歌声は恋を隠せない

三島 至

文字の大きさ
上 下
21 / 91

日常

しおりを挟む
 
 あの頃の自分は愚かだったと思うが、幸せだった。

 リナリアは思う。
 母がいて、言葉を口に出すことが出来て、人から嫌われていることに気付いていなかった。
 無邪気に、何も考えなくてよかった。
 今が不幸だとは思っていない。
 だが、あの頃は、願えば何でも叶うと、言い聞かせていられた。
 まだ希望を持てた。
 母が亡くなった時では、気付くのが遅すぎたのだ。
 自分が望んだところで、祈ったところで、何も変わらないということに。
 なんて愚かだったのだろう。
 もう多くは望まない。
 リナリアは、歌声まで失わないように、ひっそりと生きようと思っている。
 教会の出入りは自由なので、歌を聞きに来てくれる人もいる。
 あまりひっそりとはしていない、と感じることもあるが、少しだけ受け入れられた気がして、嬉しく思った。

 リナリアは現在十六歳。
 相変わらず、カーネリアンに恋をしている。




 教会を出て、カーネリアンと一緒に歩く。
 ランスがカーネリアンに声をかけたことで、行き先が商店街だと判明した。
 ランスはそのまま立ち去らずに、カーネリアンの隣で歩き出した。カーネリアンを真ん中にして、三人で並んでいる状態だ。

 カーネリアンがランスと目を合わせて会話するので、リナリアは気兼ねなく、カーネリアンの横顔を見つめる事が出来た。
 すると、ランスはカーネリアンと向き合っているので、彼の視界には入ってしまう。
 ランスと目が合った。
 慌てて目をそらし、少し間をおく。
 そろそろいいだろうかと、再びカーネリアンを見ようとすると、またランスと目が合う。
 当然だ。ランスはカーネリアンと途切れず会話しているのだから、視線はリナリアにも向いてしまう。
 これでは、カーネリアンをじっと見つめているのがばれてしまう。
 リナリアが気味悪い目でカーネリアンを見ていたぞ、などと言われたらどうしよう……と考えて、狼狽えた。






 おろおろとするリナリアを、カーネリアンは視界の端でしっかりととらえていた。
 何を思っているかは分からないが、ランスが来たことでペースを乱されているのだろう。
 珍しい様子が可愛いらしいと思ったため、カーネリアンは気付かないふりをした。






 ランスはリナリアの心情を正確に察した。

(隠したいんだろうけど……バレバレなんだよな……カーネリアンは鈍感だから気付いてないけど……)

 ほんのり赤くなるリナリアは、とても可愛い。
 微笑ましかった。






 商店街につくと、カーネリアンは淡々と買い物を済ませていった。
 肉類、果実、甘味に、お酒と、日頃使うには、豪勢な量の食材を次々と買い込んでいる。
 ずっと会話をしているランスと違い、リナリアはただついてくるだけの形だ。
 カーネリアンが何も言わないので、ついそのまま隣にいるが、リナリアは少し不安になった。
 示し合わせた訳でもないのに、一緒に店を回っている状況である。自分は邪魔なのではないか、と思った。
 何か、邪魔そうにしていたら、態度で示されたら居なくなろう、と決めて、リナリアは自分を納得させた。

 リナリアには、寂しがりの自覚があった。
 嫌われていると思い込んでいるため、人と積極的に関わるのは恐い。
 だが、一人で過ごすのも好きではない。
 家で一人でいると、母が当たり前にいた頃を思い起こしてしまう。
 母の声も、自分の声もしない部屋は、耐えきれないほどの孤独感が押し寄せてくる。
 だからリナリアは、図々しいとは思いながら、カーネリアンの側を離れられないのだ。

 カーネリアンの買い物が、普段より明らかに多い。
 他愛ない会話をしていたが、気になっていたらしいランスが水を向けた。

「そんなに買い込んでどうするんだ?」

 手荷物も大分増えてきたところである。
 カーネリアンは、荷物に一度目を落として、ああ、と、説明した。

「兄さん用に頼まれてさ」

「兄さん?」

「姉貴の旦那。今は王都にいるよ。姉貴の誕生日が近いから、帰って来るはず。多分」

「多分か。お姉さんの誕生日いつ?」

「明日」

「本当にすぐだな……」






 カーネリアンの家族は、両親と、姉が一人いる。
 姉は結婚しているが、夫が仕事で家を空けることが多いため、ほとんど実家で過ごすようにしていた。
 姉の夫は、仕事が落ち着いた時期に、妻を迎えにくる。
 一緒にいる時間が短いため、それで夫婦としてやっていけるのかと、カーネリアンは心配していたのだが、二人は問題ないようだ。
 兄は、姉の誕生日には必ず会いに来る。
 特に約束しているわけではないらしいが、結婚してから、一度も違えたことはない。

