「きのう何食べた?」万人から愛される納得の理由

同作はなぜ万人に愛される作品になれたのか?(写真:劇場版『きのう何食べた?』公式サイトより)

「ゲイの男性」の描き方が変わってきた

5~6年前まで、テレビドラマにおけるゲイの男性の描き方は、基本的に画一的だった。あくまでスパイスとしての役割であり、ステレオタイプに描かれてきた。

「女言葉で毒舌を吐き、懐の深さで人生相談に応じる」「若い男性や二枚目を狙うため、男から怖がられる」「女性に厳しく辛辣、男性には甘い」「女装や派手な服が定番」などなど。「男が好き=女のようにふるまう」という決めつけの前提があり、デフォルメされて色物扱いに。好きになる対象が男である、というだけなのに、「異」の存在として描かれる傾向が強かった。

今は違う。ごく当たり前に日常生活を営む。特殊な存在ではなく、どこにでもいる人として描かれるようになった。女装でも女言葉でもないノンケの男性がゲイの男性を好きになって、戸惑いながらも恋に落ちていく過程を丁寧に描き、空前のヒットとなったのが、田中圭主演の『おっさんずラブ』(2016・2018、テレ朝)だ。映画化し、シチュエーションを変えた新装版(2019)も制作。コミカルな展開だが、男たちの男たちによる男たちだけの恋愛ドラマとして人気を博した。

また、童貞の主人公(赤楚衛二)が「人の心を読める力」を授かってしまったがために、同僚の男性(町田啓太)の優しさに惹かれていく心模様を描いたのが、『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(2020・テレ東)だった。

この背景には、日本の賢くて想像力豊かな女性たちがいる、と私は思っている。彼女たちがひっそりと、しかし堅実に着々と育てあげてきた「BL文化」がドル箱メジャーコンテンツとして花開いたため、テレビドラマにいい影響を及ぼした、と。今こうして楽しめるのも、腐女子の皆さんのおかげやで。

ただし、この2作は恋の入り口を描いていて、若さとときめきを重視した「ノンケとゲイの初めて物語」。人を好きになる尊さが主軸で、その先に続く日常にはたどり着いていない。で、ようやく今回のお題『きのう何食べた?』である。

2019年にテレ東が連ドラで放送、翌年の正月にはスペシャルドラマも制作。さらに映画化され、現在「劇場版」が上映中。シロさんこと筧史朗を演じるのは西島秀俊、ケンジこと矢吹賢二を演じるのは内野聖陽。このゲイカップルは、原作漫画ファンも納得のキャスティングだ。そもそも原作漫画が秀逸であることに加え、制作陣の原作に対する思い入れも相当強く、万人から愛される作品となったわけだが、この魅力をざっくりまとめてみよう。

加点方式の愛と、文字通りの日常茶飯事

まず、最大の長所は、このふたりの愛が「加点方式」であるところだ。恋をして愛を育んで、ともに暮らしていくと、どうしても「減点方式」になってしまうのが定石。相手のイヤなところばかり目について、減点を重ねる。愛情は目減りしていき、最後に残るは惰性と妥協と諦観。そんなカップルがほとんどよ、世の中は。

ところがシロさんとケンジは、お互いの長所をどんどん見つけていくし、自分の悪いところは極力直していく。

連ドラでは、ふたりのスタンスの違い、心が擦り減るような偏見をもつ家族との距離、同棲の経緯や互いの過去なども丁寧に描かれた。スペシャルドラマではその延長線上の愛情確認、劇場版では四季の美しい風景(紅葉や桜)とともに、ふたりが成熟して絆をより深めていく様を描いている。

西島&内野の愛情表現も、時間経過とともにどんどん高まっている気がする。「イヤ、もう、マジで好きでしょ、あんたたち」と思わせるふたりの空気。連ドラの初めの頃と比べても、お互いの敬意と愛おしさが増し増しになっている感がある。ふたりの長期的な計画による演技プランだとすればすごいし、演技を超えた好意がこんなに漏れ出てくるのは稀有。劇場版ではふたりの「表情の柔らかさが醸し出す心情変化」と「経年で生じるなれあいの心地よさ」をたっぷり堪能できた。