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3巻
3-3
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そんなことはない。
ギルフォードがずっと戦場で戦ってくれていたからこそ、ヴィクトリアと母は平和な場所で生きていられた。
ヴィクトリアがそう言う前に、ギルフォードは彼女をまっすぐ見て続ける。
「リア。わかっているとは思うが、おまえは私の最大の弱点だ。おまえを盾に取られたら、私は何もできなくなる」
「……うん」
わかっている。
だからこそギルフォードは九年前、母とヴィクトリアのもとから去っていったのだ。
「私は、この手紙の主を誠意ある人物だと感じる。だが、おまえをサフィスにおびき寄せるための巧妙な罠である可能性も、ゼロではない。……リア。もしおまえがサフィスで人質に取られたり、何者かに傷つけられるようなことになったりしたら、セレスティアとギネヴィアの同盟はあっという間に瓦解してしまうだろう」
「え、そこはもうちょっとがんばって?」
いくらなんでも、自分ひとりのためにせっかく結んだ同盟を破棄するなんて、もったいないにもほどがある。
思わずツッコんだヴィクトリアに、ギルフォードは半目になった。
「おまえのサフィス行きを止めなかった私に、怒り狂ったエディアルドさまをはじめとするギネヴィア皇室のみなさまを、どうやってなだめろというのかな?」
考えるまでもない。
不可能だ。
ヴィクトリアは、すっと目を逸らした。今後、父親相手にツッコミをするときには、きちんと考えてからにしよう。
そんな彼女の反応を予測していたのか、ギルフォードは淡々と話を続ける。
「まぁ、リージェス殿と私の部下ふたりがついていれば、おまえに危害を加えられる者などそうはいないだろうが」
「だよね!」
ヴィクトリアは、ぱぁっと顔を輝かせた。
「しかし、リア。もし万が一のことがあって、身の危険を感じたおまえが魔力を暴走させたなら、周囲の人間はまず無事ではいられないはずだ」
「……ソノトオリデス」
前科者のヴィクトリアは、しゅんと肩をすぼめる。
「その上、おまえが危険に晒されていると知った私が、我を忘れて魔力を暴走させた場合、周囲に及ぼす被害規模は想像もつかない」
「やめて怖い」
ヴィクトリアは、青ざめた。
ギルフォードの魔力暴走。
それはおそらく、天変地異と同義である。
想像だけでどっと冷や汗を流したヴィクトリアに、ギルフォードはにこりと笑う。
「リア。おまえは、おまえの望むように生きればいい。だが、おまえの安全には、私の身近にいる多くの人間の命が懸かっている。それだけは、くれぐれも忘れないように」
「……ハイ」
そのとき、なぜか途方もない敗北感を感じたヴィクトリアは、がっくりとうなだれた。
ジーンが自分たちを見る目の生温かさが、ちょっぴり痛かった。
第二章 西の海の女王さま
「……ということがあったのですが。あれはやっぱりお父さんの心配ではなく、脅迫だったのでしょうか」
海賊船とは思えないほど立派な船室の中で、ヴィクトリアは暇つぶしがてらこれまでの経緯をシャノンに語っていた。締めの問いかけに、四方から同時にうなずきが返る。
シャノンが、半目になってヴィクトリアを見た。
「おまえなぁ。そりゃ、脅迫の中でもかなりえげつないパターンだろうが。『お父さん、大好きー』は大変結構だけどな。たまには、常識ってモンを思い出したほうがいいんじゃないのか」
ヴィクトリアは、にこりとほほえんで彼を見返す。
「シャノンさま。わたしは、お父さんがとっても大好きです。でも、お父さんのすることに常識を期待するのは、もうやめたのです」
あえて多くは語らない彼女の頭に、ぽん、とシャノンの手が乗った。
今回のサフィス行きにシャノンが同行しているのは、出発時期が『楽園』の夏期休暇とちょうど重なったからである。
『K』氏がリージェスに預けたサフィスでの身分証明となる指輪は五つ。
さすがに、サフィスの軍部に顔を知られすぎているギルフォードがもぐりこむわけにはいかない。
万が一、正体がバレたら、即開戦、という恐ろしい事態になりかねない。
アイルとジーンも顔を知られているものの、彼らは元々平民の出だ。
髪と瞳の色を変え、ストイックな騎士服からラフな庶民の格好になれば、印象はがらりと変わる。『セレスティアの悪魔の配下』にはとても見えなくなるのである。
リージェスは一度サフィス軍の前に顔を晒しているが、あのとき彼は眼鏡をかけていなかったし、とても十代の青年とは思えない立派な軍装だった。
普段通りの『いいところのお坊ちゃま』モードで行けば、まず問題はないだろう。
『リアの護衛として、セレスティアからはアイルとジーンのふたりがつく。最後のひとりはリージェス殿が信頼できる人間を、ギネヴィアから連れていけばいい』
ギルフォードがそう言ったとき、ヴィクトリアはてっきり優秀な執事のモーガンを呼ぶものだと思った。
しかし、リージェスが選んだのはシャノンだった。
シャノンは将来、ギネヴィア皇国軍の中枢を担う人材だ。
サフィスという未知の国を見聞する機会を与えるという意味で、彼を選ぶのは確かに妥当である。
ただ、いきなりこんな話を持ってこられた上、リージェスから『出発前に〝楽園〟の夏期休暇の課題をすべて終わらせろ』と命じられたシャノンは、思いきり青ざめていた。
