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終章

086.聖女と七人の夫と……

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 ――長い夢を見ていた気がする。何だかとても懐かしい夢。

 んん、と身じろぎをして手を伸ばそうとすると、暖かいものに触れた。誰だろうと思って目を開けると、オレンジ色の髪の毛が目に入る。その向こうには赤色の髪の毛。仲良く手を繋いで眠っている二人の子どもの体にタオルをかけ、起こさないようにベッドを降りる。
 夫の姿はない。子どもたちがいるということは、一つ時が過ぎた頃だろう。あの大きな鐘の音にももう熟睡できるほど慣れてしまった。

 支度部屋に置いた遊具で遊んでいる玉虫色の髪の毛と金色の髪の毛の息子たちに声をかけると、二人とも「おはようございます!」と元気よく直立不動で挨拶をしてくれる。けれど、二人はまたすぐに滑り台で遊び始める。男の子ってそういうものだよなぁ。朝から元気だねぇ。

「おはよー」

 居室の扉を開けると、「お母さま!」と茶色の髪の毛の娘が一番にぎゅうとハグをしてくれる。二番目は青色の髪の毛の娘。とても暖かくて気持ちがいい。

「今日は大聖樹会でしょう?」
「今日は楽隊のそばでお祈りをしてもいい?」
「えぇー。大丈夫かな? 二人ともお利口にできる?」
「できる!」
「できるわ!」
「二人とも、お母さまを困らせるのはやめなさい」

 宮女官レナータのそばでお手伝いをしているのは紫色の髪の息子だ。「おはようございます」と頭を下げるけれど、すぐにレナータが言う茶葉の配分を覚えようと真剣な表情になる。勉強する気があるのか、チラチラ見上げているレナータが気になるのか、どっちかしらね。
 息子に向かってブーブーと言っている娘たちをぎゅうと抱きしめて、夫たちの姿を探す。

「お父さんは?」
「お片付けに行ったよ!」
「今日からはくるくる回る滑り台を造るんだって張り切っていたよ!」

 どこに置くんだろうねーとソファに座って娘たちと笑い合う。廊下にもたくさん遊具が置いてあるのだから、もう十分だと思うんだけどなぁ。

「他のお父さんは?」
「呼んだ?」

 振り向いた瞬間に、唇が落ちてくる。相変わらず、ぷるぷるの弾力でみずみずしい唇。オレンジ色の長い髪の毛を緩く三つ編みにしているアールシュは、すぐに娘たちを抱き上げた。

「さて、お姫様たち、今からあたしと踊りの練習よ」
「お母さまは?」
「お母さまもお姫さま?」
「あったり前じゃない! みぃんなあたしの大好きなお姫様に王子様よ」

 きゃあきゃあ騒ぐ娘二人を軽々と両手に抱え、アールシュは去っていく。微笑ましい光景だ。
 次いで部屋に入ってきたのは、ベアナードとセルゲイ。

「おはよう、イズ。子どもたちは行儀よく朝食を食べたよ」
「ありがと、セルゲイ」
「……では、こもってくる」
「行ってらっしゃい、ベアさん」

 二人とキスをして、送り出す。ベアナードは邸宅で遊具を造り、セルゲイは木工細工を作っている。全然タイプが違う二人が仲良くしている姿を見ると、皆に鍵を持たせて正解だったと思う。
 どうやらわたしの裸像は五体で満足したらしい。でも、娘たちから聞いて知っているんだよね、わたし。二人が内緒で家族像を創っているの。わたしと、七人の夫と、七人の子どもたちの家族像。いつお披露目してくれるのか、すごく楽しみにしているんだ。

「おはよう、イズミ殿」
「おはよ、オーウェン」

 オーウェンはキスをくれたあと、支度部屋から二人の息子たちを連れ出してくる。あぁ、そういえば、剣の稽古だっけ。
「今日こそはイーサンに勝つ!」「俺はお父さまに勝つ!」と息巻いている二人は、将来、武官にでもなりたいのかもしれない。

「二人はどう?」
「筋はいい。鍛錬を続ければいい武官になれるだろう」
「オーウェン、すごく楽しそうね」
「ああ。楽しい。人を育てる、ということは奥が深いな」

「お父さま、早く早く!」とオーウェンの手を引く、ヒューゴとリヤーフの息子たち。「行ってらっしゃーい」と仲のいい三人を見送る。

「お母さま、どうぞ」

 ウィルフレドとの息子が淹れてくれた香茶はとても香りがいい。レナータに教わったらしいブレンドを呪文のように教えてくれる。全然覚えられないんだな、わたし。彼の後ろでレナータはニコニコ微笑んでいる。
 テレサが青の国へ戻ったあと、子どもたちを育てるために女官を増やした。五年ほど前に増員した中に、彼女がいた。罪を償ったもののわたしたちへの罪悪感は消えず、泣きながら「もう一度働かせてほしい」と頼んできたレナータ。今では立派な宮女官だ。

