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47話 そんなある日の昼下がり その4
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教会で昼飯を食って、片づけをしてから遅ればせながらに村長の家へと向かえば、いつもの広間にイスュと村長の姿があった。
まぁ、当然っちゃ当然か。
なにせ今日は行商日。イスュたちの隊商が村へとやってくる日なのだから。
「ちぃーっす。
もしかして、もう終わっちまったか?」
何が“終わった”のかと言えば、売ったり買ったりの商売の話だ。
俺はそう声を掛けつつ、村長が座っている椅子の隣の椅子へとよじ登る。
見えたテーブルの上には、金貨が入っていると思しき皮袋がちょこんと乗っていた。
皮袋に張りはなく、一目で中身が少ない事が見てとれた。商談が済んだ後なのだろう。
別に俺がしゃしゃり出なくても、村長がうまくやってくれるので俺がこの会合に参加する意義は薄いのだが、イスュから聞く村の“外”の話は大変興味深いので、行商日にはこうして顔を出すようにしている。
ぶっちゃけ、俺はこの村以外のこの世界の実情をほとんど知らないからな。
俺が知っている事と言えば、ちょっとした歴史とか古い情報ばかりだ。
イスュからの話は、そんな俺にとって貴重な鮮度の高い情報源であり、また密かな楽しみでもあった。
「ああ、今丁度終わったところだ」
村長が、テーブルの上の皮袋を手元に引き寄せながらそう答えた。
俺は、テーブルの上に取り残されていた用紙に気づき手を伸ばしてみれば、それはどうやら今回の売り上げの明細らしく、サクッと目を通してみた。
思った通り、ソロバンの売れ上げ数が、前回の納品数を下回っている。
おかげで売り上げは、とても残念な事になっていて、利益は過去最低である。
これなら、あの皮袋のしょんぼり感も納得だ。
どうやら、ソロバンの生産数を落として、リバーシの製造に注力したのは正解だったらしい。
てか、これならソロバンの数を2分の1と言わず、もっと落としてもよかったかも……
「ロディフィス、お前また変なこと始めたんだってな?
“きゃうしょく”……とか言ったか?」
売り上げ明細をじっと眺めていた俺に、イスュが話しかけてきた。
もう用はない、とばかりに俺は持っていた明細をテーブルの上に戻すと、代わりにもう一枚あった別の用紙を手にとってイスュの方へと顔を向けた。
「“きゃうしょく”じゃねぇーよ。“給食”な。
それに、別に“変”でもねぇーし。
村の生産効率上げられるかの実験みたいなもんだよ」
とは言うものの、“生産効率が上がらなかったので、給食止めますっ!”とか言ったら、なんか主婦さんたちが暴動起こしそうな気がするのは気のせいだろうか……うん、気のせいだな。気のせいってことにしておこう。
「まぁ、なんにしても、ウチとしちゃバカみたいに物が売れてるから万々歳なんだけどよ。
濡れ手で粟のぼろ儲けだ。
もう、笑いが止まんねぇわ、マジでっ!」
まぁ、そりゃそうだろうよ。
正直、教会で出している給食を始め、村に出回っている食料のそのほぼ全てが、イスュの隊商から購入しているものなのだ。
今、村の食料事情はイスュの隊商が生命線であると言っても過言ではないのだ。
実際、村にイスュたち以外の隊商が来ることはない。
ここは辺境にある小さな村だ。余程の物好きでもない限り、誰が好き好んで行商になど来ると言うのか……
あっ、いたわ目の前に……
その物好きなこいつのおかげで、村の生活が潤っている事を考えると、強ちバカにも出来ない訳か。
それはつまり、村で何かを買おうと思ったら、イスュの隊商から購入する以外に手はない、という事だ。
今、村はソロバンそれに今回からはリバーシもだが……委託販売と言う形でイスュたちに販売してもらっており、その売り上げの何割かが村への報酬として支払われている。
