黒の創造召喚師

幾威空

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6巻

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 第1話 平穏と変化


 ツグナがレギオン「ヴァルハラ」を結成し、三つのレギオンを相手どった「レギオンズマッチ」で勝利を収めてから一か月後。戦いの舞台となったリアベルの街の熱狂はうそのように静まり、すっかりいつもの平穏に包まれていた。

「ほらよ。しっかしまぁ……あっという間にAランクにまでなったか。この街に初めて来た時は右も左も分からないような印象を受けたんだがな。今やこの街の有名人じゃねぇか」

 街の外縁部にある門の前で、門番のロビウェルが冒険者のあかしであるギルドカードをツグナに返しながらそうこぼした。

「ははっ、まぁあれだけ目立ったんだから、そりゃあちょっとはな」
「何言ってやがる。だいたい、お前さんの外見とランクが釣り合ってないんだ。俺はお前と面識があるからまだこの程度の反応で済んでいるが、何も知らないヤツがこの前お前が成し遂げたことを聞いたら、目をいて驚くぞ」
「はいはい、ちっこくて悪かったな」
「……うん? 今日は他のメンツはいないのか?」

 いつもはツグナの周りにいるソアラにキリア、アリアとリーナだが、今日に限ってはその姿が見えない。それに気付いたロビウェルが疑問を口に出してたずねた。

「今日は俺とスバルだけだよ。他のメンバーは薬草を採取しに行ったり、家のことをやったりしてるよ」

 この言葉通り、シルヴィたちはカリギュア大森林にある拠点ホームでそれぞれの時間を過ごしている。シルヴィ、キリア、リーナは薬草を補充すべく採取に出かけ、ソアラとアリアはそれぞれの部屋を片付けている真っ最中だ。
 特に後者の二人は生来の性格ゆえか部屋の中がカオスと化しており、「いい加減に片付けろ」とシルヴィたち三人にこっぴどく叱られたためという背景がある。

「ホームねぇ……なあ、先日の戦いでレギオンを三つも倒しただろ? なんでも全財産を巻き上げてやったと聞いたが、それはどうしたんだ?」

 ふと思い出したようなロビウェルの問いかけに、ツグナはなんでもないように軽く答える。

「ああ、それか。確かにヤツらのホームも手に入れたんだが……全部売り払ったよ」
「売り払ったってお前、この街にはよく出入りしてるのにそれじゃあ不便だろ。大抵のレギオンは、中心となる拠点とは別に何か所かホームを持ってると聞くぞ?」

 ロビウェルが言った通り、レギオンによってはいくつかの都市にホームを持つところもある。たとえばリベリオス率いる「炎熱えんねつ覇者はしゃ」もリアベルの他に数カ所のホームを所有し、遠方での依頼の際に利用している。

「そうなのか? でも、俺は必要とは思わないな。ウチのレギオンは組織自体が小さいし、別宅なんて持っても維持管理だけで手一杯になるさ」

 肩をすくめるツグナに、ロビウェルも「まぁそうだよな」と同意を示す。
 このツグナの言葉に付け加えるなら、彼にとってはカリギュア大森林にある家とこの街をへだてる物理的な距離など、全く関係ないのだ。
 なぜなら、ジェスターを召喚してその能力である「門」を潜ればくぐすぐなのだから。

「ギュイギュイッ!」

 二人がそんなやり取りを交わしていると、もはや定位置となったツグナの頭の上にいるスバルが強い口調で「早く行こうよ」と言うように鳴いた。ツグナは「はいはい」と苦笑しながらスバルの身体をでて落ち着かせてやる。

