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第四十二話 行き掛けの駄賃に
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「せめて、せめてあと十日間、出立をお待ちください!」
そうやって家令のジェームスに引き止められて、早十一日目。
私はまだマリーゼ邸にいる。
ただ待つのも勿体無いから、その間に幽霊屋敷ツアーを二回こなし、今は自分の部屋の執務用の机で、リピーター客用のツアーのアトラクションのアイディアを出しながら過ごしていた。
それにつけても、前世を思い出して落ち着いた今となっては、あの程度の低級霊にいちいち反応して具合が悪くなっていた自分が、もう恥ずかしいやら、情けないやら。
遠い東の国には『幽霊の正体見たり、枯れ尾花』なんて言葉があるというけれど、まさにそれだ。
多分、前世であの屋敷に連れて行かれた最初の印象が、記憶のどこかに色濃く残っていたのだと思う。
確かにジェンナとして生きていたあの頃、彼らは恐怖の対象だったけれど、今では単なる黒歴史でしかない。
私が地縛霊となってグランデ人形館に君臨しているうちに、屋敷内から追い払うだけじゃなく、しっかりあの世に送っておけばよかったのだ。彼らは大して強くない。唯一、侯爵だけは変態指数が高いぶん、しつこいけれど。
「んー、でも逃げ足だけは、やたら速かったのよね……
面倒臭がらずに、追っ掛けるべきだったわ」
それに気になることもある。
私がジョンと一緒にグランデ人形館で三人に襲われた時、アールは彼らを封印したと言っていた。
しかし百パーセント完璧な封印は無い。何らかの条件が揃えば瓦解してしまう可能性がある。
例えば、術者の寿命が尽きた時とか……
だったら、私が今のうちに、引導を渡すしかない。
「それにしたって、一体いつまで待てばいいのよ……」
私がポツリと愚痴ったのとタイミングを同じくして、ノックの音が小気味よく響く。
「どうぞ」と返事をすると、開いたドアの向こうには、ジェームスが立っていた。
胸に斜めに手を当て、軽くお辞儀をした彼は、開口一番謝罪する。
「マリーゼ様、お待たせしました。
手続きに時間が掛かってしまい、申し訳ございませんでした」
「手続き?」
「帝国の入国許可証です。
今回は私がお供致します。こう見えて、私も帝国出身ですので」
そう言えば、シェアリアの出身地が帝国だったから、調べに行きたいとジェームスに頼んでいたんだっけ。
すっかり忘れていた。私もこういう所があるから、ジェームスが一緒だと心強いかもしれない。
「あ、でも先に人形館に行きたいんだけど」
「もちろんスケジュールに組み込んでございます。
本気のマリーゼ様でしたら、人形館の霊などチョチョイなのでしょう?
モノのついで、行き掛けの駄賃のようなつもりでいきましょう。
移動時間を除いて、半日も時間を取れば、十分ですよね?」
「十分過ぎるわ」
言いながら、ジェームスの前でグッと親指を立てると
「この屋敷の者以外の前では、やらないでくださいね」
と彼にたしなめられた。
***
今回も馬車に乗り、吊り橋を渡らないルートで、隣国イルソワールへと向かう。
そこからグランデ人形館を経由して、帝国の関所を越える予定だ。
今回はジェームスが御者に扮して、馬車を走らせている。
燕尾服以外を着る彼は初めて見るが、黒い山高帽に臙脂色のコートに身を包んだ彼は、妙に品がある。
手綱を引きながら、ジェームスが前を見たまま話し掛けてきた。
「そういえば、マリーゼ様は、人形館事件の資料は全て読まれましたか?」
「ええ」
「もう心が揺らぐこともないですね?」
「もちろんよ」
ジェームスが揃えてくれた新聞記事の中には、ジェンナを捨てた家族に関する記述もあった。
グランデ侯爵家と縁戚だった子爵家は廃爵処分を受け、実父は自殺、継母は嫁ぎ先から離縁されたリンダと共に行方不明になった、と。
でも、何の感情も湧かない。そうなのか、と思う程度だ。
別の人生を歩み始めて、あの人達とは完全に他人になったからだろうか。
「なんて言うか……前世の記憶は戻ったけれど、私はもうジェンナじゃないし、あの頃に引き摺られる必要はないかな、って。
