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日常
しおりを挟むあの頃の自分は愚かだったと思うが、幸せだった。
リナリアは思う。
母がいて、言葉を口に出すことが出来て、人から嫌われていることに気付いていなかった。
無邪気に、何も考えなくてよかった。
今が不幸だとは思っていない。
だが、あの頃は、願えば何でも叶うと、言い聞かせていられた。
まだ希望を持てた。
母が亡くなった時では、気付くのが遅すぎたのだ。
自分が望んだところで、祈ったところで、何も変わらないということに。
なんて愚かだったのだろう。
もう多くは望まない。
リナリアは、歌声まで失わないように、ひっそりと生きようと思っている。
教会の出入りは自由なので、歌を聞きに来てくれる人もいる。
あまりひっそりとはしていない、と感じることもあるが、少しだけ受け入れられた気がして、嬉しく思った。
リナリアは現在十六歳。
相変わらず、カーネリアンに恋をしている。
教会を出て、カーネリアンと一緒に歩く。
ランスがカーネリアンに声をかけたことで、行き先が商店街だと判明した。
ランスはそのまま立ち去らずに、カーネリアンの隣で歩き出した。カーネリアンを真ん中にして、三人で並んでいる状態だ。
カーネリアンがランスと目を合わせて会話するので、リナリアは気兼ねなく、カーネリアンの横顔を見つめる事が出来た。
すると、ランスはカーネリアンと向き合っているので、彼の視界には入ってしまう。
ランスと目が合った。
慌てて目をそらし、少し間をおく。
そろそろいいだろうかと、再びカーネリアンを見ようとすると、またランスと目が合う。
当然だ。ランスはカーネリアンと途切れず会話しているのだから、視線はリナリアにも向いてしまう。
これでは、カーネリアンをじっと見つめているのがばれてしまう。
リナリアが気味悪い目でカーネリアンを見ていたぞ、などと言われたらどうしよう……と考えて、狼狽えた。
おろおろとするリナリアを、カーネリアンは視界の端でしっかりととらえていた。
何を思っているかは分からないが、ランスが来たことでペースを乱されているのだろう。
珍しい様子が可愛いらしいと思ったため、カーネリアンは気付かないふりをした。
ランスはリナリアの心情を正確に察した。
(隠したいんだろうけど……バレバレなんだよな……カーネリアンは鈍感だから気付いてないけど……)
ほんのり赤くなるリナリアは、とても可愛い。
微笑ましかった。
商店街につくと、カーネリアンは淡々と買い物を済ませていった。
肉類、果実、甘味に、お酒と、日頃使うには、豪勢な量の食材を次々と買い込んでいる。
ずっと会話をしているランスと違い、リナリアはただついてくるだけの形だ。
カーネリアンが何も言わないので、ついそのまま隣にいるが、リナリアは少し不安になった。
示し合わせた訳でもないのに、一緒に店を回っている状況である。自分は邪魔なのではないか、と思った。
何か、邪魔そうにしていたら、態度で示されたら居なくなろう、と決めて、リナリアは自分を納得させた。
リナリアには、寂しがりの自覚があった。
嫌われていると思い込んでいるため、人と積極的に関わるのは恐い。
だが、一人で過ごすのも好きではない。
家で一人でいると、母が当たり前にいた頃を思い起こしてしまう。
母の声も、自分の声もしない部屋は、耐えきれないほどの孤独感が押し寄せてくる。
だからリナリアは、図々しいとは思いながら、カーネリアンの側を離れられないのだ。
カーネリアンの買い物が、普段より明らかに多い。
他愛ない会話をしていたが、気になっていたらしいランスが水を向けた。
「そんなに買い込んでどうするんだ?」
手荷物も大分増えてきたところである。
カーネリアンは、荷物に一度目を落として、ああ、と、説明した。
「兄さん用に頼まれてさ」
「兄さん?」
「姉貴の旦那。今は王都にいるよ。姉貴の誕生日が近いから、帰って来るはず。多分」
「多分か。お姉さんの誕生日いつ?」
「明日」
「本当にすぐだな……」
カーネリアンの家族は、両親と、姉が一人いる。