『楽園』のトップを張る寮長を務めるシャノンだ。万が一にも課題を提出できないなんてことがあっては外聞が悪すぎる、ということらしい。彼は必死になって課題を片付け、今日に至ったという。
それはともかく、サフィス行きの問題はどうやって入国するかだった。
サフィス神国に入る方法は、セレスティアからフェパール大河を渡るか、ギネヴィアからキマリス山脈を越えるかしかない。
サフィスに行くには、セレスティアの港から船を出し、海路を使って入国するのも不可能ではない。だが海路を進む際に必ずぶつかるフェパール大河の河口近辺には、先の戦争中に両国が設置した魔導機雷が、うようよ浮いているのだという。怖い。
仮に危険海域を抜けたとしても、そこでサフィスの軍艦に拿捕される恐れがある。
さまざまな案を検討した結果、ヴィクトリアたちは一番安全なギネヴィア最南端からのキマリス山脈越えを選択した。
フェパール大河を渡る経路でも、民間レベルの行き来ならば多少はある。だが、セレスティアとサフィス両国の監視の目が厳しいフェパール大河をこのメンツが渡るのは、さすがに無理がある。
その点、キマリス山脈は、地元の猟師たちでさえ森林限界より上には決して登ろうとしない難所だ。普通の人間にはまず越えられないが、幸い彼女の仲間たちは魔導具を使って空を飛べる。
(……って、最初は気軽に考えてたんだよねー)
空を飛べるだけでホイホイ越えられる程度の山脈なら、ちょっと腕の立つ魔術師であれば簡単に行き来が可能だ。よく考えれば、キマリス山脈がそんな簡単な場所なわけがないとわかるのだが、 ヴィクトリアは当初かなり楽観視していた。
そうして山脈に着いてから思い知ったのだ。天を突くような高さの山の上は、ものすごく寒いだけでなく非常に空気が薄く、おまけにとんでもなく強い風が吹き荒れるところなのだと。
最終的に、リージェスに抱えられたヴィクトリアが、全員をフォローできるサイズの球形防御シールド『たまごちゃん』を展開しながら、一気に山脈を越えてきた。
だが、空を飛ぶ魔導具は、扱いが大変難しい。
四人が同じ速度を保ち、ヴィクトリアの展開する防御シールド内に入りきるほどの近さで飛べるようになるには、かなりの訓練が必要だった。
それをクリアした今の彼らなら、四人揃っての飛行ショーだってできると思う。
何はともあれ、一同はどうにか無事にキマリス越えを成功させた。そして、山のふもとから最も近い、西の海に面した港町へ出たのである。
サフィスの首都である神都アウロラは、内陸でも海寄りに位置する。そのため陸路より海路を使うほうが安全でスピーディーだという。そこでヴィクトリアたちは、最も足の速い豪華客船を選んで乗りこんだのだ。
……まさか、その船がこうして海賊に襲われる羽目になるとは、知略にすぐれたアイルでさえ想像もしていなかったらしい。海賊襲撃を叫ぶ客船クルーの声を聞いた瞬間、彼はギネヴィア育ちの三人にはわからない言葉で、吐き捨てるように何かを言った。
彼の隣にいたジーンが真っ青になっていたところを見ると、どうやら意味がわかったらしい。通訳してもらおうと思ったのだが、「……世の中には、知らないほうが幸せなことがあるんスよ」と光のない目で諭されたので、あきらめた。仕方がないので、ヴィクトリアはアイルが口にした音声をばっちり記憶しておいた。セレスティアに戻ったら、コッソリ意味を調べてみようと思っている。
それにしても、とヴィクトリアは改めて海賊船の室内を見回す。
今は、夏の盛りだ。
しかもここは、かなり南方の海である。
一歩外に出ればすぐに汗がにじむような暑さなのに、室内の空気は熱くもなければ潮臭くもない。
相当質のいい魔導具で空調されているのだろう。
ヴィクトリアは、首を捻った。
「この海賊さん、全然お金に困ってる感じじゃないですよね。なのになんで、お金持ちの誘拐なんて割に合わないことをしてるんでしょう?」
言うまでもなく、誘拐というのは立派な犯罪だ。
おまけに金持ちを狙っての犯行となれば、大事になってしかるべきである。すぐさま捕まることはなくとも、いずれ被害を訴えられたサフィスの司法組織が、本腰を入れて討伐隊を編成してくる可能性が高いのではないだろうか。
これほど豪華な船を所有できる財力がすでにあるなら、こんなハイリスクなことをしなくてもいいと思うのだ。
ヴィクトリアがそう言うと、仲間たちがしばし考える。
最初に口を開いたのは、最年長のアイルだ。
「実は、私も少々気になっていたのです。――彼らは引き揚げの際、客船の船首に掲げられていたサフィス国旗に、わざわざ遠距離攻撃魔導具を撃ちこんで派手に破壊していました。あれは、明らかに『サフィス神国』に対する敵意表明です」
セレスティアとサフィスの開戦を止めたとき、ヴィクトリアは同じ意図でサフィス軍の掲げる神聖旗を破壊している。黙ってうなずき、アイルの話の続きを待つ。
「我々の船に配備されていた護衛たちも、決して弱くはなかった。上流階級の乗客の命を預かるだけの実力はあったように思います。にもかかわらず、この海賊たちはまったく手こずることなく制圧を完了した。そして、彼らの装備していた魔導具――あれは確かに、サフィス軍に正式採用されているものでした」
え、と目を瞠ったギネヴィア育ちチームに、軽く眉を寄せたジーンが言う。
「しかもアレ、一年前に配備されたばっかの新型だったっスよね。サフィスの魔導具開発って、完全に神殿上層部が管理してるはずなんすけど……」
