、対応できる者が必要だしね。
……しかし。ローレル、アイオンときて次はリミアか。その内にグリトニアからも何かあるんじゃなかろうな。
四大国そろい踏みとか、お腹一杯になっちゃうよ。
――さて、そろそろ会場を離れて、次の仕事に向かうとしますか。
そこで彼は商会に戻ってすぐに従者である識を呼び出し、この話を聞かせた。
ロッツガルドに来てからの出来事を思い返し、押し黙る識。
しばしの静寂の後、識が口を開く。
「若、もしかしたらアレではありませんか?」
「何か思い当たった? 僕は全くダメだったよ」
「こちらに来てすぐだったと思うのですが、ルリアに絡んでいた学生を制裁した事があったかと」
識の発言を聞いて、真は膝を叩いた。
「おお! そう言えば絡まれてたあの子を気まぐれで助けたっけ。でも、そいつらは殺されかけたとか言っていたぞ? あれはちょっと脅かしただけだった気がするんだけど」
「下は石畳でしたので、あの高さから落ちれば死ぬ可能性はそれなりにあります。何より連中は、誰も浮遊の術が使えませんでした。その恐怖はなかなかのものだったかと」
「……だったね。あれか、あれで殺されかけた、かあ」
真は肩を落として大きく息を吐き出した。
少し高いところから落とされたくらいで大袈裟な、こちとらこの世界に来たときにもっとヒドイ目に遭ってきたんだぞ、といった感情が湧きあがってきて、思わず出たため息だった。
「一応、その生徒については明日にでも調べておきましょう。ジンと同行する約束がありますから」
「そっか。闘技大会の抽籤だったっけ。僕も巴と澪、それにルトと一緒に覗くよ。そのとき、ジン達に少し時間を作らせてくれる? 嫌がらせを受けるかもしれないから彼らに忠告しておかないとね」
「忠告、でございますか」
「そ、忠告。その程度の障害はそろそろ自力で解決してくれないと頼りに出来ないからね。事務室から受講生を増やせないか何度か言われているから、ジン達には頑張ってもらないと困るんだよ。必ずしもその指示に従う必要はないんだろうけど、学園のお偉方と僕との間で板挟みになって弱っていく職員さんが少し不憫なんだ。あの七人がそれなりに育てば教育係に使えるし」
真の言葉に識が静かに頷く。
(さて、それじゃあ巴と澪、余計だけどルトも待っている店に行くか。今日何をしていたのか報告を聞かないとね。今夜はしこたま飲むつもりなんだろうし、まだまだ気合入れていこう!)
長い一日だ。そんな考えが頭をよぎり、真は苦笑しながら商会を出た。
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目立っている。
和装の巴と澪。それに真っ白なスーツを着た痩躯の美青年、ルト。いや、確かヒューマンの前ではファルスとか名乗ってたな。まあ、役職名であるギルドマスターと呼んでおけば問題ないね。
ともかく、そんな三人と一緒にいると僕まで異様に目立ってしまう。
男二人女二人のこの構図を見ても、道行く人々がダブルデートだとは思わないだろうという自信がある。だって、男のルトがぴったりと僕の隣にいるんだから。とてもデートには見えない。ついでにそれが原因で、少し後ろを歩く澪が結構お怒りになっている。
最近、喚いたり手を出すだけじゃなく、静かに怒る事も覚えたようだ。怒りのバリエーションを豊富にしてほしくない。
僕ら四人は学園祭で行われる注目イベント、闘技大会の抽籤会場に向かっていた。
今日開催されるめぼしい催し物はないというのに、人の数が凄い。普段は広い通りだと思っていた道が、歩くだけで精一杯に感じるくらいだ。抽籤会も立派なイベントになっているんだな。
実際に大会が行われるのは明日から。選手として出場する生徒のお披露目だけの今日よりも確実に人の数は増える。
大した集客力だ。屋台を出すのに、この通りが一番倍率も場所代も高い理由が良くわかった。
この人出を見て、クズノハ商会として屋台をやらなくて良かったと思ってしまう僕は、まだまだ商人としては半人前なんだろうな。
「いいものだね、こんな風に好きな人と並んで歩くのは」
そう言ってルトが満面の笑みを僕に向ける。
