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4巻
4-3
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「そりゃ、ネレウス王国の王子様がやってくるんだから、様子見に来たんじゃないか?」
「……素性がバレてるってことか。厄介な」
「てめぇ」
ディートリヒが軽く言った途端、クリストフは低く唸るような声を上げた。
急に眼光が鋭くなったクリストフに、ディートリヒが慌てる。
「な……何だ?」
「何だじゃないだろ! やっぱり、オレが渡した書類を読まずにサインだけしてたんだな? あの書類にオレたちの素性が全部書いてあったんだよ! バレたんじゃなくて、こっちがバラしたんだ!」
「はあ? 何でそんなことを?」
「当たり前だろ! 公文書だぞ。本当のことを書くしかないだろ!」
今にも胸倉に掴みかからんばかりの勢いで、クリストフが怒鳴る。
一人で城塞迷宮行きの手配をさせられた怒りはまだ収まりきっていなかったらしい。
ディートリヒは、今度こそケンカをするのはやめようと、謝り倒す準備をした。
しかし、次の瞬間にはクリストフは怒りを収め、どこか不安げな表情を浮かべた。
「……まさかと思うが、本国からの条件も読んでないってことはないよな?」
急に声を潜め、ディートリヒに尋ねる。
「条件?」
「やっぱりか。あ、声を落としてくれ。コルネリアに聞かれるとまた怒られる」
「ん? ああ」
彼は急に態度を変えたクリストフに戸惑ったものの、ディートリヒはその言葉に従った。
「で、だ。本当に本国からの条件を読んでないんだよな?」
「その、怒るなよ。反省してるから」
「それはもういい。オレも忙しさにかまけて確認しなかったんだからな。ただ、読んでないならシャレにならない。この城塞迷宮行きは、条件付きで本国から認められたものだったんだよ。リーダーが何も言わないから、ロアたちと話し合いをして決めてるもんだと思ってた」
クリストフはディートリヒに身体を寄せるようにして、ひそひそと話し始めた。
「ロア? ロアに関係あるのか?」
「大ありだ。その……」
最もコルネリアに聞かれたくない部分なのか、クリストフはディートリヒの耳に口を寄せてさらに小さな声でその内容を告げた。
ディートリヒは目を見開く。
「はぁ? ……本当にか? そんなロアに……いや、ロアは許してくれるな。ただあの陰険グリフォンが……」
「どう動くかまったく予想がつかないな。ロアに上手く抑えてもらわないと」
「確かにコルネリアには聞かせられないな。怒られる」
書類を読みもせずにサインをして、そんな条件を付けられていたなどとコルネリアにバレたら、また正座で説教だろう。そしてディートリヒにちゃんと読んだのか確認しなかったクリストフも、巻き添えだ。
ディートリヒとクリストフは、大きくため息をついた。
「とにかく、城塞迷宮から帰るまではこのことは保留にしよう。悩んでたら思わぬミスをしかねないしな。この場所では命とりだ」
「そうだな。何にしても、ロアに話してからじゃないとどうにもできないしな。ロアを説得してからにしよう。それに、期限はなかったから、いざとなったらバックレよう。本国には努力したと言えば……リーダーの評価はまた地に落ちるけど、今更だからな」
ディートリヒが棚上げの提案をすると、あっさりとクリストフも了承した。
ディートリヒの評価の話しかしないところを見ると、彼は全てディートリヒの責任にして切り抜けるつもりなのだろう。しかも、判断もロアに丸投げにする話になってしまっている。
実のところ、許可申請の時に苦労させられまくった所為で、クリストフはこの件に深く関わりたくない気分になっていた。
丸投げできるところがあるなら、そうしたいと思うのも仕方ない。
普段はチャラそうに見えて真面目なクリストフでも、もう、色々と限界だったのだ。
「そうだな」
クリストフがそれだけ追い詰められた気分になっているのも、全てディートリヒの所為だ。
しかし、ディートリヒはそれに気付かず、軽く同意したのだった。
日が上がり切り、頂点を過ぎた頃。
やっと準備が整い、城塞迷宮調査団は森を抜けるために動き出した。
調査団の馬車の数は半数近くに減っていた。
一部の馬車が壊れたことや、馬が逃げたり死んだりしたことで、数を減らすしかなかったのだ。減った馬車の分、兵士たちが歩くことになった。
また、馬を失った騎士たちも、他の騎士の馬に同乗している。鎧をつけた騎士が二人乗るのは馬に負担がかかるが、兵士が歩く速度に合わせるため問題ないという判断だった。ロアはそこまでして歩きたくないのかと思ったが、騎士としての矜持があるのだろう。
ウサギの襲撃のこともあり、兵士たちの足取りは重く、進みは遅い。
「今日中に森を抜けられるかな?」
〈この遅さでは無理かもしれんな。まあ、森の中で野営する方が、我らが夜中に抜け出しやすくてありがたいがな〉
ロアと従魔たちは、例によって最後尾で付いて行っていた。