「あぁ、待たせちまって悪かったな。にしても、俺たちの会話の内容が分かるのか? 頭いいなぁ……」
「ギュイギュイ♪」

 ロビウェルにめられて嬉しそうに鳴くスバルに「げんきんなヤツだなぁ」と思いながらも、ツグナはロビウェルから渡された「仕従しじゅうの首飾り」をスバルの首にかけた。

「さて、と。これで手続きは終わりだな。言うまでもないだろうが、街の中だとはいえ気を付けろよ? お前はどうしたってめられやすいナリしてるからな」
「わーってるよ」

 歯に衣着せぬ物言いに対して若干不機嫌そうに返事をしたツグナは、ギルドカードをふところにしまい、ロビウェルに軽く挨拶をしてから街の中へ進んでいった。


 門を潜った先に広がる街の景色を見回せば、せわしなく通りを行き来する人や、様々な商品の並ぶ店先で声を張り上げる店員たちの姿が目につく。

「おっ、シェルシトラか。買って帰ろうかな……」
「ギュイッ♪」

 ふと店頭のフルーツが目に入り、ツグナの口からつぶやきが漏れた。辺りに漂う甘酸あまずっぱい匂いに鼻の穴をひくつかせていたスバルが、「本当!?」とばかりに両翼をわずかにばたつかせながら鳴き声を上げる。
 シェルシトラはこの世界では一般的な果物で、硬く分厚い皮におおわれているのが特徴だ。その皮のせいで料理に用いるのには厄介であるものの、中に詰まっている果実は瑞々みずみずしく上品な甘さがある。

「おっ! 誰かと思えば黒い坊主じゃねぇか!」

 ツグナに気が付いたらしく、店の奥にいた壮年の大柄な男が笑いかける。ツグナもひょいと軽く手を上げて挨拶すると、山のように並べられたシェルシトラを指さして「これを三つくれ」と注文した。

「あいよ。合わせて銀貨一枚な。ついでに、コイツもおまけしてやるよ」

 そう言って店主は、傍にあった赤い果物を一つ、シェルシトラと一緒にツグナに手渡した。

「おいおい、いいのかよ」

 それはアプルルと呼ばれる地球のリンゴに似た果物で、やはり一般によく食されているものである。ただ生で食べることが多く、焼いたりすり下ろしたりすることはない。
 気前の良さの理由が分からずおそるおそる訊ねたツグナに、店主とは別の声が届く。

「構わないさ。お前さんはお得意様だしね。それに、有名な人物がウチの店を利用してると知られれば、ウチとしても大歓迎だよ」

 店主の後ろを見やれば、そこには店主にも引けを取らない恰幅の良い女性の姿があった。夫婦でこの店を営んでいる二人は、同じエプロンを身に着けている。

「商魂たくましいなぁ……」

 本人を前にしながら、広告塔として利用させてもらう、と言ってはばからないその堂々とした物言いに苦笑を浮かべながらも、ツグナは二人からの厚意を素直に受け取った。
 このようなやり取りに表れているように、ツグナに対してネガティブなイメージを持つ者は、もはやこのリアベルの街では影も形もなくなっていた。より正確には、「ぐっと距離が縮まった」とも言い換えられるだろう。その変化は以前、ツグナがキメラロードの脅威から街を救った時よりもずっと顕著けんちょである。
 これは言ってみれば当然のことで、当初は「こんな少年がまさか……」と疑念を抱いていた者も、レギオンズマッチの結果を受けてその認識が確信に変わったのだ。外見からは分からない強さを持つ彼に対して、レギオンズマッチ終了直後はどう接すればいいか分からなかった者でも、最近ではすっかり打ち解けていた。
 なので、ツグナとスバルが歩いていくと、通りの両側に並ぶ店の者たちから次々に声がかけられる。

「おう! この串焼きは俺の自信作だ! 食ってけよ、うめぇぞ!」
「こっちのパンは新作なのよ。是非食べてみて!」
「ねぇねー、お昼はまだ? どうせだったらウチで食べてってよ!」

 ぶらぶら通りを歩きながら、時に店員と雑談して買い食いし、時に「今度寄らせてもらうよ」と丁重に断っていく。頭から降ろされて抱きかかえられたスバルは、先ほど厚意でもらったアプルルを器用にかじりながら、尻尾を左右に揺らして嬉しそうに街の風景を眺めていた。

