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プロローグ
北宋末徽宗(趙佶)皇帝の御代、1人の公主がいた。名は翠松(すいしょう)、何不自由のない、守られた日々を送っていた。そのようなとき殷王朝の都跡より、新しく墓が発掘された。本来なら700年も先の出来事である。婦好墓か発見されたのだ。徽宗は狂喜してすべて開封に持ってくるように厳命した。
花石綱より優先させたことにより、皮肉なことに住民に重い負担を課して物資や労役を取り立てが多少なりとも減少した。
翠松公主はやんちゃであった。しかも体も大きく12歳で5尺超えていた。(155センチ)
その顔(かんばせ)は特に美しく、芸術をこよなく愛する父徽宗から見ても、生きた芸術とも思えるほどで肖像画を描きまくり、子どもたちの中で一番翠松を可愛がりすぎ、かまいすぎるほどであった。このことにより花石綱の中断と相まって民の負担が3割程減ったため史実で起きた方臘の乱等の反乱がある程度抑えられることになった。
文字数 45,020
最終更新日 2026.05.21
登録日 2026.05.06
新北宋の栄華、そして女帝・翠松が命を懸けて切り開いた「強い負けない三従」の時代から、時は残酷に流れ去った。因果は再び史実の通りへと収束していった。民は飢え、国政は腐敗し、外敵の足音が迫る。そして時代は、明王朝最後の皇帝――崇禎帝(すうていてい)の御代へと至る。
翠松公主伝の続編になります。
文字数 20,936
最終更新日 2026.05.20
登録日 2026.05.14
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