調査団の方はウサギがトラウマになっているのか、周囲の草むらが風で音を立てる度に、ビクビクと怯えているが、裏事情を知っているロアたちは気楽なものだ。散歩気分で歩いていた。
時は過ぎ、日が落ちる時間になっても、森を抜けることはできなかった。
ただ、かなり外側に近い位置に来ているようで、鬱蒼としていた木々が少し疎らになってきている。それだけで兵士たちの気分も楽になったようだ。
適度に見通しのいい、野営に適した場所も何とか見つけられ、昨夜に比べれば余裕がありそうだった。見通しが良いと言っても、ロアとグリおじさんが物陰に隠れて抜け出すことは可能だろう。ロアたちにとっても、最適の場所での野営と言って良かった。
そして、深夜。
ロアとグリおじさんは野営地を抜け出した。
グリおじさんが言っていた、『賢者の薬草園』へ行くためだ。
そこはウサギの王の住処だった。
ロアは抜け出す相談をした時にグリおじさんから色々と聞いたが、なんでも大昔に賢者が作った場所で、隠匿されて秘密裏に管理され続けた場所らしい。
ロアたちが通っている森は近年に出来たものだが、その急激な植物の繁殖も賢者の薬草園が関係していた。
ロアたちが賢者の薬草園に向かっている間の調査団の警護は、双子の魔狼に任せてある。二匹に任せれば、またウサギの襲撃でもない限り問題はない。
それに同じ森の中にいるのだから、グリおじさんなら何かあってもすぐに駆け付けることができる。もっとも、この森の中はウサギたちに支配されているため、ウサギたち以外に襲われる危険はほぼないと言っても良かった。
「すごい。きれい」
そうしてロアが連れられてきた場所は、同じ森の中とは思えないほどに不思議な場所だった。
グリおじさんが浮かべている魔法の光に照らされ、周囲の全てが輝いて見える。ロアは驚き過ぎて、月並みな言葉しか発せない。
今、ロアの目の前には、横に太く広がった不思議な木があった。
その巨木の高さはそれほどではない。普通の森でも見られる程度の高さだろう。
しかし、幹だけが極端に太く、小さな村であれば中に収まりそうなほどの広さに根を張っていた。
多数のウサギが、その無数にうねった根の間に住んでいるらしく、そこから顔を覗かせてロアたちを見つめている。
苔むして緑に輝く根の間から、様々な色のフワフワとしたウサギたちが顔を覗かせているのは神秘的であり、また癒される雰囲気があった。
空を飛び、巨木の前に降り立ったロアとグリおじさんを見つめるウサギたちの目は、優しい。
とても調査団を襲撃してきたウサギと同じ者たちとは思えなかった。
〈小僧。あやつが出てきたぞ〉
口を開けて周囲を見渡していたロアは、声を掛けられ、グリおじさんの視線の先に目を向けた。
そこにいたのは、ロアが戦ったウサギの王だ。
漆黒の毛皮に白い毛が混ざった、タレ耳のウサギ。
その可愛らしくも威厳のある姿は、ウサギの群れの中にいても目を引く。
『翼兎』。
見た目はウサギそのものだが、そう呼ばれているウサギ型の魔獣である。ウサギの王が短く鳴くと、グリおじさんは〈うるさい〉とだけ返した。
ウサギの王はロアを真っ直ぐに見つめてくる。
「えっと、こんばんは」
ロアの挨拶に、ウサギの王は優しく微笑んだように見えた。
〈うるさいと言っておるであろう。白髪だらけの糞ジジイが〉
グリおじさんはウサギの王と、聞こえない『声』で会話をしているらしい。口汚く罵っているが、その表情は柔らかい。旧知の友人とのじゃれ合いなのだろう。
そんな姿を愛おしく感じて、ロアはグリおじさんの首元をそっと撫でた。
「ジジイって、お年寄りなんだ?」
〈うむ。こやつは可愛らしいなりをしているがな、老人だ。ジジイだ。それも長く生きているだけで尊敬に値しない類の糞ジジイだ。そう思って扱うのだぞ〉
その言葉にウサギの王は器用に二本足で立ち上がると、グリおじさんに飛び蹴りをかました。
長く大きな耳が翻り、毛皮のマントのようだ。
小さな翼兎の蹴りが効くわけがなく、グリおじさんは軽く翼でいなしてみせた。
〈む……小僧。こやつが紹介せよとうるさく言うので仕方なく紹介するが、この森の主の『ピョンちゃん』だ。仲良くする必要はないぞ〉
グリおじさんがそう言うと、ウサギの王こと、ピョンちゃんは満足げに頷いた。
グリおじさんがこの森の主と言ってるからには、この賢者の薬草園を管理しているのもこのピョンちゃんなのだろう。
つまり、ピョンちゃんが賢者と縁のあった者であり、グリおじさんが言っていた旧知の者なのだ。ロアは賢者の弟子が出てくると思っていたため、少し肩透かしを食らった気分になった。
ただ、ピョンちゃんという名前は明らかに人に名づけられたものだろう。
元々は賢者の弟子か関係者の従魔で、主人とは死に別れたのかもしれない。それなら死後引き継いだということで、ピョンちゃんがここの主となった経緯も推測できる。
そうでなかったとしても少なくとも、誰かの従魔だったことは間違いないだろう。
ロアはその可愛らしい名前が、先ほど聞いた年寄りウサギだという話と噛み合わず、少し微妙な表情を浮かべた。それと同時にどこか親しみを感じた。グリフォンに『グリおじさん』などと名付けるロアだからこそ抱く親近感だろう。