「カーネリアンのところ、仲良いよな」

 ランスはしみじみと、どこか羨ましそうにしている。
 思い返してみれば、カーネリアンは姉から頼み事をされる事が多い気がした。

「そうかな? まあ、そうかもね」

 軽く笑って、ここで最後だ、と、買い物の終わりを告げた。






 用事を済ませると、三人はもと来た道を戻った。
 行きと同じように、居心地の悪い視線を感じながら、リナリアは俯いて歩く。
 軽快に話すランスが羨ましい。
 せっかく一緒にいるのに、気のきいた言葉も言えない。
 知らず知らず、リナリアの歩みが遅くなり、カーネリアンのやや後ろを歩いている。
 自分の靴に視線を落としていたため、カーネリアンが立ち止まったことに気付かなかった。
 額が、カーネリアンの背中に軽くぶつかり、慌てて顔を上げる。
 ごめん、と視線に込めてみたが、彼はこちらを見ておらず、前方を注視している。

(どうしたの? 何を見てるの?)

 控えめにカーネリアンの裾を引きつつ、彼の視線の先を探す。
 彼はすぐにリナリアを見て、「何でもない」と、さりげなくリナリアの視界を遮る。
 平素となんら変わらない、特に何も感じていない表情をうかべている。
 彼が何かに気を引かれたように見えたのは、勘違いだと思った。

 何事もなかったかのように意識をそらそうとしたカーネリアンに、ランスが割り込んできた。

「カーネリアン? 何見てるんだ?」

 ランスが疑問を口に出したことで、誤魔化されそうになったリナリアは、はっとした。
 やはり、勘違いではないらしい。

「いや、別に……」

 口ではそう言うが、彼にしては珍しく、気持ちが声から察せられた。気付かれて面倒、といった感じだ。
 ランスとリナリアは、カーネリアンが見ていたものを探して、目を凝らした。
 よく見ると、遠くに人集りができている。
 中心にいるのは、よく知る人物だ。

(フリージア……?)

 一方的に絶交してから、フリージアとは顔もほとんど会わせていない。
 フリージアこそ、リナリアを最も嫌う理由がある。
 何度目になるか分からない、過去の自分の行いを後悔し、同時に、カーネリアンはフリージアを見ていたのだと気付いた。
 フリージアは今でも、カーネリアンの関心を引くのだろう。
 昔のように激しい感情は沸き起こらないが、仕方がないとは割りきれない。
 カーネリアンの一番にはなれない事実を再認識した。

 フリージアは見覚えのない男性と話している。
 男性は黒に近い、暗い茶髪で、背が高い。
 身綺麗にしていて、人好きのする笑みを浮かべる顔は整っており、目を引く容姿だ。
 中性的ではなく、細身ではあるが逞しい体つきである。
 華やかな王都にいても、他と見劣りしないだろう。
 ただ、向かい合うフリージアの目は険しい。
 睨み付けるフリージアと、気にした様子もなく話かける男性を見て、リナリアは思い至る。
 知らない人に言い寄られて、困っているのではないかと。

 自覚はないが、リナリアの場合は言い寄るのも躊躇するほどの美人なので、そう言う意味で声を掛けられることはあまりない。
 リナリアの中では美醜の基準が曖昧だ。
 決して美男子とは言えないカーネリアンを、世界で一番素敵だと思っているし、明らかな男前に、釣り合わない容姿のフリージアが言い寄られていても疑問に思わない。

 助けた方が良いと思ったが、疎遠になったリナリアが近寄るのは躊躇われた。まして、声がでないため、意味がないような気もする。

 まごつくリナリアを見てとり、カーネリアンは小さく溜息をついた。
 面倒そうにしつつ、人だかりの方へ歩きだす。
 リナリアは、カーネリアンが行動したことで少し安心した。そして、興味本位のランスとともに、後に続いた。


しおりを挟む

処理中です...