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一章
Ⅴ
しおりを挟む夏休みでも、大学に来る用事はちょくちょくある。三年生になったら専門の講義や実験が増えるし、四年生になったら研究室に配属されるからその下準備のため研究室に訪れる機会が増えるのだ。夏休みの間にも複雑な課題をこなさなければいけない。工学系だとしたら殊更で、図書室や教授にアドバイスを求めなければいけない。外の焼けるような暑さと比べれば大学は天国で、冷房は効いている。独り暮らしのアパートでは集中できない。
けど、タイミングが悪かったのか。小田先輩はいなくて、他のむさくるしい先輩しかいない。データ整理と実験を鬼のように手伝わされて、午後になってようやく自分の課題に入れる。図書室で必要な本をいくつか借りて教授にダメ出しをされて、ちょっとメンタルがボロボロになって解放されて。最後に書類を提出するために事務室にやってきた。
「「あ」」
今日はとことん厄日だ。なぜかれみがいた。れみも以外だったらしく、声が揃った。最後に別れたときのことを引きずってしまって、声をかけるのを躊躇ってしまう。仕方なく担当者が来てくれるまで椅子に腰掛けて待つことにしたのだが、とにかく気まずい。れみはどうしてまた来たのか。なにか用事でもあったのか。
「申し訳ありません。そういった物は届いていないですね」
「そうですか・・・・・・・・・・・・」
「もしよかったら、連絡先と住所を教えていただけますか? なにかわかったらこちらから連絡しますので」
「はい」
会話の内容は掴めないけど、どうやられみはもうすぐ帰るらしいというのがはっきりして、ほっと安堵する。けど、なにか記入してやりとりを終えたれみは椅子に腰掛けた。それも俺の隣に。
まだなにか用事があるんだろうか。けど、どうして俺の隣に? 他にもスペースはあるのに。しかもちょっと・・・・・・近すぎませんか? 肩が当たるくらいだし。
距離を気づかれないうちにとってみるけど、キッ! と鋭い眼光で距離を詰める。そんなことを繰り返していたらいつの間にか壁際まで追い詰められてしまった。壁とれみのサンドイッチ状態。肉体的にもメンタル的にもきつい。
「なに? どうしたの?」
「・・・・・・・・・・私の隣に座れないっていうんですか?」
なにその俺の酒が飲めないのか的返し?
「他にもここを利用する人たちが来ることを想定してスペースを確保しておこうという私の配慮です。無駄に私たちの間にスペースを空けておいたらその間に座る人が気まずいおもいをします。多人数できた人たちからすれば尚更です。それと、私の目的もあるから一石二鳥です」
うん。とっても素晴らしい心がけだけど、できればお兄ちゃんにも配慮してもらえない? というか目的ってなに? 一石二鳥ってなに?
「この前のことですが、すみませんでした」
え。れみがいきなり謝ってきたので信じられなかった。れみは俯いて、しょんぼりとしている。
「私も、その・・・・・・・・・うまく説明できないのですが。痛かったですか?」
「ああ、いや。別に」
正直、どうして頬を叩かれたのか理由を知りたい。けど、きっと俺が悪いんだろう。れみにした仕打ちを考えれば、あれだけされてもまだ足りない。もっと罵倒したり怒って然るべきことなんだ。昨日から考え続けてそんな境地に達している。
「俺も・・・・・・・・・」
ごめん。昔のこと。れみにしたこと。本当はこんなところですることじゃないかもしれない。けど、もうここを逃したら二度と謝れない。面とむかって謝ろうと体の体勢を変える。
ふわ。甘い香りがした。きっとシャンプーと石鹸。男じゃ到底出せない匂い。れみから漂ってきた女性らしさが鼻腔を擽って、胸が高鳴る。目が合って、顔が熱くなる。
「兄さん?」
だめだこいつはいもうともといもうと。いもうといもうともといもうと。
「い、今、そっちも夏休みだろ!? どどどうしてまた来たんだ?!」
「どうしてきょどってるんですか?」
動揺しまくりな俺にに訝しみながら首を傾げる。
「ちょっと忘れ物をしたのです。それがこちらに届いていないか探しに」
「へ、へへへへへぇ。どんなものなんだ!? 俺も大学にちょくちょく来るから見つけられるかもしれねぇぞ!?」
「それは・・・・・・・・・」
口を開いて、なにかに気づいたかんじでハッ! と手で隠してそのまま口を噤んでしまう。それどころかプイ! と明後日のほうを向いてしまう。