「ピョンちゃん? その、よろしくお願いします……でいいのかな?」
〈目上として扱う必要はない。敬語は……貴様! やめろ‼〉
突然、グリおじさんが声を荒らげた。
「え? グリおじさんど……」
ロアは突然叫んだグリおじさんに問いかけようとしたが、その言葉は途切れた。
軽い目眩を覚えた所為だ。
〈くそ、やられた! ピョン! 貴様謀ったな‼〉
〈クク……グリおじさん、謀ったなんて酷いなぁ! やあ、昨日ぶりだね!〉
グリおじさんの『声』の後に、別の可愛い『声』が聞こえてくる。
先ほど感じた軽い目眩と合わせて、ロアはこの現象に覚えがあった。
「……従魔契約?」
〈あたり! 僕はピョンちゃん、よろしくね!〉
〈あたりではないわ‼ 元の名前を上書きして従魔契約するとは、何を考えておる! 名は契約者との繋がりを作る大事なものだぞ‼〉
グリおじさんは怒って前足で踏み付けようとするが、それをピョンちゃんはヒラリと避けると、そのまま耳を翼のように広げて滑空する。
そして、ロアの腕の中に収まった。
ロアは不意のことで驚きながらも、しっかりとピョンちゃんを抱きしめる。
〈やあ! なかなか良い抱き方をする子だね。いつもあのワンちゃんたちを抱いているのかな?〉
〈ピョン! 貴様、何だその口調は! 先ほどまではジジイ口調であったではないか! 小僧もそんなやつを抱くな! 投げ捨てろ‼〉
「え、いや、その」
〈グリおじいさんは酷いよね。こんなに可愛い僕を投げ捨てろだなんて。君もそう思うでしょ?〉
ピョンちゃんは目を潤ませて、腕の中からロアを見上げる。
その可愛らしさに、ロアは思わず頬を染めた。
〈小僧! 惑わされるな! そやつはジジイだぞ‼ 狡猾な計算でやっておるだけだ!〉
〈うるさいなー。グリおじいさんは〉
〈おじいさんではない、おじさんだ‼〉
グリおじさんがピョンちゃんの耳を嘴で引っ張るが、それを気にする様子はない。ピョンちゃんは平然と、ロアの胸へとその頭を預けた。
ロアはというと、状況が呑み込めずに戸惑っていた。
なぜこのピョンちゃんという翼兎が自分と従魔契約したのかが分からない。得をすることはないはずだ。
それに、お互いにそれほど理解できている関係ではない。たった一度、実戦試合のような、馴れ合いを含んだ戦いをしただけだ。
〈えー。グリおじいさんは、僕の倍は生きてるのに〉
〈そんなに生きておらぬ!〉
ロアは首を傾げる。グリおじさんとピョンちゃんはいったい何歳なのだろう? まったく予測がつかなかった。
〈うるさい!〉
ついに、グリおじさんは耳を引っ張って、ロアの腕の中からピョンちゃんを引っ張り出すのに成功した。そのままポイと投げ捨てるが、ピョンちゃんは空中で一回転すると、何事もなく着地する。
〈やっぱり、グリおじいさんは酷いよね。こんなのを従魔にしてると、君の評価まで悪くなっちゃうよ?〉
「えっと」
〈黙れ。その口調をやめろ。腹が立つ〉
〈えー。昨日はジジイ口調をやめろって言ってたのに。わがままだな。ねえ、君。グリおじさんから僕に乗り換えない?〉
〈ピョン! 貴様‼〉
グリおじさんが駆け寄り、再び踏み付けようとした。
しかし、その瞬間に、ピョンちゃんの雰囲気が変わった。
はしゃぐ子供のような雰囲気だったのに、急に威厳のあるウサギの王のそれに切り替わった。
踏み付けようとしたグリおじさんの足は、一瞬吹いた魔法の風に弾かれる。
〈……と、言いたいんだけどね。今の君じゃ物足りない。話をしたくて従魔契約をしたけどね。あくまで仮の契約だ〉
その視線は見極めるような、厳しいものに変わっていた。
〈グリおじさんは君の自由にさせるつもりらしいけどね。僕はグリフォンを従え、超位の治癒魔法薬を作れる君に期待したいんだ。まあ、グリおじさんが僕と君を接触させないつもりなら、諦めるつもりだったんだけどね〉
ピョンちゃんはグリおじさんをちらりと見る。
グリおじさんは思い付きでロアを連れてきただけだったが、ピョンちゃんはその時を狙っていたらしい。口惜しそうに、グリおじさんは視線を逸らした。
〈僕は、この森の本当の主人が欲しいんだよ〉
ピョンちゃんは軽く跳ねると、そのまま耳を広げて風の魔法を纏わせ、空を舞った。
〈ほら、この森は素晴らしいと思わないかい?〉
大きく円を描くように飛ぶピョンちゃんを目で追いながら、ロアは周囲を見渡す。
巨木が従える豊かな森。
強い生命の息吹を感じる、人知を超えた場所。
〈ここは賢者の薬草園。生命の巨木が従える、命を支配するところ。その恩恵により、望まれた人間以外は立ち入ることすら許されない。数多の珍しい薬草が生え、どんな季節でも絶えることはない〉
ピョンちゃんはふわりと舞い降り、ロアの肩に乗る。
〈ねえ、君は賢者になって、この森を手に入れたくはないかい?〉
耳元で聞こえる優しい声は、ロアには悪魔の囁きに聞こえた。
「……賢者? オレなんかが……」
突然の申し出に、ロアはどうしていいのか分からない。
ただ、ピョンちゃんが言っている賢者が、一般的に言われている賢者でないことは分かった。
