道を極める

夜の路上から始まった絵本の読み聞かせ
「聞かせ屋。けいたろう」という生き方

2016.11.15 公式 道を極める 第8回 坂口慶さん

女子高生の涙に促され、自分の声に従った
路上で生まれた「聞かせ屋。けいたろう」

坂口氏:子どもたちの笑顔から「自分が楽しむことの大切さ」を教えてもらい、それからようやく持ち直しました。今までは、何かに失敗することが怖くておよび腰だったことも、「やりたいことはやり切る!」と心持ちもポジティブに。

実はずっとやりたかったことのひとつに、「絵本の読み聞かせ」がありました。恩師である佐藤先生が、学校でぼくたち学生相手に絵本を読んでくれる時間があったのですが、それがとても印象深かったんです。ぼくだけでなく、皆その時間を楽しみにしていて、「絵本を大人に」というのはありだと、そして自分もいつかやってみようと、機会をうかがっていました。

ある日、古本屋でとても素敵な絵本に出会い、将来保育で役に立つかと思って買ったんです。そして、その足でふらっと立ち寄った図書館で、さきほど買った絵本が「良い絵本100選」に入っていたのを目撃し、嬉しくなりました。そのまま絵本のコーナーを見ると、佐藤先生が読んでくれた絵本がずらりと並んでいたんです。「これらの絵本なら、内容は知っている。昔でいうところの紙芝居屋さんのように、今晩、この絵本で読み聞かせ屋をやってみよう」と考えたんです。

――以前やっていた路上と、ずっとやりたかった絵本の読み聞かせがつながりました。

坂口氏:路上で音楽をやっていたころの経験から、人通りが多い場所は知っていたので、選んだ場所は北千住駅前にある店舗のシャッター前。「音楽と違って、絵本の読み聞かせは珍しいから足を止めてくれるだろう」という密かな期待もあり、ぞろぞろと人が集まってくれることを期待しながら、本を並べていました。

人通りも多く、「読みは当たった!」と喜んだのも束の間、肝心のぼくの読み書かせを聞いてくれる人はひとりも現れず、通行人からは怪訝そうな目で見られたり、声をかけてくれる人も「(並べた本を見て)これ売っているの?」と勘違いされていたりと、散々でした。またしても予想外の結果でしたが、とにかく誰かひとりでも聞いてくれる人が現れるまでは帰らないと決め、ひとりで誰も相手のいない「読み聞かせ」を始めました。

恥ずかしさで頭の中が真っ白になっていたので、どのくらいそこにいたのかわかりません。ずっとスルーされる中で、ふたりの足がぼくの目の前に止まりました。顔を見上げると、目の前にいたのは、子どもでも大人でもない、見た目がド派手なギャル風の女子高生。

「ねえ、なにやってんの?」と言われ、ぼくはしどろもどろに事情を説明しました。そのうち、「へー、じゃあ私たちに読んでみてよ」と、まさかの展開に。「なんだ、つまんねーじゃん」なんて言われるんじゃないかと、内心不安でしたが断るわけにもいかず、恐る恐る読み始めました。はじめてのお客さんを目の前に、一所懸命心を込めて最後まで読み終えたのですが、彼女たちから返ってきたのは、意外にもまわりの足音をかき消すほどの大きな拍手でした。

それから求められるままに、2冊、3冊と読み進めていったのですが、そのふたりは飽きることなく「次、次」と頼んできたんです。ひとりが「そろそろ行かなきゃいけないから、最後にこれ読んでよ」とリクエストしてきたのが、『かわいそうなぞう』(金の星社)でした。悲しいお話なので、ぼくは読むことを躊躇していたのですが、その女子高生が小さいころに読んでもらっていたものだということで、懐かしい絵本に再会してもらうのも聞かせ屋の仕事だと思い引き受けました。

戦時中における上野動物園の飼育員さんの葛藤、そして悲しい結末。読み終えると、それまで聞こえていた拍手がなく、シーンとしていました。「やはり悲しい絵本を読むべきではなかったかな?」と思いながらふたりの方に目をやると、彼女たちはまわりに気づかれないように、溢れる涙をそっと拭っていたんです。ピンと張った空気。人通りの多いその場所で、女子高生とぼくの三人だけが別の世界にいるようでした。その瞬間、ぼくは絵本の読み聞かせで気持ちが届いたことを実感しました。

