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一章

25話 ヒロインは手に入れる

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薄暗い牢屋に男女が1組。
片方は少し汚れているが、質のいいドレスを着た可愛らしい少女。
もう片方は、薄汚れた、前者と比べれば布切れのような服を着た、しかし、美形の青年。
 

リリスと、自身を売ろうとしていた青年である。

 
「どうしてこうなったのかしら」
 
「…いや、わからないのか?」

 
リリスの呟きに、まるで信じられないものを見ているかのような顔で答える青年。
彼女はそんな青年の様子に首を少しだけ傾けた。
 
 
牢屋へ放り込まれる、ほんの少し前。

 
リリスが悪巧みを思いつき、それを実行に起こした後、彼女が人の気配に振り返ると、そこにいたのは憲兵の姿ではなく、下卑た笑みを浮かべる明らかに人攫いの仲間の男だった。
すぐさま口を布で塞がれ、縛られ、馬車に乗せられ、二人揃って牢屋に放り込まれたのだ。
リリスも感心するほどの手際の良さであった。

実際、連れ去られる恐怖よりも、見習わなくちゃなんて思っている彼女は、未だにこの世界に対する現実感というものが薄いようだった。
 
「迂闊だったわ、まさか仲間がいたなんて…」
 
後ろで縛られた手首をごそごそと動かしながら、リリスは大きなため息を吐いた。
 
青年はリリスを少し睨みながら、
 
「…あんた、貴族かなんかだろ?」
 
と口にした。
 
「そうだけど?」
 
ぶっきらぼうにそう返すリリスの声音には、いつものような猫かぶりの色はない。

彼女の損得フィルターは彼に媚びても得がないと判断したのだ。攻略対象ではないし、情報もないから惚れさせるのは手間がかかりそうだと。

だからこそ、命を助ければそれで補正がついて事が容易に進むと思ったのだが、このざまだ。
ああ、面倒だわ、と息を漏らす。
 
「何のつもりだよ」
 
「え?」
 
「慈悲のつもりか?それとも何か、同情してくださったのか。薄汚え平民が自分自身を売ろうとしてるとこなんて見たくねぇって、さすが貴族様はお優しいこったな」

鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、リリスはしばし青年を見つめた。その様子に、傷ついたのだと勘違いした青年は、これだから箱入り娘はと心の中で毒づいた。
 
(…あれ?なんか、今のセリフどっかで聞いたことが…)

当の本人は別のことが気になって上の空なだけだったが。

静寂を破ったのは、

「んで、結局なんで人身売買なんてしてたのよ。しかも自分のこと売るとか」

まあいいか、と先ほどの疑問を脳の片隅に追いやり、デリカシーのかけらもない質問をしたリリスの声だった。

「…そんなこと聞いてどうするつもりだよ」

青年は少し戸惑いを見せたが、すぐに、どうせ何もしてくれないくせに、とでも言いたげな目線をリリスに向けた。

そんな貴族に対する不信の目線をたいして気にした様子もなく、淡々とリリスは続ける。

「別に、ただの好奇心だけど」

その言葉に、先ほどまで静かに怒っていた青年は顔色を変えた。が、言葉を一つも発さず俯いたためリリスは気が付かずに言葉を続けた。

「まあ、目的が無かったわけじゃないけど、もうなんか面倒なのよね」

リリスにとってこれはプレイヤー側の制作者に対する文句に近い発言であった。お気に入りの、もっと言えば攻略対象以外の長めのイベントって旨味ないのよね、と。

だが、紛れもなくこの世界で生き、この世界で苦しみ、それ相応の覚悟で自分を売りに出した彼にとっては、軽口や文句で済ませられるものではなかった。後ろで縛られながらも、握りこんだ両拳がフルフルと震えている。

