前述の通り、我々にとって負荷になる情報は世界中に散在し、牙をむいてくることも日常茶飯事である。
これは残念ながら事実であり、私たちはその世界の中で生きている。
しかし、そのストレスたちには明確な弱点がある。
「壁を越えられないこと」。まさにコレである。
それはどういうことか。
例えば、あなたが街を歩いていたとしよう。
繁華街の近くを通ると、知らない人々が言い争っている。決して好んで見たくはない光景だが、ここで一つ動いてみる。
目線を逸らし、イヤホンを耳につける。好きな音楽を流し込み、外界にあたる繁華街との接触を断つ。
音楽で、外界の音が物理的に聞こえない。意図的に目を逸らすことで、視野にストレスが入らない。
つまり、ストレスと自分との間に、「壁」を召喚するのだ。
召喚されたその「壁」を、ストレス側が越えてくることはかなり難しい。なぜなら、あなた個人に向けられたストレスではないからだ。ストレス側があなた個人に照準を合わせてくることは考えにくい。
私は、この「壁」を「ウォール・物理」と名付けている。
この「壁」は便利なもので、イヤホンなどの「ウォール・物理」にあたる物理的な壁もあるが、デジタルにも応用できる。
SNSでNGワードを登録すれば、そのSNSでNGワードにまつわる情報は表示されない。さらにストレスになるアカウントをしっかりブロックするなどの行動を起こせば、SNSにおける自分の五感が届く圏内から相手が締め出される。立派なデジタルの壁「ウォール・デジタル」である。
今説明した「壁」であるが、強度を操作するとますます便利だ。
人生には、ストレスになるが多少なりとも付き合わなくてはならない関係やイベントもある。
例えば、職場のお局(つぼね)様の小言。毎日お局様にイライラするが、それだけを理由として職場からは離れにくい。そんな場合も、「壁」の出番である。
名付けて「ウォール・局(つぼね)」。自身とお局様の間に、絶対に越えられない壁があることをイメージして、その壁分の物理的距離を保ち続ける手段である。
必要以上に近寄らず、一定の距離を取ることを意識するのだ。
物理的距離が保たれると、小言は聞こえないし、こちらの情報も届きにくいので、お局がこちらに接する機会が激減する。
お局から見ても「最近、物理的に接しない人」に対する意識は弱くなる。こちらの新しい話題や、普段の行いなどの情報が入らなくなるため、小言を言う機会と材料を逸するためである。
「壁」は、何も関係の根絶や断捨離といった、100か0かという二択ではない。ストレスとの接触頻度、時間、距離を意識的に操作し、受けるストレス量を操作することがその本質なのだ。
人生において、望まないストレスは多々ある。
受けなくてはいけないストレスもあるが、その大半はあなた個人に関係がなく、不要なストレスであることが多いだろう。
よく「人との間に壁を作らないほうが得」などの言葉を冠した書籍やコラムが世の中にはあるが、私自身はそれに対して否定的だ。
必要なストレスにのみ接触することを心がけて、不要なストレスには一寸もその余地を与えるべきでないと私は考えている。
なぜなら、世界中に存在するそのストレスたちを受け入れ、許容する義務や役割はあなたにはないからだ。
どうか、手遅れになる前に必ず、「壁」を作って自分を守ってほしい。
「壁」は絶対に逃げではない。あなたの人生を守る、頼りになる味方だ。