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2巻
2-2
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夜明け前の薄暗い中、要塞都市パウラの長大な防壁の陰で、ゼシャールドはコレまでに掴んだブルガーデンの内情を纏めながら、レイフョルドからフォンクランクの近況報告を受けて今後の活動方針を練っていた。
「そうか、ユースケは上手くやっておるのじゃな。それにしても……聞く限りでは凄まじい力じゃな」
「流石にアレには僕も驚きましたよ」
危うく巻き込まれるところでしたと彼は笑う。
今、この要塞都市パウラでは、ギアホーク砦で風の団が壊滅した事により、戦力の復旧を急ぐ動きが活発化していた。神民兵からの引き抜きや新兵の募集などで連日バタバタしていて慌しい。その為か、ゼシャールドに対する監視も日に日に緩くなり始めていた。
「ワシは近々、水巫女の女王に接近する」
「……第一首都、コフタですか」
ブルガーデンは元々山頂のシャルナー神殿に集まる信徒達が神殿の周囲に住み着いて街を形成し、そこから建国された小さな王国だった。そして第一首都である山頂の街コフタには、シャルナー神殿を居城に国民から絶大な支持を受ける女王が君臨していた。
現在は第二首都、要塞都市パウラにて軍民を統治管理する指導者、元ブルガーデン国王の側近でもあったイザップナー最高指導官がほぼ全ての実権を握っており、要塞地下に設けられた議会堂を中枢としてブルガーデンの政治を動かしている。
しかし、水巫女の女王が持つ国家の象徴としての権威と国民の人気は絶大であり、女王が正式に即位するまでの後見人だったイザップナーは、形式上、軍資金の要請や国費で事業を行う場合などは女王に御伺いを立てて了承を得るという手続きを通さねばならなかった。
水巫女の女王リシャレウスと、イザップナー最高指導官、両者の間には反目こそ見られないものの、双方の政策や意見は決して一致している訳では無いらしい。お互い無干渉に近い関係で、第一首都と第二首都それぞれに個別の統治を布いている。
ゼシャールドはこの辺りに付け込める隙があるのではと見ていた。
「なら、こっちの観察情報もそっちに運びますよ」
「いつもスマンのう」
「いやあ、ユースケ君から報酬は貰ってますから」
「報酬?」
首を傾げるゼシャールドに、彼は微笑みながら小さい虫のような物体を取り出して見せた。
「よく釣れるんですよ、この釣り針」
◇◇◇
悠介がサンクアディエットの通りでイフョカを見かけていた頃、ゼシャールドはパウラの中心街から外れた長城部分の上道通りを歩いていた。パウラの一般民の住居は北側の中心街に集中しており、重要施設などは殆ど中心街の地下に当たる要塞内部にある。
ブルガーデンの国土の半分以上を占めるボーザス山の麓に沿って造られた要塞都市、その長城部分はサンクアディエットの半周分にも匹敵する実に長大な防壁要塞だ。
防壁内部には各神民兵組織の訓練施設や宿舎などもあり、中心街からもれた一般民や神民兵の家族なども暮らしている。沢山の空き部屋があるので、神民兵達は適当な部屋を見つけては『○○分隊の部屋』などと勝手に札を付けて割と自由に使っていた。
「……ふむ」
中心街から離れたこの辺りにも、移動式だが多くの店舗が並ぶ。ゼシャールドはふと一軒の店の前で足を止めた。首輪を付けた数人の無技人が店の前に繋がれている。一人、足に怪我を負っている者がいるらしく、負担が掛からないよう座り込んでは、しきりに小さな出血を気にしている様子だった。
ゼシャールドは徐に歩み寄ると、彼女の怪我に水技の治癒を施す。傷を癒して貰えた彼女は御礼を言いたそうにしていたが、勝手に喋ると主人から鞭が飛んでくるので困り顔を見せている。