しかし、その支払った報酬は、自分たちの商品を売る事で回収すると言う、一種のマッチポンプ的環境の中にイスュたちの隊商はあるのだ。
これで、儲からない訳がない。
しかも、元々競争相手なんていない訳だから、イスュたちさえこの村の事が他の隊商にバレないように注意していれば、この独占状態を維持できるのである。まさに、やりたい放題だ。
そりゃ、笑いも止まらなくなるだろぉよ。
逆に、俺達がイスュ以外の隊商を村に呼び込めば、商品の価格を競合させて売る物はより高く、買う物はより安く仕入れる事も可能……ではあるのだろうが、呼び込みやら、誘致やら、それをするだけの労力、デメリットを考えたら正直面倒臭いのでこのままでいいと思っている。
別に、イスュたちの隊商がヤの付く人たちが経営しているお店の様な、ぼったくり価格をふっかけて来る訳でもなし。
……まぁ、町での商品の相場ってのがいくらなのかは、村の外に出た事がない俺には正直分からない事なのだが、移住組の面々が特に何も言わないと言う事は、適正価格からそれ程かけ離れてはいないのだろうと思っている。
もし、今後商品の価格を極端に上げるような事があれば、その時はじっくりとお話をする必要があるだろうが、な。
「お前が楽しそうで何よりだよ……」
顔がだらしなく緩みまくっているイスュを尻目に、俺は新たに手にした用紙へと視線を落とした。
そこに記されていたのは、村で購入した商品の目録だった。
村の蓄えとして購入したものは言うに及ばず、銭湯で使う食材やその他諸々なんかも細かく記入されていた。
しかし、こうして書面にすると買ってる食材の多さに驚かされる。
しかも、ここに載っているのは、村全体で購入している食材の一部に過ぎないのだ。
各家庭が個別に購入している分も含めたら、一体どれくらいの量になるんだか……
「ってか、こうして見ると自分で頼んでおいて言う事じゃないが、よくもまぁこんだけ大量の食料を仕入れられるもんだな……
今年って、例年にない旱魃だったんじゃねぇの?
それとも雨が降らなかったのってここいら一帯だけとか?」
俺は、購入品一覧を眺めながら、イスュにそう訊ねてみた。
「あ~、半分正解ってとこだな」
「どう言う事だよ?」
「確かに、今年はアストリアス王国全体で雨が少なかった年だったが、作物に深刻な被害が出るほど雨が降らなかった地域は、ここスレーベン領を始めとした王国の東部分の更に一部ぐらいなもんなんだよ」
イスュの言葉に、俺はふっと“アストリアス王国風土記”に記述されていた内容を思い出していた。
たしか……
そもそも、アストリアス王国は基本は温帯気候なのだが、ここスレーベン領周辺は、アストリアス王国の東の端っこの方に位置している所為で、アストリアス王国の気候より隣国であるガルドホルン帝国の気候の影響を受け乾燥地帯よりの気候になりやすい土地柄をしている、とかなんとか……そんな内容だったような気がする。
アストリアス王国が一体どれほどの大きさをしているのかは、正直なところよく分からないのだが日本だって基本温帯気候でありながら、北海道は亜寒帯気候、沖縄は亜熱帯気候と多様性を持っている。
一つの県を跨いだら、がらっと気候が変わる事だって珍しくないのだ。
更にイスュの話では、王都や他の領地では大きな町の近くに農村……いやこの場合はもう農場と言うべきだな……を配置して、水路を引いて灌漑設備などを充実させ、しかも大勢の人間でシステマチックに大規模農業を行っている、と言うのだ。
故に、多少雨が降らなかった程度では、そう簡単に食糧危機に陥る事はない、との事だった。
主要な町の近くに農場を設けるのも、食料の流通を迅速に行うためだろう。
イスュたちは、そう言った領地から食材を買い集めていた、と言う訳だ。
イスュ曰く……
“スレーベン領が田舎過ぎるんだよ、なんにもねぇもんここ。
で、この村は更にド田舎なんだよ”
ド田舎で悪かったな。
とは思ったが、事実なので返す言葉もない。
と、言うか他の領地ってそんなに発展してんのか?
