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4巻
4-2
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「――ってーなミア! なにしやがるっ」
「なにしやがるじゃないでしょっ、来たばっかりの子にウソ吹き込むんじゃないわよ!」
「ねーねー、〝あまね〟たべるー?」
ミアと呼ばれた女の子とバゼルが言い合いを始める中、子供達の中では一番幼い印象の女の子が、食べられる木の根で作られる白っぽいお菓子を手に、マイペースでコウに話し掛ける。とりあえず、コウはこの一番小さな子の相手から始める事にした。
「今はいいよ、ありがとう」
「んー」
甘根をもぐもぐと噛みながらニコーと笑う女の子。名は〝ラッカ〟というらしい。
その後、なんだか地味で目立たないトウロという男の子と挨拶を交わし、黒髪が本物である事などを話す。そうしていると、自分達を差し置いて自己紹介が進んでいるのに気付いたミアとバゼムが、慌てて話に参加した。
「あたしミア、よろしくね!」
「オレはバゼムだっ、少年部でボスを――」
再び、スパーンと小気味良い音が響いた。
ひと通り顔合わせが終わると、コウに最初に任された仕事は武具磨きだった。
武具磨き、衣類の修繕といった内職的な仕事で解放軍の生活環境に慣れ、清掃業務や配膳係に就く期間で各部隊の関係者や部署を覚える。そうして組織内で同志の皆と顔馴染みになる頃には、支給品の配達なども任せられるようになる。
主力攻撃隊や一般兵士の使う支給品である武具は、金属を使った装甲部分が少なく、革鎧を少し補強した程度の軽装備になっている。これは別に、身軽さを強調する為ではない。解放軍の正式装備として武具の仕様を統一するにあたり、生産力の問題で殆どが戦利品など、手に入れた既存の武具を弄って外観を合わせるという方法で対処しているからだ。
ぶっちゃけ、ガワだけ似せて中身はバラバラなので、当たり外れが激しいのであった。
十歳前後の子供達に交じって、作業場に積み上げられた武具をキュッキュッと磨きながら、コウは解放軍内のシステムやら懐事情など確認出来る範囲で情報を集めて記憶していた。そこでふと、作業場の奥から自分の方を窺う小さな影に気付いた。
武具の山から顔を覗かせてじぃ~っとコウを観察している女の子。顔合わせの時は見なかった子だ。
コウが視線を向けると、ビクッと肩を震わせて武具の山に隠れてしまった。しかし、女の子から向けられる気配は、まだハッキリと感じられる。その『視線』というよりも『思念』といった方がしっくり来る感覚は、祈祷士リンドーラを思い起こさせた。
試しにコウは、女の子の気配に向かって話し掛ける。
『……君、ボクのことが分かるの?』
――っ! ……あなた、にんげんじゃない……――
なんと思念による答えが返って来た。この子には祈祷士系の才能があるらしい。
『うん、この身体は召喚獣だけど、ボクはちゃんと人間だよ』
――……ウルハには、こわい影がいっぱいみえる……――
〝ウルハ〟と名乗った少女は、コウの周囲に沢山のモンスターの影が見えて怖いと怯える。心の中に直接話し掛けられたのも初めてだったので、その事にも恐怖しているようだ。
このウルハという少女、まだ能力が形をなしていないようだが、人の心をある程度見通す才があり、その人に関連する〝命の残り香〟を視覚的に感じ取れるらしい。
そしてこの能力故に人を怖がり、いつもどこかに隠れてはこっそり観察するという、引っ込み思案な子になってしまった。
――ネズミとかコウモリとか、おっきいトカゲとか、こわい顔の黒い犬とか――
他にも巨大な蛇や、犬の頭に捩れた角を持つ白いモサモサの巨大な魔物といったモンスターが視えるらしい。それらは皆、今までコウが憑依した動物やモンスター達であった。
――……マモノ達、呼び寄せられて……いっぱい来る――
『それはみんな身体を借りたり、一緒に旅したりした動物やモンスター達だね。凶暴なのもいるけど、ここには来ないから怖くないよ』
ウルハはふるふると首を振る。そしてハッと顔を上げると、いつの間にか目の前まで迫っていたコウに驚いて逃げようとした。が、武具の山からはみ出していた篭手を踏んづけてしまい、足を滑らせてペタリと尻餅をつく。
「は、はわわわう」
「こわくない、こわくない」
なでなでなで――首を竦めてはわはわ言っているウルハの頭を優しく撫でつけ、少し癖っ毛の髪を軽く梳く。暫くすると、ウルハの表情が恍惚でポヤーとし始めた。
ちなみに、頭を撫でつける絶妙な手つきや、髪を梳く繊細な指使いなどはコウの意志によるモノではなく、例によって『身体の性能』が発揮された結果である。
警戒心を蕩けさせられてポーっと見上げるウルハに、コウは自分の正体を『内緒にしておいてね』とお願いする。
こくりと小さく頷くウルハ。『コウは怖くない』と知って落ち着きを取り戻した彼女は、以後、解放軍の中でも自分の能力で話が出来る唯一の相手として、コウに懐いていくのだった。
夕刻を過ぎる頃、仕事を終えた者は食堂テントに向かったり、身体の汚れを取る為に洗い場へ赴いたりと、思い思いの行動で一日の終わりを過ごす。
少年部も支給品配達や清掃業務、配膳係などの仕事以外は早めに切り上げるので、コウの所属する武具磨き組の子供達はこれから自由時間に入る。
「今日は湯浴みの日だから、男の子達は水汲みに行ってあげてねー」
青年部から纏め役として来ているお姉さんの呼び掛けに、『はーい』という複数の返事が上がる。この辺りで湯浴みと言えば、ほぼ密閉状態の室内で焼けた石に水を掛けて水蒸気を発生させるサウナが一般的であった。
解放軍キャンプでは何重にも布を重ねたテントが、サウナ小屋として使われる。基本的に子供から大人まで男女の区別は無く、一つのテントに大人なら四人、子供なら六人程が入って皆で汗を流す。
