「休めないOS」と聞くと、大げさに感じるかもしれません。
でも、ここで言いたいのは、
「まだ昭和の根性論を信じているんですね」
という話ではありません。
もう、24時間戦いたいわけではない。
無理が美徳だと、本気で思っているわけでもない。
健康が大事なことも知っている。
なのに、体が落ち着かない。
人の体は、目の前で起きていることだけに反応しているわけではありません。
「このあと、何が起きそうか」にも反応しています。
早く帰る。
有給を取る。
返信を明日に回す。
頼まれごとを断る。
現実には、どれも危険ではありません。
でも、体の奥ではこう予測しているかもしれません。
評価が下がるかもしれない。
やる気がないと思われるかもしれない。
誰かに迷惑をかけるかもしれない。
すると、胸がざわつく。
肩に力が入る。
スマホを開きたくなる。
何かひとつ、仕事を探したくなる。
つまり、休めないOSとは、休むことそのものではなく、休んだあとに起きるかもしれないことを、体が先回りして警戒している状態です。
「24時間戦えますか」という時代の号令は、外から聞こえてくるものでした。
でも、その号令が長く社会に流れていると、いつの間にか内側に入ってくる。
そして今度は、自分の中から聞こえるようになります。
ここに、休めないOSの正体があるのだと思います。
休めないとき、体で起きていることは、単に「疲れているのに頑張っている」だけではありません。
体が、休むことを安全だと判断できていない。
たとえば、有給を取る。
本来は、使っていい制度です。
むしろ、使うためにある。
でも、申請ボタンを押す前に少し止まる。
誰かの顔が浮かぶ。
仕事の穴が浮かぶ。
休んだあとの空気まで、勝手に想像してしまう。
ここで体は、もう休んでいません。
まだ何も起きていないのに、起きるかもしれないことに備えている。
この「先に備える」仕組み自体は、悪いものではありません。
専門的には、アロスタシスという考え方に近いです。
体は、状況に合わせて心拍や呼吸、筋肉の緊張、ホルモンの働きを調整します。
危険がありそうなら、先に身構える。
本来は、生きるための賢い仕組みです。
しかし。
予測の材料が古いままだと、警報も古いまま鳴ります。
休むと評価が下がる。
断ると信頼を失う。
止まると置いていかれる。
忙しくない自分には価値がない。
こういう予測が体に残っていると、休むことそのものがストレスになります。
「自分は休むのが下手だ」と責める前に、少しだけ見方を変えてみる。
体は、休むことを嫌がっているのではなく、まだ安全だと判断できていないだけなのかもしれません。