真中流マネジメント

強いチーム作りは「自主性」のマネジメントから

2016.03.25 公式 真中流マネジメント 第1回

リーダーになる準備はできていた

リーダーになる前から、なったつもりでチームを見ること。
現状の自チーム分析と競争相手分析から、チーム方針を決める。

私が監督に就任した際、チームは2年連続最下位という状況でした。そんな状況下で1軍の監督というバトンをもらいましたが、実は自分の中で心の準備はできていました。というのも、現役の最後の方は代打として主にベンチにいましたから、そこから野球を見る機会が多かったんですね。
私が現役時代、野村監督は「試合に出ていない選手は、ただ見ているんじゃなくて、自分が監督になったつもりで試合を見ろ」と常々言っていました。

なので、「俺ならここはピッチャーを代える」とか、「ここはバントだ」といったように、試合をどうやって組み立てるかということは、そのときから関心がありました。引退後、2軍でバッティングコーチを2年、2軍の監督を3年やらせてもらい、自分がいつ1軍の監督をやれと言われてもいいように、さまざまな準備はしていました。なので、自分なりにヤクルトを「こういうチームにしていきたい」というビジョンは明確にあったんです。

ただし準備ができていたとはいえ、いざ1軍の監督に就任するとさまざまな課題がそこにはありました。2軍の監督時代は、若い選手の人間教育という部分もありました。しかし、1軍の監督になると「勝つこと」が大命題になります。組織として強くするためには、コーチ陣の人間関係や、選手の適正な配置など、あらゆるものを整備していく必要があります。まずはそこからはじめました。

最初は、チーム方針を決めるところからです。自分なりに具体的な構想がぼんやりとはあったものの、チームづくりに「型」というものはありません。なぜなら、常に戦う相手の分析をして、それを見て自分たちのチーム状況を照らし合わせ、そこからチーム作りがはじまるからです。

よく「○○流野球」という言葉を耳にしますが、あれは後づけです。結果的にそうなるだけで、最初からその人流のマネジメントにスタイルがあるわけではないと思っています。ウチのチームでいえば、バッティングは前年のチーム打率が.279でリーグトップ。点を取る方に関して問題はありませんでした。課題は投手力。チーム防御率4.62はリーグワーストで、リーグトップのジャイアンツと約1点近い差がありました。当時正捕手に一番近い中村も、打つ方はよく打つもののまだバッテリーのことはよく分かっていない。山田も川端も、守備に関してはよくエラーもしていました。

投手を中心とした守備力。2015シーズンに向けては、ここにフォーカスしてチームを作っていくことを決めました。
これで、私の大きな柱となるチーム方針は決まりました。ここからは実際のチーム作りに入っていきます。

チームの負けグセを払拭する

「勝とうよ!」というイメージを“しつこく”言い続ける。
「“できない理由”を探すな」と挑戦への気持ちを高める。

就任当時、強くなるうえで最も大きな課題だったのは、チームに根づく「負けグセ」でした。2年連続最下位で、直近の優勝も13年前だったので、強いチームの文化というものが醸成されていません。序盤で点数を取られて劣勢になると「もう負けるんじゃないか」という雰囲気になり、5月の時点で負けが続くと、「もう今シーズンはダメなんじゃないか」と、どんどん悪い方向へ考えていくのが、「負けグセ」です。

負けるチームには、負けるチームの空気があります。しかしよく考えると、プロ野球選手はみんな同じように子供の頃から野球をやり、学生時代を過ごし、ドラフトで指名される。スタートラインには大きな違いがあるはずがないのに、なぜいつも最下位なのか。それは、極論するとプロ野球選手は「チームが勝たなくても生活をしていける」からなんです。チームが優勝しなくても、自身の成績がよければ給料は上がりますから、十分生活をしていけます。でも、チームが強くなって、優勝争いをして、その中で勝っていく喜びというのは、自分の成績を残していく以上の喜びがある。それをみんなで味わいたいし、チームが強いと、チーム関係者や家族、関わるすべての人が喜んでくれる。

経験したことのある人にしか分からないですが、これは至上の喜びです。
だから、「勝とうよ!」というメッセージをとにかく“しつこく”言い続けました。最後の最後まで、「勝つ」ことに執着する。小さなことですし、当たり前のことかもしれませんが、とにかくこれを言い続けることだと思っていました。前年の成績が60勝81敗3分。借金が約20。つまり、10勝すればイーブンでAクラスに行けるのです。長いシーズンを考えれば、10勝分というのは本当に小さな差なんですね。