ミアがバゼムをしばくのに使っている平板の棒は、実はこのサウナで温まった身体を叩いて血行を良くする為の道具だ。
「わあー、コウくんって肌がきれーい」
同じテントで汗を流しているミアが、感心したようにコウの腕や背中を眺めている。
この年代の子供達ならば、健康である限り誰もがすべすべとした瑞々しい肌を持っているが、コウの身体は奉仕用に作られた召喚獣の中でも最高級のモノだけに、美しさも群を抜いていた。
「女みてぇだな、ぜんぜん肉ついてねぇ」
「あんただって貧相でしょうが」
「なにぃ、オレはちゃんと筋肉ついてるぞ!」
『見ろっ』と力コブを作るバゼムの少し日焼けした身体には、無数の小さな傷跡がある。少年部の仕事や遊びでできた、いずれも成長の途中で消えてしまうであろう傷跡だが、彼がいかに活発な少年であるかを表していた。
「あ、ウルハ? のぼせそうならいったん出なきゃだめよ?」
「ん……」
ぽけーっとして見えるウルハにミアが声を掛けると、ウルハは大丈夫と小さく答える。子供ながら姉さん女房的な貫禄を持ちつつあるミアは、小さい子供達の面倒をよく見ていた。巻いて捻った布で垢すりもして身体を洗った子供達は、スッキリしてサウナを後にする。
心地よい夜風を浴びながら並んで歩く少年部の子供達は、皆まだ幼く、組織と共に行動し、組織の為に働いてはいるが、解放軍の事を正しく理解していない者も多い。
「バゼムやミアは青年部にあがったらどうするの?」
「あたし? あたしは一般の訓練生に入るかなー。衛生の仕事につきたいの」
「オレは攻撃隊候補生狙いだぜ! 〝炎と剣〟のマークを付けて活躍するのさっ」
解放軍の構成員としてスローガンを刷り込む本格的な教育が始まるのは青年部からで、少年部の彼等は普通の村や街にいる子供達と思想も大差ない。ただ組織の指導者を敬い、組織を支える為に働く事を良い事だと教えられている程度であった。
「コウくんはどうするの?」
「ボクは決めてない」
「即答かよ」
「あははっ、まだ来たばっかりだもんね」
コウの答えにバゼムが突っ込み、ミアがフォローを入れる。三人のすぐ後ろをウルハがちょこちょこと付いて歩く。就寝の刻までを過ごす中央広場の焚き火の前にて、和やかに語らっている青年部の若者達を横目に、コウ達が少年部のテントへ戻ろうとしたその時――
「調達部隊が帰還したぞーっ、皆を集めてくれー!」
洞窟前の見張り役より、バッフェムト独立解放軍の生命線でもある第四軍、〝水と船〟のマークを付けた『調達部隊』の帰還を知らせる声が、夜の帳に包まれた解放軍キャンプに響き渡った。
3
食料や日用品を仕入れてくる調達部隊の帰還によって、俄かに騒がしくなる中央広場。ある意味、祖国の地を離れて流浪する集団であるバッフェムト独立解放軍にとって、なくてはならない存在、それが調達部隊だ。
だが彼等の存在こそが、近隣国から『解放軍は訓練されたごろつきの集団』と揶揄される原因でもあった。
広場には部隊が調達してきた軍資金と、換金せずそのまま使う日用品が並べられている。衣類や少々使い込まれた食器類の他、嗜好品も幾つかあり、これらはいわゆる『戦利品』であった。品物の中には、僅かに血痕の付着している物も見受けられる。
暫くすると人垣が割れ、解放軍指導者フロウと彼女に付き従う参謀総長マズロッドが、調達部隊の帰還を出迎えに現れた。
「おお、これはフロウ様、マズロ殿」
「我ら第六調達部隊、ただいま帰還いたしましたっ」
「みなさん、いつもご苦労様です。ところで、今回は随分と品物が多いですね?」
やけに生活用品が目立つ、と入手経路を尋ねるフロウ。第六調達部隊の部隊長は、マーハティーニ軍の輸送部隊を発見したので襲撃してこれを撃破、後は帰還途中に遭遇した盗賊団を征伐してその馬車と積荷を手に入れたのだと答えた。
凄い功績じゃないかと、広場に集まっている同志達が武勇伝に沸く。調達部隊の帰還に居合わせ、出迎えに参加していた少年部の子供達も同様で、バゼムが『水と船のマークでもいいかな……』などと呟いている。
そんな中、ここに集まっている人々の思考を読んでいたコウは、この調達部隊が実は一般の商隊を襲って荷物を奪っていた事を見抜いた。
隣村までの引越しで商隊に同行していた一家が、略奪行為の隠蔽目的で皆殺しにされていた。日用品が多いのは、彼等の家財道具を戦利品として取得したからだ。
足の付きそうな物は破棄し、組織内で再利用出来そうな物を戦利品に加えたらしい。
ちらりとフロウの思考を読んでみると、調達部隊の一部が略奪行為を働いている事に関して、彼女も薄々感づいてはいるようだ。が、何も知らない振りをしている。
自身はただ、組織を象徴する指導者たらんとし、部下達の行動は組織の為と目を瞑り、その働きを労う。良心の呵責と不安に押しつぶされそうな心を封印して指導者を演じている――コウはフロウの在り方をそんな風に感じた。
「ん? こんなものまであるぞ」
「あ……ああ、そいつは盗賊団の積荷にあったものだな。多分、どこかの集落を襲撃した帰りだったんだろう」
戦利品の中には、手作りらしい布製のお人形が混じっていた。どうやら処分しそびれた物らしい。持ち主への所業を思い出した部隊長が若干の動揺を浮かべるが、それに気付く者はいない。その内心を見通しているコウ以外は。
少年部の小さな女の子にでもあげようかと人形を手に取った同志の一人が、誰か欲しい子は居るか? と集まっている子供達を呼ぶ。いかにもお人形を抱いた姿が似合いそうなウルハは、人形の正面に立つ事を嫌がってコウの背中に隠れた。
〝命の残り香〟を知覚する彼女には、人形の持ち主であった女の子の姿が視えているのだ。
〝命の残り香〟はそれ自体が現象界に何らかの干渉を及ぼす事はないので、基本的に無害な幻影と同じである。視えていても気にしなければ問題なく、視えていなければ尚更問題ない。
