異世界居酒屋「陽羽南」~異世界から人外が迷い込んできました~

八百十三

文字の大きさ
16 / 101
本編~1ヶ月目~

第10話~玉子とじのおうどん~

しおりを挟む
~新宿・歌舞伎町~
~テルマー湯2F・男性大浴場~


 白亜の宮殿を思わせる壁。
 広々とした中に立ち上り、視界を曇らせる湯気。
 時折聞こえてくる、湯のばしゃっと床に跳ねる音。
 僕は大浴場の湯船に肩まで浸かりながら、ぼんやりと湯に身を委ねていた。

「(はー……)」

 全身がぽかぽかと温かくなるのを感じながら、ほぅと息を吐く。
 「こちらの世界で、風呂は全裸になって入るもの」ということは分かっていたし、自室のシャワーで慣れてこそいたが、公衆浴場でもそうだとは思わず、最初は大いに戸惑った。
 慣れてしまえばどうということはないのだろうが、人目のある場所で全裸というのは、やはりどうにも落ち着かなくなる。
 脱衣所に掲示が無かったら、館内着のまま浴場に入ってしまっていたかもしれない。

 僕の元いた世界にも風呂はあったが、こうして湯船になみなみと湯を張って、そこに浸かるという形ではなかった。
 そもそもあちらの世界で湯を沸かす設備は、魔法の力を借りてのもので、どうしても大規模な給湯を行うものには、相応のリソースが必要になるもの。
 正直、自室のシャワーだって最初は信じられなかった。スイッチを入れて蛇口をひねれば、それだけでお湯が滾々と湧き出すなんて、あちらの世界で実現したら国中がひっくり返る。

 やはり、この世界の「技術」は非常に恐ろしい。恐ろしく、便利だ。
 あまりに便利すぎて、あちらの世界に戻った時に暮らしていけるかどうか、不安になってくる。

「(……いやいや、なにを考えているんだ僕は。大丈夫、あっちの世界はあっちの世界で便利だったじゃないか)」

 僕は頭を振って妙な考えを追い払うと、タオルで汗を拭って立ち上がった。
 股間部分をタオルで隠しながら湯船を出ると、ふと右手に見える扉が目に付く。
 扉に近づき、傍らのプレートを見ると、そこに書かれている文字は「ミストサウナ」とある。

「ミスト、サウナ……あ、なるほど。蒸し風呂ヴァン・ヴァポールか」

 懐かしい。元いた世界で風呂と言えばこういうタイプだった。
 密室の中で蒸気を充満させ、そこに入って汗を流す。そうして身体を温めて、体内の血のめぐりを良くすることで、リフレッシュするのが心地よかったものだ。
 折角その設備があるなら入っていこう。僕は意気揚々と扉を開けた。


~テルマー湯地下1F・山水草木《さんすいそうもく》~


 浴場から出て、館内着に袖を通し。僕はレストランのカウンター席で水を呷っていた。
 身体は温まった。汗も充分に流した。だが正直、流しすぎてしまった感じがある。
 つまるところ、のぼせてしまったのだ。
 脱衣所に飲料水を出す機械も設置されていたらしいが、使い方が分からなかったのでそこで飲むのは早々に諦めた僕である。

「ふぅっ……」

 水を飲み干し、提供されたポットから自分でグラスに注ぎ、僕は大きく息を吐く。
 気持ちよかった。非常に気持ちよかった。だが程度を見誤ると、痛い目を見てしまうのは何事にも言えることだ。
 僕は気を取り直してメニューを開き――そして瞠目した。

「日本酒、焼酎、カクテル……え、こんなにあるのか?」

 そう、メニューの一番後ろ、独立したページになっているドリンクメニュー。
 そこに記載されているお酒のメニューの充実度が凄まじいのだ。正直、陽羽南よりもよっぽど充実している。
 日本酒と焼酎などその最たるもので、その数、実にそれぞれ15種類。温浴施設のレストランというより、立派に一軒の居酒屋レベルだ。
 すごい、と言わざるを得ない。下地がしっかりしているのか、それとも店長の趣味嗜好か、いずれにしてもこれだけのレベルを保つのは並大抵ではないだろう。
 僕はその情報量に圧倒されつつ、呼び鈴を鳴らした。近くを歩いていた店員が、僕の元へとやってくる。

「ご注文はお決まりですか」
「えーと、この……ボン、でいいのかな。
 これと、もろ味噌胡瓜、チキン南蛮と、あと玉子とじのおうどんを、お願いします」
「梵《ぼん》、もろ味噌胡瓜、チキン南蛮、玉子とじのおうどん、ですね。かしこまりました。
 梵は冷やでよろしいですか?」

