「配属ガチャ」「上司ガチャ」が何とも不毛すぎる訳

日本のキャリア形成が「ガチャ」と呼ばれてしまう理由とは?(写真:FreedomZ/PIXTA)

少し前に「親ガチャ」をはじめ「〇〇ガチャ」という言葉が話題になった。人生のさまざまなシーンについて、スマホゲームでアイテムを引く「ガチャ」になぞらえた表現だ。人生は努力次第ではなく運次第であるという皮肉や諦めも混じったこの言葉は、スマホゲームに子どもの頃から親しんだ、とくに若手世代の共感を呼んでいる。

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だが、最近では、キャリア選択にすら「ガチャ」要素があると言われ出していることをご存じだろうか。キャリアにも、ガチャを適応し、「努力してもしょうがない」と映っている社会は、決して健全とは言えないと、私自身は思っている。とはいえ、若手世代が、就職・転職システムや組織内のキャリアパスに不具合を感じているのには理由がある。

配属ガチャ、上司ガチャ…。日本の就職はガチャだらけ

学校を卒業し、企業に就職した若者を真っ先に待ち受けているのが、いわゆる「配属ガチャ」だ。どこに配属されるかが運頼みという捉え方だ。勤務地や部門が多岐にわたる大手企業の総合職社員ほど直面しやすい。おおむね入社前後および研修期間終了時に正式な配属先を通知される際、希望どおりの部門に配属される人はいいが、「東京を希望していたのに、縁もゆかりもない地方配属になった」「企画の仕事がしたくて就職したのに、営業なんて聞いてない」と、希望がかなわない場合もある。

一方、配属を決める企業側としても無意味に理不尽なことをしているわけではない。事業戦略にもとづく人員計画がある以上、すべての人の希望を100%かなえるのは難しいのが実情だ。育成観点で複数の部門をジョブローテーションさせる方針の企業もある。むしろ本人の中長期的な成長を期待して、個別の適性も熟慮しながら配属先を決定しているのがほとんどだ。

しかし、ここに企業と個人の間にズレが生じている。日本の大手企業が総合職社員を職種も勤務地も無制限に配置転換させてきたのは、終身雇用が前提だったから。かつては、「定年まで面倒を見るから、そのかわり会社の要請に応じてね」という暗黙の了解が機能していた。ところが、終身雇用が完全に崩れ去った現代の若者で、就職しても一生安泰と思っている人は減る一方だ。会社を変える選択肢も当たり前の世代だからこそ、今この瞬間に自分の希望する仕事ができるかが大切になる。

また、「配属ガチャ」と同様に、「上司ガチャ」「同僚ガチャ」という言葉すらも見かける。誰が上司や先輩になるかは、まさしく運次第。どんなに希望どおりの仕事内容でも、周囲の人間関係次第で楽しくも苦しくもなることを表現している。

新卒社員の研修時でよく挙がるのは、「そっちの上司の〇〇サンはいいよなー、うちの上司の△△サンなんてめっちゃハズれなんだけど……」などという会話だ(もちろん上司側に実際に問題があるケースもあるのだが)。

一方で、「上司ガチャ」とは逆に中間管理職が「部下ガチャ」を嘆くシーンも増えつつある。配属される部下の特性次第で、上司がマネジメントに非常に苦労するケースが出ているからだ。いずれにしろ、上司・部下・同僚の組み合わせは運の要素で決まることが多く、自身がキャリアにおいてどんなに努力をしても覆せないこととして捉えられているのだろう。

会社を選ぶのではなく、仕事や人で選ぶ時代に

このように、仕事やキャリアに関わる出来事を「ガチャ」と言われはじめたのはなぜなのだろうか。理由の1つに考えられるのは、個人が仕事を選ぶ基準が変わってきたことだ。先に挙げたように、終身雇用が過去の幻想となり、「安定した大手企業に勤めていれば一生安泰」という価値観の人は確実に減っている。