「あっちっ、あっちがほしぃー!」
「お、欲しいのか? ならチビちゃんにやろう」
「わーい」
その人形は、ラッカに与えられる事になった。
夜も更けてきたという事で、少年部の子供は休むよう言い渡され、テントに帰って来たコウ達はベッドに入った。
ベッドといってもマットレスが敷かれた上等なモノではない。干草を包んだシーツを置いて横になり、その上から毛布を被るといった簡単な作りで、皆が一箇所に寄り添って眠るのだ。干草が無い場合は大量のボロ布などで代用している。
「あれ? ウルハ、今日はコウくんと寝るの?」
「うん……」
コウの隣に自分の干草ベッドを置いて、もぞもぞと毛布に包まるウルハ。いつものようにベッド群の真ん中に転がるラッカは、貰ったお人形をしっかと握って既に寝息を立てている。
普段なら就寝前のひと暴れでバゼムチームとミアチームによる毛布を丸めての叩き合いなど始まるところだが、今日は調達部隊の帰還で遅くなっていた為、皆すぐ横になった。
寝静まった少年部の共同生活テント。広場の方からは時折、大人達の笑い声が響いてくる。酒盛りでもしているようだ。
睡眠をとる必要が無いコウは、夜から明け方にかけて寝床で諜報活動を続ける。今日の出来事を纏めて、エッリアの離宮にいる京矢と意識の奥で話し合う。元々日本でも夜型の生活をしていた京矢は、この世界でもほぼ夜型生活に入っているので、静かな夜間は交信をして過ごすのに最適だ。
京矢はコウから受けた情報をスィルアッカへ、スィルアッカからの指示をコウへと、実にスムーズに情報の橋渡しをおこなっていく。
――調達部隊なぁ……実質『略奪部隊』なわけか――
『うん、フロウはそういう事させたくないみたい。諜報部隊が略奪してる事をしらない構成員も多いみたいだね』
――で、例のぺド参謀はその辺り全部知ってるのな――
『まだ本格的に探ってないからはっきりとは分からないけど、あの人を調べたら色々分かるかも』
マズロッドを本格的に調べるのなら、少し接触の機会を増やすだけで自然に接近出来るだろう。なにしろコウは彼が目をつけているお気に入り少年リストの中でも、一番の注目株なのだ。
――それはちょっとな……絶対お前の身体求めてくるぞ、アレは――
『ボクは平気だよ?』
――俺 が い や だ――
『あはは』
そんなやり取りをしていると、公務を終えたスィルアッカが離宮に顔を出した。京矢から相談を持ち掛けてみると、暫くは現状を維持しながら反乱軍指導者の支えになってやれというアドバイスが返ってきた。
「実権は参謀総長が握っているとして、反乱軍構成員の支持を一身に受けているのがその指導者なら、権威は指導者にある」
もし指導者が自身の意見を強く主張出来るようになれば、組織の在り方にも反映される筈だ。ただし、実権を握っている参謀総長次第で、思い通りにならない傀儡には謀殺を計る危険性もある。
「マーハティーニと通じてるんだったな、そういえば」
「まだ策略家の狸親父と直接関係しているのかまでは分からないがな、コウにはその辺りも調べて貰いたい」
参謀総長とマーハティーニの繋がりがどういう性質のモノなのか、フロウが目指す組織の最終目的や理念はどこにあるのか。まずは敵の事情をよく知る事だ。
「『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』ってとこか……」
「ほう? 良い言葉だな。キョウヤの国の軍訓か?」
「んにゃ、ずーっと昔にお隣の国で兵法書とか作った偉い人の名言、かな?」
スィルアッカの『反乱軍の手助けはほどほどにな』という忠告に、京矢は『略奪とかする必要が減るような助け方ならいいかもな』と意見を付け加えてコウに伝えた。
『分かった。何か考えてみるよ』
――おー無理せず頑張れー。あと、くれぐれも簡単に身体許すなよー―
リアルタイムで擬似体験とかイヤ過ぎるぞ、と釘を刺す京矢なのであった。
翌日。まだ少年部の皆が寝静まっている内から起き出したコウは、水汲み用の桶を持って廃鉱と繋がる洞窟に向かった。
隠れ家の一つであるこの平地では、洞窟の中に湧き出している地下水を生活用水として使っている。薄暗い解放軍キャンプの中央広場を通り抜けて洞窟の入り口にやってくると、バリケードの格子を背に居眠りをしている見張り役の姿があった。
「おじさーん」
「んをっ! なんだなんだっ」
「おはよー、水汲みにいくからあけてー」
「なんだ坊主、随分と早起きだな」
あくび交じりに首と肩をコキコキ鳴らし、見張り役のおじさん同志は格子状のバリケードを開く。明かりのランプを受け取ると、コウは洞窟の中へと入っていった。湧き水の場所まで入り組んだ洞窟内で迷わないよう、壁に目印が付けられている。
目印に沿って進んでいたコウは、入り口が見えない位置まで来たところで適当な横道に入って明かりを消すと、憑依出来そうな虫が居ないか探索する。地元の虫ならこの辺りの事に詳しいかもしれない。どこに餌場があるとか、どこに近付いてはいけないといった本能的な意識を感じ取るだけでも、付近の様子を把握する事が出来る。
解放軍構成員達の思考を読んだ限り、普段は緊急時に使われる隠れ家の一つでしかないこの平地周辺は、通り道となる廃鉱と洞窟も浅い所までしか探索が行われていないようだ。
奥まで探索すれば何か見つかるかもしれないし、何も見つからなくとも異次元倉庫から適当なお宝を見繕い、『迷子になってたら見つけた』と差し出せば、軍資金を少しばかり増やしてあげられる――というのがコウのアイデアだった。
魔力の篭もった石の欠片を目印代わりに置きながら、洞窟の奥へと進んで行く。目印の石は普通の人の目にはただの石ころにしか見えないが、魔力を視認出来るコウにはぼんやりと発光しているように見えるので、見失う事も無い。