「うっわあああぁぁ! すっげぇ! ドラゴンだ!」

 呼び止められた店で購入した串焼きを平らげたツグナの耳は、通りの脇から発せられた幼い男の子の叫び声を捉えた。声の方を見やると、目をキラキラと輝かせた三人の子供がツグナとスバル目がけて駆け寄ってくる。

「ねぇねぇ、この子ってドラゴン……だよね?」

 おっかなびっくりといった様子で訊ねたのは、ほおに小さなきずを作った男の子だ。その隣では眼鏡をかけた男の子が興味深げにスバルに目を向け、またその後ろで女の子がびくつきながらもそっと顔を出してスバルを見つめている。

「えっ? あぁ、まぁそうだな」

 唐突な質問に戸惑とまどうも、ツグナは抱えたスバルの頭を撫でながら首肯する。その返事を聞いた男の子は嬉しそうにさらに質問を重ねた。

「このドラゴンは、お兄ちゃんのペット?」

 今度の問いかけには、当のスバルが若干不機嫌そうに「ギュイギュイ」と鳴く。ツグナは「まぁ仕方ないよな」と思いながらも、ゆっくりと首を横に振った。

「いや、このドラゴン――スバルはペットなんかじゃないさ。大切な、俺の仲間だよ。まぁ、パッと見ただけじゃあ分からないだろうけどな」

 そう言って、ツグナはやさしくスバルの背を撫でる。スバルも彼の思いをみ取ったのか、「キュァ♪」と可愛らしい声を上げた。

「えっ? で、でもその首飾りは……」

 眼鏡を持ち上げた男の子が、怪訝けげんそうな表情でスバルの首にかけられた「仕従の首飾り」を指さす。彼が言わんとするように、このアイテムは「他人に危害を加えない」というお墨付すみつきを得たことを示すと同時に、対象に「所有者」がいることを示すものでもある。
 この首飾りは貴族が連れ回すペットにかけられるケースが多く、また「調教師」の職業を持つとは思えないツグナの格好から、そんな疑問が出たのだった。

「ははっ。そりゃあ仕方ないからな。これをしないと一緒に街の中を歩けないし、宿に入ることもできないんだから。それに、スバルはドラゴンだ。下手に怖がられないためにも必要なことなんだよ」
「じゃ、じゃあ……この子は怖くないの?」
「あぁ」
「それなら、ちょっと触ってみてもいい?」

 ツグナとスバルを交互に見ながら、眼鏡の男の子は訊ねた。ツグナは「乱暴にしないなら」と念押しした上で、そっと男の子の目の前にスバルを差し出す。

「うっわあああ! スベスベで気持ちいい!」

 驚く声に誘われ、他の二人もおそるおそる手を伸ばす。わずかに震えるその手がスバルの身体に触れると、先ほどと同様の歓声が二つ上がった。

「うわっ!? 本当だ。凄いなぁ……」
「ふわぁぁ~。か、可愛い……」

 ドラゴンという珍しい生き物を前にして、目を輝かせながらスバルを撫でる子供たちにどこかほっこりするツグナだった。
 なお、この一幕の噂がツグナにも予想のつかなかった範囲とスピードで広まった結果、知らず知らずのうちにスバルはこの街のマスコットキャラクターとしての地位を確立してしまうのだった。


   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「さて、と。ちょっと寄り道し過ぎたな。まぁもともと今日は俺たちだけだし、急ぎじゃないからいっか」

 子供たちと別れたツグナは、ギルドの建物の前でブツブツと呟くと、スバルを伴って中に入っていく。
 扉を開けたツグナを待っていたのは、フロア中にたむろする冒険者たちの視線だった。この街にやって来て間もない冒険者もいるのか、ツグナのことを聞いて目を丸くしている者もいる。