間違いなく、本物の賢者のことだ。
国を跨いで崇められ、尊敬される者。深く広い至高の知識を持ち、魔法の深淵を覗いた者たち。
この世界では『賢者』は称号の一つとしても扱われるが、それはあくまで一般の話だ。それとは別に本当に意味での賢者も存在する。混同されやすいが、それは能力の上で大きな差があった。
本物の賢者はロアには想像もできないほど、雲の上の存在だ。
そんな本物の賢者になれとピョンちゃんは言っているのだ。
賢者の薬草園。グリおじさんの詠唱魔法から考えて、この薬草園は、姫騎士アイリーンと一緒に冒険した賢者フィリアのものだろう。彼女は旅の途中で貴重な薬草を集めていたはずだ。アイリーンの物語でも、そういった描写がされている。
それが本当なら、ロアにとってどんな財宝よりも価値のあるものだ。
しかし、自分はそれに相応しくないと思ってしまう。
考えるまでもなく、ロアの口からは極自然に「オレなんか」という言葉が漏れていた。
〈本当に、君は卑下するんだね。グリおじさんに聞いた通りだね。あの双子のワンちゃんたちも、ちゃんとした従魔になりたくて悩んでるらしいよ。せめて、その時が来たらすぐに従魔契約ができるように、名前を考えておいてあげてね〉
「え?」
不意に双子の魔狼の話になり、ロアはさらに戸惑った。
〈まあ、その話は今はいいよ。ただ、君は賢者になれる器だよ。それだけは認識しておいてね。人を認めるなんて滅多にしない、ひねくれ者のグリおじさんが認めてるんだよ? 性格の悪いグリおじさんを従えられている時点で、君にはその資格があるんだ〉
〈おい、我をバカにするな〉
ピョンちゃんは、さらりとグリおじさんに対しての暴言を交ぜてくる。
そして、グリおじさんの抗議の声を、笑みを浮かべるだけで無視した。
〈まあ、君の自信のなさは筋金入りらしいからね。気楽に試してくれるだけでいいんだ。薬草園には興味あるよね? 運試しくらいに思えばいいさ〉
〈おい! 小僧に何をさせるつもりだ! 危険なことは許さぬぞ! たとえお前でもな!〉
〈もう! 横槍入れないでよ。そんなに過保護じゃ、そのうちに嫌われるよ? ホントに、おじいちゃんは心配性なんだから……〉
肩に乗っているピョンちゃんとロアの頭の間に、グリおじさんは無理やり嘴を突っ込んだ。
そしてそのまま横に動かし、ピョンちゃんを払い落とす。
ピョンちゃんは落ちた勢いのまま地面を蹴ると、数度跳ねてからロアの正面に場所を移した。二本足で立ち上がり、ロアの顔を見上げる。
〈僕はグリおじさんみたいに性格は悪くないからね。失敗したとしても罰は与えないよ。そこは安心してね!〉
〈こやつは我よりはるかに性格が悪いぞ! 信じるな‼〉
グリおじさんはピョンちゃんを追い掛け回し始めた。
しかし、ピョンちゃんはそれを軽く避けながら、軽口を続ける。まるで子犬のじゃれ合いだ。
「仲いいね」
どっちも性格悪いってことなんだろうなぁ……と思いつつも、仲良くケンカをする二匹を見て、ロアはポツリと呟いた。
〈良くない!〉
〈うん!〉
「ぷっ……」
ロアの言葉を否定したのがグリおじさんで、肯定したのがピョンちゃんだ。
それに性格が出ている気がして、思わず噴き出した。賢者だの、薬草園だのの話の時に感じていた緊張は解け、ロアは表情を緩める。
〈なぜ笑う〉
そんなロアが気に食わないのか、グリおじさんは翼で背中を押して抗議してきた。
〈やっと笑ったね。さて、良い顔になったところで、僕からの課題だ〉
ピョンちゃんはそう言うと、クルリと身体を回転させ、大きな耳を風に舞わせた。
耳は大きく広がって風を切りながら、小さな竜巻を作り出す。
その竜巻は上空へと上がり、巨木の枝へと達した。
そして、ロアの前にゆっくりと木の葉がいくつか舞い落ちる。
それらはロアに拾われるのを望んでいるかのごとく、ロアの手元に集まってきた。
〈それを受け取って〉
促され、ロアは木の葉を掴んだ。
葉の数は十枚。
掌に乗る程度の大きさで、見た目だけなら普通の木の葉だった。
〈それは生命の巨木、ガオケレナの葉。長寿の魔法薬の原料になり、そのまま葉を食べても延命効果がある。ここのウサギたちはガオケレナの落ち葉を食べて、寿命を延ばしてるんだ。だから人に等しい寿命を持ち、高い知能と運動能力がある。でもね、その葉の本当の使用方法は誰も知らない。少なくとも、今生きてる人間は知らない。それを君だけの力で見つけるのが、僕からの課題だよ〉
パチリと、ピョンちゃんはウインクしてみせた。
〈それの本当の使用方法を見つければ、それだけで賢者となる資格が生まれる。それほど難しい課題だよ。その葉は数百年枯れず、瑞々しい状態を保ち続けるから、ゆっくり時間をかけて考えてね。それから葉の追加はなしだ。成果を出せないまま使い切った時点で、課題は失敗だよ〉
ロアは手の中の木の葉をじっと見つめる。
誰も知らない本当の使用方法を、自分の力だけで見つけろというのだ。しかも、使える葉は有限。実に難しい話だ。
風に舞うほどの小さく軽い木の葉が、ロアには重く大きく感じられた。