しばらく探索していると、洞穴生物らしき小さな虫を見つけたので憑依。人や動物では通れない岩の隙間情報など拾いつつ、近くに餌場がある事を感じ取る。かなり大規模な餌場らしい。
『あっちの方向か……この虫君なら岩の隙間を這って行けるけど、人が通れなきゃ何か見つけても意味ないからなぁ』
場合によっては複合体で壁に穴を開けて道を作るという手もあるが、あまり派手な事をして崩落でも起こしては大変だ。大まかな方向を覚えて少年型に戻ったコウは、再び洞窟の探索を始めた。
少し高めの段差を降り、大きな水溜まりができている開けた空間に出ると、微かに空気の流れが感じられた。その風に乗って漂う悪臭。これは近くにコウモリのような生物が居る事を示している。
風と悪臭を追って右側に見える穴へと足を進める。相当に曲がりくねった通路を進むにつれて徐々に湿気が増していき、周囲の温度も上がり始めた。そして反響するキィキィという特徴的な鳴き声。壁や床で蠢く虫の数も急激に増えていく。
『虫君の餌場はここかぁ』
床一面を埋め尽くすコウモリの糞と、それを覆って蠢く虫の大群。天井には、黒い小柄な体躯のコウモリが群れをなしてぶら下がっていた。足元の虫達がワーッと放射状に逃げ出して行く中、コウは緩やかなカーブの続く通路の先へと歩を進める。
やがてコウモリの糞地帯を抜けると、岩壁の先に青い水面と光の柱が現れる。
「あ、外だ」
ぐるりと弧を描いた通路の先には広々とした地底湖が広がり、ぽっかりと開いた天井から外の光が射し込んでいた。そこから大きな蔦のような植物らしきモノが大木の如く連なり、地底湖まで垂れ下がっている。よく見ると表面が白っぽいそれは、木の根っこのようだ。
中々に美しい幻想的な光景。青く澄んだ地底湖の水はやけにしょっぱく、塩分が高いように思われる。
「そろそろ戻ろうかな」
少年部の子供達も目を覚ましている頃だろう。あまり収穫は無かったが、昨日の今日で居なくなってしまっては皆に心配を掛けてしまう。コウは今日の探索を切り上げて、解放軍キャンプまで戻る事にした。
とりあえず、天井から降ってくる虫やら糞やらで汚れてしまった服を洗い、素っ裸で糞地帯を抜けると、少年型の召喚を解除。もう一度召喚し直して綺麗な身体に戻り、異次元倉庫から少年部の制服を取り出して着替える。服の乾燥には付与系の魔術を使って、水分を弾き飛ばした。
水汲み場までの順路を外れた辺りまで戻ると、コウの名を呼ぶ複数の声が聞こえた。ミアやバゼムの声も混じっている。どうやら手の空いている者で捜索隊が組織されたらしい。水汲み用の桶とランプを取り出したコウは、『ここだよー』と声を上げてみた。
「コウ君!」
「やっと戻ってこられたよー」
『虫を追いかけてたら迷子になった』というコウの答えに、脱力半分呆れ半分の反応を見せる捜索隊の面々。脱走ではなかったと分かって一同ホッとしている。
洞窟のずっと奥にコウモリが居た事を話すと、捜索隊に加わっていた大人組の一人が興味を示した。部隊の出撃や帰還ルートの幅が増え、本隊を安全に移動させる際にも利用出来るので、新しい出入り口が見つかったのならば調べておきたいのだ。
「それに、コウモリの糞が石になったやつは農作物の肥料として高く売れるからな」
「へー、そうなんだー?」
今日の探索の収穫はイマイチかとコウは思っていたが、意外と有意義だったのかもしれない。大体の方向や途中の段差など道の特徴を伝えると、急遽組まれた探索隊が奥へと赴く。
コウは自分の仕事である武具磨きをしに、少年部の作業場へと向かった。
「なあなあ、洞窟の奥って魔物とか出なかったのか?」
「魔物はいなかったなぁ」
清掃の仕事をサボって武具磨きの作業場に顔を出したバゼムが、興味津々に訊ねてくる。
冒険者に憧れているような雰囲気が感じられるバゼムだが、彼自身は冒険者という存在について詳しい知識を持っていない。物心付く頃から組織と共に行動し、組織の中で育って来たバゼムは、外の世界の事を殆ど知らないのだ。
「こーらっ、なにサボってるのよ!」
「げっ、うるさいのが来た」
平棒を振りかざすミアを捕捉したバゼムは、そそくさと作業場を後にした。騒がしく走り去る二人を見送ったコウの傍にウルハがやって来て、隣で武具磨きを始める。そうしてやおら念話を使って話し掛けて来た。
――……お仕事、してたの……?――
『うーん、半分はそうかな』
コウがエッリアから来た諜報員であると認識しているウルハは、朝方コウが姿を消したのはそちらの仕事関係だと思ったようだ。
――もし……脱走するなら、一緒につれていってほしい――
『ウルハは、ここに居たくないの?』
ふるふると首を振るウルハ。ここの皆の事は嫌いではないのだが、コウと居る時の方が安心出来るという。それは取り繕いや見得といった虚勢で心を誤魔化さないコウならではの安定感と信頼感である。他者の心に触れられる祈祷士の才を持つウルハにとって、表と裏の温度差が少ないコウは、一緒にいてとても安らぐのだ。
『そっかー。ボクもずっとここに居られる訳じゃないから、エッリアに帰るときはキョウヤにも相談してみるよ』
――エッリア……キョウヤという人……兄弟……? お兄さん?――
『キョウヤはもう一人のボクだよ』
――? ? ?――
一応は同一の存在でもあるコウと京矢の関係について、コウの心に触れられるウルハにもよく理解出来なかったらしい。コウと並んで篭手を磨きながら、小首を傾げるウルハなのであった。
昼前頃には探索隊が戻り、採取して来たコウモリの糞石や、地底湖に垂れ下がっていた巨大根の表面から取れた塩の結晶などが広場に並べられた。
組織の活動資金として大いに使えると、解放軍指導者のフロウや参謀総長マズロッドも交えて話し合っている。
「やあ、コウ君。お手柄だったね、君のおかげで素晴らしい資源が見つかったよ」
ウルハと食堂テントまで移動中だったコウは、広場を通り掛かったところでマズロッドに声を掛けられた。ウルハはマズロッドに『捕食者』の気配を感じるらしく、苦手としていた。コウの服の裾を掴んで、その背中に隠れてしまう。
