この問題を考える上で示唆に富むのが百貨店の高島屋である。1831年創業の同社には、商いの基本姿勢を示す「店是」が受け継がれている。
そこでは、確かな商品を適正な価格で販売すること、商品の良否を顧客に正直に伝えること、顧客を貧富などで差別せず平等に扱うことなどと並び、「自他の利益を図るべし」という精神が掲げられている。現在も高島屋は、この「店是」を創業以来の社員の基本的心構えと位置づけている。
ここが興味深い。顧客を大切にする。しかし同時に「自他」の利益を考える。もちろん、19世紀の言葉をそのまま現代のカスハラ問題に当てはめることはできない。だが現代の経営に引き寄せれば、どちらか一方の犠牲の上に商いを成り立たせないという示唆を読み取ることができる。高島屋が現在掲げる経営理念「いつも、人から。」も、人を起点に商いを考える姿勢を表している。
店是には、商品の良し悪しを顧客に隠さず伝えるという考え方もある。顧客に対する誠実さを商いの基本としてきた言葉である。だからこそ、カスハラ対策を顧客軽視と捉えるのは早計だろう。
誠実とは、相手の要求に無条件で従うことではない。できること、できないこと、受け入れられること、受け入れられないことを明確にし、その理由を正直に伝えることでもある。顧客への誠実さと、働く人の尊厳を守ることは、本来別々の価値ではない。
百貨店は、日本の商業の中でも「おもてなし」を大切にしてきた業態だ。丁寧な言葉遣い、きめ細かな接客、顧客の要望を先回りして応えるサービス。そこでは、お客様の声に耳を傾けることそのものが競争力でもある。
その高島屋が24年6月、「高島屋グループカスタマーハラスメントに対する基本方針」を策定し、翌7月に公表した。注目したいのは、「顧客を大切にするか、従業員を守るか」という二者択一にしていないことだ。
顧客の要望に応え、サービス向上を通じて信頼関係を築く姿勢を維持する一方、安心して働ける環境づくりも明確に掲げる。しかも対象は自社従業員だけではなく、売場で働く取引先従業員まで含む「高島屋グループで働くすべての人」である。
百貨店の売場には、化粧品、衣料品、食品など多くの取引先スタッフが立つ。顧客から見れば同じ「高島屋の店員」に見えるが、会社が違えば雇用関係も違う。それでも同じ売場で顧客に向き合う人をまとめて守ろうとするところに、同社の考え方が表れている。
方針を掲げただけでもない。公表後には顧客や取引先へのヒアリング、研修を実施し、25年1月には実態調査と分析を行った。
被害を受けた従業員のメンタルケアには組織的対応が必要だと判断し、社内相談窓口に加えて外部専門家による相談窓口も整備。国内百貨店の管理監督者や売場担当者には、ロールプレイングを交えた初期対応研修も実施している。
ここに重要な示唆がある。「毅然と対応してください」と現場に言うだけでは、人は守れない。どこまで説明を続けるのか。どの段階で上司に代わるのか。どんな言動なら対応を打ち切るのか。被害を受けた後、誰が支えるのか。会社が仕組みを用意して初めて、現場は安心して顧客と向き合える。
カスハラ対応でもっとも避けなければならないのは、担当者一人に判断を任せることである。目の前で顧客が怒っている。「もう対応をやめたい」と感じても、自分で打ち切れば会社に迷惑をかけるのではないか。SNSに書かれたらどうしよう。そう考えれば、真面目な人ほど抱え込む。
だから必要なのは、「あなたが判断してよい」ではなく、「ここから先は会社が判断する」という仕組みである。相談窓口をつくる、判断基準を共有する、上司が交代する、記録を残す、必要なら警察や弁護士と連携する、対応後には心身のケアを行う。カスハラ対策の本質は、現場を強くすることではない。現場を孤立させないことだ。