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樹上の集落

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「――樹の上に、村があるのね……」

「そうです。毒沼が土地を侵食しているので、あれが最適なんです」

 子どもや大人が、ルカたちを見下ろしている。

「ギルヴァ様、巡察でございますか、お疲れ様です!」

 何人かの男が樹上より梯子で地上に下りてくる。

「っ!」

 ルカは思わずはっとして、息を呑んだ。

 彼らは全員、身体の一部が欠損していた。

 ある人は片腕を、ある人は片足を、ある人は片眼を。

 その痛々しい姿に、思わず顔を背けそうになりかけ、はっとする。

‘オルシウス様が領民を知れと仰せになったのは、こういうこと?’

 そうだとしたら顔を背けてはいけない。

 オルシウスの妻になるということは、ルカにとっても大切な領民になるのだから。

「そちらの女性は?」

「オルシウス様の花嫁候補だ」

「なるほど」

 ギルヴァに最初に声をかけた右目に眼帯をつけた男が、品定めをするような視線を向けてくる。

‘まあ、十一人目だものね。今度は平気かって思う気持ちは分かる’

 ルカは兵士に手伝ってもらいながら馬から下りた。

「ルカ・キウス・アリウスと言います。以後、お見知りおきを。えっと……」

「サンザムと申します、奥方様。この集落の村長代行をしております」

「まだ婚儀をあげていないので、奥方ではありませんけど。代行と言いますと?」

「村長が病に伏せっておりますので」

「お加減が悪いのですか?」

「ええまあ。もう老人ですから。あちこちガタがきているんです。それで本日のご用件は?」

 馬から下りつつ、ギルヴァが答える。

「陛下の御下命により、ルカ様に領地の案内をしているところだ。こちらの集落の案内を頼みたい」

「かしこまりました。では、ルカ様。こちらへ」

 サンザムに従い、梯子を登っていく。

「ルカ様、高い場所は大丈夫ですか?」

「え、ええ……。多分」

「あっはっは。多分でございますか。では怖くなったら、すぐに仰ってください」

「分かりました」

 梯子を登りきると、そこでは地上にある集落と何ら変わらない生活があった。

 そして男たちのほとんどは、みんなケガをしている。

 五体満足なのは、女性と子どもたちくらい。

‘沼には毒があると言っていたし、森にはそれほどの危険があるということなのね……。でもここにいる人たちは全員、竜なのよね。それがこんなにも傷つくなんて、相手はただの野生動物じゃない?’