軽やかなステップを踏み、ピョンちゃんはロアの周りを跳ね回る。
その楽し気な足取りを、グリおじさんは鬱陶しそうに見つめていた。
「……素性がバレてるってことか。厄介な」
「てめぇ」
ディートリヒが軽く言った途端、クリストフは低く唸るような声を上げた。
急に眼光が鋭くなったクリストフに、ディートリヒが慌てる。
「な……何だ?」
「何だじゃないだろ! やっぱり、オレが渡した書類を読まずにサインだけしてたんだな? あの書類にオレたちの素性が全部書いてあったんだよ! バレたんじゃなくて、こっちがバラしたんだ!」
「はあ? 何でそんなことを?」
「当たり前だろ! 公文書だぞ。本当のことを書くしかないだろ!」
今にも胸倉に掴みかからんばかりの勢いで、クリストフが怒鳴る。
一人で城塞迷宮行きの手配をさせられた怒りはまだ収まりきっていなかったらしい。
ディートリヒは、今度こそケンカをするのはやめようと、謝り倒す準備をした。
しかし、次の瞬間にはクリストフは怒りを収め、どこか不安げな表情を浮かべた。
「……まさかと思うが、本国からの条件も読んでないってことはないよな?」
急に声を潜め、ディートリヒに尋ねる。
「条件?」
「やっぱりか。あ、声を落としてくれ。コルネリアに聞かれるとまた怒られる」
「ん? ああ」
彼は急に態度を変えたクリストフに戸惑ったものの、ディートリヒはその言葉に従った。
「で、だ。本当に本国からの条件を読んでないんだよな?」
「その、怒るなよ。反省してるから」
「それはもういい。オレも忙しさにかまけて確認しなかったんだからな。ただ、読んでないならシャレにならない。この城塞迷宮行きは、条件付きで本国から認められたものだったんだよ。リーダーが何も言わないから、ロアたちと話し合いをして決めてるもんだと思ってた」
クリストフはディートリヒに身体を寄せるようにして、ひそひそと話し始めた。
「ロア? ロアに関係あるのか?」
「大ありだ。その……」
最もコルネリアに聞かれたくない部分なのか、クリストフはディートリヒの耳に口を寄せてさらに小さな声でその内容を告げた。
ディートリヒは目を見開く。
「はぁ? ……本当にか? そんなロアに……いや、ロアは許してくれるな。ただあの陰険グリフォンが……」
「どう動くかまったく予想がつかないな。ロアに上手く抑えてもらわないと」
「確かにコルネリアには聞かせられないな。怒られる」
書類を読みもせずにサインをして、そんな条件を付けられていたなどとコルネリアにバレたら、また正座で説教だろう。そしてディートリヒにちゃんと読んだのか確認しなかったクリストフも、巻き添えだ。
ディートリヒとクリストフは、大きくため息をついた。
「とにかく、城塞迷宮から帰るまではこのことは保留にしよう。悩んでたら思わぬミスをしかねないしな。この場所では命とりだ」
「そうだな。何にしても、ロアに話してからじゃないとどうにもできないしな。ロアを説得してからにしよう。それに、期限はなかったから、いざとなったらバックレよう。本国には努力したと言えば……リーダーの評価はまた地に落ちるけど、今更だからな」
ディートリヒが棚上げの提案をすると、あっさりとクリストフも了承した。
ディートリヒの評価の話しかしないところを見ると、彼は全てディートリヒの責任にして切り抜けるつもりなのだろう。しかも、判断もロアに丸投げにする話になってしまっている。
実のところ、許可申請の時に苦労させられまくった所為で、クリストフはこの件に深く関わりたくない気分になっていた。
丸投げできるところがあるなら、そうしたいと思うのも仕方ない。
普段はチャラそうに見えて真面目なクリストフでも、もう、色々と限界だったのだ。
「そうだな」
クリストフがそれだけ追い詰められた気分になっているのも、全てディートリヒの所為だ。
しかし、ディートリヒはそれに気付かず、軽く同意したのだった。
日が上がり切り、頂点を過ぎた頃。
やっと準備が整い、城塞迷宮調査団は森を抜けるために動き出した。
調査団の馬車の数は半数近くに減っていた。
一部の馬車が壊れたことや、馬が逃げたり死んだりしたことで、数を減らすしかなかったのだ。減った馬車の分、兵士たちが歩くことになった。
また、馬を失った騎士たちも、他の騎士の馬に同乗している。鎧をつけた騎士が二人乗るのは馬に負担がかかるが、兵士が歩く速度に合わせるため問題ないという判断だった。ロアはそこまでして歩きたくないのかと思ったが、騎士としての矜持があるのだろう。
ウサギの襲撃のこともあり、兵士たちの足取りは重く、進みは遅い。
「今日中に森を抜けられるかな?」
〈この遅さでは無理かもしれんな。まあ、森の中で野営する方が、我らが夜中に抜け出しやすくてありがたいがな〉
ロアと従魔たちは、例によって最後尾で付いて行っていた。
調査団の方はウサギがトラウマになっているのか、周囲の草むらが風で音を立てる度に、ビクビクと怯えているが、裏事情を知っているロアたちは気楽なものだ。散歩気分で歩いていた。
時は過ぎ、日が落ちる時間になっても、森を抜けることはできなかった。