 店員の問いかけに、僕は一瞬思考が停止する。そういえば日本酒は、提供する温度によって味わいや風味が変わるんだったか。

「はい、冷やでお願いします」
「かしこまりました、リストバンドのご提示をお願いいたします」

 僕は頷くと、右手首にはめたリストバンドを店員に差し出す。店員は手元の機器をリストバンドに当てると、一礼して去っていった。
 リストバンドで館内の会計ごとが全て完結するというのは、実に便利だ。さらにロッカーキーも兼ねているのだから恐れ入る。
 右手のリストバンドに視線を落としていた僕は、すっと顔を上げる。店員が升に入れられたグラスと、日本酒のボトルを盆に乗せて、こちらに持ってきていた。

「お待たせしました、梵でございます」

 丁寧な所作で、紙製のコースターの上に升が乗せられる。そして栓を外されたボトルから、日本酒が静かに注がれていった。
 なるほど、席で注ぐやり方もありなのか。新発見だ。



「お待たせしました、玉子とじのおうどんでございます」

 日本酒をだいぶ飲み進めて、胡瓜やチキン南蛮を食べていた僕のところに、店員が巨大な、それは巨大な丼を持ってきた。
 丼を僕の目の前に置き、蓋を外す。中から湯気を伴って、溶き卵でとじられた熱々のうどんがその姿を現した。

「おぉ……」

 思わず感嘆の声が漏れる。店員はすっと目を細めると、空いた器を盆に乗せて下がっていった。
 器の大きさに慄くが、うどんの量そのものは普通に食べる分量と同程度に見える。うどんの汁に浸かり、出汁を吸った玉子がてらてらと輝いていた。
 僕は箸を取り、うどんを摘まむ。まだ箸の扱いには慣れないが、こればかりは練習しないとどうにもならないだろう。
 しっかと掴んだうどんを口元に運び、軽く吹き冷まして、口に含んだ。むぐむぐと食むと、小麦の味が感じられて、実にいい。
 次いで玉子を摘まんだ。が、ほろりと崩れてうまく掴めない、随分と柔らかな質感だ。
 何とか箸にかかった玉子を口に入れると、出汁の強い風味と卵のコクが合わさって、上質な玉子焼きのような、それでいて綿のような何かを食べているような気分になる。

「美味しい……」

 そんな感嘆の声が、思わず漏れた。
 と、そこで僕はグラスの中に日本酒がまだ残っていたことを思い出す。ちびりと口に含むと、芳醇な味わいと香りが出汁の風味と綯い交ぜになって、より幸福さを感じられた。

「あー……だし巻き玉子、もっと練習しないとなぁ……」

 幸福の余韻を感じながら、僕は一人ぼそっと呟く。
 明日からの仕事も、また頑張ろう。そう思わされながら、僕はまたうどんをすすった。


~第11話へ~



=====

小説への登場許可をいただきました、テルマー湯様のご協力に感謝します。

テルマー湯
http://thermae-yu.jp/

山水草木
http://hitosara.com/0006060647/
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。 気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。 剣も魔法も使えないユウにできるのは、 子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。 ……のはずが、なぜか料理や家事といった 日常のことだけが、やたらとうまくいく。 無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。 個性豊かな子供たちに囲まれて、 ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。 やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、 孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。 戦わない、争わない。 ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。 ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、 やさしい異世界孤児院ファンタジー。

優の異世界ごはん日記

風待 結
ファンタジー
月森優はちょっと料理が得意な普通の高校生。 ある日、帰り道で謎の光に包まれて見知らぬ森に転移してしまう。 未知の世界で飢えと恐怖に直面した優は、弓使いの少女・リナと出会う。 彼女の導きで村へ向かう道中、優は「料理のスキル」がこの世界でも通用すると気づく。 モンスターの肉や珍しい食材を使い、異世界で新たな居場所を作る冒険が始まる。

異世界で家をつくります~異世界転移したサラリーマン、念動力で街をつくってスローライフ~

ヘッドホン侍
ファンタジー
◆異世界転移したサラリーマンがサンドボックスゲームのような魔法を使って、家をつくったり街をつくったりしながら、マイペースなスローライフを送っていたらいつの間にか世界を救います◆ ーーブラック企業戦士のマコトは気が付くと異世界の森にいた。しかし、使える魔法といえば念動力のような魔法だけ。戦うことにはめっぽう向いてない。なんとか森でサバイバルしているうちに第一異世界人と出会う。それもちょうどモンスターに襲われているときに、女の子に助けられて。普通逆じゃないのー!と凹むマコトであったが、彼は知らない。守るにはめっぽう強い能力であったことを。 ※「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています。

