シリコンバレーの人の自己肯定感がすごすぎる訳

シリコンバレーで働く人たちはなぜ自己肯定感が高いのでしょうか(写真:Kostiantyn Postumitenko/PIXTA)
2017年の調査データ(国立青少年教育振興機構「高校生の心と体の健康に関する意識調査」より)によると、「自分は価値のある人間だと思う」という高校生への問いに対し、「イエス」が日本では45%、アメリカでは84%だった。このように、諸外国の中でもアメリカの人々の“自己肯定感”は高いというデータは多く出ているが、それを身をもって感じているのが、ライフコーチの宮崎直子さんだ。
人生のほぼ半分を日本、残りの半分をアメリカで暮らし、日本とシリコンバレーのIT業界で仕事をしてきた宮崎さんが、アメリカの“鋼の自己肯定感”を育てる文化について解説する。鋼の自己肯定感とは、一度上がったら二度と下がらない一生ものの自己肯定感のことだ。
本稿は『鋼の自己肯定感 ~「最先端の研究結果×シリコンバレーの習慣」から開発された“二度と下がらない”方法』より一部抜粋・再編集してお届けします。

これは、私の娘がシリコンバレーの小学校に通っていた頃の話である。娘が学校で書いてきた作文を読んで驚いた。1ページぐらいのその作文は、誤字脱字だらけだったからだ。

でもそれよりもさらに驚いたのは、それを先生が奨励しているということだった。私が日本の幼稚園児だったとき、母の誕生日に書いたメッセージが、「ママおめでとう」ではなく「アアおめでとう」になっていたので、母からひどく怒られたことをふと思い出した。

スペルよりも大事なのはアウトプット

娘の学校では、スペリングは「だいたい」でいいとのこと。音に近いスペリングであれば、riteだろうが、rightだろうが、wrightだろうが、構わないのだそうだ。

それよりも大事なのは、アウトプット。スペリング、そして文法さえも気にせずに、自分が思っていることをとにかく書けるかどうか。それを先生は期待しているし、評価している。

確かに、文字や単語を覚えたての低学年の小学生に、スペリングや文法をちょっとでも間違ってはいけませんと指導すれば、それに気を取られて自分の意見が出にくくなるだろう。せっかくの書きたいと思う気持ちが、スペルや文法を間違えると怒られるという気持ちに負けてしまう可能性が高い。

正しさよりもアウトプットを重視という傾向は、大学、大人になっても続いていく。私が修了したアメリカの大学院でも、正しさよりもアウトプットが求められた。ほぼすべてのクラスで、「授業への参加」というのが成績の一部になっていたのだ。

この「参加」というのは、授業に出席したかどうかではない。出席はもちろんしないといけないが、ここでいう「参加」は、授業中に発言したかどうかということだ。そしてその発言は、たとえ的外れでも、先生の意見と真っ向から対立していても、まったく構わないのだ。

授業を先生と生徒が一体になって作り上げる1つのコミュニティと捉らえ、自分の意見を出すことでそのコミュニティ作りに貢献したかどうかが評価される。これに気づいてからは、私も授業中、積極的に発言した。とにかく、発言したもの勝ちなのだ。

これは、大人の世界でも同じ。アメリカの政治討論会を見てみると、大統領選ですら、まったく的外れの回答、意見でも堂々と述べている。それでも問題ないのだ。

それよりも、慎重に考えすぎて発言しなかった人のほうが低く評価される。この人は、自分の意見がないのかと思われてしまうからだ。つまり、正しいかどうかは別として、自分の考えがあるかないか、それを人に自信をもって伝えられるかどうかが重視される。