「いいんじゃよ、言わずとも分かっておる」
「……」
頭を下げる無技人。丁度その時、店から出て来た彼女等の主人らしき男が威圧的に声をかけてきた。
「おい、うちの飼い無技に何か用か」
「いやなに、怪我をしておるようじゃから治癒しておったのじゃよ」
「? ……っあ、あんた……ゼシャールド神技指導官!」
飼い主の男は相手がゼシャールドだと分かると、慌てて態度を改めた。貴重な人材ゆえに水技の民の発言力が大きいブルガーデンだが、その中でもゼシャールド程の熟達者となれば別格だ。
「いやぁそうでしたか、ですがあの~……今はちょっと余り持ち合わせが……」
「構わんよ、趣味の治癒じゃからして気にするな」
報酬を渋ろうとする飼い主の男に、ゼシャールドは『金なぞ要らん』と手を振った。飼い主の男が飼い無技達を連れて去っていった後、この国の無技人達の扱いを不憫に思い、溜め息を吐く。
等民制国家では神々の祝福を受けていない民として扱われる無技の民だが、四大神に神格の差異は無いとするブルガーデンでは、神技を持たないモノは人にあらずとされ、無技の民は亜人扱いなのだ。
「ゼシャールド指導官」
「ん? おお、プラウシャ君か。もう、良いのかね?」
「はい、ご心配おかけしました……明日からまた訓練に出ますので、宜しくお願いします」
ゼシャールドに声をかけてきたのは、彼のこちらでの教え子でもある水の団候補生の少女だった。ここ数日は訳あって訓練を休んでいたのだが、やはり水の団への入団を目指す気持ちに変わりは無いという。
「ずっと決めていた事ですから……もう、お姉ちゃんは居ませんけど」
「……そうか」
彼女の姉の亡骸はギアホーク砦の一報が入った後日、フォンクランク政府から返還された。所々が欠けた姉の遺体を前に、茫然自失で佇んでいた姿は、ゼシャールドの記憶にも新しい。陰った空気を払うように、プラウシャは明るく話題を振った。
「そういえば、指導官はフォンクランクで沢山無技を飼ってらしたそうですね、やっぱり水技の実験に?」
「いや、ワシは彼等の村で一緒に暮らしておったのじゃよ」
「え? 無技とですか?」
家でも昔一匹飼っていたという彼女は、心底不思議そうにそう問い返すのだった。
◇◇◇
要塞都市パウラから山側に少し入った辺りに、精鋭団専用の育成訓練施設がある。そこは初めから精鋭団に入団する事が決まっている身分の高い者にしか利用出来ないエリート育成施設、士官学校のような施設だった。
その施設の敷地を関所として、整地された山道を上って行くと、ブルガーデン第一首都コフタの街に入る事が出来る。
シャルナー神殿の膝元に広がるコフタの街は、山頂付近の僅かに開けた場所を街の入り口として、無数に掘られた坑道の中に居住施設が広がっている。カルツィオ世界で最も高い場所にある地下の都であった。
山頂の神殿を居城として、日々静かに暮らすことを望む水巫女の女王リシャレウスは、執政官から届けられた書状に憂鬱な溜め息をもらす。謁見を要請する内容のそれには、ゼシャールドの名が記されていた。
最近ブルガーデンの神技指導官に就いたと聞く元フォンクランクの宮廷神技指導官。またぞろイザップナー最高指導官が絡んでいるのだろうと思うと、気持ちが重くなるというものだ。
十四歳の頃、建国者でもある父王を亡くした彼女は、十六歳で正式に即位するまで、後見人となったイザップナーの献身的な働きに支えられながら、新興国ブルガーデンを大国フォンクランクと並ぶ地位まで押し上げ、国の象徴的存在として崇められるようになった……というのがブルガーデンの一般国民が持つ認識である。