「イズミさん、朝食をお持ちいたしました!」
「待て、俺が先だ。俺が!」
「あはは。おはよう、ヒューゴ、リヤーフ」

 スープを飲ませてくれようとするリヤーフと、自分が焼いたパンを食べさせたいヒューゴ。毎朝の風景だ。
 二人にキスをして、朝食を食べる。というか、食べさせてもらう。そこまで過保護にしなくてもいいんだけど、まぁ、朝食だけだから二人の好きなようにさせておく。

「お父さま、今日はそちらに行ってもいいですか?」
「あぁ、おいで。今日は大聖樹会の時間が来るまで紫の国の歴史を教えてあげようか」
「ありがとうございます!」

 息子はヒューゴ先生と一緒に部屋を出ていく。それを微笑みながら見送るレナータ。彼が成人して求婚するのが先か、行き遅れを気にしているレナータが他の男と結婚してしまうのが先か……母としてはちょっと複雑なところ。

「お父さま! ぼくにも食べさせて!」
「あたしにも!」

 起きてきたオーウェンとの息子とアールシュとの娘が、リヤーフに抱きつく。リヤーフは「危ない! 熱い! やめろ!」と文句を言いながらも、子どもたちに林檎を剥いて食べさせてやっている。微笑ましい光景だ。
 そうして、満足したらしい三人は「競争だ!」と言いながら廊下へ駆け出てどこかへ行ってしまった。たぶん、リヤーフの邸宅かな。サーディクも全力で遊んでくれるから、楽しいみたいだもんな。

 わたしがこの世界に来て、十年と少しがたった。
 あの事件があって間もなく、当時の総主教が七色の扉の鍵を夫たちに預けることを許可してくれた。そして、何度も何度も夫たちと話し合って、聖職者たちに疎まれながらも聖女宮でのルールを色々と変えた。もちろん、わたし一代限りのルールだ。次の聖女は自分で夫たちとルールを決めていけばいい。
 そして、夫の髪色と黒い瞳を持つ子どもが生まれ、夫たちは「父」になった。夫たちは自分の子どもだけでなく、わたしが生んだ子どもたちをそれぞれ愛してくれている。……と思う。

「奇跡だなぁ」

 誰もいない部屋で、笑う。
 居場所がなかったわたしがこうして居場所を与えてもらっていることも、愛し愛されることを恐れていたわたしが愛し愛されていることも、夫たちの仲がいいことも、今がとても幸せであることも、奇跡としか言いようがない。
 命の実は絶えず世界に行き渡り、人口も増え、潤沢になった花や実のおかげで様々な薬が開発されたと聞いている。それも奇跡だ。

「あれ。もう皆行っちゃいましたか」
「おはよう、ウィル。相変わらず早起きだねぇ。大聖樹会の日はすぐ邸宅に帰っちゃうんだもん。寂しいじゃん」
「すみません。色々準備があるものですから」

 瓶底眼鏡をかけたウィルフレド。美人が台無しなんだけど、まぁ、彼は気にしていない様子。少しは世界が見やすくなったみたい。
 ウィルフレドはいつもキスをするときに躊躇する。彼の中で、まだ故郷への憎しみは消えていない。消えることがあるのか、ずっと恨んだままなのかはわからない。
 けれど、わたしがキスをしたいからキスをする。セックスをしたいからセックスをする。「聖女が望むから」「自分の意志ではないのだ」と彼に言い訳を与えて。

「イズミ様、クレトの件ですが」
「……クレト。あぁ、大主教の手先だった従者?」
「あれから十年たちましたので、そろそろ解放してあげようと思い、先日、解雇を言い渡しました」
「あ、そうなんだ。従者は増員する?」
「はい。今日から働いてもらいます」

 ウィルフレドの眼鏡がキラリと光る。

「紫の国の聖樹殿で働いていた者です」
「……へえ」

 じゃあ……「彼」のことを知っているかもしれないなぁ。懐かしい。元気にしているだろうか。年に一回くらい近況を知らせる手紙が届くけれど、夫たちの目を気にしてか、当たり障りのない文面となっている。それでも、わたしの支えだった。
 わたし、もうこっちの世界の文字が読み書きできるんだ。リヤーフがビシバシ鍛えてくれたおかげ。夫たちのおかげで、わたしはだいぶ人間らしくなった。普通の女の人っぽくなった、と思う。