「ガキども、並べ!」

 こんな過酷な環境でも子どもたちは元気いっぱいで、ワイワイ騒ぎながら集まってくる。

「きれーな人!」

「誰? 誰?」

「こちらにいらっしゃるのはな、陛下の奥方になられる、ルカ様だ。ちゃんと挨拶をしろ」

 子どもたちは口々に「こんちはー」「こんにちは」と言ってくれる。

「ルカです。みんな、よろしくね」

「――どーせ、また逃げ出すんじゃねーの?」

 その時、子どもたちの中で一番の年長らしい少年がぽつりと呟く。

「お、おい!」

 サンザムが慌てて子どもの口を塞ぎ、気まずそうにルカへ視線を寄越してくる。

 ルカは「くすっ」と微笑む。

「そうよ。私、オルシウス様の十一人目の奥さん候補なの。でも他の人たちみたいに逃げたりしないわ。絶対にオルシウス様の妻になってみせるから、安心して」

「ルカ様、なぜ……」

 ギルヴァが困惑する。

「私が十一番目の妻候補だと知っているか? 私の耳にだって噂くらいは入るわ」

「……使用人どもですね。まったく」

「でもギルヴァ、本当のことなのよね?」

「……はい。しかし勘違いしないで頂きたいのですが、オルシウス様に非は一切ありません」

「分かっています」

 ルカは頷く。

 領民や使用人を大切にしているオルシウスが当然のことを言い、蝶よ花よと育てられた聖女たちがそれに反発したのだろうという推測は容易にできる。

「サンザムさん、そろそろ手を離してあげてください。苦しそうですよ」

「は、はい」

 サンザムの手が離れると、少年は「ぷはぁ!」と息が吸えて助かったという顔をする。

「ま、ルカ、がんばれよー……いでっ!」

 サンザムに頭をはたかれ、少年は涙目になる。

「申し訳ありません。ルカ様、こいつはまだ馬鹿なガキで。あとで口の利き方を指導しときますんで!」

「問題ありません。子どもは正直じゃないと。ねえ、みんな。オルシウス様のこと、好き?」

「好き! 大好き!」

「陛下はすげー強くて、カッコいいんだ!」

「俺、大人になったら兵士になって、オルシウス様と一緒に戦うんだ!」

 子どもたちは、頬を上気させながら夢中でオルシウスのことについて語った。

 子どもたちにここまで言われるなんて、オルシウスはとても慕われているようだ。

 子どもたちと別れると、ルカはサンザムに向き直る。

「サンザムさん、村長様とお会いできますか? オルシウス様には、領民を知るようにと言われています。村長様も立派な領民のお一人。もちろん体調のこともあるでしょうから、無理にとは言いませんが……」

「おい、カイネ。ちょっと来てくれ」

「はい」

 サンザムに呼ばれたのは、後ろで髪を縛った、二十代くらいの女性だ。

「これはカイネ。村長の孫娘です。村長の面倒をみています」

「はじめまして、カイネさん。私はルカと言います。オルシウス様の十一番目の妻候補です」

「は、はあ」

「……で、今ルカ様が村長に会いたいと仰っているんだが、お加減はどうだ?」

「少しお待ち下さい」

 カイネは一軒の家へ入っていけば、しばらくして戻って来る。

「会うそうなので、どうぞこちらです」

 カイネに案内され、家に入る。

 カイネは出入り口のそばで待機する。

 ルカ、ギルヴァ、サンザムたちは布団に寝かされた村長の枕元に座った。

 村長は白い髭をたくわえ、ヒューヒューと苦しげな息遣いを繰り返す。

 その目には布が巻かれ、肌は浅黒く、ひからびたよう痩せている。

「オルシウス様の花嫁候補のルカと申します。村長様」

 声に反応し、村長がルカのほうを向く。

「……あぁ……これはこれは。このような汚い場所に……」

「押しかけてしまったのはこちらでございますから。お加減はどうですか?」

「……こんな死に損ないが生きていられるのも、全てはオルシウス様のお陰。あの御方は我らにとっての希望の光、です」

「分かります」

 あんなにも領民を想う領主は、人間にも少ない。

「ルカ、様……。どうかオルシウス様を支えてください。あの御方は強い。我々の中の誰よりも。しかし、我々のためとなればどんな無理も厭わない。誰より領民を愛し、領民のために身を捧げていらっしゃる。時にご自分の命すら顧みないほどに……ゲホゲホ!」

「お爺様! 今、水を……」

 腰をあげたカイネを、ルカはやんわりと制する。

「私がやります」

 ルカは枕元の水差しから、縁の欠けた器へ水を注ぐ。

「村長様、触れても構いませんか?」

「……いえ、いけません。汚れてしまう」

 苦しげな息遣いまじりに、村長が喘ぐように言った。

「お気になさらず。では、失礼いたします」

 ルカは村長の背中に手を差し入れて上体を起こさせると、口元へお椀を近づける。

 村長の息遣いで、水面に細かな波紋がうまれた。

‘村長様も右腕が……’

 村長のノドがゆっくりと動く。

「……ありがとうございます」

「もう、大丈夫なのですか?」

「はぃ……。あぁ、申し訳ございません」

「構いません」

 背中を支えながら、再び寝かせる。

 そして水差しと一緒に置かれていた布で、村長の口元を拭う。

「ルカ様、そろそろ」

 ギルヴァが囁く。

 ルカは「分かったわ」と頷いた。

「では、村長様。私たちはこれで……」

「お元気で、ルカ様」

「はい。村長様も」

 言葉を交わし、外に出た。

 その時、にわかに地上のほうが騒がしくなる。

「大変だ!」

 地上を見ると、馬に跨がった男が駆け込んできていた。

「ケガレが出たああああ―――――!!」
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