周囲が放っておいてくれません!悪役令嬢は自由なりたい!

黒猫かの

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「そ、遭難……?」

私はスプーンを持ったまま、目の前の男たちを見下ろした。

彼らは王太子の側近たちだ。普段はパリッとした制服を着ているエリート官僚たちだが、今は見る影もない。服は泥だらけ、髪はボサボサ、目の下には濃いクマができている。

リーダー格の側近が、涙ながらに訴えた。

「はい……。殿下が『ミシェルを追いかけるぞ!』と仰ったまでは良かったのですが……」

「馬車で来たんじゃないの?」

「『男なら馬だ! 疾風のように駆け抜けるのだ!』と仰り、全員騎馬で飛び出しました。しかし、開始一時間でお尻が痛いと騒ぎ出し……」

「でしょうね」

「休憩しようにも、テントの張り方がわからず、火も起こせず、持ってきた食料は殿下が『つまみ食い』して初日で全滅しました」

「バカなの?」

私は呆れるのを通り越して感心した。

ある意味、予想を裏切らない。

「それで、空腹に耐えかねた殿下が、この森から漂うスープの香りを嗅ぎつけまして……『余の朝食が用意されているに違いない!』と突撃されたのです」

「突撃って……ここは私のキャンプ地よ?」

「そこをなんとか! ミシェル様、慈悲を! 我々はともかく、殿下だけでも何かお恵みを!」

側近たちが地面に額を擦り付ける。

その時だ。

ガサガサッ!!

