知っていても意外と説明できない「SDGs」の本質

(写真:USSIE/PIXTA)

こんにちは、デビットです。最近テレビで有識者の方などがスーツの襟にカラフルなドーナツ型のバッチを着けている姿を見かけます。東洋経済の読者の皆さんならおわかりになると思いますが、これは「SDGsをサポートしています」という意思表示ですね。

2015年に提唱されたSDGs、日本でも昨年あたりから急に注目を集めるようになってきたように思います。そんなSDGsを語るときにどうしてもサステナブル、エシカル、ダイバシティ、インクルージョンなどのカタカナ語がついてまわります。今回は、ちょっと気取って使って「意識高い系」になってしまわないよう、これらカタカナ語の辞書的な意味以上の背景もチェックしながら、SDGsについても一緒に考えてみたいと思います。

「サステナブル」の意味がわかりにくい?

SDGsはSustainable Development GoalSの略で、「持続可能な開発」あるいは、「持続可能な社会」と訳されます。これは国連が2030年までにこうした状態にしなければいけない、17の分野で掲げた目標です。ただ、Sustainable Developmentというのは正直なところ誰が何を開発するのか、非常にわかりにくい言葉です。

日本では「Sustainable(サステナブル)=環境問題についての取り組み」と解釈する傾向にあると思います。このままにしておくと破壊されてしまう地球環境を「維持しましょう」ということですね。

しかし、国連開発計画のホームページをみるとSDGsは「貧困に終止符を打ち、地球を保護し、すべての人が平和と豊かさを享受できるようにすることを目指す普遍的な行動を呼びかける」ものとしています。SDGsの17の目標を見ると「貧困をなくそう」「ジェンダーを平等に」「働きがいも経済成長も」などが挙げられていて、単純に「サステナブル」を環境問題と捉えていると違和感を覚えるかもしれません。

では、何が「サステナブル」であることを求められているかというと、われわれ企業の営利活動、さらにいうと資本主義という仕組み自体が「サステナブル=普遍的な行動」をとることを求められているのです。

産業革命後の世界では、国際的企業は大量の資源を消費し、発展途上国で安く生産した商品を先進国で販売することで「発展」をしてきました。しかし、その結果、環境は破壊され、経済格差が進み、教育を受けられない若者や機会の不均衡を生んでしまいました。人類は袋小路に迷い込んでしまってはじめて「これを止めなければ」と気が付いたのです。

しかし、残念ながらこうした問題を止めることは、すなわち経済の発展を止める、あるいは後退させることにもなるのです。これは「経済を成長発展させる」という資本主義をここまで発展させてきたエネルギー源とも言える考え方とは相いれないものです。

SDGsはこうした行き詰まりに対し、本質的な解決を図るための提言です。「経済発展をSustain(維持)する」一方で、その発展したいというエネルギーで「諸問題を解消する」ということです。つまり、資本主義、企業活動というワードが「サステナブルな」の本当の主語なのです。

SDGsとは企業が発展することをやめ、慈善活動をすることを求めているように誤解しそうになりますが、そうではありません。むしろ発展し、利益をどんどん出すことを目指してよいのですが、その結果、社会がいい方向に向くような経済の仕組みを経済界全体で作り上げようということなのです。

必要なのはシンパシーでなくエンパシー

とはいえ、本当にそんなことが可能なのでしょうか。