返事がないので、あら、地雷踏んだかしらとリリスがチラと横目で見る。


「…明日の心配が出来ればまだ幸せ、そんなこと思ったことあるか?」
 
彼の口から出てきた言葉はリリスの予想とは裏腹に、静かでまるで全てを諦めたようなものだった。
 

「腹が空けば食う、それが満たされれば幸せだって思う貴族がどれほどいると思う?」

「当たり前に家族が健康で、病気にでもなれば医者に診てもらえて」

「なにも言わなくても、強く望まなくても、何もかも当然のように与えられる」

ぽつぽつと、しかしはっきりと聞こえる声で、青年は言葉を絞り出した。

「いねぇんだよ、そんなことお前らにとっては当然だから、当たり前だから。知らねえよな、そんなこと」

薄暗く、じめじめとした牢の中で、青年の言葉は虚しく響いていた。
 
普段のリリスならここで、辛かったですね、とか、私にできること何かありませんか?など男性が欲しがるであろう言葉をかけただろう。

しかし、


「ええ、知らないわよ、そんなこと」


生憎と、今の彼女は小動物ヒロインモードではないのだ。つまらないといったようにため息まで吐いた。

〈知識として知らない〉なんて意味には聞こえない、寧ろ、知ったこっちゃない、どうでもいい、青年の耳にはそんな風に届いた。

 ヒクと、青年の眉が不快そうに動いた。

「それが貴族と一体なんの関係があんのよ。要するに僻みでしょ。全然関係ないじゃない」 

そういって、やれやれと首を振る。



「…関係、あるんだよ…!」

初めて青年は声を荒らげた。
ビクッとリリスの肩が揺れる。

「俺の、俺の親父はなぁ!貴族に騙されて、あいつらは、金も家も、全部!!巻き上げて、奪って!さも元々自分たちのものだったって顔して!
それでも、ここまでなんとかやってきたのに、何で、」

息を切らして、そう叫ぶ青年。
途中、話言葉にもならないくらい興奮していた。


「母親でも病気になったのかしら」

つまらなそうにリリスが口を挟んだ。


「っ!…なんでそれを」


怒りで鋭く尖っていた目が驚きの感情によって綺麗な円形に変わった。
リリスも別に分かっていた訳ではない。
ただ、よくありそうな設定、もとい、よくありそうな話を口にしただけである。そうしたら、偶々、本当に偶然当たってしまった。

「あー、それで。なんか納得がいったわ。母親が病気でお金がいるからってことね?」

青年はそれに答えなかった。
無言を肯定と受け取ったリリスは、石の上に同じ体勢で座り続けるのが辛いのか、もぞもぞと足の位置を調整する。


「…いいよな、貴族のお嬢様は悩み事なんてなくて」 


ボソッと、青年が心の声を漏らした。
青年自身もわかっている、全員が全員、自分たちを追い込んだあの忌々しい貴族のような輩ではない事を。
自分はそれなりの覚悟でここにきた。
なのにこの少女は、それを好奇心だけで片付けた。それが腹立たしかっただけなのだ。
だが、こうも淡々と返され続けては、怒るだけ時間の無駄だと、青年は口を閉ざした。



 「…悩み、ねえ」


リリスはそう口にして、少しだけ動きを止めた。

「あんたさ、自分が好きな男の人のことを自分の父親が好きになったって経験、ある?」

「は?」

訳がわからないといった風に、青年は疑問の声を上げた。

「だから、自分の想い人の事を、自分の実の父親も好きになってしまったって事よ」

そう言いながらリリスの目からは段々とハイライトが消えていった。


「いい年した冴えないおじさんの父親が、毎晩毎晩絵師に書かせたその人の似顔絵を見つめては頬を赤く染め上げるのを見させられる。
その人と偶々手が触れ合った日には、うっとりとして自分の手を頬にあてて熱い息を吐く。プレゼントなんて貰った日には大変よ。高い紅茶を貰ってきたあの人、それをどうしたと思う?一回も飲まないで毎朝紅茶の箱の前で祈りを捧げてんのよ。あの方が今日も一日幸せでいられますようにって、恋する乙女みたいな顔して」