もしかして、この世界の文明レベルって俺が思っている以上に高いのかもしれないな。
村を一歩も出たことのない俺では、知る由もない事ではあるが……
イスュたちが、どこから食料を調達しているのかは分かったが、そうなると気になってくるのがどうやって運搬しているのか、だった。
今までは、大して気にも留めていなかったので、その辺りの事を詳しく聞いたことがなかったのだが、いい機会なので聞いてみる事にした。
「ああ、それはな……」
と、イスュ先生の物流講座に俺は素直に耳を傾けた。
ハロリア商会には、大きく二つの部隊が存在するのだとイスュは言う。
一つは、イスュたちのように販売、買い付けを行う行商部隊。
イスュによれば、ハロリア商会では一つの領地に対して複数の隊商で各地を巡って行商を行っている、との事だった。
ちなみに、スレーベン領ではイスュを含め3つの隊商が行商をしているらしい。
その中の東部方面を担当しているのが、イスュたちの隊商と言う訳だ。
余談だが、イスュたちの隊商は正式には“アストリアス王国極東方面第六行商隊”と言うらしいのだが、名前に“第六”と付いていながら実際の隊商は3つしかないのは何故かと尋ねたら“東部方面で活動している隊商が全部で8つあり、そのうちスレーベン領内で活動しているのが3つ”と言うことであるらしい。
なるほど、理解した。
で、こんな感じで他の領地でも複数の隊商が行商を行っているらしい。
そして、もう一つが搬送部隊とでも言うべき販売も買取も一切しない、まさに荷を運ぶ為だけの部隊だった。
各領地には、本部と呼ばれる行商の拠点があり、各地で販売、買取、買い付けを行った隊商たちはある定められた日に、活動している領地に設けた本部へと集合する。
そして販売して不足した商品を補充したり、買い付けた商品を本部へと預けたりするのだ。
こうして本部に集められた商品は、より高い値段で販売出来る地域の本部へと送られる事になる。
この時、本部間の商品の物流を一手に担っているのが搬送部隊だった。
この搬送部隊のおかげで、迅速かつ広域に商品を展開する事を可能にしているのだと、イスュが何故か誇らしげに鼻を膨らませて語ってくれた。
ちなみに搬送部隊は、いち早く商品を届けるために昼夜を問わず走り続けるらしいので、一番の過酷部署であるらしい。その代わり、給金は高めで人気職なんだとか……
……異世界版トラックの運ちゃんかよ。
まぁ要は、大規模なバケツリレー方式で商品を運んでいるってこったな。
これは別にハロリア商会だけの特殊な方法ではなく、中堅以上の商会なら大なり小なり大体似たような方法を取っているらしい。
大手ともなると、50以上の荷馬車で本部を行き来する事もあるのだと言うのだから……すごいね。
一通り、イシュからこの世界の物流事情の話を聞き終わったところで、ふいに村長が口を開いた。
「他の村の様子はどうだった……」
一瞬、何を聞いているのか分からなかったがイスュが、
「良くはない……いや、かなり悪いな」
と、少し前まで、軽快に舌を滑らせいていたイスュが口を重くした事で俺も村長が何を聞きたいのかを理解した。
たとえ他の領地で深刻な被害が出ていないとは言え、スレーベン領が大旱魃で水不足なのは、変わらない事実なのだ。
ここラッセ村は幸いにも川と言う水源があり、なにより俺と言う“イレギュラーな存在”がいたから無事に済んだのだ。それは、自惚れではなく間違いない事実だろう。
もし、俺が何もしなかったら? そもそもこの場に俺が“いなかったら?”
この村はどうなっていたのか……それを考えると、少し背筋が寒くなった。
俺は今まで、他の村の事、と言うのはあまり気にした事はなかったが、村長はずっと気にしていたのかも知れないな。
だから、イスュに様子を尋ねたのだろう。
イスュはこの一帯で行商を行っているのだから、村から出ない俺たちよりかは情報に明るいはずだ。
「リオット村とサンデル村は特にひどい有様だったな。
あそこは両方とも水源が井戸だからな……飲み水には困ってないようだったが、今年の麦は……」
「そうか……」
言葉尻を濁すイスュに、村長は静かに頷いた。
リオットもサンデルもラッセ村の隣にある村の名前だった。
隣とは言っても“ちょっと隣村まで”なんて気軽に足を運べる距離ではなかったが。
俺も名前だけは聞いたことがある程度で、実際に行った事もなければどんな場所なのかも知らなかった。
「ロディフィス……」
「んあ?」
村長が、ふいに俺の名を呼んだので首を向ければ、何やら真剣な目で俺の事を見下ろしていた。
そして、少しの沈黙の後に、
「……いや、なんでもない」
と、逸らしたのだった。
もしかして、村長は今“なんとかならないか?”そう言おうとしたのではないだろうか?