「なにしやがるじゃないでしょっ、来たばっかりの子にウソ吹き込むんじゃないわよ!」
「ねーねー、〝あまね〟たべるー?」
ミアと呼ばれた女の子とバゼルが言い合いを始める中、子供達の中では一番幼い印象の女の子が、食べられる木の根で作られる白っぽいお菓子を手に、マイペースでコウに話し掛ける。とりあえず、コウはこの一番小さな子の相手から始める事にした。
「今はいいよ、ありがとう」
「んー」
甘根をもぐもぐと噛みながらニコーと笑う女の子。名は〝ラッカ〟というらしい。
その後、なんだか地味で目立たないトウロという男の子と挨拶を交わし、黒髪が本物である事などを話す。そうしていると、自分達を差し置いて自己紹介が進んでいるのに気付いたミアとバゼムが、慌てて話に参加した。
「あたしミア、よろしくね!」
「オレはバゼムだっ、少年部でボスを――」
再び、スパーンと小気味良い音が響いた。
ひと通り顔合わせが終わると、コウに最初に任された仕事は武具磨きだった。
武具磨き、衣類の修繕といった内職的な仕事で解放軍の生活環境に慣れ、清掃業務や配膳係に就く期間で各部隊の関係者や部署を覚える。そうして組織内で同志の皆と顔馴染みになる頃には、支給品の配達なども任せられるようになる。
主力攻撃隊や一般兵士の使う支給品である武具は、金属を使った装甲部分が少なく、革鎧を少し補強した程度の軽装備になっている。これは別に、身軽さを強調する為ではない。解放軍の正式装備として武具の仕様を統一するにあたり、生産力の問題で殆どが戦利品など、手に入れた既存の武具を弄って外観を合わせるという方法で対処しているからだ。
ぶっちゃけ、ガワだけ似せて中身はバラバラなので、当たり外れが激しいのであった。
十歳前後の子供達に交じって、作業場に積み上げられた武具をキュッキュッと磨きながら、コウは解放軍内のシステムやら懐事情など確認出来る範囲で情報を集めて記憶していた。そこでふと、作業場の奥から自分の方を窺う小さな影に気付いた。
武具の山から顔を覗かせてじぃ~っとコウを観察している女の子。顔合わせの時は見なかった子だ。
コウが視線を向けると、ビクッと肩を震わせて武具の山に隠れてしまった。しかし、女の子から向けられる気配は、まだハッキリと感じられる。その『視線』というよりも『思念』といった方がしっくり来る感覚は、祈祷士リンドーラを思い起こさせた。
試しにコウは、女の子の気配に向かって話し掛ける。
『……君、ボクのことが分かるの?』
――っ! ……あなた、にんげんじゃない……――
なんと思念による答えが返って来た。この子には祈祷士系の才能があるらしい。
『うん、この身体は召喚獣だけど、ボクはちゃんと人間だよ』
――……ウルハには、こわい影がいっぱいみえる……――
〝ウルハ〟と名乗った少女は、コウの周囲に沢山のモンスターの影が見えて怖いと怯える。心の中に直接話し掛けられたのも初めてだったので、その事にも恐怖しているようだ。
このウルハという少女、まだ能力が形をなしていないようだが、人の心をある程度見通す才があり、その人に関連する〝命の残り香〟を視覚的に感じ取れるらしい。
そしてこの能力故に人を怖がり、いつもどこかに隠れてはこっそり観察するという、引っ込み思案な子になってしまった。
――ネズミとかコウモリとか、おっきいトカゲとか、こわい顔の黒い犬とか――
他にも巨大な蛇や、犬の頭に捩れた角を持つ白いモサモサの巨大な魔物といったモンスターが視えるらしい。それらは皆、今までコウが憑依した動物やモンスター達であった。
――……マモノ達、呼び寄せられて……いっぱい来る――
『それはみんな身体を借りたり、一緒に旅したりした動物やモンスター達だね。凶暴なのもいるけど、ここには来ないから怖くないよ』
ウルハはふるふると首を振る。そしてハッと顔を上げると、いつの間にか目の前まで迫っていたコウに驚いて逃げようとした。が、武具の山からはみ出していた篭手を踏んづけてしまい、足を滑らせてペタリと尻餅をつく。
「は、はわわわう」
「こわくない、こわくない」
なでなでなで――首を竦めてはわはわ言っているウルハの頭を優しく撫でつけ、少し癖っ毛の髪を軽く梳く。暫くすると、ウルハの表情が恍惚でポヤーとし始めた。
ちなみに、頭を撫でつける絶妙な手つきや、髪を梳く繊細な指使いなどはコウの意志によるモノではなく、例によって『身体の性能』が発揮された結果である。
警戒心を蕩けさせられてポーっと見上げるウルハに、コウは自分の正体を『内緒にしておいてね』とお願いする。
こくりと小さく頷くウルハ。『コウは怖くない』と知って落ち着きを取り戻した彼女は、以後、解放軍の中でも自分の能力で話が出来る唯一の相手として、コウに懐いていくのだった。
夕刻を過ぎる頃、仕事を終えた者は食堂テントに向かったり、身体の汚れを取る為に洗い場へ赴いたりと、思い思いの行動で一日の終わりを過ごす。
少年部も支給品配達や清掃業務、配膳係などの仕事以外は早めに切り上げるので、コウの所属する武具磨き組の子供達はこれから自由時間に入る。
「今日は湯浴みの日だから、男の子達は水汲みに行ってあげてねー」
青年部から纏め役として来ているお姉さんの呼び掛けに、『はーい』という複数の返事が上がる。この辺りで湯浴みと言えば、ほぼ密閉状態の室内で焼けた石に水を掛けて水蒸気を発生させるサウナが一般的であった。
解放軍キャンプでは何重にも布を重ねたテントが、サウナ小屋として使われる。基本的に子供から大人まで男女の区別は無く、一つのテントに大人なら四人、子供なら六人程が入って皆で汗を流す。
ミアがバゼムをしばくのに使っている平板の棒は、実はこのサウナで温まった身体を叩いて血行を良くする為の道具だ。
「わあー、コウくんって肌がきれーい」
