ところが、その中国の経済発展と少数民族政策は、中共の想定外の結果を生んだ。
改革開放初期の中共は、少数民族の生産力を回復し発展させるため、民族学校における独自言語による教育や各民族の文化を振興する策をとったが、それは転じて各少数民族のアイデンティティ強化につながった。しかも経済発展で少数民族の間でも生活の余裕が生じ、文化的に連続する周辺諸国との往来が増したことで、そのような傾向が加速したことは否めない。
一方、漢族は、独りっ子政策と大学受験(高考)など、さまざまな場面で少数民族への優遇に不満を持ち、「今や少数民族こそ現代中国社会の受益者であるにもかかわらず、中華文明・中華民族への求心性ではなく独自性へと向かっている」と見なして苛立った。とりわけ、01年の米国同時多発テロ以後、イスラム的表象を保つムスリム少数民族に対する嫌悪感が強まっていったことは否定できない。
このような流れの中で、08年にはチベット独立運動が起こり、09年には新疆のウルムチで大規模な衝突が起きた。
これに対し中共は、経済発展の持続で富強を目指すためにも、社会の安定を断固として保つと称し、少数民族の尊厳をかけた運動を厳しく弾圧した。一方、2000年代に本格化した「西部大開発」をいっそう推進し、漢族と少数民族の間の社会経済的な結びつきをレベルアップすれば、自ずと「中華民族」意識の共有が進むはずだという立場を維持した。
12年に発足した習近平政権は翌年「一帯一路」政策を提示し、少数民族地域こそ欧州やアフリカへと至る中国の経済発展の最前線と位置づけることで、いっそう少数民族地域の脱貧困と全国経済・グローバル経済との連結を進めようとした。
ところが習近平政権が発足してしばらく経った14年の春、ウルムチ駅で爆破事件が起こり、ついに習近平政権は少数民族のあらゆる離反的な動きを「三毒(分裂主義・恐怖主義・宗教極端主義)」と定義の上、「厳打=徹底的に叩く」という方針に転じた。
こうして出現したのが、「中華民族共同体意識の鋳牢(ちゅうろう)」なる政策である。あたかも強い熱と圧力を加えて鋳物を固めるかのように、今こそ中共と中国の圧倒的な社会管理能力を剣のように振りかざし、少数民族の精神を根本から叩き直すというものである。
そこで実際、チベットなどでは未成年に対して華語による寄宿舎教育が徹底され、児童生徒をチベット語の生活環境から切り離すという強権が振るわれている。また新疆では17年以後、人々の内面が「三毒」にあたるかをAIで判定し、「国家安全」に差し障る刑法犯扱いまたは強制収容によって社会から排除・隔離するという政策が横行した。そして「宗教中国化」と称し、あらゆる宗教は「中華民族共同体意識を涵養し、社会の安定を守る」ような教義へと書き換えさせられている。
さらに20年以後、少数民族言語を用いた教育は、少数民族言語の読み書きを除いて(あるいは往々にしてそれすらも)全面的に禁止され、それに反対する南モンゴル(内モンゴル自治区)でのデモも鎮圧された。その代わりに少数民族は、「国家通用語言文字」と称される簡体字と北京語の世界に強制的に引き込まれている。
加えて習近平政権は、少数民族の就職における「内地」大都市への大規模な斡旋、鉄道・道路インフラのさらなる大々的な建設、そして観光業のいっそうの促進を通じて、「あたかもザクロの実がぎっしりと詰まっているかのように、漢族と少数民族が互いに嵌まり合う」方式による各民族の「交往・交流・交融」を徹底的に進めようとしている。
この「中華民族共同体意識の鋳牢」はもちろん、香港と台湾も例外ではない。