多分、今の暮らしは普通じゃないけど、自分が自分らしくいられるし、楽しいもの。
できれば皆が殺される前に、力が目覚めてたら良かったとは思うけどね」
「そうですか、でしたら安心しました」
馬の尻に痛くない程度に鞭を入れ、ジェームスが馬車の速度を上げる。
一度通ったことのある街道は、ところどころ見覚えがあり、初めて通った時よりも旅路が短く感じられる。
流れる景色はレンやヘレンが以前住んでいた家を越え、セルナ住宅街へと続く町外れへとやってきた。
鉄格子が張り巡らされた場所から少し離れて馬車を停める。
「これくらい離れていれば大丈夫ね。あなた達、良い子にして待っててね」
不安そうに目で訴える二頭の栗毛の馬達。
その鼻面を撫でて落ち着かせてから、私とジェームスは因縁の館へと、歩を進めて行った。
長く続く黒い鉄格子の柵の中央に、左右に開く門扉があり、その中央は太い鎖でグルグル巻きにされ、結び目に大きな錠前で閉じられている。
私は錠前にそっと手をかざした。
ゴン!!!!
重い、金属的な音が轟くと共に、門扉全体がバラバラに外れて、その場にパーツが落ちた。
「結構な力技でしたね……」
目を丸くしているジェームスを横目に、私は落ちた物の品定めをする。
「せっかくだから、あるものは使うわ。
鉄棒が二十本くらいと、鎖と……
うーん、錠前は壊れちゃったし、役に立たないかな」
「マリーゼ様……出ましたよ」
ジェームスに肩を叩かれ、見れば、人形館の焼け跡の右横に、三体の黒い影が現れ始めていた。
アールの封印のせいか、こちらに即座には来れない様子で、その場でもがいている。
「それなら、こちらから出向きましょうか」
私はジェームスと、一緒に、黒雲のような妖気が漂う一角へと歩いて行った。
そうやって家令のジェームスに引き止められて、早十一日目。
私はまだマリーゼ邸にいる。
ただ待つのも勿体無いから、その間に幽霊屋敷ツアーを二回こなし、今は自分の部屋の執務用の机で、リピーター客用のツアーのアトラクションのアイディアを出しながら過ごしていた。
それにつけても、前世を思い出して落ち着いた今となっては、あの程度の低級霊にいちいち反応して具合が悪くなっていた自分が、もう恥ずかしいやら、情けないやら。
遠い東の国には『幽霊の正体見たり、枯れ尾花』なんて言葉があるというけれど、まさにそれだ。
多分、前世であの屋敷に連れて行かれた最初の印象が、記憶のどこかに色濃く残っていたのだと思う。
確かにジェンナとして生きていたあの頃、彼らは恐怖の対象だったけれど、今では単なる黒歴史でしかない。
私が地縛霊となってグランデ人形館に君臨しているうちに、屋敷内から追い払うだけじゃなく、しっかりあの世に送っておけばよかったのだ。彼らは大して強くない。唯一、侯爵だけは変態指数が高いぶん、しつこいけれど。
「んー、でも逃げ足だけは、やたら速かったのよね……
面倒臭がらずに、追っ掛けるべきだったわ」
それに気になることもある。
私がジョンと一緒にグランデ人形館で三人に襲われた時、アールは彼らを封印したと言っていた。
しかし百パーセント完璧な封印は無い。何らかの条件が揃えば瓦解してしまう可能性がある。
例えば、術者の寿命が尽きた時とか……
だったら、私が今のうちに、引導を渡すしかない。
「それにしたって、一体いつまで待てばいいのよ……」
私がポツリと愚痴ったのとタイミングを同じくして、ノックの音が小気味よく響く。
「どうぞ」と返事をすると、開いたドアの向こうには、ジェームスが立っていた。
胸に斜めに手を当て、軽くお辞儀をした彼は、開口一番謝罪する。
「マリーゼ様、お待たせしました。
手続きに時間が掛かってしまい、申し訳ございませんでした」
「手続き?」
「帝国の入国許可証です。
今回は私がお供致します。こう見えて、私も帝国出身ですので」
そう言えば、シェアリアの出身地が帝国だったから、調べに行きたいとジェームスに頼んでいたんだっけ。
すっかり忘れていた。私もこういう所があるから、ジェームスが一緒だと心強いかもしれない。
「あ、でも先に人形館に行きたいんだけど」
「もちろんスケジュールに組み込んでございます。
本気のマリーゼ様でしたら、人形館の霊などチョチョイなのでしょう?
