投棄姫~氷の国の令嬢は不遇な我が身を呪い、自由を夢想する~

星ふくろう

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天空の隠匿物

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 □

「よーし、早く運び込めよー。
 もうそろそろ海風が吹き荒れる時間だからなー」
 アスランの号令の下、男の囚人たちが飛空艇の倉庫へと基布のまとめられた木箱を運び込む。
  一度の航海で運べる基布の木箱は1200。
 これ一つで土民の4人家族が約半年は暮らせるだけの価値がある。
 現代の貨幣価値に換算するなら200万程度といったところか。
 それが1200個だから20億近い商品を月に二回、年間にして500億前後の原価を運搬していることになる。
 王都にこの基布は国内三か所の製造拠点から集約されて、他の八の国々に輸出されることになる。
 この基布の原価率は20%。
 一つの箱に100枚の基布が収められているから、全てを販売すれば二兆を超える売り上げがハイフに転がり込むことになる。
「本当、こんな板を考え付くなんてマキナは偉大なり、だよ」
 アスランは感嘆の声を上げた。
 基布の正式な名前は石英板という。
 霊峰チャンドラの中腹部に位置するこの刑務所の地下はここ数世紀で二百メートルほど掘り下げられ、その多くは石英や多少の金鉱脈、白金がでることもあるがそれはあまり期待できない。
 この石英板はガラスのようで少し違う。
 ガラスのようにもろくなく、すす、テレビン油およびクルミ油からなるニス状のインクを含んだ布。
 それを固めたぺん先の筆記具で文字や絵を記すこともできる。
 水性インクのものなら布などで消して何度も使うことができる。
 そんな便利なものだから、各国で紙に代わる貴重品として重宝されている。
 これは全てマキナのもたらした技術と当時まだ存在していた土民たちの魔導法の応用。
 これにより製造方法が確立されたものだ。
 いまでは僧門国ハイフを支える重要工業製品として一大産業になっている。
 そしてー
「1200箱だが、実際は1500個。
 いやー叔父さんはよくやるよ本当に」
 木箱の底を厚底にしてそこに300個分、3000枚の石英版を密輸することを考え出したのは所長のゲーダムだ。
 彼が所長になる以前にも密輸は行われていたがそれは小規模だった。
 大掛かりな組織立っての密輸を立案し軌道に乗せたのはゲーダムの手腕だった。
「忘れるなよアスラン。
 我が一族の勃興はこれにかかっているんだからな」
 直紋という身分を利用して没落貴族となったウルスフェーゼン氏族の再興のための資金源の一つになっている。
 石英板の密輸と海外への輸出ルートの開拓と管理。
 それがアスランのもう一つの裏の顔だった。
「俺としては、囚人から小銭稼ぎができればそれでいいんだけどなあ……」
 賄賂を貰い、便宜をはかる。
 その際に恩義を売っておくことで有力貴族からの隠れた庇護をうけることができる。
 すべては周到に用意され計画されたものだった。
「中央もそろそろ気づく頃の様な気はするけどなあ……」
 この密輸を初めてもう二年になる。
 生産量と出荷量の数値の誤差に気づく文官がでてきてもおかしくないころだ。
 帳簿の帳尻をどうやって合わせているのかアスランは知らなかったが、目の前にある飛空艇は五の国ハーマイオの独占販売品だし、このレベンルグ刑務所で地層を掘ったり石英板を製造する機器は六の国クルンゲルに発注して作らせたものだ。
 ハイフは独自の工業品の製造拠点を持たない。
 というよりは自前の製造工場の開拓に力を入れていないのだ。
 マキナはハイフの大地、特にこの霊峰チャンドラ付近には様々な鉱脈や地下資源があると数世紀前の王に進言したのだという。
 しかし、時の僧門王は土民たちの平定とその扱いに苦慮していて、国力を割けないからと興味を示さなかったという。その平定が終わり太平の時代が始まったころ、ハイフは他の八国にたいして工業技術や科学文化で後進国になってしまった。

