熊本を襲った最大震度7の「令和8年熊本地震」について、台湾側からの支援表明は極めてスピーディだった。頼清徳総統は発生当日の28日、Xにおいて日本語で「心よりお見舞い申し上げます」「台湾と日本は苦楽を共に乗り越えてきた真の友人」「いつでも協力できるよう準備を整えています」と発信した。外国の首脳では最も速いレスポンスだった。
蔡英文前総統も同じ日にXで「心を痛めています。台湾の多くの人々が、今、熊本を想っています。2016年がそうだったように、私たちはいつも日本の皆さんと一緒です」と書いた。それから、政府、政党、政治家、民間の支援表明が台湾各地で奔流のように動き出した。まるで熊本の震災が台湾自身の「問題」であるかのように。
ここまで外国の自然災害に関心を示し、支援をしてくれることについて、日本人としては感謝を抱きつつ、素朴な「どうして」という疑問も湧くだろう。筆者は長く台湾による日本の災害支援問題をフォローしてきた。その中、今回の熊本地震への台湾の対応は「支援の連鎖」「熊本の特殊性」「台湾の政治事情」という三つの要素から読み解くことができると考えている。
「支援の連鎖」については、すでに広く知られているように、東日本大震災の時に250億円の義援金が台湾から日本に贈られた。国民一人あたりの金額としてはトップで、総額でも米国に次ぐものだった。ただ、それは決して11年を起点とする動きではなく、99年に台湾を襲ったマグニチュード7.6の台湾大地震に対して、日本政府は国際緊急援助隊をいちはやく派遣することに端を発する。
日本の行動は、2400人を超える死者を出す未曾有の災害に打ちひしがれる台湾の人々の記憶に強く残った。当時は「倒壊現場での人命救助」が主なミッションで、日本の救急救援隊の高いスキルが語り継がれている。その後、09年8月に起きた「八八水害」と呼ばれる台風被害でも、日本からは緊急援助物資と無償資金が贈られた。
11年の東日本大震災では、こうした経緯を受けて、台湾側は「恩返し」をスローガンに、政府・民間が一体になって義援金活動を展開した。
こうして始まったのは「恩返しの連鎖」である。
16年の台南地震、16年の熊本地震、18年の花蓮地震、24年の能登半島地震、24年の花蓮地震というように、不思議なぐらい交互のタイミングで日台双方で大きな地震が起きている。日台とも同じ環太平洋の火山帯に位置し、太平洋プレートやフィリピン海プレートとユーラシアプレートがぶつかる地震多発地帯にある。大型地震に見舞われやすく、地震災害が起きた時には日台間で相互扶助が当たり前、という意識が、この20数年の経験から両国民にすっかり根付く形となった。
他の外国から援助が届かないわけではないが、日本と台湾の間で突出して支援が活発なのは、何かあった時には行動を起こさなくてはならない、という精神が根付いたことが大きい。前の台湾の駐日代表である謝長廷氏はこれを「善の循環」と呼んでいる。
能登半島地震の時も台湾の義援金は官民合わせて30億円前後に達したとみられている。諸外国の中で突出した数字だった。
今回の「令和8年熊本地震」でも、発生から一週間の中で、台湾の政治・民間の反応は、ある部分で、日本国内を上回るスピードだった。