上 下
41 / 51

41

しおりを挟む
 なんとか開店準備を終わらせると、すでに開店時間の五分前だった。ぎりぎりなんとか開店前に作業は終わらせられたけど、圧倒的にいつもより遅い。
 婚約話を申し込まれるのならさっさと申し込んで、この一件をどうにかしたい、と思う反面、婚約話が本決まりすれば、今度こそわたしは『リノ』をやめて、コンフィッター家のシノリア・コンフィッターに戻らないといけない。
 逃げ場がないこの期に及んでも、縛りのない今日がまた続かないかな、と夢を見ているのだ。

 ――カラン。

 今日何度目か分からない溜息を吐こうとしたところで、入口のドアベルが鳴る。わたしは慌てて溜息を飲み込んだ。
 開店には早いけど、まあ、五分くらいならいいか。
 わたしはそう思って、入口の方を見て、声をかけようとして――。

「いらっしゃ、いま――」

 ――言葉を失った。
 そこに立っているのは、エストラント様と、一人の男性だったからだ。二人ともそれなりに平民の街で目立たない恰好をしているけれど、間違いなく本人。エストラント様の後ろにいる連れは、確実に護衛だろう。そんな感じの風貌だ。

 わたしはゆっくりとすーっと息を吸うと、「開店時間まで時間がありますので、少々お待ちください……」と言って、奥へ引っ込む。

 やばい、やばいってこれ。

 わたし自身がバレる心配はそこまでしていない。貴族令嬢としてのわたしを知っていて、その上女慣れしているソルヴェード様がわたしを一発で見抜けなかったのだ。エストラント様に見抜けるわけがない。
 問題は『シルくん』だ。
 多少変装を教え込み、彼も慣れてきたようだけれど、それでも別人のごとく、がらっと変わったわけじゃない。身内が見れば一発で化粧とヴィッグで誤魔化したソルヴェード様だと分かってしまう。

「シルくんシルくんシルくん」

 わたしは小声で彼に声をかける。
 ソルヴェード様がいるのは、キッチンの近くにある、食器や備品がある棚の前。客席と区切りをつけるために衝立は立っているが、その高さはわたしが丁度隠れるくらいの高さ。わたしよりも頭一つ以上背の高い彼は、ばっちり見えてしまう。

「しゃがんで、隠れて、まずいんです!」

 わたしは小声のまま、彼を強引にしゃがませた。ソルヴェード様はエストラント様がやってきたことに気が付いていないから、不思議そうな顔をしていた。

「大変なんです、今――」

「――成程、ここにいたのか、ソルヴェード」

 しゃがんだまま、こっそり状況説明して一旦彼を隠そうとしたのが失敗だった。
 エストラント様はいつの間にか近くにまで来ていて、衝立の向こうから、わたしたちを覗き込んでいた。彼もまた、高身長だから、この程度の衝立だったら覗き込めるのだろう。
 こちらを覗き込む彼は、無表情で、圧があった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

イラストから作った俳句の供養

現代文学 / 完結 24h.ポイント:397pt お気に入り:1

臆病な犬とハンサムな彼女(男)

BL / 完結 24h.ポイント:205pt お気に入り:4

雨に濡れた犬の匂い(SS短文集)

ライト文芸 / 連載中 24h.ポイント:454pt お気に入り:0

星を旅するある兄弟の話

SF / 連載中 24h.ポイント:1,237pt お気に入り:1

妹にすべてを奪われましたが、最愛の人を見つけました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:142pt お気に入り:6,122

実は私、転生者です。 ~俺と霖とキネセンと

BL / 連載中 24h.ポイント:305pt お気に入り:1

ダイニングキッチン『最後に晩餐』

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:2,137pt お気に入り:1

処理中です...