「変態的な言動は慎め、マスター殿」
彼の軽口に、巴が怒りのこもった注意を投げかける。
「至って真摯な気持ちでの告白なのに」
「……それにじゃ。少しは周囲の目も気にしてもらいたい。つまり、もう少し若から離れてもらえんかの」
「これは正当な権利。譲る気も辞退する気もないね。今日の午前中は自由だし、僕が誰とどこを見て回っても良いんだから」
やれやれ。ルトもなんだかんだで毎日のように来賓の一人としてあっちに呼ばれこっちに呼ばれでストレスが溜まっているのかね。
昨夜、僕が店に到着したときには三人とも見事に出来上がっていた。亜空の住人達との酒宴でも不思議に思ったけど、どうして学園祭に入ってからの酒席では誰も彼も酔っ払うのか。ザルのはずのルトも、ほんのり頬を赤く染めてケラケラ笑っていた。
宴席では、今日誰が僕の隣に並ぶかの勝負も開催された。
戦闘力を剥き出しにした実力行使だと相当問題があるので、勝負と言っても平和的な方法を選んだ。最初は叩いてかぶってジャンケンポンにしようと思ったけど、叩くのは危険だと考え、あっちむいてホイに変えた。我ながら英断である。
で、勝者がルトだったのだ。彼の言う権利は確かに正当で、敗者の二人は僕達の後ろを仲良く並んで歩いている。
なのに、どういうわけかすれ違う人々からは、ルトが二人の美女を侍らせて選手を見に行く中、僕が無理に彼に同行しているのでは、といった感じの会話が聞こえてくる。濡れ衣だ。
ルトの表情を見れば、そんな状況じゃないって簡単にわかるだろうに。
もう少し現実を素直に受け止めろってんだ……。
「――で、ローレルには確かに漢字が伝わってるんだな? という事は、日本語もある程度伝わっているのか?」
抽籤会場への道すがら、僕はローレルの彩律と出会った事をルトに話した。どうやら彼はそのあたりの事情にも詳しいらしく、僕の疑問にもすらすら答えてくれた。
「賢人文字って名前でね。漢字とは別に日本語も使われているようだけど、地球のものから結構変化しているかな」
「方言みたいな変化?」
「そんなレベルじゃないね。……良いたとえがあるよ。地球で言う俗ラテン語みたいな感じかな」
「……何それ?」
「あれ、じゃあ口語ラテン語って言えばわかる? 今はもう学者くらいしか使わない言葉って感じなのさ」
「……さっぱり知らない単語なんだけど。お前、一体どんな日本人と接してきたわけ?」
「至って普通だと本人は言ってたけどね」
う。でも僕は普通の範疇にいる、はず。たとえに出てきた言語を知らなくても問題ない、よね?
「よくわからないけど、日本語で話していて、それを理解される可能性はあるのか?」
ルトのたとえは難解だったので、とりあえず僕が今押さえておきたいポイントを確認する。
僕の問いかけに、ルトは嘆息しながら返す。
「……また考えるのを放棄したね。その癖は直した方が良い。疑問はきちんと考えて自分なりにでも答えを見つけておく事が一番だよ。正しいかはともかく、後悔は少ない。懸念している日本語については、勇者にでも聞かれない限り、この世界で理解される心配はない。そもそも、ローレルでは特殊な念話で異世界の客人と対話しているから、日本語を正確に理解している者はいないはず。殆どの場合はすぐに精霊を通じて祝福を受けて共通語を使えるようになるから、こちらに来た異世界人が母国語を使う機会はほぼないと言っても過言ではないよ」
「なるほど。この世界で日本語を理解できるのは異世界人だけなんだ……そうなると、特殊な念話ってのが気になるな」
「ちなみにその特殊な念話は、魔族の使っている高性能な念話技術の基礎にもなってるよ。……真君、魔将とも接触したみたいだし、やっぱり気になるんだね」
「あ、ああ」
……やっぱり色々知っているよな。
「気になると言えば――」
ルトが更に会話を広げようとしたとき――。
「若様! これ、さっきつまみましたけど美味でした。よろしかったらどうぞ」
澪だ。さっきから屋台を見つけては、手当たり次第買い食いしている。あれだけ食べたうえで厳選された味なら、興味あるな。せっかくだしもらおう。
「ありがと、澪。お前のオススメはいつも大当たりだから嬉しいよ」