勿論、エリオットとサウスの話である。
息継ぎもほとんど無しに、今まで溜まっていた愚痴を吐き出すリリス。
これを皮切りに、実に1時間ほどあれやこれやとぶちまけた。

最初は半信半疑だった青年も、リリスの話があまりにも詳細で具体的だったため、途中からは顔色が悪くなっていったほどだった。


一通り話したリリスは、ふう、と一息つく。

「…あの、なんだ。
お前も、苦労してんだな、なんかごめん」

終いには青年が謝る事態となった。
先ほどとはまたジャンルの違う重苦しい空気が流れる。

しばらくすると、コツン、コツンと、地下牢に複数の足音が響いた。

「旦那、今回のは2人とも上玉ですぜ!
さあさあ!ご覧になってくだせえ!」

「焦るでない。だが、よくやった、身なりのいい娘とあらばかなりの高値で売れよう」

階段の陰からそんな会話が聞こえてきた。
青年の体に緊張が走った。リリスはリリスで、暗い目をしている、別の理由で。

階段を降りてきたのは、小太りで小綺麗な服を着た中年と、複数の若い男たちであった。
若い男たちの中には、リリスと青年を攫ってきたものもいる。


中年は牢の前に立ち止まり、どれどれと覗き込んだ。

そして、

「え?リ、リリスちゃん」

「あら?おじさま?」

リリスと中年、お互いに素っ頓狂な声を上げた。2人のこの反応に、別の意味で若い衆達はざわざわとし始める。


「あの、旦那、お知り合いで…?」

恐る恐る中年に話しかける1人の男。
先ほど中年を急かしていた男だ。
そんな問いかけを無視して、

「リ、リリスちゃん?どうしてここに…?」

中年はすぐさま牢の鍵を開け、リリスを拘束していたものをといた。

瞬間、リリスは小動物モードに自分を切り替えた。目は儚げに、少し涙を蓄え、声は猫なで声に。

「それは、その…おじさまにお逢いしたくて…いつもの路地裏に…もしかしたら、いらっしゃるかもって……で、でも、そこの怖い人たちに無理やり」

そこで、さも堪えきれなかったというようにリリスは大きな目から涙をこぼした。雨に打たれた子猫のように、体はフルフルと小刻みに震えている。
その変わりように青年は体が震えた。

「そうかそうか、怖かっただろう…」

おじさまにお逢いしたくて、という台詞で頬が完全に緩みきった中年は、リリスに優しい言葉をかけた後、すぐに若い衆の方に振り返った。

「…お前ら、リリスちゃんはうちの商会のお得意様だぞ?可愛い可愛いリリスた…リリスちゃんにこんなことしでかして、わかってんだろうな!」

急に怒鳴られた男達は混乱し始める。お得意様ならば自分たちも一度は目にしたことがあるはず。自分たちの担当でない薬剤の類なら、そもそも見る機会もない。
どちらにせよ、怒られている理由など分からなかった。
だが、それよりも男たちには思うことがあった。


「いや、旦那さっきはよくやったって…」


「口答えするな!」

理不尽に怒りを向けられ動揺を隠せない男たちを尻目に、中年はまたもやリリスの方を振り返り、

「悪かったね、リリスちゃん。おじさんに会いにきてくれたのに怖い思いをさせて」

「い、いいんです、怖かったけれど、私もいけなかったし、それに」

「それに?」

「こうしておじさまに会えたのだから、私それだけで嬉しいです」

「リ、リリスちゃん」

年甲斐もなくクネクネ、デレデレとする中年に威厳も何もなく、部下は部下で白い目で見始めていた。

(あれ、俺何しにきたんだっけ…)