ただ、かなり外側に近い位置に来ているようで、鬱蒼としていた木々が少し疎らになってきている。それだけで兵士たちの気分も楽になったようだ。
適度に見通しのいい、野営に適した場所も何とか見つけられ、昨夜に比べれば余裕がありそうだった。見通しが良いと言っても、ロアとグリおじさんが物陰に隠れて抜け出すことは可能だろう。ロアたちにとっても、最適の場所での野営と言って良かった。
そして、深夜。
ロアとグリおじさんは野営地を抜け出した。
グリおじさんが言っていた、『賢者の薬草園』へ行くためだ。
そこはウサギの王の住処だった。
ロアは抜け出す相談をした時にグリおじさんから色々と聞いたが、なんでも大昔に賢者が作った場所で、隠匿されて秘密裏に管理され続けた場所らしい。
ロアたちが通っている森は近年に出来たものだが、その急激な植物の繁殖も賢者の薬草園が関係していた。
ロアたちが賢者の薬草園に向かっている間の調査団の警護は、双子の魔狼に任せてある。二匹に任せれば、またウサギの襲撃でもない限り問題はない。
それに同じ森の中にいるのだから、グリおじさんなら何かあってもすぐに駆け付けることができる。もっとも、この森の中はウサギたちに支配されているため、ウサギたち以外に襲われる危険はほぼないと言っても良かった。
「すごい。きれい」
そうしてロアが連れられてきた場所は、同じ森の中とは思えないほどに不思議な場所だった。
グリおじさんが浮かべている魔法の光に照らされ、周囲の全てが輝いて見える。ロアは驚き過ぎて、月並みな言葉しか発せない。
今、ロアの目の前には、横に太く広がった不思議な木があった。
その巨木の高さはそれほどではない。普通の森でも見られる程度の高さだろう。
しかし、幹だけが極端に太く、小さな村であれば中に収まりそうなほどの広さに根を張っていた。
多数のウサギが、その無数にうねった根の間に住んでいるらしく、そこから顔を覗かせてロアたちを見つめている。
苔むして緑に輝く根の間から、様々な色のフワフワとしたウサギたちが顔を覗かせているのは神秘的であり、また癒される雰囲気があった。
空を飛び、巨木の前に降り立ったロアとグリおじさんを見つめるウサギたちの目は、優しい。
とても調査団を襲撃してきたウサギと同じ者たちとは思えなかった。
〈小僧。あやつが出てきたぞ〉
口を開けて周囲を見渡していたロアは、声を掛けられ、グリおじさんの視線の先に目を向けた。
そこにいたのは、ロアが戦ったウサギの王だ。
漆黒の毛皮に白い毛が混ざった、タレ耳のウサギ。
その可愛らしくも威厳のある姿は、ウサギの群れの中にいても目を引く。
『翼兎』。
見た目はウサギそのものだが、そう呼ばれているウサギ型の魔獣である。ウサギの王が短く鳴くと、グリおじさんは〈うるさい〉とだけ返した。
ウサギの王はロアを真っ直ぐに見つめてくる。
「えっと、こんばんは」
ロアの挨拶に、ウサギの王は優しく微笑んだように見えた。
〈うるさいと言っておるであろう。白髪だらけの糞ジジイが〉
グリおじさんはウサギの王と、聞こえない『声』で会話をしているらしい。口汚く罵っているが、その表情は柔らかい。旧知の友人とのじゃれ合いなのだろう。
そんな姿を愛おしく感じて、ロアはグリおじさんの首元をそっと撫でた。
「ジジイって、お年寄りなんだ?」
〈うむ。こやつは可愛らしいなりをしているがな、老人だ。ジジイだ。それも長く生きているだけで尊敬に値しない類の糞ジジイだ。そう思って扱うのだぞ〉
その言葉にウサギの王は器用に二本足で立ち上がると、グリおじさんに飛び蹴りをかました。
長く大きな耳が翻り、毛皮のマントのようだ。
小さな翼兎の蹴りが効くわけがなく、グリおじさんは軽く翼でいなしてみせた。
〈む……小僧。こやつが紹介せよとうるさく言うので仕方なく紹介するが、この森の主の『ピョンちゃん』だ。仲良くする必要はないぞ〉
グリおじさんがそう言うと、ウサギの王こと、ピョンちゃんは満足げに頷いた。
グリおじさんがこの森の主と言ってるからには、この賢者の薬草園を管理しているのもこのピョンちゃんなのだろう。
つまり、ピョンちゃんが賢者と縁のあった者であり、グリおじさんが言っていた旧知の者なのだ。ロアは賢者の弟子が出てくると思っていたため、少し肩透かしを食らった気分になった。
ただ、ピョンちゃんという名前は明らかに人に名づけられたものだろう。
元々は賢者の弟子か関係者の従魔で、主人とは死に別れたのかもしれない。それなら死後引き継いだということで、ピョンちゃんがここの主となった経緯も推測できる。
そうでなかったとしても少なくとも、誰かの従魔だったことは間違いないだろう。
ロアはその可愛らしい名前が、先ほど聞いた年寄りウサギだという話と噛み合わず、少し微妙な表情を浮かべた。それと同時にどこか親しみを感じた。グリフォンに『グリおじさん』などと名付けるロアだからこそ抱く親近感だろう。
「ピョンちゃん? その、よろしくお願いします……でいいのかな?」
〈目上として扱う必要はない。敬語は……貴様! やめろ‼〉
突然、グリおじさんが声を荒らげた。