「侵略戦争なんか仕掛けずに、一部の土地を借地にしときゃよかったんだよな……」
 レベンルグ刑務所を後にして霊峰チャンドラを背にした飛空艇の司令艦橋からはハイフのほぼ全貌が見渡せる。
 やく五世紀前、このハイフは巨大な森林と肥沃な大地、そして北側の岩と氷の大地に別れていた。
 初代の僧門王が大陸からこの地へと民族移動をおこない、当時のグレイエルフの国に侵略戦争をしかけた。
 グレイエルフの王族や魔獣は霊峰チャンドラに隠れたともすべて討ち取られたともいわれている。
 そして大樹の森林はこの数世紀で各国へ良質な材木として伐採され半数以上が荒野となってしまった。
「このハイフは傾きかけてる」
 これはアスランの幼馴染で文官をしている、同じ直紋の友人の言葉だ。
 あと数世紀で主要な産業である林業は絶えてしまい、国力は低下するだろう。
 そうなる前に、何か手を打たなければならなかった。
 そんな時に召喚されたのが、賢識の覇者、マキナだ。
 いや、召喚されたのか、それともこの世界に自発的に来たのかも定かではない。
「だいたい、祖先たちと各国を漫遊して精霊たちと契約したってのもわからん」
 あの娘。
 マイラムが闇の魔獣を従えていた。
 それはつまり三人の祖先たちがそれぞれ契約した魔獣たちも存在するという仮定が成立する。
「じゃあ、俺には空の精霊が存在するのか?」
 それとも他の分家筋の誰かがそれを受け継いでいるのか。
 戻ってみたらあの二人に会ってみるか。
 そうアスランは思った。
 同じく貧乏所帯の親戚同士だが、一人は文官として、一人は土民の街で遊び人として放蕩人生を歩んでいる。
 唯一の共通点は誰もが剣を取れば王立騎士団の名手にも劣らない、ということくらいだった。
「こんなご時世、剣なんて使えてもたいして役に立たんがな……」
 言うとアスランは自室に戻った。
 あのシェスカに呟いた約束を叶えるために。




 ◇

 寒い。
 どれだけ着込んでもこの寒さから逃れられない。
 なんなんだろう、この恐怖は。
 逃げたい。
 この場から消え去りたい。
 何もかもがいやになる。
 魔獣を受け入れるのも、もう一度誰かを愛することも。
 ただ。
 あいつだけは許さない。
 愛を語りながら不器用でも良かった。
 あの一年と少し。
 あの時間を共に過ごしたこの記憶を無意味なものにしたあいつ。
 アスバルだけは。
「アッシュ……許さない……」
 愛称がついつい口を突いて出た。
(どうしたのだ、マイラム)
 セッカが耳元で優しくささやいてくれる。
 でも、それは癒しにはならない。
 彼は魔獣。
 人とは違うもの。
 セッカに半分。
 アスバルに半分。
 わたしのからだはそうやって二人に捧げられてきた。
 いまは……。
 失った半身をセッカの優しさがすべて埋めることはない。
 それにはまだまだ時間がかかるだろう。
 でも、それをセッカに言うわけにはいかない。
 彼はすべてを背負ってしまうから。
 誇り高い黒狼である前に、彼はわたしの伴侶として生きようとしてくれている。
 誰よりも大事なはずなのに……。
 わたしは最低だ。