ヴィクトリアは、わけがわからなくなってきた。
握った拳でぐりぐりとこめかみを押さえ、口を開く。
「あのー、そうなりますと。サフィスの神殿から横流しされた攻撃魔導具で、サフィスという『国家』にケンカを売ってるこの海賊さんたちはー……。なんだかとっても、関わったらマズい方々のような気がするんですが?」
そうですね、とアイルがうなずいた。
「一番考えやすいのは、サフィスの中枢と繋がりがあり、新型の攻撃魔導具の入手ルートまでも確保している反政府組織、といったところでしょうか」
ヴィクトリアは、泣きたくなった。
「なんっっで、よりにもよってそんなめんどくさい組織に襲われるよーなお船にピンポイントで乗っちゃったんですか、わたしたち!? やっぱり『セレスティアの悪魔』の娘は、サフィスの神さまから嫌われまくりですか、そうですかー!」
「落ち着け、リア」
リージェスが、ヴィクトリアの頭をぽんぽんと撫でる。
「はい、リージェスさま」
ヴィクトリアは落ち着いた。
ほかの面々が生温かい目でふたりを見たが、リージェスはかまわず口を開く。
「『K』氏の手紙の内容からしても、サフィスの中枢は決して一枚岩ではないのでしょう。陸の方角すらわからない現状では、相手の出方を待つしかないわけですが……。そもそも我々は、不法入国者です。身代金の請求先を問われても、答えようがありません」
そりゃそうだ、と全員がうなずいた。
仲間たちを見回したリージェスは、にこりとほほえむ。
「ですが、こうして全員同じ部屋に閉じこめられたのは、不幸中の幸いです。そこで、提案なのですが、海賊からの接触があるまではおとなしく待っているとして――」
それからリージェスが語った内容に、シャノンは「あぁ、いいんじゃね?」とあっさりうなずいた。アイルとジーンは『……本当にそれでいいの?』という目でヴィクトリアを見つめ、ヴィクトリアは「安全第一でお願いします」と両手を合わせて――つまりは、リージェスの案に乗っかることとなった。
ちなみに、海賊船に連れて来られた際、ヴィクトリアたちは一切ボディチェックを受けていない。
『K』氏から受け取った金貨銀貨の入った鞄は客船に置いてきてしまったけれど、そのほかの貴重品はそれぞれ服の下にばっちり身につけている。
こうして扉の向こうをはばかることなく会話ができているのだって、アイルが所持していた防音魔導具のおかげだ。
何はともあれ、海賊の誰かが接触してくるまでは現状のまま待機、ということになったわけだが――
「なんか、暇ですねぇ。……そーいえば、ミュリエルさまはお元気ですか? シャノンさま」
ヴィクトリアが思い浮かべたのは、シャノンのかわいい妹ミュリエルの姿だ。
「オレの天使はただいま避暑地に行ってるもんで、ここんとこまったく顔を合わせていないんだが、元気みたいだぞ。ただこの間、手紙に最近仲よくなった同い年の男がいるとか書いてきて、お兄ちゃんはもう心配で心配で……っ」
シスコンモードに移行したシャノンの頭を、即座にリージェスがどつく。
かなり、いい音がした。
「いってーな、何しやがる!?」
シャノンが頭を抱えてぎゃあとわめくと、リージェスは青ざめながら厳かな口調で言う。
「シャノン。ミュリエルは、オレにとっても大切な妹のような子だ。いずれ彼女にプロポーズする男が現れたら、そいつの器量を見定めるのに助力は惜しまん。だから頼む、人前で自分を『お兄ちゃん』呼びするのはやめてくれ」
「……おう」
ヴィクトリアはそのとき、話題を提供するというのは結構大変な作業だったのだな、とどこか遠いところを見たくなった。
ジーンが面白いものを見る目でシャノンを眺める。
「へー。シャノン殿には、妹さんがいるんすか」
(お兄ちゃーん!)
ヴィクトリアは、青ざめた。
せっかくリージェスがシャノンのシスコンモードを強制終了させてくれたのに、即再起動させるようなことを言うなんて、空気を読めないにもほどがある。
リージェスの努力を一瞬で粉砕したジーンに、シャノンが剣呑な視線を向けた。
「言っておきますが、オレは可愛い可愛い妹を、オレとリージェスより弱い男の嫁にするつもりはありませんので」
勝手に連名にされたリージェスが、微妙な表情を浮かべる。
だが、たった今協力宣言したばかりで前言撤回はしにくかったのだろう。何も言わずに、ふっと彼らから視線を逸らした。
(将来ミュリエルさまの旦那さまになる人は、大変だなぁ)
ヴィクトリアは、顔も知らないどこかの誰かに深く同情した。
シスコンモードのシャノンと、ミュリエルを妹のように可愛がっているリージェスを相手に勝利をおさめるのは、並大抵の努力では叶わないだろう。
きょとんと瞬きをしたジーンが、何やら感心した顔になってうんうんとうなずく。
「そういえば、ギルフォード殿下もいつだったか、にっこり笑って『私より弱い男に、リアをやるつもりはないよ』って言ってたんすよ。王侯貴族の男性ってのは、みんな同じようなことを言うもんなんすねぇ」
――ギルフォードよりも、強い男性。
この大陸に、そんな化け物じみた人物がいるのだろうか。
ヴィクトリアは、へにょりと眉を下げた。
「お兄ちゃん。ひょっとしてわたしは一生、お嫁にいけないのでしょうか」
ジーンが、ひょいと首をかしげる。
「お嫁にいけなかったら、婿をもらえばいいんじゃないですか?」
なるほど、とヴィクトリアはうなずいた。