「お、おい。アイツは……」
「あぁ、最近Aランクに上がった冒険者だよ」
「なんでも、史上最年少でAランクに上がったらしいぞ」
「ウソだろ?」
「どうやら本当らしい。俺は見ていないが、ヤツの率いるたった五人のレギオンが、この前三つのレギオンに戦いを挑んで勝利したらしいぞ」

 注がれる視線の中には、以前までとは異なる、羨望せんぼうの感情が多分に含まれている。「史上最年少」という言葉は予想以上に影響力が大きく、ツグナに絡むようなやからはほとんどいない。

「うっし。さて、今日はどんな依頼があるかねぇ……」

 そんな周囲の反応も意に介さず、ギルドの中央に設置された巨大な掲示板に辿り着いたツグナは、顎に手を当てながら張り出された依頼書を眺めるのだった。



 第2話 平常運転と甘い誘惑


「はい、報酬の金貨十五枚に、銀貨十枚、半銀貨六枚、それに銅貨七枚ね」
「あいよ、確かに」

 ギルドのカウンターで報酬を受け取ったツグナは、ほくほく顔でそれらを即座にスキルで呼び出した「アイテムボックス」の中へとしまい込む。その横ではスバルが「クアァァ……」と眠たげにあくびをして「まだ終わらないの?」と暗に訴えている。

「それにしても……よくもまぁ毎度毎度これだけの依頼をこなせるわね。こっちとしては早く依頼が達成できて願ったり叶ったりだけど、いつかホントにぶっ倒れてもおかしくないわよ。冒険者は身体が資本なわけだから、そのあたりはキチンと管理なさいね」

 カウンターの向こうからツグナとスバルの様子を眺めていた受付嬢のユティスが、呆れ気味に言う。
 彼女の発言は純粋にツグナの身体を気遣きづかってのことだ。それというのも、冒険者は通常ならば数日おきに休息日を設けるものだが、ツグナにはそうした意識がないらしく、このところ連日訪れては毎回大量の依頼を受けていて、今日も今日とて相変わらずの有様ありさまだった。そのさまが「燃える星屑スターダスト」と噂されていることはユティスも知っているし、受理した依頼の内容から考えてもその表現は的を射ていると納得できてしまう。

(今日一日だけで推奨ランクB-の依頼が五つにC+が三つ、B+が二つって、どういう神経してるってのよ……連日こんな高ランクの依頼と数をこなすなんて、ハッキリ言って異常でしかないわ)

 ツグナの達成した依頼の内容とランクを脳裏に思い描き、改めてユティスは心の内で吐露とろした。それほどのランクと数をこなしたとあって、ツグナが手にする報酬額もかなりのものとなる。この日ツグナに支払われた報酬額は、中規模レギオンが一日に稼ぐ金銭とほぼ同額。それはつまり、もはや彼一人だけで中規模レギオンに匹敵ひってきすることを示している。
 彼女がそんなツグナの身体を心配するのはある意味当然といえるが、けれども当の本人は全く気にかける様子もなく、ただ「そうかな?」と首をかしげるだけだ。

「あんまり疲れたって感じはしないけどな。むしろ人数も増えたし、もうちょい受ける依頼を増やしてみようかと思ってるトコなんだけど……」

 今日は他のメンツが揃わずにツグナとスバルで依頼をこなしたのだが、定期的に人数が確保できる目途めどもつき、晴れてレギオンも結成した。ソアラやキリア、リーナにアリアと、組み方のパターンも増え、彼の中では「そろそろ他のメンバーも、一人で依頼を受けさせてみようか」とすら考えている。

