婚約破棄?これからは、推しの殿下のトップオタクとして生きていきますわ!

黒猫かの

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「……メメル。少し、時間をもらえるだろうか」

 断罪の夜会から数日後。学園の放課後、人影のまばらな図書室のテラスで。
 ヴィルフリート殿下は、これまでに見たこともないほど神妙な、そしてひどく言い淀んだ様子で私を呼び止めました。

「殿下! もちろんですわ! 本日の殿下、愁いを帯びた瞳の陰影が、まるで夕暮れ時の古城のような深み……。その沈黙、あと三十分は観測し続けられますわ!」

 私はすかさず、テラスの柱の陰から高性能遠見鏡(手持ち用)を構えましたが、殿下はその手をおずおずと制しました。

「……今日は、観測されるために来たのではないんだ。……メメル。私は、君に謝らなければならない」

 殿下が、深く、深く頭を下げました。
 ……えっ。
 今、何が起きたのかしら。

「君を悪役令嬢と決めつけ、あんな公衆の面前で不当な婚約破棄を突きつけた。……すべては私の無知と、リリアンの口車に乗せられた私の浅はかさが招いた結果だ。……本当に、すまなかった」

 静寂が、テラスを包み込みます。
 ……ああっ! 見て、セバス!
 殿下のうなじ! 謝罪の角度、完璧な四十五度!
 この「高貴な身分でありながら、非を認めて頭を下げる」というギャップ供給……!

「お嬢様、落ち着いてください。鼻血が出ております」

「……はっ! いけませんわ、殿下の聖なる謝罪シーンを汚してしまうところでした!」

 私は慌てて鼻を押さえ、殿下に向き直りました。

「殿下。顔を上げてください。……謝罪なんて、必要ありませんわ」

「……メメル。やはり、許してはくれないか? 当然だ、あんなにひどいことを……」

「いいえ、逆ですわ! 謝罪されるなんて、私にはおこがましすぎます! 殿下が頭を下げるということは、私の視点から殿下の『最高のお顔』が消えて、代わりに『つむじ』しか見えなくなるということ……! これはファンにとって、最大級の損失ですわよ!」

「……そこか? 謝罪を受け入れない理由が、そこなのか?」

 殿下が顔を上げました。その瞳は、少しだけ潤んでいます。

「それだけではありません。殿下は、常に傲慢で、少しばかり私のことを疎ましく思っている『冷徹王子』でいなければならないのです。謝罪して反省するなんて、そんな『キャラ変』は認められません! 殿下、今すぐ私をゴミを見るような瞳で見つめて、冷たい言葉を浴びせてくださいませ!」

「……無理だ。今の私には、そんなことはできない。……君は、私を守ってくれていたんだろう? あんなストーカーじみた……いや、熱心な活動をしてまで、私の周囲の不穏な動きを監視し、毒から救ってくれていた。……私は、そんな君の愛を、歪んだものだと決めつけて踏みにじったんだ」

 殿下が一歩、私に近づきました。
 夕日に照らされた彼の横顔は、切ないほどに美しく……。

「……愛されていたことに、ようやく気づいたんだ。……メメル、もう一度、私と……」

「ストップですわ、殿下!!」

 私は全力で、殿下の前に手のひらを突き出しました。

「……えっ?」

「今、何をおっしゃろうとしました!? 『もう一度、私とやり直そう』……まさか、そんな王道すぎるラブコメのテンプレセリフを口にするつもりでしたの!?」

「……い、いけないか? 真実を知った今、私は君こそが側にいるべき女性だと確信して……」

「解釈違いですわーーー!!」

 私は頭を抱えて叫びました。

「殿下! 私は『元・婚約者』という、手が届かない、でも一番近くで合法的にストー……いえ、観測できるという最強のポジションを手に入れたのです! それを今さら『婚約者』という、品位と節度を求められる窮屈な立場に戻れとおっしゃるのですか!?」

「……婚約者に戻るのが、窮屈なのか……?」

「当然ですわ! 婚約者になれば、殿下の寝顔を三時間凝視することも、殿下の脱ぎ捨てた手袋を額縁に飾ることも、『王家の品位を汚す』と言われて止められてしまうではありませんか! 今の私は、自由なのです! 殿下という光を、一介の信者として浴び続ける自由が!」

 殿下は、開いた口が塞がらないという様子で私を見つめました。

「……メメル。君は、私と結婚したくないのか?」

「結婚? そんな恐れ多い! 殿下は『鑑賞用』であって、『実用(夫)』ではありませんわ! 殿下と添い遂げるなんて、太陽をポケットに入れて持ち歩こうとするくらい無謀な話ですわよ!」

「……私は、鑑賞物か」

 殿下が、かつてないほど深い絶望の表情を浮かべました。
 ……ああっ! 今の「存在意義を否定されたアイドルの虚無顔」!
 セバス、今の記録した!?

「バッチリです。お嬢様、殿下の精神力がゼロになる前に、少しはフォローを」

「フォロー? そうですわね。……殿下! 安心してください! たとえ再婚約はしなくても、私は一生あなたの信者(オタク)です! あなたが明日、別の女性と恋に落ちても、私はその様子を全力で『てぇてぇ』と拝ませていただきますわ!」

「……それが一番辛いんだよ、メメル!!」

 殿下は、泣きそうな顔でテラスを走り去っていきました。
 
 その後ろ姿を見送りながら、私は満足げに胸を張りました。

「セバス。殿下、あんなに熱心に私にアピールしてくださって。……きっと、私の『ファンとしての徳』が積まれた証拠ね」

「左様でございますね。……ただ、殿下は今、人生で一番『振られた』ショックを受けておられるようですが」

「あら、振ったつもりなんてありませんわよ? 私はただ、推しを『正しい位置(神棚)』に戻しただけですもの!」

 殿下の謝罪は、私の「オタク的防壁」によって粉砕されました。
 ですが、殿下の方には……今まで感じたことのない、私への「執着」の種が植え付けられたようです。

 立場が完全に逆転した、私たち。
 私の「推し活」は、ついに殿下本人に追われるという、未知の領域へと足を踏み入れたのでした。
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