「内緒です」
「そ、そうか。でも、もう用事は終わったんだろ? 帰らないのか?」
「私がいつ帰るか関係あります?」
「いや、そうじゃないけど」
「それとも私がいたらなにか困ることでも? まさかまたいやらしいことを!?」
「お前の頭の中はそれしか結びつける機能ないのか・・・・・・」
携帯が鳴って、健からの連絡が。れみから少し距離をとって内容を確認する。
〈おっす~。お前今日暇~? 小田先輩が日本酒手に入れたからいつもの面子でまたお前の家で酒盛りしないかって話しになってんだよ〉
いつもの面子。同じ学部の仲間たちと何人かの先輩。以前から定期的に集まって数人で飯を食ったり酒を飲んだりする。最近はバイトや帰省しているのが多いからできていない。断る理由はない。明日は予定ないし課題も予定通りこなせばできる。
〈もちのろん。人数は?〉
〈六人。一九時には始めたい〉
あと四時間。だとしたら早めに帰って掃除や準備をしなきゃかもな。買い物だっていくし。
〈じゃあ俺今からお前のアパート行くな。はよ来いよ。なんせ今日は・・・・・・・・・ふひ〉
健が不穏だけど、そうと決まれば善は急げ。携帯をしまって準備に入る。
「悪い。俺この後用事ができ・・・・・・・・・・・・!?」
断りを入れるため、横をむいて、固まってしまう。なにか柔らかいものが顔に触れた。れみの顔が睫の一本一本がはっきりたしかめられるくらい超至近距離まで迫っていたんだから。どうしてそうなったのか。顎を肩に載せられていて、ほっぺたが触れあってしまった。ああ、そうか。あのぷにっとした感触はこいつのほっぺたか。はは、懐かしいな。昔はほっぺた触りっこしたり突きあいしたり。もう一回触って昔と比べて――
「じゃねぇえええ! しっかりしろ俺ええ!」
なに危ないこと考えてるんだ・・・・・・取り返しのつかない事態になるところだったぞ。そんなことここでしてみろ。セクハラだ強姦だってれみが怒って事務員に捕まってしまうおそれがある。最悪大学側からの処分もあり得る。
「なんですか? いきなり叫んで立ち上がって。頭おかしいんですか?」
こいつ・・・・・・・・・! 人が必死に冷静さを取り戻そうとしているのに・・・・・・! 事務員たちの責める視線を一身に集めているのもあって抗議もできず、そのまま立ち尽くすしかできない。圧倒的無力感。
けど、俺の担当者が来てくれてこれ幸いにとすぐに書類を提出しそそくさと帰る準備に入る。
「お友達と集まるんですよね」
俺と健のやりとりを盗み見ていたのか。けど、それを窘める元気がない。
「ああ、そうだけど?」
「そうですか・・・・・・・・・」
人差し指を唇にとんとんとんと。叩くように当てている。既視感があって、そういえば昔悩んでいるときこういう癖をやってたっけと呑気に回想する。
「あれ~? 上杉じゃん~」
れみの仕草に気を取られていたら、同じ学科の女子たちが数人来て、立ち話をする。内容は課題のことが中心だが、後半は俺の家でやる酒盛りについての打ち合わせ。どうやらこの子たちも参加するらしい。挨拶もそこそこに別れる。
ガシ。二の腕を掴まれた。
「あの人たちも参加するんですか?」
い、痛い。女の子には似つかわしくない膂力、爪の鋭さもあって皮膚と筋肉が悲鳴を上げる。男としてのプライドで、顔に力を入れて声をだすのを堪えた。ギロ、と睨み上げてくるれみの迫力に対抗するために、更に顔に力が入る。怒ってる?
「男女、密室、お酒、爛れた生活、大学生、乱れた性、開放的な夏、一夜の過ち・・・・・・・・・すなわち乱交パーティー・・・・・・・・・」
なにがすなわちなんだよ。小声だから半分以上聞き取れないけど不穏しかねぇよ。というか痛ぇよ離してくれよ。
「兄さんのアパートはここから遠いのですか?」
「え?いや、歩いて三十分くらいだけど」
この炎天下の中、歩いてくるのは至難だけどできるだけ歩くようにしている。自転車はあるけど買い物や遠出するとき以外使わない。
「そうですか。なら私も行きます」
「へ?」
「今夜の集まり、私も参加します。大学生がどのような暮らしをしているか参考にしたいですし。男女がお酒は飲みませんのであしからず」
「へ?」
ああ、今日はやっぱり厄日だ。
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