「っ! はい!」
嬉しそうに返事をして差し出してくれたのは、逆三角の容器に親指くらいの狐色の物体が山盛りに詰められたものだった。香ばしい油の匂い、揚げ物か。
その中の、串が刺さった一つを口に運ぶ。
衣はカリッと揚がっていた。中は肉。味は淡泊で、肉質はササミに近い。旨みのある肉汁と独特の食感。ナンコツ回りの肉をブツ切りにして揚げたのかな。衣には香辛料がまぶされているらしく、いいアクセントになっている。そしてふりかけた絶妙な塩の具合。これは美味い。
唐揚げにはレモンをかける派の僕としては、レモン汁みたいな柑橘系のアクセントが欲しいと思った。このままでも十分だけど。
「へえ、美味しそうだね。澪ちゃん、僕の分は?」
ルトが僕の持っている容器を覗きこみながら澪に尋ねる。
「あるわけないでしょう変態。お前に澪ちゃんなどと呼ばれる覚えもありませ――ああっ!?」
澪の言葉を聞き終える前に、ルトは僕から串を取り上げて揚げ物を口に運んだ。
「あ、ライドウ殿、串を借りますよっと。ふむ、へえ、これは……。この肉はありふれた物だけど、こんな調理法は初めてだな。うん、美味しい」
串をルトに取られて、容器の中にある揚げ物を一つ奪われてしまった。何という早業。しかもちらりとどこかを見て何故か僕をライドウ殿と呼んだ。多分、真と呼んでいるのを聞かれると面倒な人の存在が目に入ったとかだろう。どんな周辺把握能力だよ、変態め。
「……今すぐ死にたいですか、それとも、今すぐ死にたいですか」
……澪。同じ事言ってるから。
ワナワナと震える澪を宥めるため、声をかける。
「これだけ良い匂いなんだし、一つくらいは勘弁してやってよ。せっかく澪のおかげで僕に新しい好物が一個出来たんだからさ」
「! 好物! でしたら今度食卓にも並べます。いえ、並べてみせますわ!!」
「期待してるね。あ、そのときさ――」
僕は、さっきひとつ食べたときに抱いた要望を口に出そうとすると、澪が笑顔で発言を遮る。
「レモン塩か柚子を使って香りをつけてみます。その方がお好きですよね?」
「……うん」
何故わかった。もしかして、思考が顔に出てたのかな。だとしたら、ちょっと恥ずかしい。
「……」
ルトは僕と澪の会話に割って入らず、ボーっとしている。珍しいな。
「マスター殿、何を黙っておる?」
ルトの隣で同じ揚げ物を黙々と食べていた巴が口を開く。
澪が僕に揚げ物を差し出してきた関係で、前二人、後ろ二人だった構図が澪、僕、ルト、巴の四人が横並びになるかたちに変わった。
「……ちょっと昔を思い出していただけだよ。恋人にササミのフライが食べたいってねだられたときの事をね。この肉を使って苦心して料理をした覚えがある。日本で食べていたものに凄く近い味だ、って褒められたな。……悔しかった」
「褒められたのであろう? なら嬉しいのではないか?」
巴が当然の疑問を呈する。
「同じ味を、目指したんだ。でも、彼の願いを僕は満たせなかったんだ。だから悔しかったのさ。お前だって、侍みたいだ、とか侍っぽいって言われるんじゃなくて、侍だって言われたいだろう?」
「……なるほど」
ルトの返答を聞いて、巴がうんうんと頷く。
「あ、若様。あの屋台、覗いてみま――」
少ししんみりしたムードを無視し、澪が楽しげにそう言って僕の手を引こうとする。
そんな澪をルトが制する。
「はい、そこまで。勝者は僕なんだよ、澪ちゃん。はい、巴と一緒に一歩進んでね。今日、真君の隣は僕。会場の中でも立場を弁えてね、二人共」
「くっ」
「ちっ」
巴と澪が二人揃って舌打ちをして僕とルトの前へ歩み出る。何やかや言いながらも約束を守るあたり、律儀だな。
ややあって、僕の眼前に目的の建物が現れた。この三人と一緒だと、時間が過ぎるのが速い。
確か、抽籤会場には識が先に到着しているはず。早く合流しなくては。
……昨夜、大胆に宣戦布告してきた学生も、まだちょっかいを出してきていない。
巴と澪の虫の居所があまり良くない事を考えると、このタイミングで出てきてほしくないなぁなどと密かに祈っている。
