道を極める

夜の路上から始まった絵本の読み聞かせ
「聞かせ屋。けいたろう」という生き方

2016.11.15 公式 道を極める 第8回 坂口慶さん

子どもと夢中で遊ぶヒーロー!?
一所懸命やりきった先に見えた「保育」との出会い

坂口氏:歌手を目指してからたった半年での挫折でしたが、母に悩みを打ち明けたことで肩の荷が降り、それからは開き直ることができました。ただ、友人たちから「音楽辞めたんでしょ」と言われたくなかったので、個人レッスンに切り替えたんだと言い訳し、体裁を取り繕っていました。それぞれ着実に自分の道を進んでいるように見えた友人たちの姿が、ぼくには眩しすぎたんです。

そういうわけで、逃げ道を作ったものの、現状は何も変わっていないことに内心焦っていました。大学へ進んだ同年代の友人と比べて「あと3年しか残されていない」と。将来どのような道に進むのか……。

その時思い浮かんだのは、子どもたちと嬉しそうに話す父の笑顔でした。子ども好きだった父の嬉しそうな姿を思い出し、「子ども」というキーワードが思い浮かんだんです。「子どもと関わる仕事はどうだろうか?」と。それが接客業だったとしても、お客さんとの距離感がぐっと近い仕事をしたいと望むようになりました。

――「次」の道が、少しずつ見えてきましたね。

坂口氏:いつまでも挫折している暇はなく、アルバイト情報誌を片端から読みあさっては、必死になって子どもを相手にする仕事を探していました。ある日、浅草にあった『ウルトラマン倶楽部』という子ども向けのテーマパークの募集を見つけ、「これだ!」とすぐに応募しました。

『ウルトラマン倶楽部』は、「浅草ROX」という商業施設の中にあり、ジャングルジム、軽食、ショップ、ショーが行われるステージなどがある、割合規模の大きな施設でした。そこではショップコーナーを経て、子どもたちとより触れ合えるジャングルジムへと希望通り配属されました。当時、ジャングルジム担当は女子だけという決まりでしたが、ぼくの熱意が伝わり、男子ではじめてのジャングルジムのスタッフになることができたんです。

3年という残された時間で、できるだけ多くの職業を経験したいと思っていたので、仕事は1年限りで辞める予定だったのですが、いろいろな仕事を任されるようになり、リーダーとしての役割も与えられ、気づけば2年が過ぎてしまいました。

――リミットは、あと1年……。

坂口氏:充実していましたし、まわりの人間関係もよく、辞める理由はなかったのですが、最後の1年間ということで焦っていました。そんな焦りから「別の仕事も経験してみたい」と考え、退職することを店長に相談すると、「何も決めないで出て行くのは許さん。次に何をするのか、ここで少しでもヒントを見つけてから次に進め」と、厳しくも優しいアドバイスを受け、それを見つけるまで働くことに。

ぼくはジャングルジムだけでなく、ショップコーナーでも子どもたちと一緒になって床を転げ回って遊んでしまうような店員で、レジが込んでいるのも忘れるくらい夢中になっていました。子どもと一緒にいた母親からは「こんなに夢中で遊んでくれてありがとう」「保育園にもこんな男の先生がいたら」という声を、いただいたんです。

「そうか、保育園の先生になれば子どもたちと密に触れ合うことができる」。残り1年でようやく見えてきた将来の道。子どもの近くにいて、子どもと一緒に成長する「保育士」という存在を初めて意識し、その道に進むことを決めました。入学するまでの1年間は、バイト先の店長のご厚意で塗り絵や手作り工作をする『ウルトラ教室』の先生として働きながら、学費を貯めて次の道に備える毎日。そして同年代が大学を卒業するころになって、ようやく保育学科のある短大に入学することができました。

子どもたちに教えてもらった
人を喜ばせる仕事に必要なたったひとつのこと

――ようやく自分の道を歩めるように。

坂口氏:ところが、ここでもまた大きな挫折を味わうことになりました。短大なので1年生の終わりには、附属の幼稚園での実習が始まります。たくさんいる園児たちの行動をすべて把握し、一人ひとりの体調の変化にも気を配りながらという、実践さながらの実習は、脱落者が出るほど厳しいものでした。ぼくは周りの学生に比べて年上ということもあり、また熱意も人一倍あったはずでしたが、子どもたちに対する責任感、プレッシャーに立ち向かえるほどには成長できていなかったんです。アルバイトでの実績もあったし、自分では適性があると思っていただけに、相当なショックでした。とはいえ、一度音楽で挫折しているので、もう別の道も作れず、お先真っ暗で……。

このころは悪いことが重なった時期で、通っていた運転免許の合宿では、運転してもダメ、ブレーキもダメ、坂道発進すらできない。申し込んだのはマニュアルコースでしたが、教官に「今のぼくには無理です。オートマ限定に切り替えてください」と半ベソかいてお願いする始末でした(笑)。このころのぼくは、常に泣きそうな顔をしていましたね。

ステージショーのアルバイトもうまく行かず、四面楚歌のような状態でした。それまでぼくは、今まで何でも器用にできると思っていましたが、これ以上できないと思ったところまでやって、あとは逃げていたのではないかと考え、自信をなくしました。どれひとつ、最後までやりきっていなかった。自分なんかまだなにもしちゃいない……。
 
今までだったら、また体裁を繕って逃げていたかもしれません。けれど、「今置かれた状況の中で、できることをやり切ってみよう!」と、今度は逃げずに前に進むことを選ぶことができました。ハードなことに変わりはありませんでしたが、毎日の気づきや成長記録をノートに記すようになり、「今日があってよかった」と書いては、自分を励ます。その繰り返しで、なんとか辞めずに、2年目を迎えることができました。

――やりきると決めた2年目、状況はどのように変化したのでしょう。

坂口氏:大きな変化と、それによって子どもたちから、その後の道に進むための大切なことを教わりました。2年目の実習は、工作などマニュアルのあるものばかりを実習科目に選んでいた1年目とは大きく変えて、せっかくなら自分の好きだった音楽を活かそうと、自分からお願いしてギターを演奏したんです。

結果は大成功で、子どもたちもリズムに乗って一緒に楽しんでくれました。そして、子どもたちのキラキラした笑顔を見て、自分も笑顔になっていることに気づいたんです。「自分が楽しんでいないと意味がない」と。それまでは、ツライ、苦しい、どうにかしてそこから逃げたいという心が、どこかで子どもたちにも伝わっていたんでしょう。「先生、楽しくないの?」と言われたこともありました。子どもはちゃんとわかっているんですね。それからは、自分が楽しめることから始めようと思えるようになったんです。

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アルファポリスビジネス編集部
アルファポリスビジネス編集部

アルファポリスビジネス編集部は厳選した人物にインタビュー取材を行うもので、日本や世界に大きく影響を与える「道」を追求する人物をクローズアップし、その人物の現在だけでなく、過去も未来の展望もインタビュー形式で解き明かしていく主旨である。編集部独自の人選で行うインタビュー企画は、多くの人が知っている人物から、あまり知られることはなくとも1つの「道」で活躍する人物だけをピックアップし、その人物の本当の素晴らしさや面白さを紐解いていく。

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