「…………」

 ツグナがさらりと告げた内容に、ユティスは若干顔を引きつらせたまま黙り込んでしまった。
 ツグナのギルドランクは既にAとなっているから、今日達成した依頼の推奨ランクが全て彼の持つものより低いのは確かだ。だが、推奨ランクD-以上はあくまでもパーティで遂行する場合に対するリスクである。それをまさか単独でクリアしてしまえるなどとは、全くもって想定されていない。
 そして、「ヴァルハラ」に所属するツグナ以外のメンバーも軒並み実力者揃いである。もしそれぞれがツグナと同等のランク、依頼数をこなすとなれば、ギルドの財政が脅かされることになりかねない。

(冗談じゃないわ。ギルドとしては依頼がバンバンこなされるのは嬉しいことだけど、それだと他の冒険者が街の外に流出しかねない……)

 ギルドは全ての冒険者に対して公正で公平な組織である。「ヴァルハラ」の持つ力に依存してしまうのは、ギルドの運営上においても望ましくないのだ。
 そうして冷たい汗を流しながら思案にくれるユティスの気持ちも知らず、ツグナは「こいつはどうしたんだ?」と隣の窓口を受け持つ受付嬢――シールアを見やる。彼女もまた、同じようにほうけた顔を見せていた。

「えっと……ツグナさんは今日一日でどれぐらいの依頼を達成したんですか?」

 ぎこちない笑顔でそう訊ねてくる彼女についてはユティスを通して以前紹介されており、何度か会話をしたことがある。出会った際にいきなり「ギルドマスターってどんな方かご存じですか?」と鼻息荒くかれたときは、思わず彼女の隣にいたユティスに目を向けて「すぐそこにいますけど」と指摘してやりたくなったものだ。もちろん後々のことを考えた結果、そんな言葉を発することはできなかったものの、終始顔を引きつらせるユティスを見てツグナは内心ほくそ笑んだものだった。

「えっと……ざっと十ぐらいかな。依頼を受けたのがちょっと遅かったし、今日は他のメンバーがいないから、いつもより少ないけど」
「じゅっ、十ですか!? それにソロって……」

 返ってきた答えに、シールアは頓狂とんきょうな声を上げてわずかにる。肩まで伸びる緩いウェーブのかかった栗毛の髪が揺れ、頭から生えた猫耳が真っ直ぐに立った。

「シールア、その程度で驚いてたらこの先やっていけないわよ。この子が受けたものは、そのどれもが依頼達成期日までギリギリなものなの。つまり、超効率的な動きをしなきゃ到底実現できない。にもかかわらず、アッサリとやってのけるんだから……いかに規格外か分かるでしょ?」
「あははははっ……た、確かにそうですね」

 意識の戻ったユティスが解説を入れる。
 彼女の言う通り、ツグナは異常とも言えるペースで依頼をこなしているが、これが実現できるのはその身体能力もさることながら、マップスキルの恩恵が大きい。討伐対象の魔物や魔獣モンスター、採取対象の薬草類を普段からマーキングしておくことで、作業の効率化を図れるのだから。
 ちなみに、達成期日を過ぎても消化されなかったものは「塩漬け依頼」と呼ばれ、依頼書は掲示板から外されて専用の箱の中に移される。塩漬け依頼が多いギルドは評価が下がり、最悪、組織としての運営がままならなくなってしまう。
 このリアベルの街を拠点に活動しているツグナは、冒険者として自由気ままに振る舞えるこのギルドがなくなる事態は避けたかったし、「初めて訪れた街」という思い入れもある。ツグナが達成期限ギリギリの依頼を優先的に受けるのは、これが理由だった。
 ふらりと現れては根こそぎにするように大量の依頼をこなす彼の行動は、確かに他の冒険者からは目障めざわりに映ることもあっただろう。しかしながら、塩漬け依頼になりそうなものを一気に解消してくれるツグナの存在は、ギルドとしては非常にありがたい。ユティスのフォローは、こうした背景もあってのことだった。

(確かに陰で「ドブさらい」なんて言われたりもしたけど……今さらだしなぁ。ギルドも助かってるわけだし、当面はこのままかな)

