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♠︎俺の妹と俺の好きな人

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 俺の言ってる意味が理解出来なかったのか、川村が水槽の中の金魚の様にポカンと口を開けパクパクさせている。

「誰の―」
「俺の」

「そういう設定―」
「現実だ」

「血の繋がってない―」
「繋がっている」

「半分繋がってる―」
「半分どころか両方同じだ」

「……むしろ、妹ってナニ?」

 どうしても認められない様子の川村に、「正真正銘同じ両親から生まれた、俺の妹だ」と言い切ると、呆けていた川村の顔がわなわなと震え出した。

「う、うそだー」
「嘘じゃない。本人に会わせてもいい、何なら戸籍謄本をもってきてもいい。DNA鑑定書もある。何度でも言うが、あれは俺の妹だ」

 信じられない気持ちは良く分かる。
 俺と妹が血の繋がった兄弟だと知り、それをすんなり信じた人間などいない。29年間生きてきて誰一人としていない。しかし、これは紛うことなき真実なのだから信じてもらうしかない。

 俺には八個下の妹がいる。
 そして妹は、十人いたら十人全員が可愛いと認める正統派美少女だ。
 人の形をしているという所以外、俺とは似ても似つかない外見をしているが、正真正銘同じ両親の血を引いている。
 実際、俺と妹が似てなさ過ぎて親族に不貞を疑われた母が、正月の親族の集まりで「私は旦那以外のチンコは見たことも受け入れたこともありません!」と声高らかに宣言したのは、今もなお伝説として語り継がれている。
 結局それでも疑惑を払拭できなかったため、DNA鑑定するまでに至ったのだが。

 ちなみに俺は両親のどちらにも似ていない。しかし母親の父親、つまり祖父にどことなく似ているらしい。俺が生まれる前に亡くなっているため遺影しか見たことないが、確かに『この顔を見たら110番』がキャッチフレーズだと言わんばかりの顔つきをしていた。

 土曜日は、彼氏にあげるチョコレートを買いに行くから一緒についてきて欲しいと妹に言われ、予定も何もない俺は大人しく妹の言うことに従った。

 妹曰く、俺といるととてもスマートに買い物ができるらしい。
 確かにバレンタインデー直前の休日とあってデパートの催事会場は人で溢れかえっていたが、俺と妹の周りには常にスペースがあり、誰かにぶつかることなど一度もなければ行列に見えたレジでも待つことなく会計を済ますことができた。

 妹曰く、一緒にいるだけでなく彼女のフリをすると更に効果テキメンらしい。
 どこにどう効果するのか分からないが、妹の言うことに異を唱えると恐ろしいことになるので、妹のしたいようにさせていた。妹は可愛い外見をしているが、その中身はなかなか辛辣である。妹が三歳の時に兄弟喧嘩で論破されて以降、俺は妹の言うことに口を出すことはやめた。
 まあ、俺が妹に甘いというのも否定はできないが。
 女子供にとんと縁のなかった俺は、妹の為に、妹のこれから築くだろう家族の為に、これからの人生を送っても全然構わないと思っているほどには、妹のことを可愛がっていた。

 だが、まさかそれを川村に目撃され、あらぬ誤解を生んでいたなんて――
 
「信じられないか?」
「うん。全然信じられない」

「そうか。…そう、だよな」

 即答で返された。
 それはそうだ。俺だって未だに半信半疑の所があるくらいなのだ。実際に俺と妹を見た川村が、信じられるはずがない。
 少しだけ、本当に少しだけガッカリした気持ちになる。
 川村なら――神が俺に遣わした天使である川村なら、もしかして。
 そう、どこかで期待してしまっていた。
 期待など、して良いことなど何もないと、身に染みて分かっていたはずなのに、懲りもせずにまた俺は。
 自分の馬鹿さ加減に反吐がでる。

 走り去る車を見るでもなく見ていると、川村が「でも」と言った。

「でも信じたい。志島くんは嘘を吐くような人じゃないって、信じてる。だから、信じたい。半信半疑どころか疑惑しかないけど、それでも志島くんを信じたい」

「川村……!」

 川村の真っすぐな瞳に見つめられ、そして呆気なく捉えられる。
 初めて会ったあの日。研修で自己紹介された時も、川村は全く臆することなく俺をじっと見つめてきた。
 その後もずっと、そして今も変わることなく。
 そうやって見つめられる度に、俺は川村に救われ、そして何度だって恋に落ちるのだ。

「嘘じゃない。俺は川村に……嘘をついたことはないとは言わないが、もう絶対につかない」

「嘘ついたことあるの?」

「そ、それは……」

「あるの?」

「……実は、白髪や耳クソやアレに対して、俺は特にこだわりも何も持っていない。何ちゃら派だと言ったのは、全て嘘だ。……スマン」

 川村の無垢な視線が浅ましい己にぐさりと刺さり、それから逃れるように頭を下げる。
 天使の断罪を静かに待っていると、繋がっていた手がフッと離れた。まるでそれが答えだと言わんばかりに。