イザップナーは王亡き現状は亡国の危機にあると国民を煽り、隣国に付け入られないようにフォンクランクを牽制するという名目で、パウラ要塞の都市化事業を進めながら、国の中枢を自分の派閥で固めていった。
彼が急速に実権を握っていく事への懸念を示す旧王党派官僚達もいたが、イザップナーはリシャレウスを国民的象徴に添える事で王の権威を持たせ、臣下としての深い忠誠を表わした。
そうして『臣下の忠誠に対する信頼』という形を以てリシャレウスに自らの活動を支援するよう仕向ける事で、旧王党派官僚達の批判や疑惑の目を躱して来たのだ。
女王に即位する頃には、リシャレウスもイザップナーの献身が亡き王と残された王女への忠誠などではなく、己が野望の為だという事に薄々感付いてはいた。しかし、頼る者のいなかった彼女は彼を王の忠実な臣下として扱うしかなかったのだ。
そうなるよう、身の回りに置く者にも工作を仕掛けられていた事に気付いたのは、ずっと後になってからの事である。
「会わなくちゃ駄目なのかしら……」
もう一度、憂鬱に溜め息を吐きながら、リシャレウスは側近を呼ぶのだった。
◇◇◇
「難しい問題じゃな」
「だろうな」
宮殿に戻った悠介は早速その日に得た情報を自身の上司、フォンクランク国の王女ヴォレットに報告した。シンハの事を話した時、ヴォレットのお付きである炎神隊隊長クレイヴォルが顔色を変えて席を立とうとしたが、ヴォレットはそれを引き止めると一切の口外を禁じた。
そして悠介にもシンハの事はしばらく誰にも話すなと釘を刺す。彼についての詳しい話は、また後日にでもと言うヴォレットに、悠介は何か複雑な事情でもありそうだと判断して頷いた。
その後、無技人街の事を話題に、無技人と神技人との関係について話したのだが、一般衛士達も含めて意識改革をという悠介の考えは、謂わば信仰にも関わる問題なだけに中々難しいのではないかとヴォレットも腕を組む。
「そもそもじゃ、今の制度を引っくり返すような事をすれば国は混乱するじゃろうからしてな」
「まあなぁ」
「もしそうなった時、頼れるのは己が力だけじゃろ?」
「絶対数からして我々神技の民の方が多い。結局今以上に無技の民は厳しい生活を強いられる事になるだろう」
等民制の中で無技の民の地位や扱いを向上させようと思うなら、徹底的に無技の民に対する既成概念を変える必要がある。刷り込みのような教育を子供の内から行い、数十年以上続けてようやく実現できるかもしれないとクレイヴォルは言う。
しかしそれは限りなく不可能に近いと補足を付けた。必ず反対する者が出る。
「だが、治安に関する不正や差別については何とか出来るな」
「何か良い案ある?」
「簡単なことだ、『衛士としての誇り』を理由に任務遂行の意識を引き締めればいい」
「あ~……誇りかぁ……うーん」
どこか困ったような愛想笑いで頭を掻く悠介に、自分は今なにかおかしな事でも言ってしまったのだろうかと不安になったクレイヴォルが戸惑った表情を浮かべる。
そんな彼の内心を察した悠介は、『一般衛士』にとっての『誇り』がどの程度の価値なのか説明した。衛士になれば給金で食べていける。誇りは食べられない。それだけだ。
「名誉とか誇りってのは、ソレを追い求めてやっていける人達には価値があるんだろうけどね」
大事な家族と誇りのどちらを選ぶか。一般民は家族を選ぶ。誇りや名誉がくだらないとは言わないが、現実問題として、一般民は誇りと名誉だけでは暮らせないのだ。
「ま、異論はあるだろうし必ずしもそうとは言い切れないけど」
「うーむ……確かに……我が王も名誉より実を選ぶ方であるし……」
眉間の皺を増やしてぶつぶつと考え込んでしまったクレイヴォルをよそに、ヴォレットは官僚達の間で当たり前のように横行する汚職、賄賂の類が、一般衛士や一般民の間にもあるのだなと、ふむふむ頷いていた。
