彼に30歳の誕生日に捨てられた平凡OLですが人気俳優の絶倫ダーリンに溺愛されています

人妻あず。

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「あっという間だったな……」

 帰り支度をしながら、思わず零れた言葉は、部屋の静けさに溶けていった。
 二日目も、三日目も蓮と一緒に食事をして、外を少し歩いて、また風呂に入って、抱き合って。

特別なことをしていたわけじゃないのに、同じことを繰り返しているうちに、時間だけが静かに先へ進んでいた。
気づけば、もう最終日だった。

「まどか、四日から仕事だっけ」
「うん。蓮は……今夜からだよね」

 言葉にした瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。

 改めて思い出してしまった。
 この人は、私の隣にいながら、忙しい世界に戻っていく人だということを。

「そういえば」
 渡し忘れてていたラルフローレンの袋を手に取る。

「これ、蓮に」
「え、俺?まどかが選んでくれたの?」

 何も言わないまま視線を落とすと、背後から腕が伸びてきた。
 蓮が、そっと抱きしめてくる。

「ありがとう。また来ようね」

耳元で、やさしく。

「……うん」

 それ以上は、言えなかった。

 車に乗り込み、エンジンがかかる。
 走り出すと、一定の振動が体に伝わってきて、不思議と心が緩んだ。


 景色が流れていくのを目で追いながら、必死にまぶたを持ち上げる。

(眠っちゃダメ……)
(眠ったら、終わっちゃう……)

 そう思うほど、意識は遠のいていく。
 抗おうとする力も、だんだん薄れていった。
——どれくらい眠っていたんだろう。

「着いたよ」

 蓮の声に、はっとして目を開ける。
 現実に戻されたみたいで、胸が少しだけ痛んだ。

 蓮は、私のアパートの前で静かに車を停めた。
 エンジン音が切れると、さっきまでの旅が一気に遠ざかった気がする。

「荷物、持つよ」

 そう言って、後部座席からスーツケースを取り出し、何も言わずに部屋の前まで運んでくれた。
 鍵を開ける私の横で、蓮は壁にもたれて待っている。

「忘れ物、ない?」

 振り返って聞かれて、私は一瞬だけ迷ってから、小さく首を振る。

「……ある」

 蓮が不思議そうに眉を上げた、その隙に、背伸びをして唇に触れる。
 ほんの一瞬のキスだったのに、胸がきゅっとなる。

「甘えん坊」

 蓮はそう言って、屈託なく笑ったあと、今度は逃がさないみたいにもう一度キスをした。
 さっきより少しだけ、長く。

「またな」

 名残惜しさを隠すような声。

「……うん」

 それだけ答えて、ドアを閉める。

 階段を降りていく足音が遠ざかり、やがてエンジンがかかる。

 走り出した白い車を、
 角を曲がって見えなくなるまで、私はずっと見送っていた。


 
 それからの日常は、拍子抜けするほど、何事もなかったかのように流れていった。

 会社では、いつも通りの顔をしてデスクに座り、
 旅行の土産だと言って温泉まんじゅうを配り、淡々と業務をこなす。

 ただ、まんじゅうを手に取った真理だけが、ほんの一瞬、浮かない表情をした。
 気づかないふりをして、私は視線を逸らした。

 蓮とは、簡単なメッセージをやり取りするだけだった。

 おはよう、とか、お疲れ、とか。
 次に会う約束も、具体的な話もない。

 それなのに、不思議と不安はなかった。

 胸元で静かに揺れるネックレスと、
 あの夜、確かに聞いた『好きだ』という言葉。

 姿が見えなくても、声を聞かなくても、
 それだけで十分だと思えた。

 
 あれから1週間。

 昼休み、スマホに着信があった。
——蓮だ。

 「蓮!?」
 『もしもしまどか、いま大丈夫?』

 声がどことなく硬い。
 嫌な予感がチクリとする。

「大丈夫。何かあった?」
『週刊誌に——撮られた』

 淡々とした声。

『油断してた。ごめん。まどかは一般人だから顔に目線が入ると思うけど……身辺気をつけて。今事務所も対応考えてくれてる。また連絡する——』
 
 そういうと電話が切れた。
 自分に起こった出来事なのに、現実感がなかった。

 頭がふわふわとする。

 その後の仕事は、ほとんど上の空でこなした。

 
 木曜日発売の週刊誌を朝イチで買いに行くと、その記事は載っていた。

——佐伯蓮、年上女性とお泊り愛。お相手は会社員Mさん——
——ドア前キス写真を入手——
——12月のハムレット関係者席でも目撃情報——

 蓮の言う通り目線は入っていて画質も荒かったが、それでも私のアパートでキスをする写真ははっきりと写っていた。
 劇場で目頭を抑えてる姿も。

(私が帰り際にキスしたから……?)

 心臓がバクバクする。

 そして次の行——事務所からのコメントを見て、私は息を止めた。

——本人からは、仲のいい友人の一人だと聞いています——

(仲のいい、友人)

 その一言が心に重くのしかかった。

 会社に行くと幸い、里奈は体調不良で休みだった。

 会社では誰からも何も言われなかったけれど、それがかえって怖かった。

 なるべく人と目を合わせないようにして、
 定時になると同時に席を立ち、そのまま逃げるように帰宅した。

 玄関のドアを閉めた、その瞬間。
 スマホが震えた。

——蓮。

 胸が跳ねて、指先が震える。

 期待と恐怖が入り混じったまま、トーク画面を開いた。
 そこにあったのは、たった一行。

——しばらく距離を置こう。今までのことは忘れて——

 視界が歪む。
 画面に、ぽたぽたと雫が落ち、文字が滲んで読めなくなる。

——分かった。仕事、頑張って——

 返信を打ち込むとすぐ既読がついた。

「……夢……醒めるの、遅いよ……」

 力が抜けて、ベッドに突っ伏した。
 声を殺して泣くしかなかった。

——もっと早く言ってくれたら。
——そしたら、こんなに好きにならずに済んだのに。

 胸の奥が、ぎゅうっと潰れる。
 息がうまく吸えない。

 ひどい苦しさと、黒く澱んだ感情が、
 逃げ場もなく、私の心を押しつぶしていた。
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