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王宮の最上階に位置する、新設された『国家中央演算室』。
深夜、巨大な魔導水晶が放つ淡い青光の中で、スゥは独り、自身の胸元に手を当てていた。
「……脈拍、毎分八十五回。平常時より十二パーセントの増加。指先のわずかな震え。そして、視覚情報の処理速度が、特定の人物を捉えた際のみ〇・二秒低下する。……深刻ですわね」
スゥは手元のノートに、自身の身体データを淡々と記録していく。
それは、世界を最適化してきた彼女にとって、唯一解明できない「未知のバグ」の正体を突き止めるための作業だった。
背後で、自動ドアが静かにスライドした。
「おい、スゥ。こんな時間まで何のデバッグをしてるんだ? 働きすぎは脳のリソースを浪費するだけだぜ」
入ってきたのは、カイルだった。
彼は約束通り、最高級のギルドから取り寄せた、色鮮やかなイチゴが乗ったショートケーキを手にしていた。
「……カイル卿。貴方が部屋に侵入した瞬間、私の脈拍がさらに三回増加しました。……説明を求めます」
「ははっ、またそれかよ。……ほら、約束の『非効率な糖分』だ。フォークも二本持ってきたぜ。一緒に食おう」
カイルは、精密機器が並ぶ作業デスクの上に、無造作にケーキの箱を置いた。
スゥは、そのイチゴの赤色をじっと見つめ、それからカイルの瞳を見た。
「カイル卿。私はこの数日間、一つの仮説を立て、検証を繰り返してきました。……なぜ、私は貴方といる時だけ、計算精度が落ちるのか。なぜ、貴方の存在を『経済的利益』以上の価値として処理してしまうのか」
「……へぇ。で、答えは出たのか?」
カイルが、ケーキを一口頬張りながら、楽しげに問い返す。
スゥは、眼鏡をゆっくりと外し、机の上に置いた。
「出ました。……結論から申し上げますと。……私は、貴方を『愛して』いますわ」
カイルが、派手にむせた。
「ゴホッ! ……おい、今、なんて言った?」
「聞き返されるのは時間の無駄です。……定義します。私にとっての『愛』とは、自身の生存本能や利潤追求を差し置いてでも、特定の個体の幸福度を最大化させたいと願う、論理破綻した情動のことです」
スゥは一歩、カイルに歩み寄った。
バリアも、計算盤も、今は二人の間に存在しない。
「貴方の笑顔を見ると、私の脳内では多幸感(バブル)が発生し、長期的な損益計算が一時的に停止します。……これは、極めて危険な状態ですわ。私の構築した完璧なシステムに、貴方という名の『最大の脆弱性』が入り込んだのです」
カイルは、フォークを置き、真剣な顔でスゥを見つめ返した。
「脆弱性、ね。……それ、エンジニアからすれば、一番面白い『謎』なんだぜ」
「……謎?」
「ああ。完璧なシステムなんて、動いてるだけの機械だ。だが、あんたが俺を見て計算を間違える。俺があんたのために、採算度外視で魔導具を作る。……その『バグ』があるからこそ、俺たちの人生は、ただの数字以上の輝きを持つんじゃないのか?」
カイルが手を伸ばし、スゥの頬を、壊れやすい精密機械を扱うような手つきで撫でた。
「スゥ。俺も、あんたを愛してる。……これは、俺が今までの人生で導き出した、最も不合理で、最も正しい解だ」
「……カイル卿。貴方の指先の温度が、私の皮膚を通じて脳に伝達され、さらに思考を狂わせています。……責任を取りなさい」
「責任? ……ああ、取るよ。一生かけてな」
カイルが顔を近づけ、二人の距離が、物理的な極限まで縮まっていく。
「……三、二、一……」
スゥがカウントダウンを終える前に、二人の唇が重なった。
それは、スゥの計算には一度も現れなかった、熱く、甘く、そして決定的な「システムダウン」だった。
数秒後、唇を離したスゥは、顔を真っ赤にしながらも、必死に平静を装って呟いた。
「……心拍数、測定不能。……酸素供給が不足し、意識が混濁しています。……カイル卿。今の行為による幸福度の増加分を、再計算する必要がありますわ」
「ははっ。……計算なんて後回しだ。今は、この『最高のバグ』を楽しもうぜ」
カイルは、スゥを優しく抱き寄せた。
冷徹な論理の盾も、完璧な収益グラフも、今は必要ない。
ただ、互いの鼓動が重なり合う、その不確かなリズムこそが。
二人が作り出す新しい世界の、最も美しい「正解」だった。
「……カイル卿。ケーキの糖分が、血中に吸収され始めています。……力が、湧いてきますわね」
「おう。明日からは、二人で世界をもっと『愛せる形』に書き換えてやろうぜ」
深夜の王宮に、二人の幸せな笑い声が静かに、しかし力強く響き渡っていた。
愛の計算式。
それは、答えを出すことではなく、二人で解き続けることに、真の価値があるのだ。