(お父さんがわたしを手放すつもりがないんだったら、わたしが旦那さまになる人のお父さまから、旦那さまをもらってくればいいわけかー)
ヴィクトリアは、いまだにひとりでは攻撃魔導具をまともに起動できないへっぽこだが、それは魔導具酔いが原因である。しかしその魔導具酔いも少しずつ克服しつつある。
ちなみに魔導具酔いは、魔導具を使う時に大量の魔力を一気に注ぎこむことで起きる現象だ。通常とはまったく違う魔力の流れが体内を巡るため、使用者の精神や身体に多大な影響を及ぼすことがある。
魔導具酔いを気にせず、母の形見を模して作った遠距離攻撃魔導具さえ無事に起動できるようになれば、大抵の相手を戦意喪失させる自信はあった。
なにしろ、『ホワイトファング』と名付けたその槍は、セレスティアとサフィスの開戦に「ちょっと待ったー!」をかけるのを成功させた、現在大陸で最も有名な攻撃魔導具なのだ。ちなみに、それは今も待機形態のネックレスとしてヴィクトリアの首にかかっている。
『ホワイトファング』に匹敵するレベルのものとなれば、ギネヴィア皇室所蔵の攻撃魔導具くらいだろう。
もしも実戦経験のある人物と戦うことになったら、攻撃魔導具を使った戦い方をまるで知らないヴィクトリアは、瞬殺されるしかない。だが、勝負というのは戦わずとも勝てればいいのである。
のんきにそんなことを考えていた彼女は、気づかなかった。
シャノンが『心の底から同情してます』という目でリージェスを見ながら、彼の肩をぽん、と叩いていたことに。
そしてリージェスが蒼白になりながら「いや……十年後なら、殿下も第一線から退いているだろうし。あるいは――」とつぶやいた途端、アイルとジーンに「ムリじゃないですか?」とバッサリ切り捨てられていたことにも。
そのとき、ふと、アイルが何かに気づいたように扉のほうへ視線を向けた。
彼は片手を上げて仲間たちの注意を引くと、人差し指を立てて唇に当てる。そして全員が口を閉じるのを待ち、室内の会話が外へ漏れないようにしていた防音の魔導具を解除した。
どうやら、何者かがこちらに近づいてきているらしい。
ヴィクトリアは『海賊に攫われた一般人』らしく、少しはおびえたフリをしたほうがいいのだろうか、と思ったのだが――
(下手なことをしても怪しまれるだけのような気がするから、そーゆー演技はリージェスさまたちに任せよう)
大陸でトップレベルの戦闘能力を誇る仲間たちに囲まれている彼女は、大変余裕を持って扉が開くのを待ちかまえていた。
実際に扉が開く、そのときまでは。
「ハァイ、可愛いぼうやたち。ご機嫌いかが?」
(ぼ、ぼうやたち?)
ヴィクトリアは、まずその呼び方に動揺した。
若者チームだけならともかく、この部屋にはアイルもいるのである。
三十路の男性を『ぼうや』と呼ぶのは、さすがにいかがなものだろう。
ノックもなしに開かれた扉の向こうから現れたのは、ひとりの女性。よく日に焼けた褐色の肌、緩やかにうねる豊かな黒髪、そして同じく黒曜石のように輝く瞳を持つ、とんでもなく華やかな美貌の女性だった。
女性としては、かなり長身だ。
赤い唇の下には、小さなほくろがある。ヴィクトリアはこのとき、ほくろがお色気ポイントになることをはじめて知った。
プロポーションも、実に素晴らしい。
肩も腕もしっかりと張りつめていて、女性らしい柔らかさはあまりない。
だが、彼女の胸ときたら、ヴィクトリアの顔と同じくらいのサイズがあるのではないだろうか。
ウエストはほっそりと引き締まっているが、そこから広がる腰から足へのラインなど、思わず拝みたくなるくらい見事である。
彼女の魅惑のボディラインに対し、なぜヴィクトリアがこれほど詳細な感想を抱くことができるかといえば、答えは簡単。
お色気たっぷりの口元になまめかしい微笑を浮かべた彼女は、ホルターネックの水着姿なのである。
足下は踵の高いサンダル。
腰のあたりに緩くパレオを巻いているが、シースルー素材のため、彼女の脚線美を隠す役目は果たしていない。
オレンジ色の水着に、魔導具の待機形態らしい腕輪や指輪の黄金色が、よく映えている。
てっきり、自分たちが乗っていた船を襲った者たちのような屈強な男が現れると思っていたヴィクトリアは、困惑した。
先ほどリージェスが提案したのは、『どこから出てきたものだろうと、金は金。客船に残してきた金貨銀貨はあきらめて、海賊たちを制圧して陸地に向かわせたのち、同じだけのものを彼らから奪ってトンズラしましょう』という、至ってシンプルな作戦である。
彼らが本当に海賊なのか、その皮をかぶった反政府組織なのかは謎だが、ヴィクトリアたちには関係のないヨソの国の問題だ。
いずれにせよ、こんな厄介な連中とは、とっとと縁を切るに限る。
よって、この船の乗員がヴィクトリアたちになんらかの要求をしにやってきたら、即座に確保して一気に船内を制圧する予定だったのだが――
(うーん……。さすがに、水着姿のお姉さんに武器を向けるのはちょっと)
――こんな薄っぺらい防御力皆無の布きれでは、下手に捕まえようとしたらポロリしてしまいそうだ。
想像するだけでいたたまれない気分になってしまう、と思ったところで、ヴィクトリアは勢いよく仲間たちを振り返った。
彼女は男装少女だから、突然ド迫力の水着美女が現れても『まぁ、海の上ですもんね。外はとっても暑いですからね』で済ませられた。
だが、ほかの仲間たちは、全員若い男性だ。
ここで彼らに鼻の下を伸ばされては、ちょっと困る。
(あ……あれ?)