「誰もやらないことを、自分がやろう」。ギターを絵本に持ち替え、昔ストリートでやっていた場所で絵本の読み聞かせが始まりました。2006年の10月26日の午後9時半。今から10年前のことです。

――いろいろな挫折を乗越え、ようやく「聞かせ屋。けいたろう」が誕生しました。

坂口氏:まだ、乗越えなければいけないことがありました。実習も無事終わり公立の保育園に合格していたので、「その夜」までは、まわりはそのままぼくが就職すると思っていました、当然です。ところが突然、「保育園の先生ではなく、絵本の読み聞かせで生きていきたい」とまわりに話したので、皆は驚き、口を揃えて反対したり、道を見誤ろうとするぼくを説得したりしてくれました。

「保育園に就職して、空いた時間に読み聞かせをすればいいじゃない」。その方が「正しく」「楽」な道なのは、頭ではわかっている。けれど、心にひっかかるのはあの女子高生たちとの時間。自分の迷いに決着をつけるため、あてもなくふらふらと、向かったのは『かわいそうなぞう』の舞台だった上野動物園でした。動物に、「どうしたらいい?」なんて語りかけても、もちろん返事は返ってくるわけもなく、ぼくはまた、あのバイト先の店長に相談したんです。

携帯から聞こえる店長の声は、「なんだそんなことか」と言わんばかりに明るく、「お前もう決まってんじゃん。やりたいことやれよ!」と、とてもシンプルな言葉が返ってきて、そこで一気に涙が溢れ、迷いは完全に消え去りました。ぼくは、この言葉が欲しかったのかもしれません。

「今日から動き出さないと」と、その足で上野動物園の投書箱に決意表明として、路上での読み聞かせのエピソードと、それをいつか聞いて欲しいと、お願いを出しました。

母親には、出勤前の慌ただしい時間に説得することに。時間が足りなかったので、一緒に家を出て電車に乗り、母の職場の一歩手前までずっと一緒についていきながら事情を説明したら、最後に「もうわかったから、ついてこないで」と、なんとか納得してもらって(笑)。こうして、後押しと理解を得て、最後に自分の声に従って、ようやく「聞かせ屋。けいたろう」はスタートすることができました。

「ゼロの距離」で触れ合える幸せをずっと大切にしたい

坂口氏:この10年間は、いろいろなことがありました。始めたころは公演も、月に二度入っているかどうかで、仕事にならず不安だらけの毎日。けれど、「やめよう」とは一度も思わなかったですね。不安になったときは自分がステージにいることで、喜んでくれる人がいることを思い出すんです。

目の前の人が喜ぶ姿を見ることが、ぼくのエネルギー源。それが自分の喜びへと替わる時、最高の幸せを感じています。ぼくの役割は、絵本を通して人をつなぐこと。親と子ども、先生と子どもたち、読み手と聞き手がつながるのは絵本の素晴らしいところで、他の読書では味わうことができません。

今まで、いろいろな寄り道をして失敗も挫折もしてきました。今もその途中でしょう。けれど、どれも「聞かせ屋。けいたろう」の活動につながる欠かせない道だったと、今では思います。これからも絵本を広めるために、この道を進みます。そして絵本を通して親や子どもたちと接しながら、今までと同じように「ゼロの距離」で、その素晴らしさを広めていきたいですね。

 

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アルファポリスビジネス編集部
アルファポリスビジネス編集部

アルファポリスビジネス編集部は厳選した人物にインタビュー取材を行うもので、日本や世界に大きく影響を与える「道」を追求する人物をクローズアップし、その人物の現在だけでなく、過去も未来の展望もインタビュー形式で解き明かしていく主旨である。編集部独自の人選で行うインタビュー企画は、多くの人が知っている人物から、あまり知られることはなくとも1つの「道」で活躍する人物だけをピックアップし、その人物の本当の素晴らしさや面白さを紐解いていく。

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