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第4話 遺されたもの
しおりを挟むしばらく、二人とも何も言わなかった。
炉の火が薪を噛み、かすかな音を立てる。その音だけが、工房の中で時間を刻んでいる。パドキアは、金床の冷えた表面に視線を落とした。何度も打たれ、何度も支えてきた鉄の塊は、今はただ沈黙している。
「……力の勇者は」
言葉は、自然に口をついて出た。
グラドは、すぐには答えなかった。火の様子を確かめるように、薪の位置をわずかに直す。それから、ゆっくりと息を吐いた。
「昔からの長い付き合いだった」
それだけで、十分だった。
「あやつがまだ名もなく、ただ力だけを振り回していた頃からな」
パドキアは黙って聞いていた。否定も、肯定も挟まない。ただ言葉を受け取る。
「勇者になってからも、よく来た。剣の調子を見ると言っては、長居をした」
火箸を握る手が、わずかに緩む。
「剣の話より、世間話の方が多かったくらいだ」
その口調には、懐かしさがあった。だが、それを慈しむ余裕はもう残っていない。
「酒も飲まずに、ただ座ってな。剣を膝に置いて、火を見ていた」
その光景が、パドキアの胸の奥で何かと重なった。幼い頃、夜の灯りの下で、父が剣を拭いていた姿。言葉を交わさず、ただ刃に触れていた背中。
「……あやつは」
グラドの声が、少し低くなる。
「わしの剣を、誰よりも大事にした」
武器としてではない。名声の象徴としてでもない。長い時間を共にするものとして。
「わしがあやつのために、打った剣は数しれぬ」
「だがあやつは、初めてわしが授けた剣をいつも腰に携えていた」
「折れるまで使うと、笑っていた」
それは誇張ではなかった。誓いでもない。事実としての言葉だった。
パドキアは、喉の奥に何かが引っかかるのを感じた。だが、それを言葉にする前に、グラドが続けた。
「……あやつは、戻ってくるつもりだった」
グラドは視界の端で、パドキアを見た。確信をもった言い方だった。
「最後まで行けば、必ず戻ると。剣も、わしも、疑っていなかった」
炉の火が、小さく揺れた。
「だから、止めなかった」
「止める理由が、なかった」
「いつものように、また機嫌よく姿を現すと信じて疑わなかった」
それは言い訳ではなかった。ただの経緯だった。
パドキアは、ゆっくりと背負い袋に手を伸ばした。中から取り出したのは、一振りの剣だった。派手さはない。装飾も少ない。だが、刃の線は整い、手に取ると不思議な落ち着きがある。
グラドの視線が、その剣に吸い寄せられた。
「……それは」
言葉が、途中で止まる。
パドキアは剣を床に置き、静かに言った。
「父の剣です」
その一言で、工房の空気が変わった。
グラドは、しばらく動かなかった。視線は剣に向けられたまま、だが焦点が合っていない。過去と現在の境目で、立ち止まっているようだった。
「……そうか」
ようやく、それだけ言った。
「力の勇者は、私の父でした」
声は、震えていなかった。
グラドは目を閉じた。長く、深く。
「……そうか」
同じ言葉だったが、今度は重さが違った。
「だから、ここに来たのか」
問いではなかった。確認でもなかった。ただ、繋がったという声色だった。
「はい」
パドキアは頷いた。
「父が信じていた剣を、私も信じたかった」
沈黙が落ちる。
グラドは、ゆっくりと立ち上がった。剣に近づき、だが手を伸ばすことはしない。
「……あやつは」
声が、わずかに掠れた。
「最後まで、剣を離さなかっただろう」
パドキアは答えなかった。ただ、頷いた。
「それで、よかった」
グラドはそう言った。
「折れるまで使われたなら、それは……」
言葉が途切れた。
鍛冶師は、剣を作ることはできる。だが、剣の最期を選ぶことはできない。
「……すまなかった」
その言葉は、パドキアに向けられたものではなかった。剣にでも、過去にでもない。自分自身に向けられたものだった。
パドキアは、剣を持ち上げた。柄に触れると、懐かしい感触があった。
「あなたが父を殺したんじゃない」
パドキアは、ゆっくりと唾を飲み込んだ。
「父は、あなたの剣と一緒にいたかったんだと思います」
グラドは何も言わなかった。
ただ、炉の火を見ていた。
火は弱いまま、揺れている。
だが、それは消える火ではなかった。
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