確かに、村長の気持ちも分からなくはないのだ。
麦が収穫出来ないということは、税金が払えない以前に冬を越える支度も出来ないと言う事だ。
暖を取るための薪が買えない、食料の蓄えもない……
そんな村がどういう末路をたどるかは、あまり想像したくはない。
本来、こういう場合は領主がなにかしらの対策や支援を行うのが筋って気もするが、領主に関しては悪評しか聞いたことないし、誰も何も言わないんだよなぁ……嫌な予感しかしないんだが……
領主が何もしないからと言って、俺たちに何が出来ると言うものでもない。
ラッセ村の麦畑は、近くに川があったからこそ立て直す事が出来たのだ。
他の村に同じような水源があったのなら、そこまで酷い状況にはなっていないはずだ。
問題が深刻化していると言う事は、根本的に解決不可能な状況にある可能性の方が高い。
ならば、麦はいっそのこと諦めて、食料や薪を支援するか?
それはどこに? 凶作で苦しむすべての村に? そんな財源がどこが出す? ウチか?
……いやいや不可能だろ、そんなこと。
たぶん、村長もそこまで考えての“なんでもない”だったのだと思う。
それからは、特に会話らしい会話もないまま静かに解散となった。
村長の家を後にして、家路に就くなか俺はふと考えていた。
俺は、この村のことが好きだ。だから、この村さえ無事ならそれでいいと思っている。
勿論、手を差し伸べて届く範囲なら手ぐらい貸すさ。
でも、今回のような手も届かない何処かの誰かを助けたいと思うほど、傲慢でもお人好しでもないつもりだ。
でも……
“それでいいのか?”
と、心の隅で自問自答している自分がいることも、また事実だった。
まぁ、当然っちゃ当然か。
なにせ今日は行商日。イスュたちの隊商が村へとやってくる日なのだから。
「ちぃーっす。
もしかして、もう終わっちまったか?」
何が“終わった”のかと言えば、売ったり買ったりの商売の話だ。
俺はそう声を掛けつつ、村長が座っている椅子の隣の椅子へとよじ登る。
見えたテーブルの上には、金貨が入っていると思しき皮袋がちょこんと乗っていた。
皮袋に張りはなく、一目で中身が少ない事が見てとれた。商談が済んだ後なのだろう。
別に俺がしゃしゃり出なくても、村長がうまくやってくれるので俺がこの会合に参加する意義は薄いのだが、イスュから聞く村の“外”の話は大変興味深いので、行商日にはこうして顔を出すようにしている。
ぶっちゃけ、俺はこの村以外のこの世界の実情をほとんど知らないからな。
俺が知っている事と言えば、ちょっとした歴史とか古い情報ばかりだ。
イスュからの話は、そんな俺にとって貴重な鮮度の高い情報源であり、また密かな楽しみでもあった。
「ああ、今丁度終わったところだ」
村長が、テーブルの上の皮袋を手元に引き寄せながらそう答えた。
俺は、テーブルの上に取り残されていた用紙に気づき手を伸ばしてみれば、それはどうやら今回の売り上げの明細らしく、サクッと目を通してみた。
思った通り、ソロバンの売れ上げ数が、前回の納品数を下回っている。
おかげで売り上げは、とても残念な事になっていて、利益は過去最低である。
これなら、あの皮袋のしょんぼり感も納得だ。
どうやら、ソロバンの生産数を落として、リバーシの製造に注力したのは正解だったらしい。
てか、これならソロバンの数を2分の1と言わず、もっと落としてもよかったかも……
「ロディフィス、お前また変なこと始めたんだってな?