ヴィクトリアの予想に反し、彼らは水着美女に見とれるどころか、無表情か苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
リージェスが無表情なのは当然だ。彼は、他人の前で無表情でないほうが珍しい。
しかしシャノンが珍しく無表情なのは、なぜだろう。
アイルとジーンはひどく苦々しげな顔だ。
そして上司アイルの視線を受けたジーンが、背後からそっと両手でヴィクトリアに目隠しをする。
ギルフォードがずっと戦場で戦ってくれていたからこそ、ヴィクトリアと母は平和な場所で生きていられた。
ヴィクトリアがそう言う前に、ギルフォードは彼女をまっすぐ見て続ける。
「リア。わかっているとは思うが、おまえは私の最大の弱点だ。おまえを盾に取られたら、私は何もできなくなる」
「……うん」
わかっている。
だからこそギルフォードは九年前、母とヴィクトリアのもとから去っていったのだ。
「私は、この手紙の主を誠意ある人物だと感じる。だが、おまえをサフィスにおびき寄せるための巧妙な罠である可能性も、ゼロではない。……リア。もしおまえがサフィスで人質に取られたり、何者かに傷つけられるようなことになったりしたら、セレスティアとギネヴィアの同盟はあっという間に瓦解してしまうだろう」
「え、そこはもうちょっとがんばって?」
いくらなんでも、自分ひとりのためにせっかく結んだ同盟を破棄するなんて、もったいないにもほどがある。
思わずツッコんだヴィクトリアに、ギルフォードは半目になった。
「おまえのサフィス行きを止めなかった私に、怒り狂ったエディアルドさまをはじめとするギネヴィア皇室のみなさまを、どうやってなだめろというのかな?」
考えるまでもない。
不可能だ。
ヴィクトリアは、すっと目を逸らした。今後、父親相手にツッコミをするときには、きちんと考えてからにしよう。
そんな彼女の反応を予測していたのか、ギルフォードは淡々と話を続ける。
「まぁ、リージェス殿と私の部下ふたりがついていれば、おまえに危害を加えられる者などそうはいないだろうが」
「だよね!」
ヴィクトリアは、ぱぁっと顔を輝かせた。
「しかし、リア。もし万が一のことがあって、身の危険を感じたおまえが魔力を暴走させたなら、周囲の人間はまず無事ではいられないはずだ」
「……ソノトオリデス」
前科者のヴィクトリアは、しゅんと肩をすぼめる。
「その上、おまえが危険に晒されていると知った私が、我を忘れて魔力を暴走させた場合、周囲に及ぼす被害規模は想像もつかない」
「やめて怖い」
ヴィクトリアは、青ざめた。
ギルフォードの魔力暴走。
それはおそらく、天変地異と同義である。
想像だけでどっと冷や汗を流したヴィクトリアに、ギルフォードはにこりと笑う。
「リア。おまえは、おまえの望むように生きればいい。だが、おまえの安全には、私の身近にいる多くの人間の命が懸かっている。それだけは、くれぐれも忘れないように」
「……ハイ」
そのとき、なぜか途方もない敗北感を感じたヴィクトリアは、がっくりとうなだれた。
ジーンが自分たちを見る目の生温かさが、ちょっぴり痛かった。
第二章 西の海の女王さま
「……ということがあったのですが。あれはやっぱりお父さんの心配ではなく、脅迫だったのでしょうか」
海賊船とは思えないほど立派な船室の中で、ヴィクトリアは暇つぶしがてらこれまでの経緯をシャノンに語っていた。締めの問いかけに、四方から同時にうなずきが返る。
シャノンが、半目になってヴィクトリアを見た。
「おまえなぁ。そりゃ、脅迫の中でもかなりえげつないパターンだろうが。『お父さん、大好きー』は大変結構だけどな。たまには、常識ってモンを思い出したほうがいいんじゃないのか」
ヴィクトリアは、にこりとほほえんで彼を見返す。
「シャノンさま。わたしは、お父さんがとっても大好きです。でも、お父さんのすることに常識を期待するのは、もうやめたのです」
あえて多くは語らない彼女の頭に、ぽん、とシャノンの手が乗った。
今回のサフィス行きにシャノンが同行しているのは、出発時期が『楽園』の夏期休暇とちょうど重なったからである。
『K』氏がリージェスに預けたサフィスでの身分証明となる指輪は五つ。
さすがに、サフィスの軍部に顔を知られすぎているギルフォードがもぐりこむわけにはいかない。
万が一、正体がバレたら、即開戦、という恐ろしい事態になりかねない。
アイルとジーンも顔を知られているものの、彼らは元々平民の出だ。
髪と瞳の色を変え、ストイックな騎士服からラフな庶民の格好になれば、印象はがらりと変わる。『セレスティアの悪魔の配下』にはとても見えなくなるのである。
リージェスは一度サフィス軍の前に顔を晒しているが、あのとき彼は眼鏡をかけていなかったし、とても十代の青年とは思えない立派な軍装だった。
普段通りの『いいところのお坊ちゃま』モードで行けば、まず問題はないだろう。
『リアの護衛として、セレスティアからはアイルとジーンのふたりがつく。最後のひとりはリージェス殿が信頼できる人間を、ギネヴィアから連れていけばいい』
ギルフォードがそう言ったとき、ヴィクトリアはてっきり優秀な執事のモーガンを呼ぶものだと思った。
しかし、リージェスが選んだのはシャノンだった。
シャノンは将来、ギネヴィア皇国軍の中枢を担う人材だ。
サフィスという未知の国を見聞する機会を与えるという意味で、彼を選ぶのは確かに妥当である。
ただ、いきなりこんな話を持ってこられた上、リージェスから『出発前に〝楽園〟の夏期休暇の課題をすべて終わらせろ』と命じられたシャノンは、思いきり青ざめていた。