姉は結婚しているが、夫が仕事で家を空けることが多いため、ほとんど実家で過ごすようにしていた。
姉の夫は、仕事が落ち着いた時期に、妻を迎えにくる。
一緒にいる時間が短いため、それで夫婦としてやっていけるのかと、カーネリアンは心配していたのだが、二人は問題ないようだ。
兄は、姉の誕生日には必ず会いに来る。
特に約束しているわけではないらしいが、結婚してから、一度も違えたことはない。
「カーネリアンのところ、仲良いよな」
ランスはしみじみと、どこか羨ましそうにしている。
思い返してみれば、カーネリアンは姉から頼み事をされる事が多い気がした。
「そうかな? まあ、そうかもね」
軽く笑って、ここで最後だ、と、買い物の終わりを告げた。
用事を済ませると、三人はもと来た道を戻った。
行きと同じように、居心地の悪い視線を感じながら、リナリアは俯いて歩く。
軽快に話すランスが羨ましい。
せっかく一緒にいるのに、気のきいた言葉も言えない。
知らず知らず、リナリアの歩みが遅くなり、カーネリアンのやや後ろを歩いている。
自分の靴に視線を落としていたため、カーネリアンが立ち止まったことに気付かなかった。
額が、カーネリアンの背中に軽くぶつかり、慌てて顔を上げる。
ごめん、と視線に込めてみたが、彼はこちらを見ておらず、前方を注視している。
(どうしたの? 何を見てるの?)
控えめにカーネリアンの裾を引きつつ、彼の視線の先を探す。
彼はすぐにリナリアを見て、「何でもない」と、さりげなくリナリアの視界を遮る。
平素となんら変わらない、特に何も感じていない表情をうかべている。
彼が何かに気を引かれたように見えたのは、勘違いだと思った。
何事もなかったかのように意識をそらそうとしたカーネリアンに、ランスが割り込んできた。
「カーネリアン? 何見てるんだ?」
ランスが疑問を口に出したことで、誤魔化されそうになったリナリアは、はっとした。
やはり、勘違いではないらしい。
「いや、別に……」
口ではそう言うが、彼にしては珍しく、気持ちが声から察せられた。気付かれて面倒、といった感じだ。
ランスとリナリアは、カーネリアンが見ていたものを探して、目を凝らした。
よく見ると、遠くに人集りができている。
中心にいるのは、よく知る人物だ。
(フリージア……?)
一方的に絶交してから、フリージアとは顔もほとんど会わせていない。
フリージアこそ、リナリアを最も嫌う理由がある。
何度目になるか分からない、過去の自分の行いを後悔し、同時に、カーネリアンはフリージアを見ていたのだと気付いた。
フリージアは今でも、カーネリアンの関心を引くのだろう。
昔のように激しい感情は沸き起こらないが、仕方がないとは割りきれない。
カーネリアンの一番にはなれない事実を再認識した。
フリージアは見覚えのない男性と話している。
男性は黒に近い、暗い茶髪で、背が高い。
身綺麗にしていて、人好きのする笑みを浮かべる顔は整っており、目を引く容姿だ。
中性的ではなく、細身ではあるが逞しい体つきである。
華やかな王都にいても、他と見劣りしないだろう。
ただ、向かい合うフリージアの目は険しい。
睨み付けるフリージアと、気にした様子もなく話かける男性を見て、リナリアは思い至る。
知らない人に言い寄られて、困っているのではないかと。
自覚はないが、リナリアの場合は言い寄るのも躊躇するほどの美人なので、そう言う意味で声を掛けられることはあまりない。
リナリアの中では美醜の基準が曖昧だ。
決して美男子とは言えないカーネリアンを、世界で一番素敵だと思っているし、明らかな男前に、釣り合わない容姿のフリージアが言い寄られていても疑問に思わない。
助けた方が良いと思ったが、疎遠になったリナリアが近寄るのは躊躇われた。まして、声がでないため、意味がないような気もする。
まごつくリナリアを見てとり、カーネリアンは小さく溜息をついた。
面倒そうにしつつ、人だかりの方へ歩きだす。
リナリアは、カーネリアンが行動したことで少し安心した。そして、興味本位のランスとともに、後に続いた。
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