「昔、ここで働いていた者です」
「あ、そうなんだ。本部から故郷に戻ったんだね。まだ知り合いがいるといいねぇ」
「聖女宮で宮文官をしていた者です」

 思わず、ウィルフレドを見上げる。瓶底眼鏡で彼の表情が読めない。

「聖女を姦淫した罪で強制送還されたので、根回しをするのに十年もかかってしまいました。聖職者たちも他の夫たちも乗り気ではなかったので、本当に、苦労しましたよ」
「ウィ、ル……?」
「月に二度、イズミ様と一緒に眠る権利を、彼に与えてもいいというのが夫たちの総意です。十五日と、三十日。ボクたちは毎日、こうしてあなたに会えますからね。あなたの休日の夜を、彼に譲ります」

 どうしよう。ウィルフレドが何を言っているのか、わからない。頭で理解できない。どうしよう。

「あなたがあのとき正直に『彼を愛している』と言ってくださらなければ、ボクはこの計画を思いつきませんでした。他の夫たちを説得することもなかったでしょう」
「ウィル……ねぇ、どういうこと?」
「扉の前に、彼を呼んであります」

 頭で考えるより先に、体が動いていた。歩き慣れた廊下を走る。よくわからないオブジェや遊具に脇目も振らず、七色の扉へと駆けていく。まるで心が十年前に戻ったかのように。
 まさか。
 嘘。そんなわけない。
 でも、まさか。
 本当に? 本当に、あなたなの?
 それぞれの扉の向こうからは、子どもたちの笑い声が聞こえる。静まり返っている紫の扉の前に立ち、痛いくらいに跳ねている心臓を押さえ、わたしはゆっくりとノックする。コンコンコンと、三回。
 すると、同じように、三回のノックが返ってきた。瞬間、涙が溢れる。

「……ラ、ラルス?」
「イズミ、様」

 懐かしい声が聞こえる。扉一枚隔てた向こう側に、ラルスがいる。
 バカ。なんで、ウィルフレドの従者なんかに? 紫の国で出世すれば、大主教や副主教になれたかもしれないのに。そうすれば、堂々と本部に戻って来ることができるのに。バカだよ!

「どう、して……」
「あなたのそばにいたかった、では理由になりませんか」
「もぉー、バカー! 出世、できないじゃんー!」
「そうですね……しかし、愛しい人を想う心は大きくなる一方でしたし、ご夫君方の許しを得られたと仰るので、紫の君の甘言につられてみることにしました」

 扉の向こうで、ラルスが微笑んだ、気がする。

「あなたのそばにいたかったのです」

 あぁ、ラルスはバカだよ。そんなことのために出世を棒に振るなんて。こんな、ことのために。

「今夜、伺ってもいいですか?」
「……いいよ。話したいことがいっぱいあるよ。聞いていてくれる?」
「もちろん」
「覚悟しといて。長くなるから」
「ええ。覚悟しておきます」

 扉の内と外で、笑い合う。
 たぶん、夜通し起きていても、一日や二日では話し足りない。それくらい、年月がたった。

「ずっと、そばにいてくれる?」
「お望みでしたら、いつまででも」

 ずっと望んじゃうけど、いいのかな。
 わたしは、なんて我儘なんだろう。
 夫たちのことも子どもたちのことも大好きで愛しているけれど、いつもどこか欠けている気がしていた。それを埋めることができるのは、ただ一人であることも理解していた。
 いつかラルスが拐いに来てくれることを信じていたけれど、いつしか子どもたちの成長を楽しみにしている自分もいた。七人の夫と、七人の子ども。愛が増えて、どんどん深くなっていった。
 こんな状態でラルスが来てくれても、わたしはすべてを、家族を捨てて彼を望むことができない気がすると思っていた。……思っていた。

 ウィルフレドは、きっとわたしの内包する矛盾を知っていたんだろう。だから、こういう形での再会を――誰も傷つけない形での再会を、させてくれたのだろう。
 ありがとう。本当にありがとう。夫たちに感謝しなくちゃ。

「イズミ様、今、幸せですか?」

 ラルスの少し不安そうな声に、わたしは明るく答える。

「うん。すっっごく、幸せだよ」

 たぶん、今日からはもっと幸せになれると思うよ。
 七人の夫と、その子どもたちと、もう一人に囲まれて、わたしは心底幸せだよ。

 ……今夜、寝かせないから、覚悟しておいてね、ラルス。









お読みいただきありがとうございました。

番外編は書けるかどうかわかりませんが、登場人物一覧(とちょっとした裏設定)は準備中です。いずれ公開いたしますので、気長にお待ちください。

ありがとうございました。
次回作でまたお会いできれば光栄です。


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