モノのついで、行き掛けの駄賃のようなつもりでいきましょう。
移動時間を除いて、半日も時間を取れば、十分ですよね?」
「十分過ぎるわ」
言いながら、ジェームスの前でグッと親指を立てると
「この屋敷の者以外の前では、やらないでくださいね」
と彼にたしなめられた。
***
今回も馬車に乗り、吊り橋を渡らないルートで、隣国イルソワールへと向かう。
そこからグランデ人形館を経由して、帝国の関所を越える予定だ。
今回はジェームスが御者に扮して、馬車を走らせている。
燕尾服以外を着る彼は初めて見るが、黒い山高帽に臙脂色のコートに身を包んだ彼は、妙に品がある。
手綱を引きながら、ジェームスが前を見たまま話し掛けてきた。
「そういえば、マリーゼ様は、人形館事件の資料は全て読まれましたか?」
「ええ」
「もう心が揺らぐこともないですね?」
「もちろんよ」
ジェームスが揃えてくれた新聞記事の中には、ジェンナを捨てた家族に関する記述もあった。
グランデ侯爵家と縁戚だった子爵家は廃爵処分を受け、実父は自殺、継母は嫁ぎ先から離縁されたリンダと共に行方不明になった、と。
でも、何の感情も湧かない。そうなのか、と思う程度だ。
別の人生を歩み始めて、あの人達とは完全に他人になったからだろうか。
「なんて言うか……前世の記憶は戻ったけれど、私はもうジェンナじゃないし、あの頃に引き摺られる必要はないかな、って。
多分、今の暮らしは普通じゃないけど、自分が自分らしくいられるし、楽しいもの。
できれば皆が殺される前に、力が目覚めてたら良かったとは思うけどね」
「そうですか、でしたら安心しました」
馬の尻に痛くない程度に鞭を入れ、ジェームスが馬車の速度を上げる。
一度通ったことのある街道は、ところどころ見覚えがあり、初めて通った時よりも旅路が短く感じられる。
流れる景色はレンやヘレンが以前住んでいた家を越え、セルナ住宅街へと続く町外れへとやってきた。
鉄格子が張り巡らされた場所から少し離れて馬車を停める。
「これくらい離れていれば大丈夫ね。あなた達、良い子にして待っててね」
不安そうに目で訴える二頭の栗毛の馬達。
その鼻面を撫でて落ち着かせてから、私とジェームスは因縁の館へと、歩を進めて行った。
長く続く黒い鉄格子の柵の中央に、左右に開く門扉があり、その中央は太い鎖でグルグル巻きにされ、結び目に大きな錠前で閉じられている。
私は錠前にそっと手をかざした。
ゴン!!!!
重い、金属的な音が轟くと共に、門扉全体がバラバラに外れて、その場にパーツが落ちた。
「結構な力技でしたね……」
目を丸くしているジェームスを横目に、私は落ちた物の品定めをする。
「せっかくだから、あるものは使うわ。
鉄棒が二十本くらいと、鎖と……
うーん、錠前は壊れちゃったし、役に立たないかな」
「マリーゼ様……出ましたよ」
ジェームスに肩を叩かれ、見れば、人形館の焼け跡の右横に、三体の黒い影が現れ始めていた。
アールの封印のせいか、こちらに即座には来れない様子で、その場でもがいている。
「それなら、こちらから出向きましょうか」
私はジェームスと、一緒に、黒雲のような妖気が漂う一角へと歩いて行った。
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