「意識改革は簡単にはいかないだろうけど、国のトップが協力してくれるなら手っ取り早い方法はあるんだよな」
「ほう? それはどんな方法じゃ?」
「保護条例の公布」
悠介の端的な答えに、ヴォレットが小首を傾げながら問う。
「保護? 無技の民を保護する条例を作るのか? どんな理由でじゃ?」
「弱者救済とか、ブルガーデンへの当て付けとか、表向きの理由は何でもいいんだよ」
何かそれらしい理由をでっち上げて無技人達を保護する決まり事を作りあげる。ブルガーデンのように無技人を所有している者の少ないフォンクランクでは、別段『無技の民を保護する条例』を出したところで困る人間も殆ど居ない。
フォンクランクにも奴隷は存在し、その中に無技の民も居るが、元々待遇は大して変わらないので保護条例による影響は少ないと考えられる。
ちなみに、フォンクランクに限らず奴隷は神技人の方が数が多い。所有する奴隷の質がそのまま所有者のステータスに繋がるので、無技人の奴隷よりも神技人の奴隷を連れている方がより格調高く見られるのだ。
「ふーむ。条件はそう悪くないか」
「姫様、まさか本気で王にそのような進言をなさるおつもりではないでしょうね?」
クレイヴォルが呆れ半分、心配半分でヴォレットに問い掛け、悠介にも「貴殿も姫様に適当な事を吹き込まないように」と注意を促す。が、悠介は至って真面目に考えての提案である。
「ではクレイヴォルよ、無技の民達が不当に扱われないようにする為の良い対案はあるか?」
「いえ、それは……」
咄嗟には思いつかないし、そもそもそんな事をする必要性はあるのかと疑問に思いつつも、衛士達の不正を無くそうとする活動を一概に無駄な事だとは斬り捨てられないクレイヴォルは悩んだ。
「決まりじゃな。なーに、そう難しく考える事は無いのじゃ」
それを行う事でどんな益を得て、どんな不利益を被るか。大局的な視点で判断すれば良いのだと、ヴォレットは指を振り振りそれっぽく語って見せる。
「なんかヴォレットが頭良さそうに見える――雨降るかもな」
「わらわはアホではないぞっ!」
悠介の茶々に、以前にも聞いたような台詞で応えるヴォレットなのであった。
「ちちさまぁ……わらわのお願い、聞いてほしいのじゃ」
「うーむ、また突拍子も無い事を……」
父王の膝に乗って甘えるヴォレットが猫なで声で懇願する。目尻と鼻の下を伸ばしながらも威厳だけは保ちつつ検討している素振りを見せるエスヴォブス王は、内心でゼシャールドの事を考えていた。
かの親友が『憩いの場』だと言って暮らしていた無技の村には、悠介の仕官による特典で警備の衛士を駐在させ、輸送支援などの優遇処置が取られている。その事で何か問題が起きた例は無い。
街の住人達の暮らしにも貢献している外周の無技の民を、少しばかり大事にしたところで特に問題はないだろう。エスヴォブス王はそう判断した。
「ヴォレット様はまた妙な事を言い出し始めましたな……」
「やはりあの男の影響か」
「無技の民など保護して、どうしようというのだ?」
官僚達がヒソヒソと囁きあう中、父王エスヴォブスの許しを得たヴォレットは早速、悠介と保護条例の中身を考えようと部屋に戻って行くのだった――スキップで。
4
「ユースケはガゼッタという国の事をどこまで知っておる?」
「名前くらいしか知らないな」
「そうか、わらわもよく知らん」
「なんじゃそりゃっ」
エスヴォブス王から無技の民を対象にした保護条例を定める約束を取り付け、中身をどうしようかと考えていたヴォレットはふと、悠介の話にあったシンハのことを思い出し、何かの参考になるかもしれないと話題を振った。
「詳しくは知らんが、ゼシャールドから聞いた事があるのじゃ。あの国の王は無技の民じゃ、と」
