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第四十話 「あの世に逝っちまいな」
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しばらく経つと、ブロンドの蠱惑的な女性が、屋敷に出入りするようになった。
名前はアンジェラ。しばらく会わないうちに、ブライトが市井で愛人を作り、屋敷に引き入れていたのだ。
初めのうち、彼女は私を避けているように見えていたのだが……
数ヶ月が経った今、彼女は時折、私の部屋に来るようになった。
辺りに人が居ないのを見計らっては、私の部屋の扉をしつこくノックする。
仕方なく顔を出すと、私を口汚く罵り、自分がいかに侯爵家の嫡男に愛されているかを語った。
だけどアンジェラは気付いてきたのだろう。ブライトが遊びだということに。
半分は子爵家の血が入った私にも『卑しい女』と吐き捨てた男だ。
平民のアンジェラを本気で愛していないのは、私にも読み取れた。
彼女が頬を腫らしていた日もある。
こんなことが続いたある日、彼女がこんなことを言った。
「目障りな女! どうせあんたなんか、もうすぐ侯爵様に蝋人形にされるんだ!
嘘じゃないからね! 私、侯爵様とブライトが話してるのを聞いたの!
諦めて、とっととあの世に逝っちまいな!」
何となく分かってはいた。
けれど……どこかで、もしかしたら違うのではと、現実から目を逸らしてもいたのだ。
アトリエに行った際には、砕いた石膏や、取り出したばかりの蝋人形が置いてあったこともある。
そうした普通の方法で作られた蝋人形でも、十分に精巧だった。
……もしかしたら噂は噂に過ぎなかったのでは?
あまりに本物に似ているから、そんな話が広まったのでは?
そう思いたかったのだ。
だけどアンジェラの言葉を聞いて、ぼんやりしたとした不安が、輪郭を伴う鮮明な恐怖へと変わった。
(逃げなければ……!)
幸い、この部屋は二階だ。窓はひとつしかないが、左右のカーテンを外して結べば地上に降りられるのでは。
ドレッサー用の椅子を窓に寄せ、カーテンを外そうと手を伸ばした瞬間、ノックもなく扉が開いた。
満面の笑みを湛えた侯爵本人が、部屋まで迎えに来たのだ。
「おめでとう。お前にも、とうとう生まれ変わる日がやってきたぞ」
「嫌……嫌です!」
私の声に一切耳を貸さず、彼は無理やり私の腕を引っ張った。
おそらくアトリエに向かっている。
「だ、誰か……!」
しかし、廊下にもどこにも人影がない。
「今日から明日にかけて、使用人は全員休みを取らせた。
家族水入らず、とまでは行かないが……」
アトリエでは、不機嫌そうに顔をしかめたブライトと、無表情のアンジェラが、壁にもたれて待っていた。
「た、助けて……!」
無駄かもしれないと思いながら二人に向かって助けを求めても、やはり反応はない。
侯爵は床に敷いた防水効果のある布の上に私を無理やり寝かせると、逃がさぬよう彼らに命じた。
両腕をアンジェラ、両脚をブライトに押さえつけられた私の耳元で、侯爵が嬉しそうに語る。
「ようやく正真正銘の芸術を作り上げられる。
今までの女は上手く保存できずに中で腐敗してしまったが、ようやく成功するようになった。
やはり医者の意見を取り入れて正解だったな」
「闇医者だけどな」
揶揄するブライトを無視して、侯爵はアトリエの隅に隠れていた誰かに声を掛けた。
「ああ、あんた、そこにいたのか、こっちに来てくれ。仕事を頼む」
視界の端で黒い影が動いた。
フードの付いたローブをまとった誰かが、こちらにやって来る。
その人は私のすぐ横に、持っていた黒いアタッシェケースを置き、開いた。
ケースには整然と二十本以上の注射器が並んでいる。
「もう薬剤は充填してある。すぐに取り掛かるわ」
女の声だった。
「高品質の防腐剤をたくさん打つから、醜く腐ることはない。
お前はいつまでもそのままだよ。安心しておやすみ」
ローブの女の側で侯爵が、御丁寧にも説明する。
闇医者は、私の動脈が通る場所を中心に、手際良く注射していった。
一本目に打たれた首への注射で全身に激痛が走り、すぐに意識が薄れた私が、次に目覚めた時。
私は横たわった私の抜け殻の横に立って、彼らの作業を見つめていた。
立っている私には、誰も気付いていない。医者は姿を消していた。
(私は死んだの……?)
「死後硬直が始まる前に、ポーズを固定するんだ」
服を脱がされ、立たされた私の身体は、お腹の辺りで手を組まされてた状態で、固定されている。
(本当に、死んだの……?)
私は自分の身体に戻れないか試してみた。
そっと自分の身体に重なる。
(……息ができない……身体も動かせない)
諦めて抜け出ようとした瞬間、私の身体に、熱いものが触れた。
侯爵が刷毛で、私の全身に高熱で融かした蝋を塗り始めたのだ。
もう死んでいるはずなのに、熱い。
身体が、人間から人形へ、生き物からモノへと造り替えられていく感覚があった。
(なぜ、こんな目に遭わなければいけないの? なぜ……)
私は人形からそっと抜け出した。
蝋が完全に固まると、彼らは私の亡骸に服を着せていく。
腕も脚も動かせないから、糸をほどいて身体にあてがった後、もう一度縫い合わせている。
「今日はここまでにしよう。明日展示室に運ぶ」
三人が去り、暗くなったアトリエに私一人が残された。
蝋人形の私が着せられたのは、結婚式の時に来た純白のウェディングドレスだった。
あの日、あの時に時間を戻せたら……
ううん、たとえ時を戻せても、運命は変わらない。
この人生で、私はこうなるしかなかったのだ。
名前はアンジェラ。しばらく会わないうちに、ブライトが市井で愛人を作り、屋敷に引き入れていたのだ。
初めのうち、彼女は私を避けているように見えていたのだが……
数ヶ月が経った今、彼女は時折、私の部屋に来るようになった。
辺りに人が居ないのを見計らっては、私の部屋の扉をしつこくノックする。
仕方なく顔を出すと、私を口汚く罵り、自分がいかに侯爵家の嫡男に愛されているかを語った。
だけどアンジェラは気付いてきたのだろう。ブライトが遊びだということに。
半分は子爵家の血が入った私にも『卑しい女』と吐き捨てた男だ。
平民のアンジェラを本気で愛していないのは、私にも読み取れた。
彼女が頬を腫らしていた日もある。
こんなことが続いたある日、彼女がこんなことを言った。
「目障りな女! どうせあんたなんか、もうすぐ侯爵様に蝋人形にされるんだ!