同じテントで汗を流しているミアが、感心したようにコウの腕や背中を眺めている。
この年代の子供達ならば、健康である限り誰もがすべすべとした瑞々しい肌を持っているが、コウの身体は奉仕用に作られた召喚獣の中でも最高級のモノだけに、美しさも群を抜いていた。
「女みてぇだな、ぜんぜん肉ついてねぇ」
「あんただって貧相でしょうが」
「なにぃ、オレはちゃんと筋肉ついてるぞ!」
『見ろっ』と力コブを作るバゼムの少し日焼けした身体には、無数の小さな傷跡がある。少年部の仕事や遊びでできた、いずれも成長の途中で消えてしまうであろう傷跡だが、彼がいかに活発な少年であるかを表していた。
「あ、ウルハ? のぼせそうならいったん出なきゃだめよ?」
「ん……」
ぽけーっとして見えるウルハにミアが声を掛けると、ウルハは大丈夫と小さく答える。子供ながら姉さん女房的な貫禄を持ちつつあるミアは、小さい子供達の面倒をよく見ていた。巻いて捻った布で垢すりもして身体を洗った子供達は、スッキリしてサウナを後にする。
心地よい夜風を浴びながら並んで歩く少年部の子供達は、皆まだ幼く、組織と共に行動し、組織の為に働いてはいるが、解放軍の事を正しく理解していない者も多い。
「バゼムやミアは青年部にあがったらどうするの?」
「あたし? あたしは一般の訓練生に入るかなー。衛生の仕事につきたいの」
「オレは攻撃隊候補生狙いだぜ! 〝炎と剣〟のマークを付けて活躍するのさっ」
解放軍の構成員としてスローガンを刷り込む本格的な教育が始まるのは青年部からで、少年部の彼等は普通の村や街にいる子供達と思想も大差ない。ただ組織の指導者を敬い、組織を支える為に働く事を良い事だと教えられている程度であった。
「コウくんはどうするの?」
「ボクは決めてない」
「即答かよ」
「あははっ、まだ来たばっかりだもんね」
コウの答えにバゼムが突っ込み、ミアがフォローを入れる。三人のすぐ後ろをウルハがちょこちょこと付いて歩く。就寝の刻までを過ごす中央広場の焚き火の前にて、和やかに語らっている青年部の若者達を横目に、コウ達が少年部のテントへ戻ろうとしたその時――
「調達部隊が帰還したぞーっ、皆を集めてくれー!」
洞窟前の見張り役より、バッフェムト独立解放軍の生命線でもある第四軍、〝水と船〟のマークを付けた『調達部隊』の帰還を知らせる声が、夜の帳に包まれた解放軍キャンプに響き渡った。
3
食料や日用品を仕入れてくる調達部隊の帰還によって、俄かに騒がしくなる中央広場。ある意味、祖国の地を離れて流浪する集団であるバッフェムト独立解放軍にとって、なくてはならない存在、それが調達部隊だ。
だが彼等の存在こそが、近隣国から『解放軍は訓練されたごろつきの集団』と揶揄される原因でもあった。
広場には部隊が調達してきた軍資金と、換金せずそのまま使う日用品が並べられている。衣類や少々使い込まれた食器類の他、嗜好品も幾つかあり、これらはいわゆる『戦利品』であった。品物の中には、僅かに血痕の付着している物も見受けられる。
暫くすると人垣が割れ、解放軍指導者フロウと彼女に付き従う参謀総長マズロッドが、調達部隊の帰還を出迎えに現れた。
「おお、これはフロウ様、マズロ殿」
「我ら第六調達部隊、ただいま帰還いたしましたっ」
「みなさん、いつもご苦労様です。ところで、今回は随分と品物が多いですね?」
やけに生活用品が目立つ、と入手経路を尋ねるフロウ。第六調達部隊の部隊長は、マーハティーニ軍の輸送部隊を発見したので襲撃してこれを撃破、後は帰還途中に遭遇した盗賊団を征伐してその馬車と積荷を手に入れたのだと答えた。
凄い功績じゃないかと、広場に集まっている同志達が武勇伝に沸く。調達部隊の帰還に居合わせ、出迎えに参加していた少年部の子供達も同様で、バゼムが『水と船のマークでもいいかな……』などと呟いている。
そんな中、ここに集まっている人々の思考を読んでいたコウは、この調達部隊が実は一般の商隊を襲って荷物を奪っていた事を見抜いた。
隣村までの引越しで商隊に同行していた一家が、略奪行為の隠蔽目的で皆殺しにされていた。日用品が多いのは、彼等の家財道具を戦利品として取得したからだ。
足の付きそうな物は破棄し、組織内で再利用出来そうな物を戦利品に加えたらしい。
ちらりとフロウの思考を読んでみると、調達部隊の一部が略奪行為を働いている事に関して、彼女も薄々感づいてはいるようだ。が、何も知らない振りをしている。
自身はただ、組織を象徴する指導者たらんとし、部下達の行動は組織の為と目を瞑り、その働きを労う。良心の呵責と不安に押しつぶされそうな心を封印して指導者を演じている――コウはフロウの在り方をそんな風に感じた。
「ん? こんなものまであるぞ」
「あ……ああ、そいつは盗賊団の積荷にあったものだな。多分、どこかの集落を襲撃した帰りだったんだろう」
戦利品の中には、手作りらしい布製のお人形が混じっていた。どうやら処分しそびれた物らしい。持ち主への所業を思い出した部隊長が若干の動揺を浮かべるが、それに気付く者はいない。その内心を見通しているコウ以外は。
少年部の小さな女の子にでもあげようかと人形を手に取った同志の一人が、誰か欲しい子は居るか? と集まっている子供達を呼ぶ。いかにもお人形を抱いた姿が似合いそうなウルハは、人形の正面に立つ事を嫌がってコウの背中に隠れた。
〝命の残り香〟を知覚する彼女には、人形の持ち主であった女の子の姿が視えているのだ。
〝命の残り香〟はそれ自体が現象界に何らかの干渉を及ぼす事はないので、基本的に無害な幻影と同じである。視えていても気にしなければ問題なく、視えていなければ尚更問題ない。
「あっちっ、あっちがほしぃー!」
「お、欲しいのか? ならチビちゃんにやろう」
「わーい」
その人形は、ラッカに与えられる事になった。
