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本編
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しおりを挟むカレンの記憶にある限り、母と触れ合ったことはこの生涯一度たりとてない。それどころか顔を合わせたことだってほとんどなかった。
記憶にあるのは乳母の顔と、気が付けば共に成長していたアレク──アレックスの顔。
父の実弟である叔父は幼い頃に血縁のブラックリード伯爵家へと養子に入ったと聞いた。当時のブラックリード伯爵家には子供が一人もおらず、ただ貴族にしては珍しく愛し合った夫婦だった、らしい。そこのところをカレンが詳しく知らないのは、物心ついた時にはとっくにお二人とも亡くなっていたからだ。
ともかく叔父である伯爵の一人息子で、カレンにとっては従兄にあたったのがアレクだった。
父は実を言うと家督を継ぎたくない人間だった。我がクラスローズ侯爵家は先祖が建国にも助力した、よく言えば名声のある家柄だったのだ。元々資金繰りが驚くほどうまくいっていたことに加えて祖父である先代が新しい事業を成功させたことから、当主の仕事と責任はそれは大きなものだったろう。
仕事にかまけた父は決して私と向き合うことなどなく、母と話すところを見たこともない。二人は本当に政略的な結婚で、夜会では話していたそうだけれど、少なくともカレンは生涯一度も二人が言葉を交わすところは見たことがなかった。
クラスローズ侯爵家を継ぎたくなかった兄と、クラスローズ侯爵家の権威を思うままに手に入れたかった弟。
叔父は自分が当たり前に剥奪されてしまったその地位を、息子を使うことで手に入れようと父へ相談を持ちかけた。
元々そういう話が私たちの生まれる前から軽口として酒の場で出てはいたものの、まさか本当にそうする気は父にはなかったようだ。
だがこれから婚約者のことを考えたり、仕事を詰めて度々私の夜会へ付いてこないといけなかったりという面倒を考えた結果、父はそれを歓迎とばかりに頷いた。
もしどちらの子が女でも婚約は婚約であるし、こちらが例え男だったとしても叔父の血を引くまたその子供──孫が家督を継げば、とにかく叔父は満足だったらしい。
どうしてそこまでしてクラスローズに執着するのかは分からなかったが、叔父は昔から執着心が強いのだ、という父の言葉にあまり気にすることはなかった。
叔父はいつも仕事だけに打ち込みアレクを見ようともしなかった。アレクの母である叔母はそもそも叔父を愛していなかったから、その子供であるアレクに見向きもしなかった。
私たちは親の温もりも知らぬまま、互いだけを頼りとして生きてきた。
誰かに虐められた時も、流行病で苦しんだ時も、熱病に明かされた時も、決して見舞いにも来なければ様子を聞きすらしない親という存在に何かを期待するのはやめたのだ。
そうして生きてきて、七歳になったある日に全てが変わった。そのきっかけは義務的に私たちに付けられた、家庭教師のオルガ先生の言葉だった。
「君は天才だよ、アレク」
五ヶ国語を一人で、たった数ヶ月で読み書き出来た。
教えてもいない算術を解き、難問をどの本よりも早く解く方法を編み出した。
彼は一度見たものを忘れず記憶し、よく回る頭脳を持っていた。
普段厳しい家庭教師から認められたことが嬉しかったのだろう、彼はその日から一段に勉強を頑張ろう、なんて笑っていたのだ。
この件を良かれと思ってオルガ先生が叔父に報告するまでは。
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