異世界に転移した僕、外れスキルだと思っていた【互換】と【HP100】の組み合わせで最強になる

名無し
ファンタジー
突如、異世界へと召喚された来栖海翔。自分以外にも転移してきた者たちが数百人おり、神父と召喚士から並ぶように指示されてスキルを付与されるが、それはいずれもパッとしなさそうな【互換】と【HP100】という二つのスキルだった。召喚士から外れ認定され、当たりスキル持ちの右列ではなく、外れスキル持ちの左列のほうに並ばされる来栖。だが、それらは組み合わせることによって最強のスキルとなるものであり、来栖は何もない状態から見る見る成り上がっていくことになる。

「キヅイセ。」 ~気づいたら異世界にいた。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者~

あめの みかな
ファンタジー
秋月レンジ。高校2年生。 彼は気づいたら異世界にいた。 その世界は、彼が元いた世界とのゲート開通から100周年を迎え、彼は通算一万人目の冒険者だった。 科学ではなく魔法が発達した、もうひとつの地球を舞台に、秋月レンジとふたりの巫女ステラ・リヴァイアサンとピノア・カーバンクルの冒険が今始まる。

アイテムボックスの最も冴えた使い方~チュートリアル1億回で最強になったが、実力隠してアイテムボックス内でスローライフしつつ駄竜とたわむれる~

うみ
ファンタジー
「アイテムボックス発動 収納 自分自身!」  これしかないと思った!   自宅で休んでいたら突然異世界に拉致され、邪蒼竜と名乗る強大なドラゴンを前にして絶対絶命のピンチに陥っていたのだから。  奴に言われるがままステータスと叫んだら、アイテムボックスというスキルを持っていることが分かった。  得た能力を使って何とかピンチを逃れようとし、思いついたアイデアを咄嗟に実行に移したんだ。  直後、俺の体はアイテムボックスの中に入り、難を逃れることができた。  このまま戻っても捻りつぶされるだけだ。  そこで、アイテムボックスの中は時間が流れないことを利用し、チュートリアルバトルを繰り返すこと1億回。ついにレベルがカンストする。  アイテムボックスの外に出た俺はドラゴンの角を折り、危機を脱する。  助けた竜の巫女と共に彼女の村へ向かうことになった俺だったが――。

目立ちたくない召喚勇者の、スローライフな(こっそり)恩返し

gari@七柚カリン
ファンタジー
 突然、異世界の村に転移したカズキは、村長父娘に保護された。  知らない間に脳内に寄生していた自称大魔法使いから、自分が召喚勇者であることを知るが、庶民の彼は勇者として生きるつもりはない。  正体がバレないようギルドには登録せず一般人としてひっそり生活を始めたら、固有スキル『蚊奪取』で得た規格外の能力と(この世界の)常識に疎い行動で逆に目立ったり、村長の娘と徐々に親しくなったり。  過疎化に悩む村の窮状を知り、恩返しのために温泉を開発すると見事大当たり! でも、その弊害で恩人父娘が窮地に陥ってしまう。  一方、とある国では、召喚した勇者(カズキ)の捜索が密かに行われていた。  父娘と村を守るため、武闘大会に出場しよう!  地域限定土産の開発や冒険者ギルドの誘致等々、召喚勇者の村おこしは、従魔や息子(?)や役人や騎士や冒険者も加わり順調に進んでいたが……  ついに、居場所が特定されて大ピンチ!!  どうする? どうなる? 召喚勇者。  ※ 基本は主人公視点。時折、第三者視点が入ります。  

異世界に転移したらぼっちでした〜観察者ぼっちーの日常〜

キノア9g
ファンタジー
「異世界に転移したら、ぼっちでした!?」 20歳の普通の会社員、ぼっちーが目を覚ましたら、そこは見知らぬ異世界の草原。手元には謎のスマホと簡単な日用品だけ。サバイバル知識ゼロでお金もないけど、せっかくの異世界生活、ブログで記録を残していくことに。 一風変わったブログ形式で、異世界の日常や驚き、見知らぬ土地での発見を綴る異世界サバイバル記録です!地道に生き抜くぼっちーの冒険を、どうぞご覧ください。 毎日19時更新予定。

処理中です...