夜も更けてきたという事で、少年部の子供は休むよう言い渡され、テントに帰って来たコウ達はベッドに入った。
ベッドといってもマットレスが敷かれた上等なモノではない。干草を包んだシーツを置いて横になり、その上から毛布を被るといった簡単な作りで、皆が一箇所に寄り添って眠るのだ。干草が無い場合は大量のボロ布などで代用している。
「あれ? ウルハ、今日はコウくんと寝るの?」
「うん……」
コウの隣に自分の干草ベッドを置いて、もぞもぞと毛布に包まるウルハ。いつものようにベッド群の真ん中に転がるラッカは、貰ったお人形をしっかと握って既に寝息を立てている。
普段なら就寝前のひと暴れでバゼムチームとミアチームによる毛布を丸めての叩き合いなど始まるところだが、今日は調達部隊の帰還で遅くなっていた為、皆すぐ横になった。
寝静まった少年部の共同生活テント。広場の方からは時折、大人達の笑い声が響いてくる。酒盛りでもしているようだ。
睡眠をとる必要が無いコウは、夜から明け方にかけて寝床で諜報活動を続ける。今日の出来事を纏めて、エッリアの離宮にいる京矢と意識の奥で話し合う。元々日本でも夜型の生活をしていた京矢は、この世界でもほぼ夜型生活に入っているので、静かな夜間は交信をして過ごすのに最適だ。
京矢はコウから受けた情報をスィルアッカへ、スィルアッカからの指示をコウへと、実にスムーズに情報の橋渡しをおこなっていく。
――調達部隊なぁ……実質『略奪部隊』なわけか――
『うん、フロウはそういう事させたくないみたい。諜報部隊が略奪してる事をしらない構成員も多いみたいだね』
――で、例のぺド参謀はその辺り全部知ってるのな――
『まだ本格的に探ってないからはっきりとは分からないけど、あの人を調べたら色々分かるかも』
マズロッドを本格的に調べるのなら、少し接触の機会を増やすだけで自然に接近出来るだろう。なにしろコウは彼が目をつけているお気に入り少年リストの中でも、一番の注目株なのだ。
――それはちょっとな……絶対お前の身体求めてくるぞ、アレは――
『ボクは平気だよ?』
――俺 が い や だ――
『あはは』
そんなやり取りをしていると、公務を終えたスィルアッカが離宮に顔を出した。京矢から相談を持ち掛けてみると、暫くは現状を維持しながら反乱軍指導者の支えになってやれというアドバイスが返ってきた。
「実権は参謀総長が握っているとして、反乱軍構成員の支持を一身に受けているのがその指導者なら、権威は指導者にある」
もし指導者が自身の意見を強く主張出来るようになれば、組織の在り方にも反映される筈だ。ただし、実権を握っている参謀総長次第で、思い通りにならない傀儡には謀殺を計る危険性もある。
「マーハティーニと通じてるんだったな、そういえば」
「まだ策略家の狸親父と直接関係しているのかまでは分からないがな、コウにはその辺りも調べて貰いたい」
参謀総長とマーハティーニの繋がりがどういう性質のモノなのか、フロウが目指す組織の最終目的や理念はどこにあるのか。まずは敵の事情をよく知る事だ。
「『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』ってとこか……」
「ほう? 良い言葉だな。キョウヤの国の軍訓か?」
「んにゃ、ずーっと昔にお隣の国で兵法書とか作った偉い人の名言、かな?」
スィルアッカの『反乱軍の手助けはほどほどにな』という忠告に、京矢は『略奪とかする必要が減るような助け方ならいいかもな』と意見を付け加えてコウに伝えた。
『分かった。何か考えてみるよ』
――おー無理せず頑張れー。あと、くれぐれも簡単に身体許すなよー―
リアルタイムで擬似体験とかイヤ過ぎるぞ、と釘を刺す京矢なのであった。
翌日。まだ少年部の皆が寝静まっている内から起き出したコウは、水汲み用の桶を持って廃鉱と繋がる洞窟に向かった。
隠れ家の一つであるこの平地では、洞窟の中に湧き出している地下水を生活用水として使っている。薄暗い解放軍キャンプの中央広場を通り抜けて洞窟の入り口にやってくると、バリケードの格子を背に居眠りをしている見張り役の姿があった。
「おじさーん」
「んをっ! なんだなんだっ」
「おはよー、水汲みにいくからあけてー」
「なんだ坊主、随分と早起きだな」
あくび交じりに首と肩をコキコキ鳴らし、見張り役のおじさん同志は格子状のバリケードを開く。明かりのランプを受け取ると、コウは洞窟の中へと入っていった。湧き水の場所まで入り組んだ洞窟内で迷わないよう、壁に目印が付けられている。
目印に沿って進んでいたコウは、入り口が見えない位置まで来たところで適当な横道に入って明かりを消すと、憑依出来そうな虫が居ないか探索する。地元の虫ならこの辺りの事に詳しいかもしれない。どこに餌場があるとか、どこに近付いてはいけないといった本能的な意識を感じ取るだけでも、付近の様子を把握する事が出来る。
解放軍構成員達の思考を読んだ限り、普段は緊急時に使われる隠れ家の一つでしかないこの平地周辺は、通り道となる廃鉱と洞窟も浅い所までしか探索が行われていないようだ。
奥まで探索すれば何か見つかるかもしれないし、何も見つからなくとも異次元倉庫から適当なお宝を見繕い、『迷子になってたら見つけた』と差し出せば、軍資金を少しばかり増やしてあげられる――というのがコウのアイデアだった。
魔力の篭もった石の欠片を目印代わりに置きながら、洞窟の奥へと進んで行く。目印の石は普通の人の目にはただの石ころにしか見えないが、魔力を視認出来るコウにはぼんやりと発光しているように見えるので、見失う事も無い。
しばらく探索していると、洞穴生物らしき小さな虫を見つけたので憑依。人や動物では通れない岩の隙間情報など拾いつつ、近くに餌場がある事を感じ取る。かなり大規模な餌場らしい。
『あっちの方向か……この虫君なら岩の隙間を這って行けるけど、人が通れなきゃ何か見つけても意味ないからなぁ』