『楽園』のトップを張る寮長を務めるシャノンだ。万が一にも課題を提出できないなんてことがあっては外聞が悪すぎる、ということらしい。彼は必死になって課題を片付け、今日に至ったという。
それはともかく、サフィス行きの問題はどうやって入国するかだった。
サフィス神国に入る方法は、セレスティアからフェパール大河を渡るか、ギネヴィアからキマリス山脈を越えるかしかない。
サフィスに行くには、セレスティアの港から船を出し、海路を使って入国するのも不可能ではない。だが海路を進む際に必ずぶつかるフェパール大河の河口近辺には、先の戦争中に両国が設置した魔導機雷が、うようよ浮いているのだという。怖い。
仮に危険海域を抜けたとしても、そこでサフィスの軍艦に拿捕される恐れがある。
さまざまな案を検討した結果、ヴィクトリアたちは一番安全なギネヴィア最南端からのキマリス山脈越えを選択した。
フェパール大河を渡る経路でも、民間レベルの行き来ならば多少はある。だが、セレスティアとサフィス両国の監視の目が厳しいフェパール大河をこのメンツが渡るのは、さすがに無理がある。
その点、キマリス山脈は、地元の猟師たちでさえ森林限界より上には決して登ろうとしない難所だ。普通の人間にはまず越えられないが、幸い彼女の仲間たちは魔導具を使って空を飛べる。
(……って、最初は気軽に考えてたんだよねー)
空を飛べるだけでホイホイ越えられる程度の山脈なら、ちょっと腕の立つ魔術師であれば簡単に行き来が可能だ。よく考えれば、キマリス山脈がそんな簡単な場所なわけがないとわかるのだが、 ヴィクトリアは当初かなり楽観視していた。
そうして山脈に着いてから思い知ったのだ。天を突くような高さの山の上は、ものすごく寒いだけでなく非常に空気が薄く、おまけにとんでもなく強い風が吹き荒れるところなのだと。
最終的に、リージェスに抱えられたヴィクトリアが、全員をフォローできるサイズの球形防御シールド『たまごちゃん』を展開しながら、一気に山脈を越えてきた。
だが、空を飛ぶ魔導具は、扱いが大変難しい。
四人が同じ速度を保ち、ヴィクトリアの展開する防御シールド内に入りきるほどの近さで飛べるようになるには、かなりの訓練が必要だった。
それをクリアした今の彼らなら、四人揃っての飛行ショーだってできると思う。
何はともあれ、一同はどうにか無事にキマリス越えを成功させた。そして、山のふもとから最も近い、西の海に面した港町へ出たのである。
サフィスの首都である神都アウロラは、内陸でも海寄りに位置する。そのため陸路より海路を使うほうが安全でスピーディーだという。そこでヴィクトリアたちは、最も足の速い豪華客船を選んで乗りこんだのだ。
……まさか、その船がこうして海賊に襲われる羽目になるとは、知略にすぐれたアイルでさえ想像もしていなかったらしい。海賊襲撃を叫ぶ客船クルーの声を聞いた瞬間、彼はギネヴィア育ちの三人にはわからない言葉で、吐き捨てるように何かを言った。
彼の隣にいたジーンが真っ青になっていたところを見ると、どうやら意味がわかったらしい。通訳してもらおうと思ったのだが、「……世の中には、知らないほうが幸せなことがあるんスよ」と光のない目で諭されたので、あきらめた。仕方がないので、ヴィクトリアはアイルが口にした音声をばっちり記憶しておいた。セレスティアに戻ったら、コッソリ意味を調べてみようと思っている。
それにしても、とヴィクトリアは改めて海賊船の室内を見回す。
今は、夏の盛りだ。
しかもここは、かなり南方の海である。
一歩外に出ればすぐに汗がにじむような暑さなのに、室内の空気は熱くもなければ潮臭くもない。
相当質のいい魔導具で空調されているのだろう。
ヴィクトリアは、首を捻った。
「この海賊さん、全然お金に困ってる感じじゃないですよね。なのになんで、お金持ちの誘拐なんて割に合わないことをしてるんでしょう?」
言うまでもなく、誘拐というのは立派な犯罪だ。
おまけに金持ちを狙っての犯行となれば、大事になってしかるべきである。すぐさま捕まることはなくとも、いずれ被害を訴えられたサフィスの司法組織が、本腰を入れて討伐隊を編成してくる可能性が高いのではないだろうか。
これほど豪華な船を所有できる財力がすでにあるなら、こんなハイリスクなことをしなくてもいいと思うのだ。
ヴィクトリアがそう言うと、仲間たちがしばし考える。
最初に口を開いたのは、最年長のアイルだ。
「実は、私も少々気になっていたのです。――彼らは引き揚げの際、客船の船首に掲げられていたサフィス国旗に、わざわざ遠距離攻撃魔導具を撃ちこんで派手に破壊していました。あれは、明らかに『サフィス神国』に対する敵意表明です」
セレスティアとサフィスの開戦を止めたとき、ヴィクトリアは同じ意図でサフィス軍の掲げる神聖旗を破壊している。黙ってうなずき、アイルの話の続きを待つ。
「我々の船に配備されていた護衛たちも、決して弱くはなかった。上流階級の乗客の命を預かるだけの実力はあったように思います。にもかかわらず、この海賊たちはまったく手こずることなく制圧を完了した。そして、彼らの装備していた魔導具――あれは確かに、サフィス軍に正式採用されているものでした」
え、と目を瞠ったギネヴィア育ちチームに、軽く眉を寄せたジーンが言う。
「しかもアレ、一年前に配備されたばっかの新型だったっスよね。サフィスの魔導具開発って、完全に神殿上層部が管理してるはずなんすけど……」
ヴィクトリアは、わけがわからなくなってきた。
握った拳でぐりぐりとこめかみを押さえ、口を開く。