会場内にはルトをギルドマスターと知る人もいるかもしれない。でも彼は今日、公人としてではなくプライベートで来ている。何か言われても、個人的な友人と紹介してもらえば大丈夫だろう。
可愛い生徒達はどうなっているだろうか。彼らが抽籤の段階から緊張しているという事もないだろうが、レンブラントさんに大見得を切った手前もある。少し不安だ。気が抜けているようだったら、活を入れてやらねば。
……いろいろと気にかかる事が多い。でもその分、楽しみもある。生徒の前で情けない姿は見せられないから、胸を張っていこう。
そう決意して、僕は会場へ入った。
◇◆◇◆◇
会場に入った僕らは入り口付近で待っていた識と合流し、ジン達のいる場所に向かった。
ルトも一緒について来る予定だったんだけど、巴と澪に僕を譲ってやるなどと馬鹿な事を言って、会場に着いた途端どこかへ行ってしまった。大切な用事を忘れていた、とも言っていたな。
――あからさまな嘘だった。
あいつは、何か目的を持ってこの場へ来ている。
うまく核心を突けば教えてくれるかもしれない。でも、何を企んでいるか、狙っているかと曖昧に尋ねても絶対に教えてくれないだろう。まあ、本人がいない今、あれこれ考えても仕方ないな。
識の案内で、ジン達のいる控え室に到着した。
巴が面白そうに僕の生徒を眺めている。
彼らにとって巴の視線は居心地が悪いかもしれない。初対面の人間から値踏みするようにジロジロを見られるのは、いい気がしないだろうから。
「ほっほー、これが若の生徒ですか。おお、そこの二人は肖像画を見た事がある! レンブラント殿のご息女じゃな」
緊張した面持ちの生徒達とは対照的な笑みを浮かべた巴が、シフとユーノに声をかける。
「は、はい! 初めまして、シフ=レンブラントと申します!」
「妹のユーノ=レンブラントです! 初めまして!」
二人が元気よく返事をする。顔を合わせるのは初めてだが、レンブラントさんを通じていろいろと巴の話は聞いているだろう。他の五人と比べても、何か緊張というか興奮してるし。
「良い返事じゃ。流石はレンブラント家の人間。顔を合わせるのは初めてじゃが、儂らは――」
「クズノハ商会の巴様と澪様ですね。父からお噂はかねがね聞いております。お会い出来て光栄です」
巴の言葉を遮りながら、びしっとした口調でシフが二人に挨拶した。興奮気味なテンションを考えてもこういうときは大体ユーノが先に口を開くのに。珍しい。
「強欲じゃと言われておらねば良いがな。だが名を知っていてもらえて嬉しいぞ。澪はともかく、儂はあまりツィーゲにおらんのに」
「父はお二人の事を、ライドウ先生とクズノハ商会を公私共に支える二本柱だと申しておりました」
「巴さんと同列なのはともかく、二本柱と称したなら、まあ良しとしましょうか。……そこの男を含めて三本柱にしなかったあたり、よくわかっておいでですわね」
澪、巴への対抗意識丸出しだな。しかもさらっと識までイジメるなんて。本人を見ながらそんな風に言うなよ。
「私など、お二人に比べればまだまだ未熟でございます。澪殿がツィーゲの店舗を切り盛りして下さり、巴殿が外商をまとめて下さっているから、私はライドウ様のお傍で、いろいろと勉強させて頂けているのです。日々、感謝しております」
識が澪の視線に応えるように、にこやかに学生の横で頭を下げた。
澪はツィーゲを拠点にしてはいるが、日々亜空と行ったり来たりしながら料理をしているだけのはず。その合間に冒険者のサポートをしているみたいだけど、店舗を切り盛りって……。
巴は日本の四季を求めてあっちにふらふら、こっちにふらふら。大陸各地に放った森鬼を使って情報収集こそしてくれているけど……外商? これも初耳だぞ。
僕に至っては商会の運営や判断など、むしろ識に教えてもらっている事も多い。
……識、そこまで気を遣わなくても良いんだよ。どこかで発散させないと前のライム失踪のときみたいに暴発しかねないな。気をつけよ。
[ジン、アベリア、ダエナ、ミスラ、イズモ。お前達とは完全な初対面になるな。私の腹心の部下であるトモエと、ミオだ]
残りの五人にも二人を紹介しておく。
「巴じゃ。よろしく頼む」
「澪よ」
みじかっ! シフとユーノ以外に興味がないの丸わかりじゃん!