“きゃうしょく”……とか言ったか?」
売り上げ明細をじっと眺めていた俺に、イスュが話しかけてきた。
もう用はない、とばかりに俺は持っていた明細をテーブルの上に戻すと、代わりにもう一枚あった別の用紙を手にとってイスュの方へと顔を向けた。
「“きゃうしょく”じゃねぇーよ。“給食”な。
それに、別に“変”でもねぇーし。
村の生産効率上げられるかの実験みたいなもんだよ」
とは言うものの、“生産効率が上がらなかったので、給食止めますっ!”とか言ったら、なんか主婦さんたちが暴動起こしそうな気がするのは気のせいだろうか……うん、気のせいだな。気のせいってことにしておこう。
「まぁ、なんにしても、ウチとしちゃバカみたいに物が売れてるから万々歳なんだけどよ。
濡れ手で粟のぼろ儲けだ。
もう、笑いが止まんねぇわ、マジでっ!」
まぁ、そりゃそうだろうよ。
正直、教会で出している給食を始め、村に出回っている食料のそのほぼ全てが、イスュの隊商から購入しているものなのだ。
今、村の食料事情はイスュの隊商が生命線であると言っても過言ではないのだ。
実際、村にイスュたち以外の隊商が来ることはない。
ここは辺境にある小さな村だ。余程の物好きでもない限り、誰が好き好んで行商になど来ると言うのか……
あっ、いたわ目の前に……
その物好きなこいつのおかげで、村の生活が潤っている事を考えると、強ちバカにも出来ない訳か。
それはつまり、村で何かを買おうと思ったら、イスュの隊商から購入する以外に手はない、という事だ。
今、村はソロバンそれに今回からはリバーシもだが……委託販売と言う形でイスュたちに販売してもらっており、その売り上げの何割かが村への報酬として支払われている。
しかし、その支払った報酬は、自分たちの商品を売る事で回収すると言う、一種のマッチポンプ的環境の中にイスュたちの隊商はあるのだ。
これで、儲からない訳がない。
しかも、元々競争相手なんていない訳だから、イスュたちさえこの村の事が他の隊商にバレないように注意していれば、この独占状態を維持できるのである。まさに、やりたい放題だ。
そりゃ、笑いも止まらなくなるだろぉよ。
逆に、俺達がイスュ以外の隊商を村に呼び込めば、商品の価格を競合させて売る物はより高く、買う物はより安く仕入れる事も可能……ではあるのだろうが、呼び込みやら、誘致やら、それをするだけの労力、デメリットを考えたら正直面倒臭いのでこのままでいいと思っている。
別に、イスュたちの隊商がヤの付く人たちが経営しているお店の様な、ぼったくり価格をふっかけて来る訳でもなし。
……まぁ、町での商品の相場ってのがいくらなのかは、村の外に出た事がない俺には正直分からない事なのだが、移住組の面々が特に何も言わないと言う事は、適正価格からそれ程かけ離れてはいないのだろうと思っている。
もし、今後商品の価格を極端に上げるような事があれば、その時はじっくりとお話をする必要があるだろうが、な。
「お前が楽しそうで何よりだよ……」
顔がだらしなく緩みまくっているイスュを尻目に、俺は新たに手にした用紙へと視線を落とした。
そこに記されていたのは、村で購入した商品の目録だった。
村の蓄えとして購入したものは言うに及ばず、銭湯で使う食材やその他諸々なんかも細かく記入されていた。
しかし、こうして書面にすると買ってる食材の多さに驚かされる。
しかも、ここに載っているのは、村全体で購入している食材の一部に過ぎないのだ。
各家庭が個別に購入している分も含めたら、一体どれくらいの量になるんだか……
「ってか、こうして見ると自分で頼んでおいて言う事じゃないが、よくもまぁこんだけ大量の食料を仕入れられるもんだな……
今年って、例年にない旱魃だったんじゃねぇの?
