インバウンド9兆円でも受け入れは限界…訪日6千万人目標を阻む宿泊業界の二重苦

 地方の宿泊施設、特に旅館は「季節集中型」の構造から抜け出せていない。インバウンド需要が集中する春(桜)と秋(紅葉)の時期には、需要が供給を遥かに上回る一方で、冬や夏の閑散期に備えて固定費を抑えなければならない。2025年のトレンドとして顕著なのは、地方の旅館が「全室稼働」を諦め、あえて稼働率を50〜60%に抑えつつ、一組あたりの単価を引き上げることで収益を確保するモデルへの転換だ。

 これにより、統計上の「客室数」は存在しても、実際の「受け入れ可能数」は減少している。都市型ホテルが高い稼働を維持する一方で、地方のリゾートや旅館は、高単価化に成功した「勝ち組」と、人手不足で廃業や規模縮小を余儀なくされる「負け組」の二極化が加速している。

宿泊業界の構造問題…コロナが壊した「人材の連続性」

 なぜここまで深刻な人手不足が続くのか。その根源は、コロナ禍の3年間で失われた「人材の連続性」にある。

 2020年から2022年にかけて、宿泊業界を離職した若手・中堅層の多くは、給与水準が安定し、かつリモートワーク等の柔軟な働き方が可能な他業種へと流出した。一度流出した人材は、2025年現在も戻っていない。そこへ「団塊世代の大量引退」という2025年問題が重なり、現場の高齢化は深刻度を増している。

 特定技能制度を活用した外国人材の受け入れは進んでいるが、ここにも格差がある。

 「特定技能の受け入れには、煩雑な在留資格対応や、生活支援、一定水準以上の教育コストがかかります。これに対応できるのは資金力のある大手チェーンや外資系のみで、地方の中小旅館にとっては、採用コストそのものが経営を圧迫する要因になっています」(地方旅館組合関係者)

 結果として、外国人材の活用が進む施設と、人手不足で立ち行かなくなる施設の「受け入れ格差」が、観光立国としての底上げを阻んでいる。

価格上昇という”見せかけの好調”

 現在、宿泊業界の業績は「過去最高」の文字が躍る。しかし、それは「客数の増加」ではなく、主に「単価の上昇」によって支えられたものだ。

 東京商工リサーチの調査によると、ビジネスホテル大手8ブランドの平均客室単価(ADR)は、2025年3月期において1万3,930円に達した。2021年の約6,180円と比較すると、わずか4年で2倍以上に跳ね上がった計算になる。一方で稼働率は81%前後で横ばい、あるいは微減傾向にある。

 この単価上昇は、人件費や光熱費の転嫁という側面もあるが、本質的には「供給不足による価格吊り上がり」である。観光庁のデータによれば、訪日客の旅行消費額に占める宿泊費の比率は38.5%(2024年4〜6月期)と極めて高い。

「宿泊費の高騰は、短期的には利益率を改善させますが、中長期的には『日本はコストパフォーマンスが悪い目的地』というレッテルを貼られるリスクを孕んでいます。特に、本来の価値以上に価格が跳ね上がったビジネスホテルに対する不満は、リピーター率の低下を招きかねません。『量から質へ』というスローガンは聞こえが良いですが、実際には『量をさばけないから価格を上げざるを得ない』という消極的な選択である側面を否定できません」(湯浅氏)

観光立国2030年目標に間に合うか

 2030年の目標達成に向け、日本は何をすべきか。政策・産業・地域の三層での構造改革が急務だ。

政府レベル:インフラとインセンティブの再構築 単なる広告宣伝ではなく、建設・改修コストへの直接的な補助や、北陸新幹線延伸などの交通インフラを活用した「真の分散化」を推進する必要がある。

産業レベル:テクノロジーによる脱・人手依存 セルフチェックインや清掃ロボット、AIによる需要予測はもはや贅沢品ではなく、生存戦略である。ただし、中小施設の導入を支援する「共同利用型プラットフォーム」の構築が欠かせない。

地域レベル:DMOを核とした人材シェアリング 特定の施設で雇用するのではなく、地域全体で人材を共有する「マルチタスク型」の雇用モデルや、自治体が仲介する外国人材受け入れ組合の組成など、地域単位での効率化が求められる。

供給の天井を突き破れるか

 インバウンド消費が過去最高を更新し続ける中、日本の観光産業は「稼ぎたくても稼げない」という供給の天井に突き当たっている。東京での供給力ひっ迫は、地方への分散を促すチャンスであると同時に、地方の受け入れ基盤の脆弱さを直撃する劇薬でもある。

 2030年の目標値は、単なる需要の積み上げでは到達できない。いま必要なのは、日本の宿泊産業が抱える「低賃金」「労働集約型」「季節変動」という構造的欠陥にメスを入れ、持続可能な供給体制を作り直すことだ。観光立国の真価は、消費額の多寡ではなく、その裏側にある「供給の質と継続性」にこそ問われている。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=湯浅郁夫/観光政策アナリスト)