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収穫祭の全工程が、予定より三分早く終了した。
残務整理を終えたキサキとゼノスは、執務室のテラスでささやかな打ち上げを行っていた。
机の上にあるのは、領内産のブドウを「最も発酵効率の良い温度」で醸造したワインだ。
「……ゼノス閣下。お疲れ様でした。今回の祭りの費用対効果(ROI)は、最終的に一五〇パーセントを記録しましたわ」
「ああ。素晴らしい数字だ。特に、あの刺客たちを道路工事に投入したことで、外注費を八割削減できたのが大きいな」
二人は冷徹に祝杯を挙げた。
だが、キサキがそのワインを二杯、三杯と飲み進めるうちに、その白い頬にわずかな赤みが差し始めた。
「……あら? 閣下。なんだか、視界のフレームレートが落ちている気がしますわ。世界が、少し……ガクガクします」
「キサキ? どうした。そのワイン、アルコール度数の計算を誤ったか?」
ゼノスが心配そうに身を乗り出す。
キサキはとろんとした瞳で彼を見つめ、おもむろに懐から魔導計算機を取り出した。
「計算ミス……? ありえません。私の脳は常に……最高速です。ただ、閣下の顔が、さっきから黄金比よりも三パーセントほど……増し増しで、格好良く見えますの。この異常数値を、修正しなくては……」
キサキは、おぼつかない手つきで計算機のボタンを叩き始めた。
「カチカチ、カチ……。ゼノス閣下の鼻筋の角度、マイナス五度修正。瞳の輝き……通常の二・五倍。……おかしいわ。計算が合いません。閣下の魅力が、私の論理回路をオーバーフローさせています……」
「キサキ……君は、酔うとそんな風になるのか。計算機を離しなさい。今の君は、明らかに非効率な状態だ」
ゼノスが苦笑しながら計算機を取り上げようとするが、キサキはそれをぎゅっと抱え込んで拒否した。
「嫌ですわ! これは私の、理性の最後の砦です。これがないと、私は……私は閣下に向かって、『好きです、業務提携ではなく純粋に添い遂げたいです』なんて、論理性の欠片もないことを口走ってしまいそうですもの!」
「……今、口走ったぞ。しかも非常に明快に」
ゼノスは眼鏡を外し、少しだけ熱を帯びた瞳でキサキを見つめた。
普段は鋼のような彼も、この「計算外の告白」には胸の鼓動を抑えられなかった。
「キサキ。君の今の心拍数、おそらく一分間に九十を超えているな。私の左手で脈を測らせてくれないか。それによって、君の『本気度』をデータ化したい」
「……っ。ずるいですわ、閣下。そんな風に冷静な顔をして……。閣下だって、さっきからグラスを持つ手が零・三ミリほど震えていますわよ。恐怖ですか? それとも、私への……欲求ですか?」
キサキは計算機を机に置くと、ふらつく足取りでゼノスに一歩近づいた。
二人の距離は、もはや零・五メートル。社会的距離(パーソナルスペース)を大幅に割り込んでいる。
「閣下。私の計算によれば、今ここで私たちが『抱擁』というタスクを実行した場合、ドーパミンの分泌により、明日の作業効率がさらに一二パーセント向上するはずです。……どう、思われますか?」
「……。論理的な提案だ。反論の余地はないな。ただし、抱擁の時間は十五秒以内だ。それ以上は、理性が溶けて、仕事に戻れなくなる恐れがある」
「十五秒……。長すぎますわ、三秒で……いえ、やっぱり十秒でお願いします」
キサキはゼノスの胸に、ぽすんと頭を預けた。
ゼノスもまた、折れそうなほど細い彼女の肩を、壊れ物を扱うような手つきで抱きしめる。
テラスを吹き抜ける夜風が、二人の火照った体を冷やしていく。
だが、密着した胸の奥からは、どんな計算式でも導き出せない熱い振動が伝わり合っていた。
「一、二、三……。閣下、心臓の音がうるさいですわ」
「君の方こそ。……ああ、困ったな。十秒が、こんなに短く感じるとは。私の体内時計が故障したようだ」
「……私もです。閣下、あと五秒、延長を申請します」
「……受理しよう。特例だ」
二人の天才は、月明かりの下で、非効率極まりない時間を共有した。
計算機も、グラフも、合理的な判断も、この瞬間の「温度」の前では、ただの記号に過ぎなかった。
翌朝、キサキは完璧な時刻に目を覚ました。
二日酔い対策の水を飲み干し、鏡の前で表情を整える。
「……昨夜の記憶。バックアップは取れていますが、再生するのは……一週間に一回だけにしましょう。あまりの非効率さに、悶死するリスクがありますわ」
キサキの顔は、昨夜のワインよりも赤く染まっていたが、彼女はそれを一秒で鎮め、戦場(執務室)へと向かった。