それとも雨が降らなかったのってここいら一帯だけとか?」
俺は、購入品一覧を眺めながら、イスュにそう訊ねてみた。
「あ~、半分正解ってとこだな」
「どう言う事だよ?」
「確かに、今年はアストリアス王国全体で雨が少なかった年だったが、作物に深刻な被害が出るほど雨が降らなかった地域は、ここスレーベン領を始めとした王国の東部分の更に一部ぐらいなもんなんだよ」
イスュの言葉に、俺はふっと“アストリアス王国風土記”に記述されていた内容を思い出していた。
たしか……
そもそも、アストリアス王国は基本は温帯気候なのだが、ここスレーベン領周辺は、アストリアス王国の東の端っこの方に位置している所為で、アストリアス王国の気候より隣国であるガルドホルン帝国の気候の影響を受け乾燥地帯よりの気候になりやすい土地柄をしている、とかなんとか……そんな内容だったような気がする。
アストリアス王国が一体どれほどの大きさをしているのかは、正直なところよく分からないのだが日本だって基本温帯気候でありながら、北海道は亜寒帯気候、沖縄は亜熱帯気候と多様性を持っている。
一つの県を跨いだら、がらっと気候が変わる事だって珍しくないのだ。
更にイスュの話では、王都や他の領地では大きな町の近くに農村……いやこの場合はもう農場と言うべきだな……を配置して、水路を引いて灌漑設備などを充実させ、しかも大勢の人間でシステマチックに大規模農業を行っている、と言うのだ。
故に、多少雨が降らなかった程度では、そう簡単に食糧危機に陥る事はない、との事だった。
主要な町の近くに農場を設けるのも、食料の流通を迅速に行うためだろう。
イスュたちは、そう言った領地から食材を買い集めていた、と言う訳だ。
イスュ曰く……
“スレーベン領が田舎過ぎるんだよ、なんにもねぇもんここ。
で、この村は更にド田舎なんだよ”
ド田舎で悪かったな。
とは思ったが、事実なので返す言葉もない。
と、言うか他の領地ってそんなに発展してんのか?
もしかして、この世界の文明レベルって俺が思っている以上に高いのかもしれないな。
村を一歩も出たことのない俺では、知る由もない事ではあるが……
イスュたちが、どこから食料を調達しているのかは分かったが、そうなると気になってくるのがどうやって運搬しているのか、だった。
今までは、大して気にも留めていなかったので、その辺りの事を詳しく聞いたことがなかったのだが、いい機会なので聞いてみる事にした。
「ああ、それはな……」
と、イスュ先生の物流講座に俺は素直に耳を傾けた。
ハロリア商会には、大きく二つの部隊が存在するのだとイスュは言う。
一つは、イスュたちのように販売、買い付けを行う行商部隊。
イスュによれば、ハロリア商会では一つの領地に対して複数の隊商で各地を巡って行商を行っている、との事だった。
ちなみに、スレーベン領ではイスュを含め3つの隊商が行商をしているらしい。
その中の東部方面を担当しているのが、イスュたちの隊商と言う訳だ。
余談だが、イスュたちの隊商は正式には“アストリアス王国極東方面第六行商隊”と言うらしいのだが、名前に“第六”と付いていながら実際の隊商は3つしかないのは何故かと尋ねたら“東部方面で活動している隊商が全部で8つあり、そのうちスレーベン領内で活動しているのが3つ”と言うことであるらしい。
なるほど、理解した。
で、こんな感じで他の領地でも複数の隊商が行商を行っているらしい。
そして、もう一つが搬送部隊とでも言うべき販売も買取も一切しない、まさに荷を運ぶ為だけの部隊だった。
各領地には、本部と呼ばれる行商の拠点があり、各地で販売、買取、買い付けを行った隊商たちはある定められた日に、活動している領地に設けた本部へと集合する。
そして販売して不足した商品を補充したり、買い付けた商品を本部へと預けたりするのだ。
こうして本部に集められた商品は、より高い値段で販売出来る地域の本部へと送られる事になる。
この時、本部間の商品の物流を一手に担っているのが搬送部隊だった。
この搬送部隊のおかげで、迅速かつ広域に商品を展開する事を可能にしているのだと、イスュが何故か誇らしげに鼻を膨らませて語ってくれた。
ちなみに搬送部隊は、いち早く商品を届けるために昼夜を問わず走り続けるらしいので、一番の過酷部署であるらしい。その代わり、給金は高めで人気職なんだとか……
……異世界版トラックの運ちゃんかよ。
まぁ要は、大規模なバケツリレー方式で商品を運んでいるってこったな。
これは別にハロリア商会だけの特殊な方法ではなく、中堅以上の商会なら大なり小なり大体似たような方法を取っているらしい。
大手ともなると、50以上の荷馬車で本部を行き来する事もあるのだと言うのだから……すごいね。
一通り、イシュからこの世界の物流事情の話を聞き終わったところで、ふいに村長が口を開いた。
「他の村の様子はどうだった……」
一瞬、何を聞いているのか分からなかったがイスュが、
「良くはない……いや、かなり悪いな」
と、少し前まで、軽快に舌を滑らせいていたイスュが口を重くした事で俺も村長が何を聞きたいのかを理解した。
たとえ他の領地で深刻な被害が出ていないとは言え、スレーベン領が大旱魃で水不足なのは、変わらない事実なのだ。
ここラッセ村は幸いにも川と言う水源があり、なにより俺と言う“イレギュラーな存在”がいたから無事に済んだのだ。それは、自惚れではなく間違いない事実だろう。
もし、俺が何もしなかったら? そもそもこの場に俺が“いなかったら?”