「え? グリおじさんど……」
ロアは突然叫んだグリおじさんに問いかけようとしたが、その言葉は途切れた。
軽い目眩を覚えた所為だ。
〈くそ、やられた! ピョン! 貴様謀ったな‼〉
〈クク……グリおじさん、謀ったなんて酷いなぁ! やあ、昨日ぶりだね!〉
グリおじさんの『声』の後に、別の可愛い『声』が聞こえてくる。
先ほど感じた軽い目眩と合わせて、ロアはこの現象に覚えがあった。
「……従魔契約?」
〈あたり! 僕はピョンちゃん、よろしくね!〉
〈あたりではないわ‼ 元の名前を上書きして従魔契約するとは、何を考えておる! 名は契約者との繋がりを作る大事なものだぞ‼〉
グリおじさんは怒って前足で踏み付けようとするが、それをピョンちゃんはヒラリと避けると、そのまま耳を翼のように広げて滑空する。
そして、ロアの腕の中に収まった。
ロアは不意のことで驚きながらも、しっかりとピョンちゃんを抱きしめる。
〈やあ! なかなか良い抱き方をする子だね。いつもあのワンちゃんたちを抱いているのかな?〉
〈ピョン! 貴様、何だその口調は! 先ほどまではジジイ口調であったではないか! 小僧もそんなやつを抱くな! 投げ捨てろ‼〉
「え、いや、その」
〈グリおじいさんは酷いよね。こんなに可愛い僕を投げ捨てろだなんて。君もそう思うでしょ?〉
ピョンちゃんは目を潤ませて、腕の中からロアを見上げる。
その可愛らしさに、ロアは思わず頬を染めた。
〈小僧! 惑わされるな! そやつはジジイだぞ‼ 狡猾な計算でやっておるだけだ!〉
〈うるさいなー。グリおじいさんは〉
〈おじいさんではない、おじさんだ‼〉
グリおじさんがピョンちゃんの耳を嘴で引っ張るが、それを気にする様子はない。ピョンちゃんは平然と、ロアの胸へとその頭を預けた。
ロアはというと、状況が呑み込めずに戸惑っていた。
なぜこのピョンちゃんという翼兎が自分と従魔契約したのかが分からない。得をすることはないはずだ。
それに、お互いにそれほど理解できている関係ではない。たった一度、実戦試合のような、馴れ合いを含んだ戦いをしただけだ。
〈えー。グリおじいさんは、僕の倍は生きてるのに〉
〈そんなに生きておらぬ!〉
ロアは首を傾げる。グリおじさんとピョンちゃんはいったい何歳なのだろう? まったく予測がつかなかった。
〈うるさい!〉
ついに、グリおじさんは耳を引っ張って、ロアの腕の中からピョンちゃんを引っ張り出すのに成功した。そのままポイと投げ捨てるが、ピョンちゃんは空中で一回転すると、何事もなく着地する。
〈やっぱり、グリおじいさんは酷いよね。こんなのを従魔にしてると、君の評価まで悪くなっちゃうよ?〉
「えっと」
〈黙れ。その口調をやめろ。腹が立つ〉
〈えー。昨日はジジイ口調をやめろって言ってたのに。わがままだな。ねえ、君。グリおじさんから僕に乗り換えない?〉
〈ピョン! 貴様‼〉
グリおじさんが駆け寄り、再び踏み付けようとした。
しかし、その瞬間に、ピョンちゃんの雰囲気が変わった。
はしゃぐ子供のような雰囲気だったのに、急に威厳のあるウサギの王のそれに切り替わった。
踏み付けようとしたグリおじさんの足は、一瞬吹いた魔法の風に弾かれる。
〈……と、言いたいんだけどね。今の君じゃ物足りない。話をしたくて従魔契約をしたけどね。あくまで仮の契約だ〉
その視線は見極めるような、厳しいものに変わっていた。
〈グリおじさんは君の自由にさせるつもりらしいけどね。僕はグリフォンを従え、超位の治癒魔法薬を作れる君に期待したいんだ。まあ、グリおじさんが僕と君を接触させないつもりなら、諦めるつもりだったんだけどね〉
ピョンちゃんはグリおじさんをちらりと見る。
グリおじさんは思い付きでロアを連れてきただけだったが、ピョンちゃんはその時を狙っていたらしい。口惜しそうに、グリおじさんは視線を逸らした。
〈僕は、この森の本当の主人が欲しいんだよ〉
ピョンちゃんは軽く跳ねると、そのまま耳を広げて風の魔法を纏わせ、空を舞った。
〈ほら、この森は素晴らしいと思わないかい?〉
大きく円を描くように飛ぶピョンちゃんを目で追いながら、ロアは周囲を見渡す。
巨木が従える豊かな森。
強い生命の息吹を感じる、人知を超えた場所。
〈ここは賢者の薬草園。生命の巨木が従える、命を支配するところ。その恩恵により、望まれた人間以外は立ち入ることすら許されない。数多の珍しい薬草が生え、どんな季節でも絶えることはない〉
ピョンちゃんはふわりと舞い降り、ロアの肩に乗る。
〈ねえ、君は賢者になって、この森を手に入れたくはないかい?〉
耳元で聞こえる優しい声は、ロアには悪魔の囁きに聞こえた。
「……賢者? オレなんかが……」
突然の申し出に、ロアはどうしていいのか分からない。
ただ、ピョンちゃんが言っている賢者が、一般的に言われている賢者でないことは分かった。
間違いなく、本物の賢者のことだ。
国を跨いで崇められ、尊敬される者。深く広い至高の知識を持ち、魔法の深淵を覗いた者たち。