深夜、巨大な魔導水晶が放つ淡い青光の中で、スゥは独り、自身の胸元に手を当てていた。
「……脈拍、毎分八十五回。平常時より十二パーセントの増加。指先のわずかな震え。そして、視覚情報の処理速度が、特定の人物を捉えた際のみ〇・二秒低下する。……深刻ですわね」
スゥは手元のノートに、自身の身体データを淡々と記録していく。
それは、世界を最適化してきた彼女にとって、唯一解明できない「未知のバグ」の正体を突き止めるための作業だった。
背後で、自動ドアが静かにスライドした。
「おい、スゥ。こんな時間まで何のデバッグをしてるんだ? 働きすぎは脳のリソースを浪費するだけだぜ」
入ってきたのは、カイルだった。
彼は約束通り、最高級のギルドから取り寄せた、色鮮やかなイチゴが乗ったショートケーキを手にしていた。
「……カイル卿。貴方が部屋に侵入した瞬間、私の脈拍がさらに三回増加しました。……説明を求めます」
「ははっ、またそれかよ。……ほら、約束の『非効率な糖分』だ。フォークも二本持ってきたぜ。一緒に食おう」
カイルは、精密機器が並ぶ作業デスクの上に、無造作にケーキの箱を置いた。
スゥは、そのイチゴの赤色をじっと見つめ、それからカイルの瞳を見た。
「カイル卿。私はこの数日間、一つの仮説を立て、検証を繰り返してきました。……なぜ、私は貴方といる時だけ、計算精度が落ちるのか。なぜ、貴方の存在を『経済的利益』以上の価値として処理してしまうのか」
「……へぇ。で、答えは出たのか?」
カイルが、ケーキを一口頬張りながら、楽しげに問い返す。
スゥは、眼鏡をゆっくりと外し、机の上に置いた。
「出ました。……結論から申し上げますと。……私は、貴方を『愛して』いますわ」
カイルが、派手にむせた。
「ゴホッ! ……おい、今、なんて言った?」
「聞き返されるのは時間の無駄です。……定義します。私にとっての『愛』とは、自身の生存本能や利潤追求を差し置いてでも、特定の個体の幸福度を最大化させたいと願う、論理破綻した情動のことです」
スゥは一歩、カイルに歩み寄った。
バリアも、計算盤も、今は二人の間に存在しない。
「貴方の笑顔を見ると、私の脳内では多幸感(バブル)が発生し、長期的な損益計算が一時的に停止します。……これは、極めて危険な状態ですわ。私の構築した完璧なシステムに、貴方という名の『最大の脆弱性』が入り込んだのです」
カイルは、フォークを置き、真剣な顔でスゥを見つめ返した。
「脆弱性、ね。……それ、エンジニアからすれば、一番面白い『謎』なんだぜ」
「……謎?」
「ああ。完璧なシステムなんて、動いてるだけの機械だ。だが、あんたが俺を見て計算を間違える。俺があんたのために、採算度外視で魔導具を作る。……その『バグ』があるからこそ、俺たちの人生は、ただの数字以上の輝きを持つんじゃないのか?」
カイルが手を伸ばし、スゥの頬を、壊れやすい精密機械を扱うような手つきで撫でた。
「スゥ。俺も、あんたを愛してる。……これは、俺が今までの人生で導き出した、最も不合理で、最も正しい解だ」
「……カイル卿。貴方の指先の温度が、私の皮膚を通じて脳に伝達され、さらに思考を狂わせています。……責任を取りなさい」
「責任? ……ああ、取るよ。一生かけてな」
カイルが顔を近づけ、二人の距離が、物理的な極限まで縮まっていく。
「……三、二、一……」
スゥがカウントダウンを終える前に、二人の唇が重なった。
それは、スゥの計算には一度も現れなかった、熱く、甘く、そして決定的な「システムダウン」だった。
数秒後、唇を離したスゥは、顔を真っ赤にしながらも、必死に平静を装って呟いた。
「……心拍数、測定不能。……酸素供給が不足し、意識が混濁しています。……カイル卿。今の行為による幸福度の増加分を、再計算する必要がありますわ」
「ははっ。……計算なんて後回しだ。今は、この『最高のバグ』を楽しもうぜ」
カイルは、スゥを優しく抱き寄せた。
冷徹な論理の盾も、完璧な収益グラフも、今は必要ない。
ただ、互いの鼓動が重なり合う、その不確かなリズムこそが。
二人が作り出す新しい世界の、最も美しい「正解」だった。
「……カイル卿。ケーキの糖分が、血中に吸収され始めています。……力が、湧いてきますわね」
「おう。明日からは、二人で世界をもっと『愛せる形』に書き換えてやろうぜ」
深夜の王宮に、二人の幸せな笑い声が静かに、しかし力強く響き渡っていた。
愛の計算式。
それは、答えを出すことではなく、二人で解き続けることに、真の価値があるのだ。
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