「あのー、そうなりますと。サフィスの神殿から横流しされた攻撃魔導具で、サフィスという『国家』にケンカを売ってるこの海賊さんたちはー……。なんだかとっても、関わったらマズい方々のような気がするんですが?」
そうですね、とアイルがうなずいた。
「一番考えやすいのは、サフィスの中枢と繋がりがあり、新型の攻撃魔導具の入手ルートまでも確保している反政府組織、といったところでしょうか」
ヴィクトリアは、泣きたくなった。
「なんっっで、よりにもよってそんなめんどくさい組織に襲われるよーなお船にピンポイントで乗っちゃったんですか、わたしたち!? やっぱり『セレスティアの悪魔』の娘は、サフィスの神さまから嫌われまくりですか、そうですかー!」
「落ち着け、リア」
リージェスが、ヴィクトリアの頭をぽんぽんと撫でる。
「はい、リージェスさま」
ヴィクトリアは落ち着いた。
ほかの面々が生温かい目でふたりを見たが、リージェスはかまわず口を開く。
「『K』氏の手紙の内容からしても、サフィスの中枢は決して一枚岩ではないのでしょう。陸の方角すらわからない現状では、相手の出方を待つしかないわけですが……。そもそも我々は、不法入国者です。身代金の請求先を問われても、答えようがありません」
そりゃそうだ、と全員がうなずいた。
仲間たちを見回したリージェスは、にこりとほほえむ。
「ですが、こうして全員同じ部屋に閉じこめられたのは、不幸中の幸いです。そこで、提案なのですが、海賊からの接触があるまではおとなしく待っているとして――」
それからリージェスが語った内容に、シャノンは「あぁ、いいんじゃね?」とあっさりうなずいた。アイルとジーンは『……本当にそれでいいの?』という目でヴィクトリアを見つめ、ヴィクトリアは「安全第一でお願いします」と両手を合わせて――つまりは、リージェスの案に乗っかることとなった。
ちなみに、海賊船に連れて来られた際、ヴィクトリアたちは一切ボディチェックを受けていない。
『K』氏から受け取った金貨銀貨の入った鞄は客船に置いてきてしまったけれど、そのほかの貴重品はそれぞれ服の下にばっちり身につけている。
こうして扉の向こうをはばかることなく会話ができているのだって、アイルが所持していた防音魔導具のおかげだ。
何はともあれ、海賊の誰かが接触してくるまでは現状のまま待機、ということになったわけだが――
「なんか、暇ですねぇ。……そーいえば、ミュリエルさまはお元気ですか? シャノンさま」
ヴィクトリアが思い浮かべたのは、シャノンのかわいい妹ミュリエルの姿だ。
「オレの天使はただいま避暑地に行ってるもんで、ここんとこまったく顔を合わせていないんだが、元気みたいだぞ。ただこの間、手紙に最近仲よくなった同い年の男がいるとか書いてきて、お兄ちゃんはもう心配で心配で……っ」
シスコンモードに移行したシャノンの頭を、即座にリージェスがどつく。
かなり、いい音がした。
「いってーな、何しやがる!?」
シャノンが頭を抱えてぎゃあとわめくと、リージェスは青ざめながら厳かな口調で言う。
「シャノン。ミュリエルは、オレにとっても大切な妹のような子だ。いずれ彼女にプロポーズする男が現れたら、そいつの器量を見定めるのに助力は惜しまん。だから頼む、人前で自分を『お兄ちゃん』呼びするのはやめてくれ」
「……おう」
ヴィクトリアはそのとき、話題を提供するというのは結構大変な作業だったのだな、とどこか遠いところを見たくなった。
ジーンが面白いものを見る目でシャノンを眺める。
「へー。シャノン殿には、妹さんがいるんすか」
(お兄ちゃーん!)
ヴィクトリアは、青ざめた。
せっかくリージェスがシャノンのシスコンモードを強制終了させてくれたのに、即再起動させるようなことを言うなんて、空気を読めないにもほどがある。
リージェスの努力を一瞬で粉砕したジーンに、シャノンが剣呑な視線を向けた。
「言っておきますが、オレは可愛い可愛い妹を、オレとリージェスより弱い男の嫁にするつもりはありませんので」
勝手に連名にされたリージェスが、微妙な表情を浮かべる。
だが、たった今協力宣言したばかりで前言撤回はしにくかったのだろう。何も言わずに、ふっと彼らから視線を逸らした。
(将来ミュリエルさまの旦那さまになる人は、大変だなぁ)
ヴィクトリアは、顔も知らないどこかの誰かに深く同情した。
シスコンモードのシャノンと、ミュリエルを妹のように可愛がっているリージェスを相手に勝利をおさめるのは、並大抵の努力では叶わないだろう。
きょとんと瞬きをしたジーンが、何やら感心した顔になってうんうんとうなずく。
「そういえば、ギルフォード殿下もいつだったか、にっこり笑って『私より弱い男に、リアをやるつもりはないよ』って言ってたんすよ。王侯貴族の男性ってのは、みんな同じようなことを言うもんなんすねぇ」
――ギルフォードよりも、強い男性。
この大陸に、そんな化け物じみた人物がいるのだろうか。
ヴィクトリアは、へにょりと眉を下げた。
「お兄ちゃん。ひょっとしてわたしは一生、お嫁にいけないのでしょうか」
ジーンが、ひょいと首をかしげる。
「お嫁にいけなかったら、婿をもらえばいいんじゃないですか?」
なるほど、とヴィクトリアはうなずいた。
(お父さんがわたしを手放すつもりがないんだったら、わたしが旦那さまになる人のお父さまから、旦那さまをもらってくればいいわけかー)
ヴィクトリアは、いまだにひとりでは攻撃魔導具をまともに起動できないへっぽこだが、それは魔導具酔いが原因である。しかしその魔導具酔いも少しずつ克服しつつある。
ちなみに魔導具酔いは、魔導具を使う時に大量の魔力を一気に注ぎこむことで起きる現象だ。通常とはまったく違う魔力の流れが体内を巡るため、使用者の精神や身体に多大な影響を及ぼすことがある。
