三井物産を生んだ切れ者…『青天を衝け』で“政商”三井家を生んだ、三野村利左衛門の暗躍

 ここで、なぜ大隈重信が出てくるのかというと、大隈の妻・綾子(演:朝倉あき)が小栗上野介の従姉妹だからだ。明治初年の新政府財政は、以下の4人で動かされていた。

・大蔵卿 (大臣)  大隈重信(演:大倉孝二)
・大蔵大輔(次官)  井上 馨(演:福士誠治)
・大蔵大丞(次官補) 渋沢栄一(演:吉沢 亮)
・造幣権頭(局長)  益田 孝(演:安井順平)

 利左衛門は、そのトップの大隈重信と小栗家を介して人脈があったので、大蔵省に取り入った。明治4(1871)年には「新貨幣為替御用」を三井が独占的に拝命することに成功。さらに三井家のみ銀行「三井組バンク」設立が許可された。

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「日本資本主義の父」とも称された渋沢栄一が、その生涯で設立や経営にかかわった会社は500以上に上るとも。日本最古の銀行・第一国立銀行は、1873年(明治6年)に渋沢栄一により創設された。(画像はWikipediaより)

渋沢栄一によって日本初の近代的銀行・第一国立銀行が設立…三井家単独の銀行設立は認められず

 ところが、翌明治5(1872)年1月、大蔵省は態度を一変、三井単独の銀行設立に待ったをかける。

 井上・大隈・渋沢は、井上の私邸に三井一族・利左衛門らを呼び、銀行設立の条件として、不振の呉服店を三井から分離し、銀行設立に専心するように勧告した(「銀行設立は諦めてくれよ」と無理難題を押し付けたという説もある)。呉服店は三井の祖業であり、三井一族は拒否したが、利左衛門は粘り強く一族を説得。呉服店を分離した。

 ただし、三井家は表面上は分離するものの、ウラでは繋がるように工夫していた。すなわち、三井家は一族から若者を分家させて三越家をつくり、かれらに越後屋呉服店(現・三越伊勢丹)を譲渡。三井家の財産から切り離したのだ(「三越」とは「三井」と屋号の「越後屋」を掛け合わせたものである)。

 当初、大蔵省首脳は英国型の中央発券銀行制度を想定し、三井にその役割を担わせようと考えていたらしい。ところが、伊藤博文(演:山崎育三郎)が米国型のナショナル・バンク方式にすべきと猛反対。結局、新政府は伊藤案に傾き、渋沢栄一が国立銀行条例を作成。明治5年11月に交付された(国立銀行とは国営の銀行ではなく、ナショナル・バンクを和訳したものだ。ちなみに「銀行」という言葉は、当時中国で使われていたいくつかの用語のなかから、渋沢栄一が決めたのだという)。三井家単独の銀行設立が認められなかった背景には、そんな政府内部の方針転換があったらしい。

 結局、明治6(1873)年6月に三井・小野家の共同出資で第一国立銀行(のち第一銀行、第一勧業銀行を経て、現・みずほ銀行)が設立された。頭取は三井家と小野家当主の2人、副頭取も三野村利左衛門と小野組の番頭・小野善右衛門(演:小倉久寛)の2人が選任され、月番で交替した。そして、それらの上に総監役として渋沢栄一が就任した。

 なぜ、大蔵官僚の栄一が一民間銀行の役職に就くのか。実は、栄一はその前月に大蔵省を退官していたのだ。第一国立銀行に天下りするためではなく、新政府内部の軋轢で、井上馨が退官。栄一と益田孝も行動を共にしたのである。

明治新政府の「抵当増額令」によって、小野・島田家は破綻、三井家のみが生き残る

 さて、明治維新以降、政府の公金は三井・小野・島田家が取り扱っていたが、3家はそのカネをそれぞれ「浮き貸し」していた。明治7(1874)年10月、政府は「抵当増額令」を発布。それまでは預かっている公金の3分の1に相当する抵当を差し出すことになっていたのだが、それを全額相当に引き上げたのだ。しかも、その提供期限を2カ月後の12月に設定した。