なぜフランス人はデモし、日本人は従うのか?「大きな政府」で異なる国民行動の実像

2026.10.22 Wedge ONLINE

 フランスでは、年金改革や増税、公共サービスの縮小が打ち出されるたびに、大規模なデモやストライキが起きる。2026年10月にも、連日日本のメディアでも報道されている通り、教育環境の悪化や生活費の上昇への抗議が全国に広がった。10月17日のデモには政府発表で約55万人が参加し、多くは平和的に行進したが、一部では暴動に発展した。

フランスでは、教育改善や物価高対策訴え各地で大規模デモが繰り広げられている( ロイター/アフロ)

 日本でも、社会保障負担は増え、実質賃金や生活水準をめぐる不満が蓄積している。それでも、政府や企業の方針を変えさせようと企図するデモやストライキは起きない。争議行為を伴う労働争議は、ピークだった1974年の9581件から2025年には77件まで減少した。

 背景には、企業別組合を基礎とする労使協調の定着がある。組合は労働者全体の利益より所属企業の存続と成長を優先し、経営側との対抗関係より運命共同体に近い関係を形成した。労働者を代表するはずの組合が企業内部の調整機関となり、労使協調は次第に癒着的な関係へ傾いていった。

 フランス人は好戦的で、日本人は従順だからだろうか。国民性という説明はわかりやすい。だが、根本にあるのは国家と市民との関係である。より正確にいえば、国民が国家を自分たちの交渉相手として扱ってきたフランスと、国家を所与の秩序として受け入れてきた日本との違いである。

フランスの「大きな政府」は契約の政府である

 フランスは、先進国の中でも代表的な「大きな政府」の国である。2025年の一般政府支出は国内総生産(GDP)比57%台に達し、年金、医療、失業給付をはじめとする社会保障支出も大きい。高齢化した社会を政府が支えるという点で、日本が向かう先を先取りしているともいえる。

 この大きな政府を支えてきたのが、社会主義と親和的な国家観である。フランスには、共和国が市民の自由と平等を実現すべきだという考えがある。

 戦後には主要産業の国有化やディリジスム(国家主導主義)が採用され、保守政権の下でも国家が経済と社会を方向づける発想が維持された。フランス政治そのものが、国家による社会形成と親和的なのである。

 同時に、フランス人は強い国家を自分たちの上位にある存在として受け入れてきたわけではない。国家は国民を統治するとともに、人民の意思を実現する装置でもある。

 国家が人民を代表する以上、その政策は人民に直接責任を負う。政府が責任を果たしていないと判断すれば、市民は街頭に出て修正を迫る。

 このため、フランスの街頭は政府の第四部門にたとえられることもある。街頭での抗議は、市民が政府に応答を迫る政治参加の一部なのである。

 フランス人は高い税金や社会保険料を負担する代わりに、年金、医療、教育、雇用保障を国家に要求する。国家が恩恵を与え、市民が受け取る関係ではない。負担と給付をめぐり、双方が義務を負う政治的な契約である。

 政府が給付を減らし、退職年齢を引き上げれば、市民は契約条件の変更と受け止める。フランスのデモは大きな政府への拒絶ではなく、大きな政府に約束を守らせるための行動なのである。

 抗議によって政治を動かした歴史もある。1930年代の社会運動は労働者保護を前進させ、1968年の運動は賃金や労働条件の改善につながった。その後も政府が改革案を修正、撤回した例がある。抗議すれば政治が動くという経験が、次の抗議を合理的な行動にする。

 集団行動を支えるもう一つの柱が、産業別協約を広く適用する仕組みである。組合加入率が低くても、非組合員まで協約の対象となるため、少数の組織された人々の行動が社会全体の労働条件に影響しうる。抗議の成果が参加者だけに閉じない構造が、デモやストライキを支えている。

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