魔導具酔いを気にせず、母の形見を模して作った遠距離攻撃魔導具さえ無事に起動できるようになれば、大抵の相手を戦意喪失させる自信はあった。
なにしろ、『ホワイトファング』と名付けたその槍は、セレスティアとサフィスの開戦に「ちょっと待ったー!」をかけるのを成功させた、現在大陸で最も有名な攻撃魔導具なのだ。ちなみに、それは今も待機形態のネックレスとしてヴィクトリアの首にかかっている。
『ホワイトファング』に匹敵するレベルのものとなれば、ギネヴィア皇室所蔵の攻撃魔導具くらいだろう。
もしも実戦経験のある人物と戦うことになったら、攻撃魔導具を使った戦い方をまるで知らないヴィクトリアは、瞬殺されるしかない。だが、勝負というのは戦わずとも勝てればいいのである。
のんきにそんなことを考えていた彼女は、気づかなかった。
シャノンが『心の底から同情してます』という目でリージェスを見ながら、彼の肩をぽん、と叩いていたことに。
そしてリージェスが蒼白になりながら「いや……十年後なら、殿下も第一線から退いているだろうし。あるいは――」とつぶやいた途端、アイルとジーンに「ムリじゃないですか?」とバッサリ切り捨てられていたことにも。
そのとき、ふと、アイルが何かに気づいたように扉のほうへ視線を向けた。
彼は片手を上げて仲間たちの注意を引くと、人差し指を立てて唇に当てる。そして全員が口を閉じるのを待ち、室内の会話が外へ漏れないようにしていた防音の魔導具を解除した。
どうやら、何者かがこちらに近づいてきているらしい。
ヴィクトリアは『海賊に攫われた一般人』らしく、少しはおびえたフリをしたほうがいいのだろうか、と思ったのだが――
(下手なことをしても怪しまれるだけのような気がするから、そーゆー演技はリージェスさまたちに任せよう)
大陸でトップレベルの戦闘能力を誇る仲間たちに囲まれている彼女は、大変余裕を持って扉が開くのを待ちかまえていた。
実際に扉が開く、そのときまでは。
「ハァイ、可愛いぼうやたち。ご機嫌いかが?」
(ぼ、ぼうやたち?)
ヴィクトリアは、まずその呼び方に動揺した。
若者チームだけならともかく、この部屋にはアイルもいるのである。
三十路の男性を『ぼうや』と呼ぶのは、さすがにいかがなものだろう。
ノックもなしに開かれた扉の向こうから現れたのは、ひとりの女性。よく日に焼けた褐色の肌、緩やかにうねる豊かな黒髪、そして同じく黒曜石のように輝く瞳を持つ、とんでもなく華やかな美貌の女性だった。
女性としては、かなり長身だ。
赤い唇の下には、小さなほくろがある。ヴィクトリアはこのとき、ほくろがお色気ポイントになることをはじめて知った。
プロポーションも、実に素晴らしい。
肩も腕もしっかりと張りつめていて、女性らしい柔らかさはあまりない。
だが、彼女の胸ときたら、ヴィクトリアの顔と同じくらいのサイズがあるのではないだろうか。
ウエストはほっそりと引き締まっているが、そこから広がる腰から足へのラインなど、思わず拝みたくなるくらい見事である。
彼女の魅惑のボディラインに対し、なぜヴィクトリアがこれほど詳細な感想を抱くことができるかといえば、答えは簡単。
お色気たっぷりの口元になまめかしい微笑を浮かべた彼女は、ホルターネックの水着姿なのである。
足下は踵の高いサンダル。
腰のあたりに緩くパレオを巻いているが、シースルー素材のため、彼女の脚線美を隠す役目は果たしていない。
オレンジ色の水着に、魔導具の待機形態らしい腕輪や指輪の黄金色が、よく映えている。
てっきり、自分たちが乗っていた船を襲った者たちのような屈強な男が現れると思っていたヴィクトリアは、困惑した。
先ほどリージェスが提案したのは、『どこから出てきたものだろうと、金は金。客船に残してきた金貨銀貨はあきらめて、海賊たちを制圧して陸地に向かわせたのち、同じだけのものを彼らから奪ってトンズラしましょう』という、至ってシンプルな作戦である。
彼らが本当に海賊なのか、その皮をかぶった反政府組織なのかは謎だが、ヴィクトリアたちには関係のないヨソの国の問題だ。
いずれにせよ、こんな厄介な連中とは、とっとと縁を切るに限る。
よって、この船の乗員がヴィクトリアたちになんらかの要求をしにやってきたら、即座に確保して一気に船内を制圧する予定だったのだが――
(うーん……。さすがに、水着姿のお姉さんに武器を向けるのはちょっと)
――こんな薄っぺらい防御力皆無の布きれでは、下手に捕まえようとしたらポロリしてしまいそうだ。
想像するだけでいたたまれない気分になってしまう、と思ったところで、ヴィクトリアは勢いよく仲間たちを振り返った。
彼女は男装少女だから、突然ド迫力の水着美女が現れても『まぁ、海の上ですもんね。外はとっても暑いですからね』で済ませられた。
だが、ほかの仲間たちは、全員若い男性だ。
ここで彼らに鼻の下を伸ばされては、ちょっと困る。
(あ……あれ?)
ヴィクトリアの予想に反し、彼らは水着美女に見とれるどころか、無表情か苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
リージェスが無表情なのは当然だ。彼は、他人の前で無表情でないほうが珍しい。
しかしシャノンが珍しく無表情なのは、なぜだろう。
アイルとジーンはひどく苦々しげな顔だ。
そして上司アイルの視線を受けたジーンが、背後からそっと両手でヴィクトリアに目隠しをする。
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