この世界では『賢者』は称号の一つとしても扱われるが、それはあくまで一般の話だ。それとは別に本当に意味での賢者も存在する。混同されやすいが、それは能力の上で大きな差があった。
本物の賢者はロアには想像もできないほど、雲の上の存在だ。
そんな本物の賢者になれとピョンちゃんは言っているのだ。
賢者の薬草園。グリおじさんの詠唱魔法から考えて、この薬草園は、姫騎士アイリーンと一緒に冒険した賢者フィリアのものだろう。彼女は旅の途中で貴重な薬草を集めていたはずだ。アイリーンの物語でも、そういった描写がされている。
それが本当なら、ロアにとってどんな財宝よりも価値のあるものだ。
しかし、自分はそれに相応しくないと思ってしまう。
考えるまでもなく、ロアの口からは極自然に「オレなんか」という言葉が漏れていた。
〈本当に、君は卑下するんだね。グリおじさんに聞いた通りだね。あの双子のワンちゃんたちも、ちゃんとした従魔になりたくて悩んでるらしいよ。せめて、その時が来たらすぐに従魔契約ができるように、名前を考えておいてあげてね〉
「え?」
不意に双子の魔狼の話になり、ロアはさらに戸惑った。
〈まあ、その話は今はいいよ。ただ、君は賢者になれる器だよ。それだけは認識しておいてね。人を認めるなんて滅多にしない、ひねくれ者のグリおじさんが認めてるんだよ? 性格の悪いグリおじさんを従えられている時点で、君にはその資格があるんだ〉
〈おい、我をバカにするな〉
ピョンちゃんは、さらりとグリおじさんに対しての暴言を交ぜてくる。
そして、グリおじさんの抗議の声を、笑みを浮かべるだけで無視した。
〈まあ、君の自信のなさは筋金入りらしいからね。気楽に試してくれるだけでいいんだ。薬草園には興味あるよね? 運試しくらいに思えばいいさ〉
〈おい! 小僧に何をさせるつもりだ! 危険なことは許さぬぞ! たとえお前でもな!〉
〈もう! 横槍入れないでよ。そんなに過保護じゃ、そのうちに嫌われるよ? ホントに、おじいちゃんは心配性なんだから……〉
肩に乗っているピョンちゃんとロアの頭の間に、グリおじさんは無理やり嘴を突っ込んだ。
そしてそのまま横に動かし、ピョンちゃんを払い落とす。
ピョンちゃんは落ちた勢いのまま地面を蹴ると、数度跳ねてからロアの正面に場所を移した。二本足で立ち上がり、ロアの顔を見上げる。
〈僕はグリおじさんみたいに性格は悪くないからね。失敗したとしても罰は与えないよ。そこは安心してね!〉
〈こやつは我よりはるかに性格が悪いぞ! 信じるな‼〉
グリおじさんはピョンちゃんを追い掛け回し始めた。
しかし、ピョンちゃんはそれを軽く避けながら、軽口を続ける。まるで子犬のじゃれ合いだ。
「仲いいね」
どっちも性格悪いってことなんだろうなぁ……と思いつつも、仲良くケンカをする二匹を見て、ロアはポツリと呟いた。
〈良くない!〉
〈うん!〉
「ぷっ……」
ロアの言葉を否定したのがグリおじさんで、肯定したのがピョンちゃんだ。
それに性格が出ている気がして、思わず噴き出した。賢者だの、薬草園だのの話の時に感じていた緊張は解け、ロアは表情を緩める。
〈なぜ笑う〉
そんなロアが気に食わないのか、グリおじさんは翼で背中を押して抗議してきた。
〈やっと笑ったね。さて、良い顔になったところで、僕からの課題だ〉
ピョンちゃんはそう言うと、クルリと身体を回転させ、大きな耳を風に舞わせた。
耳は大きく広がって風を切りながら、小さな竜巻を作り出す。
その竜巻は上空へと上がり、巨木の枝へと達した。
そして、ロアの前にゆっくりと木の葉がいくつか舞い落ちる。
それらはロアに拾われるのを望んでいるかのごとく、ロアの手元に集まってきた。
〈それを受け取って〉
促され、ロアは木の葉を掴んだ。
葉の数は十枚。
掌に乗る程度の大きさで、見た目だけなら普通の木の葉だった。
〈それは生命の巨木、ガオケレナの葉。長寿の魔法薬の原料になり、そのまま葉を食べても延命効果がある。ここのウサギたちはガオケレナの落ち葉を食べて、寿命を延ばしてるんだ。だから人に等しい寿命を持ち、高い知能と運動能力がある。でもね、その葉の本当の使用方法は誰も知らない。少なくとも、今生きてる人間は知らない。それを君だけの力で見つけるのが、僕からの課題だよ〉
パチリと、ピョンちゃんはウインクしてみせた。
〈それの本当の使用方法を見つければ、それだけで賢者となる資格が生まれる。それほど難しい課題だよ。その葉は数百年枯れず、瑞々しい状態を保ち続けるから、ゆっくり時間をかけて考えてね。それから葉の追加はなしだ。成果を出せないまま使い切った時点で、課題は失敗だよ〉
ロアは手の中の木の葉をじっと見つめる。
誰も知らない本当の使用方法を、自分の力だけで見つけろというのだ。しかも、使える葉は有限。実に難しい話だ。
風に舞うほどの小さく軽い木の葉が、ロアには重く大きく感じられた。
軽やかなステップを踏み、ピョンちゃんはロアの周りを跳ね回る。
その楽し気な足取りを、グリおじさんは鬱陶しそうに見つめていた。
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