背後の茂みが大きく揺れた。

現れたのは、落ち武者……ではなく、我が国の第一王太子アレクセイ殿下だった。

「ぜぇ、ぜぇ……! み、ミシェルぅ……!」

かつてのキラキラした王子様オーラは消え失せている。

高価なマントは枝に引っかかって破れ、顔には煤(すす)がついていた。

「ここにいたのか……! 余を置いて……自分だけ……ずるいぞ……!」

「ずるいとは何ですか。私は追放された身ですが?」

「うるさい! ……いい匂いだ」

アレクセイの鼻がピクピクと動いた。

彼の視線は、私の手元にあるスープ皿に釘付けになっている。

ルーカス特製、根菜とベーコンのポトフだ。湯気と共に、食欲をそそるコンソメの香りが漂っている。

「よこせ」

アレクセイは震える手を伸ばした。

「余にそれを献上せよ。今なら特別に、そのスープ一杯で、余の隣を歩く権利を認めてやる」

「……」

私は無言でスプーンを口に運んだ。

熱々のスープを一口飲む。

野菜の甘みとベーコンの旨味が体に染み渡る。

「ん~、美味しい! さすがルーカス、塩加減が絶妙ね!」

「恐縮です、ミシェル様」

ルーカスが嬉しそうに微笑む。

「ああっ!? 飲みやがった! 余のスープを!」

アレクセイが絶叫した。

「貴様のスープではありません。ルーカスが私のために作ってくれたものです」

「な、ならば余にも作れ! おいルーカス! 騎士団長だろう! 主君の命だ、今すぐフルコースを用意しろ!」

アレクセイがルーカスに命令する。

しかし、ルーカスは冷ややかな目で王太子を一瞥しただけだった。

「お断りします」

「なっ!?」

「私は現在、有給休暇中です。王太子の指揮下にはありません」

「き、貴様……反逆罪だぞ!」

「なんとでも。今の私の主(あるじ)は、雇用契約を結んだミシェル様のみです」

ルーカスはそう言うと、鍋に残っていたスープを全て私の予備の水筒に注ぎ込み始めた。

「さあミシェル様、おかわりも確保しました。行きましょうか」

「ええ、そうね。この辺りは空気が淀んできたし」

私たちは立ち上がり、荷物をまとめ始めた。

アレクセイたちは呆然としている。

「ま、待ってくれ! 頼む! 金なら払う! だから一口! そのジャガイモひとかけらでもいいから!」

アレクセイがプライドをかなぐり捨てて叫んだ。

その言葉に、私はピクリと反応した。

くるりと振り返る。

「……今、『金なら払う』とおっしゃいました?」

「え?」

「商談をご希望ということですね?」

私はニッコリと微笑んだ。

営業スマイル、全開だ。

「いいでしょう。お客様(カモ)がそこまでおっしゃるなら、特別に当店のスープをご提供いたしましょう」

「ほ、本当か!?」

「ただし!」

私は懐からメモ帳を取り出した。

「時価になります」

「じ、時価?」

「ええ。ここは王都から離れた森の中。物流コスト、調理の手間、そして『公爵令嬢と騎士団長の手作り』という付加価値。これらを総合的に判断させていただきます」

私はサラサラとメモ帳に数字を書き込み、びりっと破ってアレクセイに突きつけた。

「スープ一杯、金貨十枚(約百万円)になります」

「ぶふっ!!!」

アレクセイだけでなく、側近たちも吹き出した。

「ぼ、暴利だ! 最高級レストランのフルコースでも金貨一枚だぞ!?」

「あら、高いですか? では結構です。私たちはこれを美味しくいただきながら旅を続けますので。殿下はどうぞ、その辺の草でも召し上がってください。あ、あの赤いキノコなんて色が綺麗ですよ?(※毒です)」

「うぐぐ……!」

アレクセイは葛藤した。

空腹と、金銭感覚と、プライドの間で揺れ動いている。

しかし、ルーカスがわざとらしくスープの鍋をあおぐと、その香りに理性が崩壊した。

「か、買う! 買うぞ! 金貨十枚でも百枚でもくれてやる! だから早くよこせ!」

「まいどあり~」

私はすかさず「借用書」を作成した。

「ではここにサインを。あ、利子はトイチ(十日で一割)ですがよろしいですね?」

「なんでもいい! 早くペンを!」

アレクセイは震える手でサインをした。

また一つ、私の老後資金が増えた。

「はい、どうぞ」

私は木のお椀にスープを一杯だけ注ぎ、アレクセイに渡した。

彼はそれをひったくるように受け取り、一気に喉に流し込んだ。

「あ、あちっ! ……う、うまい……! なんだこれは……王宮のスープよりうまいじゃないか……!」

涙を流しながらスープを啜る王太子。

その姿は哀れを誘うが、自業自得である。

「殿下……我々も……」

側近たちがゾンビのようにアレクセイを取り囲む。

「やらんぞ! これは余が買ったのだ!」

「そんなぁ……」

地獄絵図だ。

私はルーカスに目配せをした。

「ルーカス、今のうちに」

「はい」

彼らがスープを巡って争っている隙に、私たちは馬に跨った。

「それでは殿下、ごちそうさまでした(お金的な意味で)。引き続き、楽しいキャンプをお楽しみください」

「あ、待て! ミシェル! まだパンをもらってないぞ!」

「パンは別料金です」

「鬼か貴様はぁぁぁ!」

アレクセイの叫び声が森に響く。

私は振り返りもせず、馬を走らせた。

「ふふっ、いい商売だったわ」

懐の借用書が心地よい重みを感じさせる。

隣で馬を並走させるルーカスが、呆れたように、でもどこか楽しげに言った。

「……ミシェル様。貴女は本当に、転んでもただでは起きませんね」

「当たり前よ。転んだら、そこにある石ころでも拾って売るのが私の流儀よ」

「勉強になります」

「さあ、急ぎましょう。これでもう追いついてこれないでしょうけど、長居は無用よ」

私たちは速度を上げた。

朝日が昇り、街道を照らす。

アレクセイたちの情けない姿は、もう後ろに見えなくなっていた。

だが。

私たちは油断していた。

アレクセイという男が、食欲と執着心に関しては、天才的なしぶとさを発揮することを。

そして、私たちが向かう先に、さらなる「物件(トラブル)」が待ち受けていることを。

「……ねえルーカス」

「はい」

「さっきから、なんか変な看板が出てない?」

街道沿いに、手書きのボロボロの看板が立っていた。

『この先、激安物件あり』
『夢のスローライフ! 訳あり別荘、即入居可』
『※ただし幽霊が出ます』

「……見なかったことにしましょう」

「ええ、そうね」

私たちは速度を緩めることなく、その怪しい看板の前を通り過ぎた。

しかし、私の「辺境の別荘」があるのは、まさにその方角だったのだ。
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