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沈黙の護衛騎士11

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 ユリアナは部屋が温まると、立ち上がって棚の中から箱を取り出した。開けると中には、銀色に輝く横笛が入っている。幼い頃から使っている笛だ。

「今から横笛の練習をするから、窓を開けてくれる?」

 チリンと鈴が鳴ると同時に、男は窓辺に行き大きな窓を全開にした。冷たい空気を含んだ風が一気に入り込んで来て、思わずユリアナはぶるりと震えてしまう。

「ああ、窓を開けるのは少しで良かったの。きちんと伝えないでごめんなさい」

 慌てた様子の男は、窓を閉めるのと同時に己の着ていた上着をユリアナの肩にふわりとかけた。重いけれど、温もりのある大きな上着だ。

「わぁ、あったかい。レームは温かいのね。私は最近、手先が冷えるようになってしまったの。動かないからかな」

 素直に喜んだユリアナは、上着を着たまま横笛を箱から取り出すと、動きを確認する。

「……ありがとう。少しだけ、上着を貸してくれる?」

 チリン、と男は鈴をひとつ鳴らした。

 男の上着からは、普段嗅ぎ慣れない清涼感のある匂いがする。以前、これと似たような香りを嗅いだような気がするけれど思い出せない。温もりだけでなく、この香りにもう少し包まれていたいと思ったユリアナは、悪いと思いつつも上着をそのままにして横笛に口を近づけた。

 息を思いきり吸い込んで、ユリアナはいつもの通りに『鳥は空へ』という曲を吹く。伸びやかなメロディは、窓を震わせて音が反響する。

 幼少時に王宮で過ごした仲間たちと一緒に奏でた音楽。目の光を失っても、ユリアナは音楽を失うことはなかった。

 爽やかな音色に、少しだけ悲哀の色をのせるようなアレンジをしている。あの頃のように、純真な気持ちで曲を吹くことは出来ない。それでも、この曲を吹くといつでも幸せな時代を思い出し、鳥が空を飛ぶように心が飛んでいく。

 王宮の上を旋回するように飛んでいた鷲のように、心だけは自由に飛ぶことができる。ただ、もう羽を休めるために琥珀色の瞳をした王子という木に停まることができないだけ。

 あの頃見た薄い色の空を思い出しながら、ユリアナは横笛を吹いた。真っすぐな音色は雪に吸収されてしまうけれど、それでもいい。あの頃の自分に近づけるだけで十分だった。

彼から貰った大切な銀の鎖のブレスレットはどこかに落としてしまい、もうユリアナには見つけられない。失くした時に、彼との未来も失くしたことを実感してからは探すこともしていない。

 男は傍に立ち、笛の音を静かに聴いていた。頬に光る筋が流れていくが、ユリアナがそのことに気がつくことはなかった。





 護衛騎士の存在に慣れ始めると、ユリアナは少しだけ甘えるようになる。自分は目が見えず、彼は声を出せない。誰にも言えない傷をわかり合えたようで、ユリアナは次第に心を開くようになっていた。

「そろそろ、雪うさぎが出てくる頃だと思うの。外に行きたいから、ついてきてくれる? じいやは心配してばかりで、外に行くのを許してくれないの」

 ユリアナは動かない片足の代わりに杖をつきながら、部屋の片隅にかけてある厚手の外套をとろうと手を伸ばす。目の光を失いながらも、住み慣れた部屋の中であれば、どこに何があるのか十分にわかっている。

 杖を使えば、ゆっくりではあるが人並みに歩くこともできた。階段を上るのは少し力を使うけれど、かえって運動になるからと私室はずっと、二階の日当たりの良い部屋にしている。

 レームはわざとらしく足音を立てながら先回りをして外套を取ると、ユリアナの手にそれを渡した。

「あら、気が利くのね。ありがとう、でも次からはこんなことをしなくても大丈夫よ。自分のことは自分でするようにしているの」

 チリン、と返事の代わりに鈴を鳴らした男は、ユリアナが器用に立ちながら外套に腕を通すのを見ていた。

 ポケットに入っている手袋を取り出して手にはめる。外套についているフードを被ると、波打つ髪がすっぽりと隠れてしまう。

「後をついてきてくれる? 外を歩くのはちょっと慣れなくて。でも、新雪を踏むのが楽しみなの」

 男はチリンと鈴を鳴らすと、取っ手を引いてドアを開けた。颯爽と歩き出したユリアナは、男がついてくる気配を感じ取りながら進んでいく。カツン、カツンと前を確認するように杖を使いながら歩き、重厚な玄関の前に立つと男に扉を開けるように命じた。

「お願い、レーム。ここだけは、私では開けられないの」

 ギィ、と軋んだ音を立てて扉が開かれると、目の前には白一面の雪景色が広がっている。目で見ることはできなくても、冷たい新鮮な空気が頬に触れた。しんと音のない世界からは、微かに森の匂いがする。

「うさぎちゃん、庭に入り込んでいないかしら」

 ソワソワと童女のように喜んだユリアナは、右足を踏み出すとサクリと音を立てて雪を踏みしめた。左足はどうしても引きずってしまうが、何も感じることはないためそのままにしている。

 雪の重さを感じながら右足を出して雪を踏みしめると、長靴を通じて冷たさが足先に伝わって来る。

 ——わぁ、面白い……。

 この屋敷ではもう五度目の冬だけれど、新雪を踏むのはやっぱり楽しい。サクッ、サクッと足を動かすごとに音がする。

 男はユリアナが微笑む横顔を見て目を細めると、少しだけ口角を上げた。庭に出て歩く彼女が転ばないようにと、常に後ろに付き従っていた。
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