 まだアスバルのことを思い出しているのだから。
(お前はアスバルに手を下すことはできないだろう)
「なによ、またわたしの心を読んだの?」
 いきなりの言葉に、わたしは不快感を感じた。
(心の壁を簡単にくずさないようにしているのはお前だ、マイラム。
 俺は見たままを言っただけだ)
「見たままってー」
 大きな獣はためいきをつく。
(俺たちが共に生きるようになってもう何年だと思っているのだ)
 そうか……。
 わたしは初めて気づいた。
 彼からすればアスバルは後から来た愛人と同じ扱いなのだ。
 彼にとってわたしの最愛の相手は自分であり、最大の理解者も自分であり、最愛の存在も自分なのだ。
 ー見えてなかったのはわたしだけなんだ……。
 セッカにとってのアスバルとわたしの同棲生活はどれほどの苦痛だったのだろう。
 愛する女を抱かれ、愛と語られ、貴族という特権と婚約者という名目でわたしを好きなようにかしづかせた。
 セッカにしてみればいつその喉笛を食いちぎろうかと思うほどに悔しかったに違いない。
 ただ、影に潜み何もできなかったのだから。
「ねえ、セッカ」
(なんだマイラム)
「お母様とお父様、そしてアオハ叔父様はどうだったの?」
(どう、とは?)
 だからー、とマイラムは言葉に詰まる。
(三人の仲がどうだったか、という意味か?)
「うん……」
(どうもなにも、お前の知る通りではないか。
 俺とお前はある意味、異父兄妹にして夫婦。
 確かにマキナは罪なことをしたものだ……)
 罪なこと?
 セッカもどこかに罪悪感を抱えているのだろうか。
「あなたはー」
 子供が欲しいの?
 わたしはその疑問を口にできなかった。
 欲しいと言われ、身体を開いたときにそれは可能性を帯びる。
 妊娠の可能性だ。
 こんな氷の大地で人間の子供ならまだしも、魔獣の子供が産まれた時、周りはどうするだろう。
 答えは、死だ。
(なんだ?)
「ここから出るまで。
 復讐が終わるまで行為は無しだからね」
 黒い狼が黙ってしまう。
(俺は……)
「発情期、なんだよね。
 でも、慰めてもあげないからね」
 わたしは意地悪く言ってやる。
(だが、ここなら誰も……)
 わたしは尾を強く引いてやった。
(痛いぞ)
「わたしがいやなの。
 わたしが大事だって言ったのは嘘だったの?
 あなたの愛は口だけなんだ?」
(そんなことはない)
「なら、大丈夫よね?
 妻が嫌がることを無理強いするのは黒狼の男として相応しい行動じゃないもんね?」
(むう……)
 セッカはアオハ叔父様から嫌というほどに黒狼の在り方について説教をされている。
 その中でも、普段のことは妻に従え。
 家族のことは二人で決めろ。
 生死にかかわることだけはお前が決めろ。
 そう、教えられているのをわたしは幼いころから隣で聞いていた。
 生死にかかわるというのは、命を捨ててでも妻子を守れ、そういう意味だ。
「返事がない」
(わかった)
「よろしい」
 本当にー。
 セッカにとっての私は特別なのだ。
 待ってなさいよアスバル。
 必ず、この杖の錆……もとい、破片にしてやるから。