 とはいえ、例のレギオンズマッチを通してツグナに対する周囲の評価は一気に高まった。史上最年少でギルドランクAに登り詰めた彼のことを、難易度の区別なく依頼をさらう「ドブさらい」などとあてこする者はもはやこのリアベルにはいない。その実力が広く知れ渡った現在、ツグナ率いるレギオン「ヴァルハラ」は、かの大レギオン「炎熱えんねつ覇者はしゃ」と勢力を二分するとまで目されているぐらいだった。

「まぁどんな依頼をどう達成しようが構わないし、止める権利もないけど……さっきも言ったように、自己管理だけはしっかりとしなさいよね」
「はいはい。言われなくても分かってるよ。それじゃあ報酬ももらったことだし、これで……とそうだ」

 一度は出口に向かいかけたツグナはふいに振り返ると、アイテムボックスから小さなバスケットを取り出してカウンターの上に置いた。

「これ……は?」

 じっと目の前にあるバスケットを凝視しつつ、ユティスが呟く。一日の疲れが現れ始める夕刻、バスケットから漏れる甘い匂いが彼女の食欲を刺激した。

「これはパンケーキだよ。一緒に手製のシロップも入ってるんで、かけて食べて。今は業務中だろうから、よければ後でどうぞ」
「はふぅ……匂いだけでお腹が……どうしたんですか、これ」

 二人が生唾なまつばを呑み込む音に苦笑したツグナは、少しバツの悪い顔で申し訳なさそうに言う。

「まぁ半分はおすそ分けかな。日頃からお世話になってるしね。あとは感想を聞かせてほしいってのもあるけど」
「感想……ですか?」

 首を傾げたシールアに、ツグナは頬を掻きながら説明する。

「普段から料理はするんだけど、あんまりお菓子のたぐいは作ったことがないからさ。味見役になって、改善点があれば聞かせてほしいんだよ。ウチにはそういうのにうるさい人が多いから」

 ツグナはリリアたちの顔を頭に思い浮かべながら、珍しく弱った声を漏らした。というのも、普段から彼の作る料理に慣れてしまって妙に舌がえ出した彼女らは、最近は味付けにうるさく注文をつけるようにまでなっていたからだ。一方のツグナも、「折角スキルもあることだし」と新しい分野にチャレンジしたくなり、始めたのが菓子作りだった。
 ただ、転生前も含めこれまでお菓子については食べる専門だっただけに、まだあまり自信がない。そこで今回その出来栄えを評価してもらうために、受付嬢の二人を選んだわけである。
 ちなみにシロップは、大森林の迷宮に出没するモンスター「ポイズンスピア」の巣から採取したみつを使用している。その稀少性から、市場に出そうものならとんでもない高値がつく代物しろものであることを、ツグナは知らない。

「なるほど分かったわ。感想は次に来た時で問題ない?」
「あぁ、大丈夫だ。言っておくけど、まだ試しなんで数は少ないから」

 その言葉に力強くうなずいた二人を見たツグナは、「また次もよろしく」と言い残してカウンターから離れていった。


「……ねぇ、シールア」
「なんですか? ユティス先輩」

 互いに顔を見合わせることなく、二人はカウンターの上に置かれたままのバスケットを凝視しながら言葉を交わす。

「彼、『数は少ない』って言ってたわよね」
「えぇ。確かに言ってましたね」

 すっと目配めくばせすると、互いの心を読んだのか、ユティスとシールアはただ黙したまま同時に頷いた。
 ――間違いない。
 これは――戦争になる、と。
 言葉に出さずとも、目を見れば相手の言わんとすることは明確に分かる。
 だからかもしれない。

「……本当に心苦しいけど、これは二人だけで頂きましょう」
「えぇ、無意味でみにくい争いをしないためにも……」

 再度頷き合った二人はバスケットを引っ掴み、フロアの奥へと消えた。
 それからしばらくの間、ギルドの奥から女性二人の幸せそうな声が聞こえてくることとなったのだった。


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