「それって、無技の民の国があるってことか?」
よく分からんのじゃと答えたヴォレットはクレイヴォルに視線を向ける。『何か知っていよう?』という目配せを受けたクレイヴォルは、渋々といった様子で自分の知るガゼッタ国について語った。
国境の大部分をノスセンテス国と隣接するガゼッタは、国土の殆どが険しい山岳地帯となっている。ブルガーデンとの国境に近い場所に首都らしき街があり、特にこれといって特筆するようなモノも無い、表向きは到って普通の等民制国家という印象を受ける。
が、実際に国を動かしているのは広大な山脈のどこかに存在する王都と、そこに君臨する無技の王なのだという。ガゼッタ領の山岳地帯には戦士の訓練施設が点在しており、そこでは大勢の『無技の戦士』が育てられているのだそうだ。
「ノスセンテスもブルガーデンも、無技の戦士の存在を知っていながら目を逸らしている」
あまり大きな声で口にする事は憚られるが、実は無技の民は神技の民よりも、生命力や基礎身体能力が優れているらしい事が学者達の研究で分かっているのだと、クレイヴォルは若干声を潜めながら語った。
これらの研究結果や内容は一般には公にされていない。一部の国防に携る高官や学者達しか知らない事である。悠介は今の話に思い当たる節があった。スンやバハナおばさん達に『見た目細いのに力あるなぁ』という印象を持った事は、一度や二度ではない。
「実際、無技の民からは神技の波動を感じ取れないからな、気配を消して接近されると風技の索敵でなければ見つけるのは難しい」
正面から戦えば攻撃系神技を持つ者が有利かと思われるが、接近されたり弓を使われればその限りではない。
『無技の戦士』の存在については、衛士達の間でも時折噂になる。神技を宿さない無力な民であるはずの無技人に衛士が倒されたなどという話は、確かにあまり大きな声では言えないことだった。無論『一般人同士』レベルであれば絶対的に神技の民が有利だが。
「うーん、無技の民って実はファイター系のキャラなのか……? だとすると――」
「なんじゃ? それは」
はてなマークを浮かべたような顔で首を傾げているヴォレットに笑みを返しつつ、悠介は思い付いたアイデアを話した。
・フォンクランク領内に住む全ての無技の民をサンクアディエットの清掃人に任命する。
・街の各区画清掃は無技の民の義務とする。
・無技の民は清掃を他人から強制されないものとする。
・清掃報酬は宮殿より支払われるものとする。
「清掃人……無技の民を街に入れるのか?」
「ふむ、宮殿が雇いこむ形にする事で、不逞の輩を牽制するわけじゃな」
街の清掃は月に何度か日雇いの者が当たっており、ゴミなどを風技で簡単に吹き飛ばしたり、石畳を水技で洗い流したりしている。しかし、吹き飛ばされたゴミは路地裏にたまり、石畳の水洗いも適当で疎ら、ぶっちゃけあまり清潔とはいえない。
高民区や中民区も通りは綺麗に見えるが、裏に回れば――である。悠介がここ数日、街を走り回って気付いた事だった。
「まあ、いきなり上の区画を任せようと思ってもどうせ反対する奴が出るだろうから、最初は低民区からな」
区画ごとに担当衛士を決めて彼等の監督の元に清掃を行うという形式を取る。掃除用具は悠介が作るつもりでいた。報酬の支払い方や、その為の予算枠も決めなくてはならないので、この辺りは経理の者と相談して決める。
「……狙いは分かるが、果たしてそう上手くゆくのか?」
無技の民が街中を歩くことに住民から不満の声が上がらないか、そもそも強制しない義務という時点で無技人達にどの程度の参加が見込めるのか、というクレイヴォルの懸念に対して悠介は「まずは触れ合える環境から作るんだ」と説明した。