場合によっては複合体で壁に穴を開けて道を作るという手もあるが、あまり派手な事をして崩落でも起こしては大変だ。大まかな方向を覚えて少年型に戻ったコウは、再び洞窟の探索を始めた。
少し高めの段差を降り、大きな水溜まりができている開けた空間に出ると、微かに空気の流れが感じられた。その風に乗って漂う悪臭。これは近くにコウモリのような生物が居る事を示している。
風と悪臭を追って右側に見える穴へと足を進める。相当に曲がりくねった通路を進むにつれて徐々に湿気が増していき、周囲の温度も上がり始めた。そして反響するキィキィという特徴的な鳴き声。壁や床で蠢く虫の数も急激に増えていく。
『虫君の餌場はここかぁ』
床一面を埋め尽くすコウモリの糞と、それを覆って蠢く虫の大群。天井には、黒い小柄な体躯のコウモリが群れをなしてぶら下がっていた。足元の虫達がワーッと放射状に逃げ出して行く中、コウは緩やかなカーブの続く通路の先へと歩を進める。
やがてコウモリの糞地帯を抜けると、岩壁の先に青い水面と光の柱が現れる。
「あ、外だ」
ぐるりと弧を描いた通路の先には広々とした地底湖が広がり、ぽっかりと開いた天井から外の光が射し込んでいた。そこから大きな蔦のような植物らしきモノが大木の如く連なり、地底湖まで垂れ下がっている。よく見ると表面が白っぽいそれは、木の根っこのようだ。
中々に美しい幻想的な光景。青く澄んだ地底湖の水はやけにしょっぱく、塩分が高いように思われる。
「そろそろ戻ろうかな」
少年部の子供達も目を覚ましている頃だろう。あまり収穫は無かったが、昨日の今日で居なくなってしまっては皆に心配を掛けてしまう。コウは今日の探索を切り上げて、解放軍キャンプまで戻る事にした。
とりあえず、天井から降ってくる虫やら糞やらで汚れてしまった服を洗い、素っ裸で糞地帯を抜けると、少年型の召喚を解除。もう一度召喚し直して綺麗な身体に戻り、異次元倉庫から少年部の制服を取り出して着替える。服の乾燥には付与系の魔術を使って、水分を弾き飛ばした。
水汲み場までの順路を外れた辺りまで戻ると、コウの名を呼ぶ複数の声が聞こえた。ミアやバゼムの声も混じっている。どうやら手の空いている者で捜索隊が組織されたらしい。水汲み用の桶とランプを取り出したコウは、『ここだよー』と声を上げてみた。
「コウ君!」
「やっと戻ってこられたよー」
『虫を追いかけてたら迷子になった』というコウの答えに、脱力半分呆れ半分の反応を見せる捜索隊の面々。脱走ではなかったと分かって一同ホッとしている。
洞窟のずっと奥にコウモリが居た事を話すと、捜索隊に加わっていた大人組の一人が興味を示した。部隊の出撃や帰還ルートの幅が増え、本隊を安全に移動させる際にも利用出来るので、新しい出入り口が見つかったのならば調べておきたいのだ。
「それに、コウモリの糞が石になったやつは農作物の肥料として高く売れるからな」
「へー、そうなんだー?」
今日の探索の収穫はイマイチかとコウは思っていたが、意外と有意義だったのかもしれない。大体の方向や途中の段差など道の特徴を伝えると、急遽組まれた探索隊が奥へと赴く。
コウは自分の仕事である武具磨きをしに、少年部の作業場へと向かった。
「なあなあ、洞窟の奥って魔物とか出なかったのか?」
「魔物はいなかったなぁ」
清掃の仕事をサボって武具磨きの作業場に顔を出したバゼムが、興味津々に訊ねてくる。
冒険者に憧れているような雰囲気が感じられるバゼムだが、彼自身は冒険者という存在について詳しい知識を持っていない。物心付く頃から組織と共に行動し、組織の中で育って来たバゼムは、外の世界の事を殆ど知らないのだ。
「こーらっ、なにサボってるのよ!」
「げっ、うるさいのが来た」
平棒を振りかざすミアを捕捉したバゼムは、そそくさと作業場を後にした。騒がしく走り去る二人を見送ったコウの傍にウルハがやって来て、隣で武具磨きを始める。そうしてやおら念話を使って話し掛けて来た。
――……お仕事、してたの……?――
『うーん、半分はそうかな』
コウがエッリアから来た諜報員であると認識しているウルハは、朝方コウが姿を消したのはそちらの仕事関係だと思ったようだ。
――もし……脱走するなら、一緒につれていってほしい――
『ウルハは、ここに居たくないの?』
ふるふると首を振るウルハ。ここの皆の事は嫌いではないのだが、コウと居る時の方が安心出来るという。それは取り繕いや見得といった虚勢で心を誤魔化さないコウならではの安定感と信頼感である。他者の心に触れられる祈祷士の才を持つウルハにとって、表と裏の温度差が少ないコウは、一緒にいてとても安らぐのだ。
『そっかー。ボクもずっとここに居られる訳じゃないから、エッリアに帰るときはキョウヤにも相談してみるよ』
――エッリア……キョウヤという人……兄弟……? お兄さん?――
『キョウヤはもう一人のボクだよ』
――? ? ?――
一応は同一の存在でもあるコウと京矢の関係について、コウの心に触れられるウルハにもよく理解出来なかったらしい。コウと並んで篭手を磨きながら、小首を傾げるウルハなのであった。
昼前頃には探索隊が戻り、採取して来たコウモリの糞石や、地底湖に垂れ下がっていた巨大根の表面から取れた塩の結晶などが広場に並べられた。
組織の活動資金として大いに使えると、解放軍指導者のフロウや参謀総長マズロッドも交えて話し合っている。
「やあ、コウ君。お手柄だったね、君のおかげで素晴らしい資源が見つかったよ」
ウルハと食堂テントまで移動中だったコウは、広場を通り掛かったところでマズロッドに声を掛けられた。ウルハはマズロッドに『捕食者』の気配を感じるらしく、苦手としていた。コウの服の裾を掴んで、その背中に隠れてしまう。
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