嘘じゃないからね! 私、侯爵様とブライトが話してるのを聞いたの!
諦めて、とっととあの世に逝っちまいな!」
何となく分かってはいた。
けれど……どこかで、もしかしたら違うのではと、現実から目を逸らしてもいたのだ。
アトリエに行った際には、砕いた石膏や、取り出したばかりの蝋人形が置いてあったこともある。
そうした普通の方法で作られた蝋人形でも、十分に精巧だった。
……もしかしたら噂は噂に過ぎなかったのでは?
あまりに本物に似ているから、そんな話が広まったのでは?
そう思いたかったのだ。
だけどアンジェラの言葉を聞いて、ぼんやりしたとした不安が、輪郭を伴う鮮明な恐怖へと変わった。
(逃げなければ……!)
幸い、この部屋は二階だ。窓はひとつしかないが、左右のカーテンを外して結べば地上に降りられるのでは。
ドレッサー用の椅子を窓に寄せ、カーテンを外そうと手を伸ばした瞬間、ノックもなく扉が開いた。
満面の笑みを湛えた侯爵本人が、部屋まで迎えに来たのだ。
「おめでとう。お前にも、とうとう生まれ変わる日がやってきたぞ」
「嫌……嫌です!」
私の声に一切耳を貸さず、彼は無理やり私の腕を引っ張った。
おそらくアトリエに向かっている。
「だ、誰か……!」
しかし、廊下にもどこにも人影がない。
「今日から明日にかけて、使用人は全員休みを取らせた。
家族水入らず、とまでは行かないが……」
アトリエでは、不機嫌そうに顔をしかめたブライトと、無表情のアンジェラが、壁にもたれて待っていた。
「た、助けて……!」
無駄かもしれないと思いながら二人に向かって助けを求めても、やはり反応はない。
侯爵は床に敷いた防水効果のある布の上に私を無理やり寝かせると、逃がさぬよう彼らに命じた。
両腕をアンジェラ、両脚をブライトに押さえつけられた私の耳元で、侯爵が嬉しそうに語る。
「ようやく正真正銘の芸術を作り上げられる。
今までの女は上手く保存できずに中で腐敗してしまったが、ようやく成功するようになった。
やはり医者の意見を取り入れて正解だったな」
「闇医者だけどな」
揶揄するブライトを無視して、侯爵はアトリエの隅に隠れていた誰かに声を掛けた。
「ああ、あんた、そこにいたのか、こっちに来てくれ。仕事を頼む」
視界の端で黒い影が動いた。
フードの付いたローブをまとった誰かが、こちらにやって来る。
その人は私のすぐ横に、持っていた黒いアタッシェケースを置き、開いた。
ケースには整然と二十本以上の注射器が並んでいる。
「もう薬剤は充填してある。すぐに取り掛かるわ」
女の声だった。
「高品質の防腐剤をたくさん打つから、醜く腐ることはない。
お前はいつまでもそのままだよ。安心しておやすみ」
ローブの女の側で侯爵が、御丁寧にも説明する。
闇医者は、私の動脈が通る場所を中心に、手際良く注射していった。
一本目に打たれた首への注射で全身に激痛が走り、すぐに意識が薄れた私が、次に目覚めた時。
私は横たわった私の抜け殻の横に立って、彼らの作業を見つめていた。
立っている私には、誰も気付いていない。医者は姿を消していた。
(私は死んだの……?)
「死後硬直が始まる前に、ポーズを固定するんだ」
服を脱がされ、立たされた私の身体は、お腹の辺りで手を組まされてた状態で、固定されている。
(本当に、死んだの……?)
私は自分の身体に戻れないか試してみた。
そっと自分の身体に重なる。
(……息ができない……身体も動かせない)
諦めて抜け出ようとした瞬間、私の身体に、熱いものが触れた。
侯爵が刷毛で、私の全身に高熱で融かした蝋を塗り始めたのだ。
もう死んでいるはずなのに、熱い。
身体が、人間から人形へ、生き物からモノへと造り替えられていく感覚があった。
(なぜ、こんな目に遭わなければいけないの? なぜ……)
私は人形からそっと抜け出した。
蝋が完全に固まると、彼らは私の亡骸に服を着せていく。
腕も脚も動かせないから、糸をほどいて身体にあてがった後、もう一度縫い合わせている。
「今日はここまでにしよう。明日展示室に運ぶ」
三人が去り、暗くなったアトリエに私一人が残された。
蝋人形の私が着せられたのは、結婚式の時に来た純白のウェディングドレスだった。
あの日、あの時に時間を戻せたら……
ううん、たとえ時を戻せても、運命は変わらない。
この人生で、私はこうなるしかなかったのだ。
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