この村はどうなっていたのか……それを考えると、少し背筋が寒くなった。
俺は今まで、他の村の事、と言うのはあまり気にした事はなかったが、村長はずっと気にしていたのかも知れないな。
だから、イスュに様子を尋ねたのだろう。
イスュはこの一帯で行商を行っているのだから、村から出ない俺たちよりかは情報に明るいはずだ。
「リオット村とサンデル村は特にひどい有様だったな。
あそこは両方とも水源が井戸だからな……飲み水には困ってないようだったが、今年の麦は……」
「そうか……」
言葉尻を濁すイスュに、村長は静かに頷いた。
リオットもサンデルもラッセ村の隣にある村の名前だった。
隣とは言っても“ちょっと隣村まで”なんて気軽に足を運べる距離ではなかったが。
俺も名前だけは聞いたことがある程度で、実際に行った事もなければどんな場所なのかも知らなかった。
「ロディフィス……」
「んあ?」
村長が、ふいに俺の名を呼んだので首を向ければ、何やら真剣な目で俺の事を見下ろしていた。
そして、少しの沈黙の後に、
「……いや、なんでもない」
と、逸らしたのだった。
もしかして、村長は今“なんとかならないか?”そう言おうとしたのではないだろうか?
確かに、村長の気持ちも分からなくはないのだ。
麦が収穫出来ないということは、税金が払えない以前に冬を越える支度も出来ないと言う事だ。
暖を取るための薪が買えない、食料の蓄えもない……
そんな村がどういう末路をたどるかは、あまり想像したくはない。
本来、こういう場合は領主がなにかしらの対策や支援を行うのが筋って気もするが、領主に関しては悪評しか聞いたことないし、誰も何も言わないんだよなぁ……嫌な予感しかしないんだが……
領主が何もしないからと言って、俺たちに何が出来ると言うものでもない。
ラッセ村の麦畑は、近くに川があったからこそ立て直す事が出来たのだ。
他の村に同じような水源があったのなら、そこまで酷い状況にはなっていないはずだ。
問題が深刻化していると言う事は、根本的に解決不可能な状況にある可能性の方が高い。
ならば、麦はいっそのこと諦めて、食料や薪を支援するか?
それはどこに? 凶作で苦しむすべての村に? そんな財源がどこが出す? ウチか?
……いやいや不可能だろ、そんなこと。
たぶん、村長もそこまで考えての“なんでもない”だったのだと思う。
それからは、特に会話らしい会話もないまま静かに解散となった。
村長の家を後にして、家路に就くなか俺はふと考えていた。
俺は、この村のことが好きだ。だから、この村さえ無事ならそれでいいと思っている。
勿論、手を差し伸べて届く範囲なら手ぐらい貸すさ。
でも、今回のような手も届かない何処かの誰かを助けたいと思うほど、傲慢でもお人好しでもないつもりだ。
でも……
“それでいいのか?”
と、心の隅で自問自答している自分がいることも、また事実だった。
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