捨てられた悪役令嬢は、自由を買いたい!

萩月

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 『ブリリアント効率化コンサルティング』のオフィス。その自動ドア(カイル特製・魔導センサー式)が、けたたましい音を立てて開いた。

 入ってきたのは、前回の「お忍び」とは打って変わって、王族の正装に身を包んだリュカ王太子だった。
 だが、その表情に以前のような傲慢さはなく、どこか捨てられた子犬のような悲壮感が漂っている。

 スゥは、羽ペンの動きを一切止めずに時計を横目で見た。

「……午前十時三分十五秒。公式な使節としての来訪にしては、少々中途半端な時刻ですね。殿下、時間の端数(はすう)を切り捨てる習慣は身についていないのですか?」

「スゥ! 頼む、聞いてくれ! 私の、私の言い分を!」

 リュカはスゥのデスクに両手を突き、身を乗り出した。
 背後で作業をしていたカイルが「また来たのかよ」と呆れ顔でスパナを置く。

「言い分、ですか。……いいでしょう。ただし、私の相談料は現在、一分につき金貨五枚です。貴方の残りの人生を担保にする準備ができているなら、どうぞ」

「……っ、金の話は後だ! スゥ、私は気づいたんだ。あの日、パーティーで感情に任せてあんなことを言ったのは、私の間違いだった!」

 スゥはペンを置き、ゆっくりと眼鏡を直した。

「『間違い』。抽象的な言葉ですね。具体的にどのパラメータが誤っていたのか、定義してください。ミィナ様の涙に騙された視覚情報の処理ミスですか? それとも、私の資産価値を見誤った計算ミスですか?」

「全部だ! すべてが間違いだった! ミィナは……あの子は確かに可愛らしい。だが、国は回らない! 書類は溜まる一方だし、朝食のオムレツは毎日塩辛いし、財務大臣は私の顔を見るたびに卒倒する! スゥ、君がいないと、私の世界は……アステリア王国は、ただの巨大なガラクタなんだ!」

 リュカの告白に、カイルが横から冷や水を浴びせる。

「へぇ、つまり『愛』とやらじゃ、腹は膨れないし予算も合わないって気づいたわけだ。おめでたい頭だな、あんちゃん」

「黙れ、野良犬! スゥ、私は決めた。ミィナとの婚約は白紙に戻す。そして、君を再び私の正妃(せいひ)として迎え入れる! これなら文句はないだろう? 君も、私に愛されることを望んでいたはずだ!」

 スゥは無表情のまま、三秒間の沈黙を保った。
 その間に、彼女の脳内ではリュカの提案に対する「コスト・ベネフィット分析」が、超高速で実行されていた。

「殿下。貴方の提案を要約すると、『一度ゴミ箱に捨てたデータを、バックアップなしで元のディレクトリに復元したい』ということですね?」

「ゴミ箱だと!? 例えが不敬すぎるぞ!」

「いいえ、極めて正確な比喩です。一度破棄された契約を再締結する場合、以前と同条件というわけにはいきません。……それに、『愛』という不確定なボーナスを期待して労働を再開するほど、私はお人好しではありませんの」

 スゥは引き出しから、一通の分厚い契約書を取り出した。
 それは、既にカイルと共に何度も推敲(すいこう)を重ねた、極めて「ブラック」な再雇用条件だった。

「どうしても私に王宮を立て直してほしいというのであれば、この契約書にサインを。これが、私の提示する唯一の『王太子の言い分』に対する回答です」

 リュカは震える手で、その書類を手に取った。
 一ページ目をめくった瞬間、彼の絶叫がオフィスに響き渡った。

「……なんだ、これは! 『給与:現行の三百パーセント増、かつブリリアント公爵家への特別補助金の支給』!? さらに『有給休暇:年間百八十日』だと!? 一年の半分を休むつもりか!」

「効率化を極めれば、私の実働時間はその程度で十分ですわ。無能な人間がダラダラと三百六十五日働くより、私が九十日間集中する方が、国家収益は向上します」

「そ、れに、これ! 一番下の項目は何だ! 『王太子リュカ、およびミィナ嬢によるスゥへの接触を半径五メートル以内で一切禁ずる。対話が必要な場合は、書面もしくは代理人を通すこと』……これでは、結婚している意味がないだろう!」

 リュカが悲痛な声を上げるが、スゥの目は少しも笑っていなかった。

「意味はあります。私は『王妃』という名の管理職(マネージャー)として、国家運営を最適化する。貴方はただ、公務という名のパレードで手を振るだけの『置物』に専念する。……これこそが、私にとっても国家にとっても、最もノイズの少ない、効率的な関係ではありませんか?」

「スゥ……君は、本当に私を愛していないのか……?」

「愛、ですか。……その単語のエネルギー変換効率を計算したことがありますが、一グラムの石炭以下でしたわ。そんなものに頼っていては、冬を越せません」

 スゥは立ち上がり、リュカを見下ろした。

「さあ、サインを。……それとも、そのまま書類の山に埋もれて、ミィナ様と心中(しんじゅう)されますか? それはそれで、悲劇のヒーローとしての物語的付加価値(ストーリー・バリュー)は上がるかもしれませんわね」

 リュカは契約書とスゥを交互に見て、がっくりと膝をついた。

 彼が望んでいた「愛の修復」は、すでに不可能だった。
 目の前にいるのは、かつての献身的な婚約者ではなく、王家を丸ごと買い叩こうとする、美しき「高利貸し」だったのだ。

「……五、四、三……」

 スゥが無情にカウントダウンを始める。
 リュカは、もはや逃げ場がないことを悟り、震える指でペンを握りしめた。

 その様子を眺めながら、カイルは密かに口角を上げた。

(……やるねぇ、スゥ。これじゃ王太子様も、ただの『給料を払うだけの機械』だ)

 王宮という名の巨大なシステムの、主導権が完全に移り変わろうとしていた。
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