「あの試合、もう少し粘ることができれば」
「あそこでつまらないエラーをしなければ」

そんな小さなことの積み重ねで、10勝は手に入る。点を取られたら、それ以上点を取られないこと。点を取れるときは取れるだけ取っておくこと。本当に当たり前のことです。ただ、当たり前のことは日頃から言い続けることで選手の耳に残っていきます。なので、とにかく言い続けること。最後の最後まで粘って、勝つ。そのことで、シーズン中の小さな粘りが生まれて、今まで拾えなかった試合も拾えはじめました。そういう小さな自信の積み重ねが、優勝という成果にたどり着けたのだと思っています。

チームとしては「勝つ」ということを徹底的に言い続けることで、その意識を植えつけました。そのうえで、各個人へはキャンプインの段階から「+α」というリクエストをしました。例えばピッチャーであれば、新たな球種を覚えるとか、野手であれば、走塁に関しての技術を磨くとか、今までになかったことへのトライです。

「俺はもうベテランだから」
「俺には走塁は期待されていないから」

という、「“できない理由”を探すな」ということです。何歳からでも、いつからでも、新しいことに挑戦してみろ、というメッセージを伝えました。これは、私自身の性格にも由来するかもしれませんが、昔から「ゲンを担ぐ」ということをやりませんでした。例えば、ある靴を履いて球場に行った試合で、ヒットを3本打ったとします。翌日、「またこの靴履いて行ったら3本打てるんじゃないか」と考えてしまいがちです。しかし、私の場合は「違う靴だったら4本打てるんじゃないか」という、新しい可能性に挑戦するのが大好きでした。「常に新しいこと」を試して自分自身が成長してきましたから、とにかく選手には新しいことにトライしてみることをすすめてきました。

最も重要なことは、個々の「自主性」

指示を待つのでなく自ら考える人材を育てる。
リーダーが率先して早く帰り、無駄な練習をしない環境を整える。

新しいことへのトライ。それをやりやすくするうえで、監督として一番に意識したことは、「自主性」です。自ら考えて、自分が上手くなるために練習する。これをやりやすい環境をつくることに徹しました。しかし、この方針を掲げたときはかなり批判もありました。なぜなら、前年最下位のチームが「自主性」ですからね。ただでさえ弱いとされているチームなのに、自分たちの判断で練習しても強くなるわけがないという声も確かにありました。それでも、私は自主性を推し進めました。なぜなら、この自主性こそが一番キツイということを知っていたからです。自分でやるとなると、誰からも指示されませんからひたすら考えなくてはなりません。そして、結果に対してより責任を持つようになります。

そして私は、自主性を定着させるためにコーチ陣へもあるリクエストをしました。それは、「用がないならグランドにいないでくれ」ということです。コーチもみんな選手経験があります。自分の課題があって、それに取り組んでいこうと練習している時に、コーチに何かを教えられたら、それをやるしかありません。それはときに負担になることもあるというのを、選手時代に体験しているはずです。しかし、コーチになると、それをやってしまう場合があります。コーチになると、「教えるのが仕事」となって過剰に仕事をしてしまうパターンです。

実はこれは多くの場合、逆効果を生みます。ですから、「練習が終わったらとっとと帰ろう」という指示をしました。これを体現するために、誰よりも私が真っ先に帰ることを徹底しました。「とはいえ、監督がいると帰りにくい」という声が出るのが分かっていましたから、私は意図的に誰よりも遅くグラウンドにきて、誰よりも早く帰りました。性格的には、早めにきていろいろやりたいことはあるんです。でも、「選手の自主性を確保する」というものを、まずは自分が一番にやる。これは私が起こした違いですね。

確認しておきますが、それまで2年連続最下位のチームです。そのチームの監督が、練習が終わり次第真っ先に帰るんです。かなり勇気のいる行為のように思えますが、私には確信がありました。自分で考えて練習した方がうまくなることと、それはコーチがグラウンドにいると起こりにくいということを。

取材協力:高森勇旗

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プロフィール

真中満
真中満

1971年栃木県大田原市出身、宇都宮学園高等学校を経て日本大学卒業後1992年にドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団。
2001年は打率3割を超えリーグ優勝、日本一に貢献。2008年現役を引退。
2015年東京ヤクルトスワローズ監督就任1年目にして2年連続最下位だったチームをセ・リーグ優勝に導く。
2017年シーズン最終戦をもって監督を退任。

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