説得がヘタな人と難なく納得させる人の決定的差

さて、法廷での勝負できわめて重要な役割を果たすのが、弁護をする者と弁護されている者の人柄、普段の様子やふるまい、生活態度だ。

聴衆ができるだけ弁護人と依頼人に好感を抱くようにし、また反対に、相手側については悪い印象を与えるようにするのが効果的なやり方だ。

人の心というのは、相手の品格、功績、名声に惹かれやすい。こうした要素は、まったく持っていないのに持っているかのように見せるよりも、ある程度持っているものを美化するほうが簡単である。

声を抑え、控えめな表情と丁寧な言葉遣いで

いずれにしても、話すときには声の調子を抑え気味にして、控えめな表情を浮かべ、丁寧な言葉づかいにすると、いっそう効果的だ。

何か強調したいことがある場合にも、自分は物事を大げさに語るタイプではないが、声を大にして言わずにはいられない、といった様子を見せると良い。

それから、親しみやすさ、寛大さ、温厚さ、誠実さ、義理堅さを印象づけたり、私利私欲がなく、貪欲ではないことを示したりするのも非常に有効である。

つまりは、真面目で謙虚な人、辛辣さや強情さのない人、争いを好まない人――冷酷ではない人が持っている性格的な特徴はすべて聴衆の好感を得やすく、これと反対のタイプの人は聴衆の心を遠ざけやすい、ということである。

したがって、論争相手が、自分とは正反対のタイプであるというアピールを聴衆にすることも忘れてはならない。

人柄を使ったこのような説得は、激しく感情的な口調で陪審員の心を揺さぶる場面が少ない訴訟において特に効果を発揮する。

常に力強い話し方をする必要はなく、抑えのきいた、穏やかで落ち着きのある話し方のほうが望ましいことも多い。

特に、聴衆が関係者(被告人だけでなく、その訴訟で自分と同じ利害関係を有する人全員)に対して好印象を持つようにしたいときには、このような話し方の出番である。

彼らの人柄が公明正大であること、敬虔で神々に対する畏敬の念を忘れていないこと、不当な扱いにも耐えられる芯の強さを持っていることを弁論で語るのは、想像している以上に裁判の結果に良い影響を与える。

さらに、そのときの話しぶりが、聞く者を不快にさせない分別のあるものならば――それが弁論の冒頭であれ、事実の陳述であれ、結びの部分であれ――その効果がおよぶのは、裁判の結果だけにとどまらない。

聞く者に配慮した品の良い弁論というのは、「話し方が弁論家の人となりを決める」と言わしめるほど、大きな影響力を持っている。

聴衆に支持される考えを、聴衆に好まれる言葉づかいで表現し、それを親しみやすい穏やかな口調で伝えれば、この弁論家はきちんとした立派な人――つまり信頼できる人物だ、と思ってもらえるのだ。

体内を流れる血液のように

人柄による説得は多くの場合、弁論がおこなわれているあいだ、常に表面的にはそれとわからない形で使われている(このことを、キケロは体内を流れる血液にたとえている)。
その結果、弁論や演説が終わるころには、話し手とその論敵の人柄、さらに場合によっては話の内容に関係ある人物や訴訟の関係者の人柄のイメージまでもが、聞き手のなかにすっかりできあがっているのだ。
たとえばキケロは、父親殺害の疑いをかけられたロスキウスという人物を弁護した際(前80年)に、ロスキウスが素朴で質素な農民であり、自分の父親を殺すなどという残忍な考えを思いつくような性格ではないことを、弁論の最初から最後まで強調し続けた。
それに加えて、殺害されたロスキウスの父親と敵対していた人物については、自堕落で道楽的な性格をしており、欲に駆られて凶悪な罪を犯す可能性があったと述べた。以下の1節は、そのときの弁論の中盤部分である。
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ロスキウス氏の無実を何よりも物語っている証拠について、わたしが説明するまでもないだろう――それは、田舎の質素な生活、気取らない素朴な暮らしからは、普通、このような犯罪は生まれないということだ。

穀物や木々が、土の種類と関係なくどこでも育ったりしないように、犯罪もまた、日々の生活と無関係に起こったりはしない。

都会では贅沢が生まれ、贅沢からは欲が、欲からは傲慢な心が生まれる。その傲慢さが、あらゆる犯罪や悪事を引き起こすのである。

一方、あなたに言わせれば「貧乏くさい」田舎の暮らしは、むしろ慎ましさや勤勉さ、そして公平な心を教えてくれる。[『ロスキウス弁護』75節]