【完結】元婚約者に全てを奪われたので、祈りの刺繍で人生立て直したら雇い主がまさかの王子様でした!?

魯恒凛

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16.身の回りが万事うまくいく、だと…?(ネルSide)

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 優雅な生演奏が響き渡る中、絢爛豪華な大ホールには二百名にも及ぶ高位貴族や他国の使節が招待され、華やかな宮廷晩餐会が始まった。

 煌びやかな灯の下、留学経験を買われた俺に宛がわれたのは他国の使節たちの四人席。商売のこともあって特産品の話で盛り上がる。一の義姉の細やかな気配りに感謝だ。
 わが国の刺繍に興味があれば王族へ献上させてもらえないかと思い、どんなものが好まれるのかと探りを入れながら談笑している時だった。
 
 ワインを傾け、冗談を交わし、外交の場にしては珍しく和やかな空気が流れていた――その時までは。
 
 最初に具合が悪そうにしたのは、向かいに座っていた大使だった。乾杯からわずか十五分後、大使は苦しげに胸を押さえ、次いで大使の隣に座る貴族が白目になり、俺の隣にいる高官も口を抑え出した。
 俺はすぐに周囲を見渡す。騒ぎを抑えるように手をひと振りすると、壁際に立つ侍従補がすっと近づいてきた。

「……大使とこの方を医務室へ。静かに、目立たぬように。もし誰かに尋ねられたら、“体調不良のため、別室で休まれる”と伝えてくれ。それからそこの君は、……一の兄に。いや、席次が悪いから、二の兄へ秘密裏に報告を」

 侍従補たちは小さく頷き即座に動く。緊急事態の指示は簡潔に素早く、迷わずが鉄則だ。異変に気付き、ヴィスも近づいてきた。

「……エルネリオ殿下、ご自身もお下がりを」
「いや、私はまだ大丈夫だ。この席だけ同時に抜けたら何かがあったと思われるはず。もう少ししたら高官とシガールームへ行く振りをして席を立つ。……君、もう少し耐えられるな」

 俺の問いかけに隣席の高官は青ざめながらも頷いた。彼も毒に慣らしてあるようだが、あまりよくはなさそうだ。

 ――毒だと早い段階から確信があった。おそらく俺も摂取したはず。

 効き目に差があるのは、王族の一員としてあらゆる毒にある程度慣らされているからだろうか。だが、そろそろ俺も解毒をしてもらった方がいい。

 ――今日は一の義姉が取り仕切る、各国から要人が集まった晩餐会だ。騒ぎになって水を差したくない。
 俺は周囲に混乱がないことを確認し、各方面へ指示を終えてから高官と目配せをして静かに席を立った。俺がいたテーブルの席だけがぽっかりと空いてしまうが、仕方がない。
 
 会場を出る際、二の兄がこちらを見ていた。状況を把握してくれたようだから、後のことはうまくやってくれるだろう。
 
 宮殿内を進み人気のない廊下まで来ると、高官は膝から崩れ落ちた。俺の後を追ってきたヴィスがすぐにその体を支える。
 
 晩餐会は何事もなかったかのように続いた。音楽が流れ、杯が交わされ、笑い声がこだまする。
 その音を背中で聞きながら、俺は自らの脚で医務室へと向かった。

 *

 向かった医務室は騒然としていた。大使は死亡。他の二人も意識がないが、命に別状はなさそうだ。ところが、俺だけは何ともない。

 毒が混入していたのはワインだと早々に判明し、晩餐会の会場から一斉に赤ワインが撤去されたらしい。だが、他に被害が広がっていないところを鑑みると、この大使を狙ったものだったようだ。どうやら、他国の権力争いに巻き込まれたのだという結論に至り、ため息をかみ殺した。
 
 恐らく、この大使は突然死として処理することになるんだろうが、これはきっと……兄たちが利用されたと激怒するはず。かの国との取引はしばらく諦めることになりそうだ。

 そして、医師たちはひとり元気な俺に驚きを隠せず、困惑した表情を浮かべた。

「なぜだ。殿下も同じボトルの赤ワインを口にしていたはずだ」
「解毒薬を事前に服用していたのでは?」
「まさか、毒を知っていたのか?」

 失礼な疑念と詮索も飛び交っていたが、俺は終始黙っていた。自分でも理由がわからなかったからだ。

 *

「はぁ……最悪な晩餐会だった……」

 駆けつけた二の兄と義姉のおかげですぐに自分の宮殿に戻れることになり、俺は帰らせてもらうことにした。
 
「エルネリオ、ありがとう。おかげで混乱がなかった」
「いや……エルディオス兄上に尻拭いさせてすまない」
 
「いいのよ、それがこの人の仕事なんだから!」とは義姉だ。いや……、兄さんのこと、もうちょっと労ってあげてよ。ほら、ちょっと拗ねちゃったじゃん。
 
 後のことはこっちでやる、早く休むようにと俺を追いやった二の兄夫婦。
 俺への疑念を口にした医師たちがその後無事だったかはわからない。が、いたるところに自分の部下を潜ませている彼らのことだ。二人とも先ほどの発言をすでに聞き及んだだろう。
 二の兄が見逃したとしても、義姉が知ったら医師の人生は詰んだも同然だ。つまるところ……口は災いの元ということだ。

 ようやく自室に戻り、熱いシャワーを浴びようとジャケットを椅子にかけ、シャツを脱いだ時だった。上着の内ポケットから、何かがふわりと落ちた。

「あ……」

 拾い上げたのは、リュシアから贈られた刺繍入りのハンカチ。さすがに今日の正装のポケットチーフにはできなかったが、いつも通り胸元に忍ばせていた。だが、それを手にして驚いた。

「……え?」

 その布の中央、刺繍の文様だけが真っ黒に染まっていた。まるで、何かを吸い取ったかのように。
 俺は言葉を失い、しばらくその布を見つめていた。

「…………え?」

 この気持ちをどう言葉にしたらいいんだ? なんだこれ。
 確か、ここには神話物語に出てくる還巡草を刺繍したって言ってた気がする。リュシアはなんて言ってたっけ。

 ――ネルさんの身の回りが万事うまくいくように祈りを込めました……

「身の回りが万事うまくいく? いやいやいや、毒殺を免れたことが?」

 それは、祈りだったのか。それとも、偶然だったのか。
 上半身裸のままヴィスを探すと、いつもと変わらないクールの表情ながらも、どこか心配を滲ませ近づいてきた。
 ハンカチを見せると、さすがのヴィスも目を瞬せる。

「……え?」
「そうなるよな……。これって、刺繍の祈りが効いたってことなんかな。それってよくあるおまじないの類じゃなかったのか?」

 俺たちは顔を見合わせた。
 還巡草の刺繍に意味があるのか、それともリュシアの刺繍技術に何か願いを叶えるような力があるのか――。

 とにかく、信じられないことだが、このハンカチが俺を救ってくれた可能性がある。……いや、その可能性が高いのかもしれない。

 だけど、もし、本当に祈りが力を持つのなら……。

「俺は王族の一人として、リュシアのことを父や兄上に報告すべきなんだろうか」
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