武蔵小杉“居住不能事件”以後、世間のタワーマンションへの評価低下が鮮明に

武蔵小杉のタワーマンション群(撮影=編集部)

 2019年の10月12日、台風19号が関東地方に襲いかかった。その後、関東甲信越、東北地方にかけて大きな被害をもたらし、多くの住宅が冠水して使用不要となった。

 そのようななか、なぜか神奈川県川崎市の武蔵小杉エリアにある47階建てのタワーマンションに関する報道が目立って多かった。他ならぬ私にも、原稿依頼やテレビ出演、コメント依頼などが殺到した。私にとっては、いかにも不思議だった。台風によって亡くなった方も多いなかでなぜ、ただ電気と水道とトイレが使えなくなっただけのタワマンに関心が集まるのか。あるいは冠水して住めなくなった住宅がたくさんあるなかで、それらに比べればうんと軽微な被害しか受けていないタワマンについて、多くの報道がなされるのか。

 そういった疑問に対して、私は心の中で出した答えがあった。

――これはタワマン居住者に対する「ザマア」だ。

「ムサコマダム」

 武蔵小杉にタワマンが建ち始めたのは12年ほど前からである。最初は、ちょっとだけ高収入なサラリーマンが買えるレベルの価格だったが、ここ5年ほどは「ちょっと」レベルではなくなった。世帯年収が1500万円以上でないと、なかなか買えない水準にまで価格が高騰してしまった。

 ただ、今回被害を受けたタワマンは建物完成が2008年3月と、ごく初期に分譲された物件。2007年頃に世帯年収が1000万円前後だった方々が購入層の中心かと推定できる。だから、専業主婦がいる世帯も多かったはずだ。そういったファミリーの専業主婦たちが、武蔵小杉の街で平日のデイタイムを優雅に過ごす姿を捉えて「ムサコマダム」なるワードが出てきた。

 実のところ、武蔵小杉でタワマンを購入した人々の属性は、東京湾岸のタワマン族とほぼ同じであると思われる。すなわち、「ニューカマーのプチ成功者」。大学入学か就職の時点で東京へ移住してきた人々で、その後、世帯年収が1500万円前後に達したファミリー。

 こういった属性の人々は、東京のどこかのエリアに地縁や愛着があるわけではない。だから、湾岸の荒漠とした風景が広がる埋立地に住むことを厭わない。むしろ、そこに未来への可能性を見いだしさえする。

 武蔵小杉も、昭和の頃は工場と工場労働者の街だった。その時代の武蔵小杉を知る人からすると、「ムサコマダム」と言われても、白々しい気分になるそうだ。

 しかし、彼らはなんといってもプチ成功者であるので、やや目立っていたのかもしれない。そういった彼らに対して送られる眼差しは、賞賛をたたえたものだけではない。彼らのプチ成功を快く思わない人も一定数いることは想像に難くない。

 そういった人々にとっては、台風19号によって電気と水道とトイレが使えなくなって、一定期間にしろ居住不能となった武蔵小杉タワマンのニュースには、好奇心がそそられたのであろう。下世話な言い方をすれば「ムサコマダム、ザマア」という感情だ。

 そんなタワマンへの複雑な感情は、せいぜい数カ月程度で消えてしまうのかと私は考えていた。しかし、どうやら違ったようだ。2020年になってからは、タワマンという住形態に対する疑念を呈するようなメディアの企画が、いくつも私のところに持ち込まれた。どうやら、あの武蔵小杉のタワマン被災をきっかけにして、タワマンという住形態そのものに対する世間の見方が変わりつつあるようだ。

造形的に醜悪だと捉える感覚

 私は2019年の6月に『限界のタワーマンション』(集英社新書)という拙著を世に問うた。それまでタワマンというのは賞賛の対象ではあったが、否定的な見解を提示している書物はなかった。この拙著を出したことによって、多くの一般消費者から「やっぱりタワマンはちょっと危ない住まいだったのですね」的なことを言われることが多くなった。また、取材にやってくるメディアの少なからぬ人士が「前からタワマンに違和感がありましたが、この本を読んで納得できました」的な感想を述べてくださった。