「炎神隊長殿はあんま下街とか歩かないだろうから知らないのかもしれないけど、表通りでも無技人の姿は結構見かけるぞ?」
外周で屯する無技人を即席使用人として荷物運びなどに雇っている者はよく見かける。荷馬車の番にも雇われるように、彼等の仕事ぶりが誠実であるという認識は、殆ど意識しないレベルで街の住民や商人達の間に定着しているのだ。
イフョカの例から見ても、外周の無技人街は長い年月サンクアディエットの発展と共にあり続けているので、低民区の住民には子供の頃に無技の子達と遊んだ経験がある者も多い。親が禁止する家も当然あったであろうが、子供達はその辺り無垢である。
成長するに従い、無技の民に差別感情を持つ人々がいる一方で、成人した後も友人として付き合い続ける人々もいるのだ。
「中民区とか高民区の下街におりて来ないような環境で育った人らも、よく分かってないと思うしな」
四大神信仰と子供の頃からの刷り込みで『下賎なるモノ』と思い込んでいるだけなので、何故そうなのかと深く理由を考えた事も無いだろうと悠介は指摘する。
「俺はあんまり詳しくないんだけど、四大神信仰の教義って無技の民と交流する事に何か触れる部分とかってあるのか?」
「ん? そういえば、特に思い当たらぬな……クレイヴォルは何か知っておるか?」
「一応『神の祝福を受けぬ者は彼の地へと追放されん』という一節がありますが……」
『彼の地』ってどこよ? というツッコミに答えてくれる記述はないそうだ。また、そういった教義の一節を理由に無技の民を国内から追放しようという声も無く、極端な人種差別主義者のような存在も見受けられない。
「それなら大丈夫だろ、教義で人を殺したりするような事があるなら、ちょっと話も変わってくるけど」
信仰の教義に反するからなどという理由で反対する者が出た場合はかなり難しい問題となるが、それが無いのなら大丈夫だろう、と悠介は割と楽観的に考えていた。普段の生活の中で無技人の存在が当たり前になる事、『慣れる生き物』である人の性質に期待する。
無技の民を街の清掃人に就かせる保護条例が公布されたのは、それから数日後のことだった。
◇◇◇
サンクアディエットで保護条例が公布される少し前――
ブルガーデン第一首都、山頂の街コフタ。この街からもう少し山を登った先にシャルナー神殿がある。水巫女の女王リシャレウスへの謁見を明日に控えたゼシャールドは、コフタの街が昔の旅で訪れた時と殆ど変わりなくある事に感慨を覚えていた。
同時に、女王と良好な関係を築くことが出来れば、ブルガーデンとの関係も大きく違ったモノに出来ると確信した。
コフタの街で見かける無技人たちはパウラと違ってきちんと服も着ており、靴も履いている。皆例外なく所有者の存在を示す腕輪、奴隷の腕輪をつけてはいるが、表情は明るく健康的である。
彼等は神殿が所有する奴隷であり、神殿の所有は女王の所有、彼等は女王の奴隷という庇護の下、街で平穏に暮らしている。本来その身の束縛を意味する奴隷の腕輪は、彼等の身を守る盾となっているのだ。
(同じ国内でも女王と最高指導官の統治にここまで違いがあるとはな……)
長年パウラで暮らしていた者が両親に連れられて里帰りなどでコフタを訪れると、大抵面食らうらしい。神技指導を担当している生徒達から聞いた話に、ゼシャールドは納得していた。
街の様子を見て歩くゼシャールドに向けられる住民達の視線には、パウラの神技指導官という事であまり良くない印象を持っている雰囲気が感じ取れた。その事からも、パウラとコフタの関係が窺い知れる。
(ふむ……明日の謁見、成功させねばならんのぅ)
応援ありがとうございます!
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