そんなそっけない二人にも、生徒達は礼で応えた。シフとユーノがそうしたから、それに倣ったのかもしれない。彼らには、多分巴と澪がどの程度の実力か察する事は出来ないと思うし。見た目が威厳はない上に、こいつら能力を隠すの上手いから。
「……あの、先生。腹心と仰いましたけど。識さんは……」
アベリアだ。識に傾倒しているからか、ややきつめの口調。
[さっき本人が言った通り、識はまだ勉強中の身だ。商売の面のみで言えば、彼は私が商会で最も信頼している一人ではあるがな。危険の処理、つまり運搬や調達における戦闘能力や自衛能力まで含めた総合的な力では、二人にはまだ及ばないといえよう]
「戦闘、能力?」
ダエナが疑わしそうに、というか信じたくなさそうに呟く。
「識さんが劣っている?」
イズモも何を馬鹿なと苦笑して続く。ただし表情はひくついていた。
「……悪夢だ」
最後にミスラ。何とも端的な感想だ。
三人は、僕の言葉を受けて恐ろしい想像をしているようだった。
「ときにお主ら。若の教えを受けているのなら、レベルや数値だけが勝敗を決めるものではない事は承知しておろうな?」
巴が突然レベルについての話を始める。何だいきなり?
『……』
五人は黙って頷く。レンブラント姉妹は彼らよりもひと呼吸早く頷いていた。
……あはは、こりゃあレンブラントさん、巴と澪のレベル、多分話しているな。
「まあ、何が言いたいのかと言えばな。これまでお主らが強さの絶対的な指標としてきたであろうレベル。これは精々その者がそれほど積極的に他者を傷つけてきたかの証明に過ぎん。決して強さをそのまま示したりはしておらんのじゃ。たとえばな、レベル1のヒューマンにレベル1000を超える者二人が軽くあしらわれたりもするんじゃ」
『っ!?』
七人が一斉に動揺する。幾ら僕の非常識な講義を受けて一般的な感覚から少々外れているといっても、数字を聞くとびっくりするよな。
生徒達の反応に気を良くしたのか、巴は笑顔で続ける。
「嘘ではないぞ? ……ふふふ、若や識がお前達に目をかけるのもわかる気がするのう。まだまだ鍛錬が必要ではあるが、皆、いい面構えをしておる。お主らの試合、楽しませてもらおう」
「……はぁ、私には今一つわかりかねます。ようやく卵から頭が出たばかりのひよこではありませんか。この者達の試合なんて、ただの体当たりを眺めているようなものじゃありませんの?」
澪……。そりゃお前からすればそんなものかも知れないけど、言い方に気をつけてよ。
「やれやれ、教える喜びというものを少しはお前も学ぶと良い。明日からは大人しく屋台の料理でも食べて静かにしておれ、若を不快にさせるでないぞ」
巴は森鬼虐めから教育の喜びを学んだのだろうか。方法はどうであれ、教える楽しさを知ってくれたのは嬉しい。未熟である事を、ただ見下すようにはならなくなるだろうから。
「私が若様を不快にさせるわけがないでしょう!」
澪も、料理を誰かに教えたりするようになれば少しはわかってくれるかもしれない。今はまだ、自分が教えを乞い、実力アップに夢中だからな。
[二人とも、こんな場所で喧嘩をするな。少しは識を見習え。ところで識、例の件についてだけど]
バトルが始まりそうな気配を察し、巴と澪に釘を刺しておく。
今日、ここに来た主な理由はジン達への忠告。昨日、僕の前に現れて生徒達への攻撃を宣言した不届き者についてだ。
レンブラントさんにご安心ください、と言った手前、不測の事態は絶対に避けなければいけない。
そのためには、標的となっている生徒達に前もって情報を伝えておく必要がある。
「……はい。すでに彼らへ大体の内容は伝えております。調べてみましたところ、あの学生はリミアのホープレイズ家の次男でした。ホープレイズは王家とも血縁のある、リミアでも三本の指に入る大貴族です。次男なので継承権こそありませんが、彼自身が高い評価を得ており、長男とさして変わらない扱いを受けています」