 □


 セッカはため息をつく。
 この人間の嫁はもう十数年のつきあいになるが、本当に扱いづらい。
 黒狼は本当ならばオスが優位な種族だ。
 数匹のメスを従えてオスは縄張りを守り種族を繁栄させる。
 という話を父親から聞いてはいた。
 種族としての歴史や文化をマキナの相方であり、セッカの父親の父親。
 つまり祖父である大セッカ(ややこしいので大セッカとする)からアオハは習い、それを息子に伝えていた。
 しかし、実際に嫁をめとってみたらどうだろう。
 この嫁はセッカの母親であり、ライラムの母親でもあるシーラと違い男尊女卑には反対。
 貴族の子女として身に着けるべきたしなみは本来ならば男性を立てるものなのだが、そんな気には到底ならないらしい。
 むしろ一歩後ろに下がり男性を立てるという習わしとは正反対の生き方をする。
 まあ、これはマキナがそうだったようだから仕方ないのかもしれない。
 それでありながら、途中から妻を横取りしたアスバルに対しては人間社会でいうところの淑女のたしなみを貫こうとする。
 俺は軽んじられているのではないのか、そう自問自答し悩み過ぎた日々もあった。
 いまはようやくアスバルが消え、あの白い肌をした人間族の泥棒に牙を立てることもできる。
 だがその前にこの場所からマイラムを逃さなければならない。
 自分の影に入ればどこなりと自在に移動することができるというのに、この妻はそれをしようとしない。
 それが残してきたシワク一族の王国内での処遇をわるくしないためにしていることは理解ができる。
 だが、とセッカは思う。
 二人だけで影を伝い、すべての一族を収容してどこか他の国へ。
 二の国イシュアでもいい。
 闇の眷属が多く住むというあの地ならば、歓迎してくれるかもしれない。
 三の国レバスでもいい。
 ハルフゲイン一の商業国家ならば、マキナの一族というだけで悪いようにはしないだろう。
 亡命をするための準備をしようにも、この場所にいては何もできないではないか。
 人間族と違い、俺は世界中に影を伝いどこにでもいけるのだ。
 なぜ、それを活用しようとしないのか。
 その疑問でセッカの心は溢れていた。
(なあ、マイラム)
「なあに、セッカ」
(俺はどこにでもいける)
「知ってるわよ」
(なぜ、父上や母上と連絡を取ろうとしない?)
 マイラムは少し考えて黒狼の尻尾をいじりながら答える。
「いま動くことって賢いと思う?」
 セッカは尾をマイラムに巻き付けて考える。
(賢い、賢くないの問題ではないと思うがな)
「賢くないわ」
 よくわからないと尾を離した。
「いまわたしたちの現状を伝えて何かをすることはできるかもしれない」
 でもー、とマイラムはつづける。
「わたしたちがこうなったのはあのシスアのせいよ。
 あの陰険で、計算高い女のー……。
 王族の継承権争いに巻き込まれた理由はわからない。
 でも、シェスカやサティナが一緒にここに来たのには何か意味があるわ」
(意味、か?)
「そうよ」
 マイラムは力強くうなづく。
「だっておかしいじゃない。
 サティナとシェスカはシスアの兄妹たちの争いに親や夫が巻き込まれてここに来た。
 それはまだわかるの。
 でも、アイニはどう思う?」
 マイラムは狼の胸に顔を埋めた。
(あれは盗賊だ。
 死罪の減刑を受けたのだろう)
「本当にそう思ってるの?」
(違うのか?)
 多分、違う。
 そうマイラムは言う。
「だって、それならあの子だけじゃないはずよ。
 他にも数名いてもおかしくない」
(別々の流刑地に流された可能性もある)
「そうね。
 でも彼女だけがそうなったのだとしたらー」
(密告か)
「もしくは裏取引をしたかもしれない」
(だとしても、ここに来た理由にはならない)
 そうね、マイラムは別の何かを考えているらしい。
 可能性があること。
 それはー。
(俺たちの監視といざとならば……)
「そう。
 抹殺。それもわたしたちだけじゃない。
 シワク家そのものの廃絶とー」
 マキナの系譜を絶とうとするものがいる。
「これはシスアだけの策略じゃないわ。
 シスアには一の国アルバの氷の女王がついているし、シェスカやサティナが巻き込まれた件では四の国オルビオの精霊王が関与してる。
 わたしたちはこの国ハイフの存続にかかわる何かに手を出してしまったのよ。
 でもそれはお父様やお母様、お兄様たちじゃない。
 あの学園に何かがあるんだわ」
(なぜ他のシワクの者ではないとわかる?)
「簡単よ。
 だって何の連絡もきてないもの。
 アオハ叔父様はあなたよりよほど、智謀に長けた方だわ。 
 やることしか頭にない旦那様よりね」
 意地悪くマイラムはセッカにキスをする。
 黒狼はウルルとうなり声を上げた。
「あら、図星だった?」
 微笑むマイラムにセッカは顔をそむける。
 なんて言い草だ。
 これだから淑女でない女は苦手だ。
「シワク家の黒狼はあなたを含めて六匹。
 お母様がグレイエルフで長命だから二世紀の間に夫を二人失った結果だけど。
 でも、アオハ叔父様はいまごろ全員を影の世界にいざなってるはずよ」
(ああ……、あの父ならそうするだろうな)
「世間ではマキナの血族が消えたと話題になってるでしょうね。
 だとしたら、みんなは無事よ。
 ここに来ないってことは、わたしたちは自分でどうにかできるだろうと思われてるか。
 それとも別のことで忙しいか、よ」
(見捨てられた可能性もあるがな)
「なら、あなただけ戻れば?
 わたしはしばらくここにいるわ」
 そんな言い方はないだろうと情けなさそうな顔を黒狼はする。
「身分詐称で学園に入ったから北壁行き?
 そんな罪で済むわけがないじゃない。
 土民が貴族の名をかたるだけで死罪よ?
 でもわたしは生きてる。こんな状態だけどね」
(どうするつもりだ?)
「決まってるでしょ。
 アスバルはあの杖で殴り殺す」
(物騒だ。
 お前は人殺しになる必要は無い。俺がやる)
 ふん、とマイラムが笑う。
「人を殺したこともない黒狼が良く言うわね」
(お前とてないだろう?)
「ま、お互い様だけど。
 でもその覚悟はいると思うわ」
(覚悟か……。
 マイラム、知っているか?  
 マキナの歌を)
「おばあさまの?」
(そうだ。