そこには、すでにゼノスが、昨夜と同じ熱を微かに残した瞳で、彼女を待っていた。
残務整理を終えたキサキとゼノスは、執務室のテラスでささやかな打ち上げを行っていた。
机の上にあるのは、領内産のブドウを「最も発酵効率の良い温度」で醸造したワインだ。
「……ゼノス閣下。お疲れ様でした。今回の祭りの費用対効果(ROI)は、最終的に一五〇パーセントを記録しましたわ」
「ああ。素晴らしい数字だ。特に、あの刺客たちを道路工事に投入したことで、外注費を八割削減できたのが大きいな」
二人は冷徹に祝杯を挙げた。
だが、キサキがそのワインを二杯、三杯と飲み進めるうちに、その白い頬にわずかな赤みが差し始めた。
「……あら? 閣下。なんだか、視界のフレームレートが落ちている気がしますわ。世界が、少し……ガクガクします」
「キサキ? どうした。そのワイン、アルコール度数の計算を誤ったか?」
ゼノスが心配そうに身を乗り出す。
キサキはとろんとした瞳で彼を見つめ、おもむろに懐から魔導計算機を取り出した。
「計算ミス……? ありえません。私の脳は常に……最高速です。ただ、閣下の顔が、さっきから黄金比よりも三パーセントほど……増し増しで、格好良く見えますの。この異常数値を、修正しなくては……」
キサキは、おぼつかない手つきで計算機のボタンを叩き始めた。
「カチカチ、カチ……。ゼノス閣下の鼻筋の角度、マイナス五度修正。瞳の輝き……通常の二・五倍。……おかしいわ。計算が合いません。閣下の魅力が、私の論理回路をオーバーフローさせています……」
「キサキ……君は、酔うとそんな風になるのか。計算機を離しなさい。今の君は、明らかに非効率な状態だ」
ゼノスが苦笑しながら計算機を取り上げようとするが、キサキはそれをぎゅっと抱え込んで拒否した。
「嫌ですわ! これは私の、理性の最後の砦です。これがないと、私は……私は閣下に向かって、『好きです、業務提携ではなく純粋に添い遂げたいです』なんて、論理性の欠片もないことを口走ってしまいそうですもの!」
「……今、口走ったぞ。しかも非常に明快に」
ゼノスは眼鏡を外し、少しだけ熱を帯びた瞳でキサキを見つめた。
普段は鋼のような彼も、この「計算外の告白」には胸の鼓動を抑えられなかった。
「キサキ。君の今の心拍数、おそらく一分間に九十を超えているな。私の左手で脈を測らせてくれないか。それによって、君の『本気度』をデータ化したい」
「……っ。ずるいですわ、閣下。そんな風に冷静な顔をして……。閣下だって、さっきからグラスを持つ手が零・三ミリほど震えていますわよ。恐怖ですか? それとも、私への……欲求ですか?」
キサキは計算機を机に置くと、ふらつく足取りでゼノスに一歩近づいた。
二人の距離は、もはや零・五メートル。社会的距離(パーソナルスペース)を大幅に割り込んでいる。
「閣下。私の計算によれば、今ここで私たちが『抱擁』というタスクを実行した場合、ドーパミンの分泌により、明日の作業効率がさらに一二パーセント向上するはずです。……どう、思われますか?」
「……。論理的な提案だ。反論の余地はないな。ただし、抱擁の時間は十五秒以内だ。それ以上は、理性が溶けて、仕事に戻れなくなる恐れがある」
「十五秒……。長すぎますわ、三秒で……いえ、やっぱり十秒でお願いします」
キサキはゼノスの胸に、ぽすんと頭を預けた。
ゼノスもまた、折れそうなほど細い彼女の肩を、壊れ物を扱うような手つきで抱きしめる。
テラスを吹き抜ける夜風が、二人の火照った体を冷やしていく。
だが、密着した胸の奥からは、どんな計算式でも導き出せない熱い振動が伝わり合っていた。
「一、二、三……。閣下、心臓の音がうるさいですわ」
「君の方こそ。……ああ、困ったな。十秒が、こんなに短く感じるとは。私の体内時計が故障したようだ」
「……私もです。閣下、あと五秒、延長を申請します」
「……受理しよう。特例だ」
二人の天才は、月明かりの下で、非効率極まりない時間を共有した。
計算機も、グラフも、合理的な判断も、この瞬間の「温度」の前では、ただの記号に過ぎなかった。
翌朝、キサキは完璧な時刻に目を覚ました。
二日酔い対策の水を飲み干し、鏡の前で表情を整える。
「……昨夜の記憶。バックアップは取れていますが、再生するのは……一週間に一回だけにしましょう。あまりの非効率さに、悶死するリスクがありますわ」
キサキの顔は、昨夜のワインよりも赤く染まっていたが、彼女はそれを一秒で鎮め、戦場(執務室)へと向かった。
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