 ……ああ、やはり許してはくれないか。

 パラシュートもなしに上空三千メートルから突き落とされた気持ちになる。

「志島くん」

 しかし地面に叩きつけれる直前に名前を呼ばれ、死にかけの頭を少しだけ上げた。
 川村は俺の罪を聞いて怒っているのか、呆れているのか、軽蔑しているのか。声だけでは分からない。知りたいと知りたくないが拮抗し、結局勇気が出ずそれ以上顔を上げることはできなかった。

「志島くん、白髪は全部抜く派だって―」
「白髪なんてあってもなくても抜いても切っても、何でもいい」

「耳クソは膝枕されながら優しく誰かに掘られたい派だって―」
「その願望が全くの嘘だとは言わないが、それもつい」

「じゃあ、オナ―」
「あれも!川村と会える毎週月曜にしていることにすれば、もしかしたら川村はしてくれるんじゃないかと。誘惑に勝てずに……スマン」

「全部、嘘だったの?」

 咎めるように言われ、胸にぐさりと突き刺さる。だが、この期に及んで隠したりはぐらかしたりするような、みっともない真似はしたくない。

「川村と一緒にいれることが嬉しくて、つい、出来心で言ってしまったんだ」

 最後にもう一度「スマン」と頭を下げる。
 いや、それでは不十分だと思いなおし、更に身体を深く倒す。
 謝罪会見のように最敬礼90度でしばらく静止していると、頭の上の方から「いいよ」と声をかけられた。
 川村らしからぬ平坦で表情の読めない声。
 恐る恐る顔を上げると、川村は腕を組んで不機嫌そうに俺を見据えていた。
 腹の底がひゅんとなる。

「これからは二度と私に対して嘘を言わないんだったら、許してあげる」

 どこか挑発的で上から目線な言い方に、今度は股の付け根にぶら下がった二つの膨らみががひゅんひゅんした。
 川村に嘘をつく気も異議を唱える気もさらさらない。が、この時の川村にはNOとは絶対に言わせない何かがあった。

「土曜日に一緒にいた子は本当に妹なの?」

「妹だ」

「彼女じゃなくて?」

「彼女なんてものは生まれてから一度だっていたことはない」

「じゃあ、好きな人は?」

「それは……いる」

「誰?」

 すかさず追及され一瞬口籠る。が、言うしかない。今一番優先すべきは俺の気持ちを知った川村がどう思うかではない、川村の質問に嘘偽りなく答えることなのだから。

「……川村、だ」

 断腸の思いで、それを口にする。

「どちらの川村さん?川村なんて名字の人は全国に約十三万人いらっしゃいますけど?」

 絶対に分かっているはずなのに、揚げ足取りのような返しをされてしまう。
 わずかな誤魔化しも許さない。そう言っている。

「……それは……俺の目の前にいる、川村莉緒さん、です」

「私こと川村莉緒のことが、何だって?」

 川村が顎をしゃくり、俺にその先を促す。
 下から向けられる含みのある視線をしっかりと受け止め、一度深く呼吸をし、はっきりとその三文字を口にした。

「……好きだ」

 そう口にした瞬間、顔が発火しそうな程火照って、口から火を噴きそうになった。違う、顔から火を噴きそうにだ。口から火を噴くとかどこの怪獣だ。しっかりしろ、俺の頭。

 と、自分にツッコミを入れるが、頭の中は大変な騒ぎになっていてとてもじゃないが収拾がつきそうにない。
 今まさに、口から火を噴きビルを踏み荒す俺という大怪獣が襲来し、それから必死になってたくさんの俺達が逃げ惑っているという、怪獣映画のパニックシーンが繰り広げられている。

「知ってた」

「……え」

「そうだと思った」

 川村はそう言うと、さっきまでのしかめっ面を崩し、ふわりと笑った。
 そして安心したようにもう一度、「そうだと思ったんだ」と言い、今度は嬉しそうに歯を見せて笑った。

 そんな川村につられるように、俺の身体からもふっと力が抜けた。
 頭の中の世界にも無事平穏が訪れ、たくさんの俺達も日常を取り戻すことができたようだ。

 すると唐突にあることを思い出し、カバンに入れていたそれを川村に差し出した。

「これって?」

 川村が玩具屋にいる子供の様に目をキラキラさせて、包装紙に包まれた小さな箱を見つめる。
 そんな川村の顔を見れただけで、もう十分だった。

「バレンタインのチョコ。妹が買う時、俺も買ったんだ。今日、川村に渡そうと思って」

「私に?志島くんが?」

「そうだ」と頷きしばらくすると、川村は「ありがとう」ともう一度笑って自分のカバンにそれを仕舞った。

「開けないのか?」

「うん。今はいいや。帰ってから開ける」

 貰い物は自分のモノであれ他人のモノであれ何でもかんでもすぐに開けたくなる川村が、今開けないなんて。
 もしかして、本当は嬉しくなかったのか?
 軽く落胆していると、そっと手を取られた。
 え?と驚いてるうちに指を絡められ、ぎゅっと手のひらをくっつけられる。

「今日は月曜日だし、まだ時間も遅くないし、なんだかんだ歩いて家まであともうちょっとの所まで来たことだし、私も志島くんに渡したいものあるし」

 川村の細く小さい指が、俺の太く大きい指を抱きしめている。ぎゅっとしがみついている。

「そんなことで、一緒に帰ろ?」

 そう言って、川村はどこか照れ臭そうに歯を見せて笑った。



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