 賢識の覇者は時を翔ける者
 御業を智王へと授け、また星霜へといずこに去らん
 残されしウテメの民 祖たるマキナの御業を守らん
 マキナは行く 再び自由へと思いを称えて

 マキナはどうやってここへ来た?
 どうやってここから去った?
 俺たちの祖先には不可思議なことばかりだ。
 智王とは誰だ?
 僧門王の代々の者にそのような名で呼ばれた者はいない)
 マイラムが意外そうな顔をする。
「ねえ、セッカ」
(なんだ?」
「あなた、意外と頭良いのね……。
 性欲しかないのかとおもってたわ。
 激しい旦那様」
 もう勘弁してくれよと狼は耳を伏せた。
(お前は本当にいやな嫁だ……)
「知ってるわ。
 だから上手くいってるのかもね。
 それとも、伝説にあるハイフの灰狼族のメスでも探しに行く?
 わたしは一夫多妻でも構わないわよ?
 子供が増えるのはいいことだし」
(そろそろ俺も怒るぞ?)
「はいはい……。
 でも灰狼族がもし、存在するのなら……大樹の精霊もいるはず」
 ふとマイラムはある可能性に気づいた。
「おばあさまはなぜ、世界を回ったの。
 それになぜ、高家との繋がりが……」
(さあな。
 高家とはいえ、アスランは没落貴族だ。
 あてにはできまい)
「まあ、それはそうね。
 でも、そこに何かの答えがある気がする」
 セッカは小難しい考えが苦手だ。
(ならば今からでも戻るべきだろう。
 俺の影ならばー)
「だめよ。
 みんなの、一族の安全が確認できたと連絡が来るまでは動けない。
 それまでは耐えるしかないわ」
 はあ、とセッカはため息をつく。
 人間というのはしがらみだらけだ。
 めんどうくさい。
「その面倒くさい人間があなたの妻なのよ、旦那様」
 思考を逆に読まれた。
 セッカは面白くなさそうな顔をする。
「ねえ、セッカ」
(なんだ……)
「もし、あなた以外の魔獣が近くにいればそれを知ることはできる?」
 なにを言い出すのかとセッカは理解できない。
(王都の学園にいた時のように、他の魔獣がいれば存在は分かるがな。
 だがあちらは俺のことはわからんはずだ。この影にいる限りはな……)
「なら、影の中でいる限りはあちらには悟られない。
 そういうことよね?」
(これまでの経験通りならば、な)
 じゃあ、相談があるの。
 マイラムはそういうと、セッカを抱きしめた。
「探してきてほしいの。
 灰狼と大樹の精霊を」
(意味がわからんぞ)
 マイラムは得意げに言いう。
「簡単よ。
 伝説通りなら、霊峰チャンドラには土民の王たちとその配下だった灰狼族、大樹の精霊を操る精霊使いがいるっていうじゃない」
 おばあさまの成そうとした何かがわかるかもしれない。
 そう、マイラムはセッカに言った。
(俺はお前の傍を離れる気はないぞ)
 呆れたようにセッカは言う。
「どうしてもお願いって言ったらどうする?」
(だめだ)
「それでも、ここで時間をつぶすよりはましだわ」
 全てを明らかにするために必要なのかもしれない。
 マイラムはそう考えていた。
 その為にはどこにでも自在に移動できるセッカの能力が必要だった。
(本気なのか?)
「本気よ。
 でもあれね……」
(あれ?)
 うん、とマイラムはうなづく。
「学園に何かがあったのなら、わたしはそれに触れてるはずなの。
 いえ、それよりもあそこで何があったのかを知らなきゃならないわ」
 でも、それはあなたにさせるわけにはいかない。
 そうマイラムは首を振りながら言う。
(なぜ俺ではだめなのだ)
「誰も知らないからよ。
 あなたの存在をわたしは誰にも、いえシワク家の人間は誰にも伝えていない、はず、よ」
 従兄弟や兄弟、親類を疑うわけではないが例え知られていたとしても大した脅威ではないと思うだろうか?
 いや、どこにでも現れることのできる魔獣が存在する。
 それはつまり、王すらも暗殺できる可能性があるということだ。
 黒狼の存在が知られて今回の事態を招いたのだとしたらー……。
 セッカは悔やむだろう。
 そしてマイラムの元を静かに去るはずだ。
 彼はそういう性格だから。
 それだけは言えなかった。
