夫に離縁が切り出せません

えんどう

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 オルガ先生は博識だった。過去に五人の生徒を名門校に入学させた彼は、その腕を見込まれ叔父に連れられやって来たのだ。
 ただ一つ、彼は致命的なことを知らなかった。
 それは貴族の子息子女を教える上で致命的なこと。


 親に愛されず政の駒にしかされない子供が、いるということ。


 アレクの秀才ぶりをその目にした叔父はとても子供に与える量ではないノルマを与えた。領地の統治についても意見を出させ、実際にそれを反映させた。新しい事業の一環を彼に託しもした。
「ねぇ、大丈夫?」
 久しぶりに私の元へ顔を出した彼は随分と窶れていた。今まで毎日会っていたのに、やがて三日に一度になり、五日に一度になり、一週間に一度も会うことがない時さえあった。
「父さんが俺に期待してるんだ。こんなの初めてだからさ、まだガキだし全然役に立たないかもしれないけど頑張ってみたいんだよな」
 初めて親に期待というものをされたアレクは、初めこそそれを喜んでいた。頭を撫でてもらったこともない、挨拶を返してもらうことも稀どころか顔すら合わせないような人たちだったから、そんな彼が自分を見たのが嬉しかったのだろうと思う。
「あまり無理はしないでね」
「ちょっとやそっとじゃへこたれないから大丈夫だって」
「心配だわ」
「お前は余計なこと考えなくていいから」
「私がもっと貴方のようなら、私も期待してもらえたのかしら」
 その頃の私は子供で、今まで共に無関心で放置されていた彼だけがまるで掬い上げられたように感じた。私一人だけが置いていかれたような気がしたのだ。
「まぁ、あともう少ししたら学園に通うんだし、そうなったら前みたいに毎日会えるだろ」
「それもそうね」
「お前の分まで俺が頑張ってくるから、拗ねんなよ」
 どうしてあの時気付かなかったのだろう。
 いつも太陽のように笑っていた彼が、もう、そんな風に笑っていなかったことに。

 その後私は大叔母が病で倒れたのを看るために少しの間田舎へと向かった。
 たった二ヶ月のことだった。
 その間に何があったのかは、私には分からない。
 ただ帰ってきて一番に会いに行った彼は、私が言葉を失うほどに生傷が絶えずその身体に刻まれていた。


 領地の統治を手伝いながら学園に通うようになった彼は、少しずつ変わっていった。
 人と関わることを面倒としか思わなかったはずなのに周囲の人間をまとめ上げ、剣術の稽古など嫌っていたはずなのに授業では誰より熱心に取り組んだ。
「アレックス・ブラックリードは完璧な男だ」
 誰もが口を揃えてそう言うのを、私は気持ち悪く感じていた。皆の話すアレクが、私の知るアレクとは全く違ったから。
 いつでも明るい男?──彼はいつも気怠げで、「面倒」が口癖の人だった。少なくとも意味もなく笑うことなどなかった。
 気遣いの出来る男?──確かに優しいけれど、他人に興味は無くてもし困っていても手を差し伸べるような人ではなかった。
 皆が話すのはいつだって『完璧な男、アレックス・ブラックリード』だった。欠点など一つもない、素晴らしい男。皆から慕われカリスマ性もあり勉強も武術も長けている男。
 高学年にもなれば女遊びを覚えた彼は同世代でも憧れだった女生徒を次々とものにした。
 取ってつけたような、へらへらとした笑みで、女性が口説かれるときに言われて嬉しい言葉をお手本のようにつらつら並べたアレクは、その頃になっても生傷が絶えなかった。
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