空気に取り残された青年も目的を忘れかけていた。


「あの、おじさま、ひとつお願いがあるのですけれど…」


ーーーーーーーーーーーーーーーー

その後、すぐにリリス達は解放された。
来る時とは打って変わり、上等な馬車で元の場所に運ばれ、中年がお名残惜しそうに去っていったのを見送った後、

「はぁ、なんか疲れたわ」

リリスは表情を元に戻した。

「…どういうつもりだよ」

状況を飲み込めないといった表情で、リリスを見つめる青年。牢にいた時の不信の感情ではなく、あまりにも早すぎる展開に脳が追いつかないといった様子だ。

青年の混乱は、リリスの中年に対するお願いに起因する。

リリスのお願い、それは、

青年を自分の従者として買い取りたい、というものだった。
中年は快く応じたし、不満気だった若い衆も、相場の二倍出すとリリスが口にすると、途端に態度を変えた。
王宮お抱えピアニストである父の給与から換算すれば、二倍と言えどはした金程度であった。


「ああ、そう言えば、何も話してなかったわね」

うっかりしてたわ、とリリスは一つあくびをしてから、

「私ね、閃いたのよ。
なんで、ヒロインである私が、あんな悪役令嬢に未だに手こずってんのか。メインヒーローは私に振り向かないのか」

青年は一ミリも分からなかったが、痛い話だということはわかったらしく口を挟まなかった。

「あの女や、彼にあって、私にはないもの、それは…



専属の従者よ!!!!」

人差し指で青年を指しながら、ババン、と効果音がつきそうな勢いで言い切るリリス。

「いや、は?」

「なによ、順応性ないわね」

まったく、と言ったようにため息をつく。

「いや、順応性とか、そういう問題じゃなくて、説明してくれよ」

「だから、さっきから言ってるじゃない。あんたはお金が必要。
私はある程度華のある自分専属の執事かメイドが欲しい。ほら、利害が一致してるでしょ。雇ってあげるから感謝しなさいっていってんのよ。働きによっては、家族の面倒も見てあげてもいいわ。家と、三食風呂付、着る服、あと、薬代くらいだけど」

さっきの会話からそこまで読み取れなんてこいつは理不尽から生まれてきたのかと青年は頬を引きつらせた。

「やるかやらないか、ハッキリしなさい」

元より、青年に選択肢などない。
紛いなりにも自分は買われたのだ。
しかし、この話が本当なら、願ったりもない話だ。労働の場だけでなく、家族の生活の保障。

だが、そんなうまい話の裏には。

「本当に、家族の面倒もみてくれるのか…?」

自分の扱いは、それほど気になるところではない。しかし、本当に自分の給料が家族のところにいくのか、薬は母に届くのか、彼はそれだけが心配であった。

「…そんなに心配なら、いいわ、使用人の部屋がいくつか空いてるからそこに家族で住むといいじゃない。そうしたら毎日確認できるでしょ?あんたも」

「なんで、そこまで…」

「エリオット様を落とすダウンロードコンテンツになら、幾らでも課金できるってだけよ。それより、やるかやらないか、早く返事が欲しいんだけど」

言っている意味は一つも理解できなかったが、流石に、彼の心も決まった。

「やらせてくれ!」

青年は深々と頭を下げた。

「やらせていただきます、よ。それと、私のことはちゃんとリリス様か、お嬢様って呼びなさい!」

「す、すみません、お嬢、様」

リリスは内心お嬢様と呼ばれてウキウキしていた。が、それを心に押しとどめ、

「まあ、最初はそれでいいわ。
あ、そう言えば、名前聞いてなかったわね」

「サイファです」

「…ん?」

その名前に、リリスは一瞬聞いたことあるような気がしたが、気のせいだろうと思考を止めた。



「じゃあ、サイファ、早速今日から作戦を練るわよ!」


かくして、魔王ヒロインリリス・クラスフィールは自分の従者を手に入れた。


次の物語の未来を大きく変えてしまったことも知らずに。
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