「あなたの存在は私たちの切り札になる可能性があるから。
 学園との連絡をあなたにとって貰うわけにはいかないの。
 あそこは魔導師もたくさんいる。
 わたしはあなたを失いたくないわ」
 言いたいことをなるべく別の言葉に変えてマイラムはセッカに伝えようとしていた。
 本心を隠してする会話は本当の夫婦のものなのだろうか。
 魔獣と人間、いや、グレイエルフか。
 そこには最後までつながりあえるものはあるのか。
 若い少女は頭を悩ませていた。
(ではどうする?
 学園に動いてくれる存在はいるのか?)
「エミスティアとアスナ。
 あの二人は信頼できると思う。
 それとー……」
 なんだか歯切れが悪い。
(なんだ?)
「アスバル」
 正気か!?
 とセッカは思わず牙を剥いた。
(お前を裏切った男だぞ?)
「だからよ。
 あの人は臆病だし、お人よしだし、天然だけど。
 決して人を騙すような人間じゃない。
 わたしを捨てたのには理由があるはず……」
 はあ、とセッカは頭を振る。
 彼はその理由を知っていた。
(あいつはそんな人間ではない。
 頭にあるのは自分のやりたいことをするための環境を維持することだけだ)
「やりたいこと?」
 彼のやりたいことはなんだろう。
 そう、彼の趣味は読書だった。
 そして古典文学や歴史学を学ぶことだけが生きがいだったはずだ。
(あいつにとってお前は道具だったに過ぎん。
 そろそろ気づいてはどうだ)
 セッカが思い切ったように言う。
 道具?
「あの人のことを悪く言わないで。
 彼は良い人よ。私には優しかったわ。
 あなたみたいに我慢できず迫ることはなかった」
(ふう……。
 本当にそう思っているのか?
 俺がお前に嫌な思いをさせたことは謝る。だが、嘘ではない)
 イライラする。
 マイラムはセッカの尻尾を思い切り力強く握りしめた。
(マイラム、痛いぞ)
「知ってるわよ。
 もっと痛がればいいわ」
(機嫌を治してくれ。
 あいつがお前を捨てたのはー)
 うるさい、とベッドからセッカはマイラムによって蹴落とされてしまう。
「聞きたくない。
 さっさと探しに行きなさいよ。
 灰狼のメスでもなんでも見つけてその溜まったものを解消してくればいいじゃない!」
 これにはさすがのセッカもカチンときた。
 無言で立ち上がると、影にその身を沈めていく。
(俺が欲しいのはそんなものじゃない。
 頭を冷やすんだな、マイラム)
「うるさい!」
 枕を投げつけたらセッカは影に消えてしまった。
「理由なんて知ってるわよ……」
 いまセッカを拒んでいる理由もそこにある。
 一年半の同棲生活で一度も妊娠できなかった自分の価値をマイラムは知っていた。
 こんなふうになる数週間前。
 アスバルの親が用意した王都の一角にマイラムとアスバルの二人は同棲していた。
 すべての資金援助を受け、ある種の特権階級としての待遇も受けていた。
 なかなか妊娠が訪れないことに頭を悩ましたアスバルの母親が二人の部屋を訪れたのだ。
 マイラムはその場には呼ばれなかったが、おおかたの理由は推測できた。
 子供の産めない女は貴族社会では使えない道具と同じなのだ。
 今回の婚約破棄に関しては理由は思い当たるしそれについては頭では理解していた。
 ただ、一年半の同棲生活と彼に許した心や身体について、簡単には割り切れるものではなかった。
「セッカ、いるんでしょ?」
 呼ぶと影から尻尾の先だけが出てきた。
 いるぞ、という意思表示らしい。
「ごめんね、セッカ」
 いまはアスバルのことを忘れられない。
 待って欲しい。
 そうマイラムは自分の最大の理解者であるだろう黒狼の夫に告げる。
 それはセッカにとっては何よりも苦しい頼み事だ。
(俺は灰狼族と大樹の精霊を探す……)
 それだけ言うと、黒狼は影に消えてしまった。
 マイラムはなんともいえない虚しさに襲われてしまう。
 それは氷点下に近い寒さと相まって彼女の心を悲しみの底に沈めて行った。
 
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