[それはまた大物だな。行動は伴っていなかったが]
貴族の力が強いリミア王国で、大貴族ね。しかも次男か。当主や長男が戦争に参加すれば命を落とす危険もある。そんな事情から、次期当主の可能性がある彼も大切に育てられているのだろう。
リミアでは戦争ともなれば、貴族の義務として積極的に当主や長男が戦地に赴いて命を張るのが当然という風潮があるらしい。今やっている魔族との戦争が久々の大きな戦いらしいから、どこまで実践されているのかは怪しい気もするけど。
そうか、結構大物だったか。リミア、ホープレイズ家。
……何をしてきてもジン達に対処させる予定だったけど、少し事情が変わったな。そんなに簡単な相手じゃなさそうだし。
度が過ぎる手段を使ってきた場合はこっちで対処しよう。金にものを言わせて凶悪な刺客を雇ったり、毒物を使用したり、場外で見苦しく動くようならね。
「ライドウ先生って面倒な奴に絡まれるの、結構得意ですよね」
ジンめ。その「もう慣れてきましたよ」的な表情はやめて欲しい。
[ジン。お前のその物怖じしない態度は実に素晴らしい。識から聞いていると思うが嫌がらせには自分達で対処するようにな。……それから、予選は皆通ったようだが、全力で挑んではいないな?]
「勿論です。五割の力で流して全員通過です」
おお、七人がドヤ顔で胸を張っている。予選から全力で余裕なく戦ったりはしていないみたいだな。参加者の中だとレベルもかなり高い方だし、当然と言えば当然か。
[素晴らしい。良くやったな、皆]
『……』
[どうした、嬉しくないのか?]
「基本、先生が褒めてくれるときは何かあります」
恐る恐る手を挙げてジンが発言する。
……結構警戒されてるんだな、僕。とりあえず、闘技大会での戦いぶりを見て、新しい生徒を加えるかどうか判断したいから、今回も少し厳しくいかないと。
褒めた後にこんな話をするのは少し悲しいけどさ。
[勘が良い。予選については基本的にお前達からの伝聞だけなのだが。それでもお前達の力が抜きん出ているのはわかった]
『……』
[よって、お前達には制約を設ける事にした。各自、識がこれから伝える内容を守って本選に参加するように]
来賓が多く訪れる学園祭で、出場希望者に対してのんびりと予選から大会を始めたりはしない。準備期間中に本選出場者は既に選抜が終了している。来賓の目に留まるにはまず、学内できちんと実力を示さないといけないというわけだ。
識から生徒に、僕が考えた禁止事項を伝えてもらう。
強張っていく彼らの表情、中には声を出してしまった者もいた。
僕の講義よりはるかにレベルが低いであろうこの大会で、己の実力を全てさらけ出したところで何の意味もないのは明白。そこで、今回は縛りプレイで戦ってもらう事にしたのだ。
「……あの、本気ですか」
アベリアがやや青ざめた表情で僕の意図を確認してくる。失礼な。本気に決まってる。
[勿論だ。明日からの試合、巴、澪、識、私の全員で観戦させてもらう。楽しみにしているぞ]
さて、用は済んだな。
巴は思わせぶりな笑みを振りまき、澪は一瞥するのみ。
識は彼らのお守りに残しておくか。大貴族様の妨害があったとき、対応できる者が必要だしね。
……しかし。ローレル、アイオンときて次はリミアか。その内にグリトニアからも何かあるんじゃなかろうな。
四大国そろい踏みとか、お腹一杯になっちゃうよ。
――さて、そろそろ会場を離れて、次の仕事に向かうとしますか。
応援ありがとうございます!
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