白の無才

ユウキ ヨルカ

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第31話「陸上大会について(6)」

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秀一が人気のない場所で1人泣き崩れているところを見た俺は、そっとその場を後にした。

再び競技場内に入り、コンクリート製の壁に手を当てながら観客席に続く階段を上る。

耳には秀一の悲痛な叫びがまだ残っていて、コンクリート製の壁は体に溜まった熱を吸い取ってくれてもこの重く苦しい痛みにも似た感覚だけは吸い取ってくれなかった。

何もしてやれない自分に腹を立てながら、朝霧たちの待つ観客席に戻る。

トラック上では既に男子200Mのレースが終わっていて、次の種目の準備が始まっていた。


「あれ? 羽島、榎本は?」

俺1人で戻ってきたことを疑問に思った朝霧が尋ねる。

「えっ……? あぁ……秀一は、見つからなかった……すまない」


「秀一は泣いてました」なんて言えるわけもなく、俺は本当のことを隠して言葉を濁す。


「えっ!? 見つからなかったの? しょうがないなぁ、もー!」

朝霧は困ったような表情で腰に手を当てる。

「まぁ……そのうち戻ってくるだろ」

そう言って俺は目を逸らす。


「朝霧ー、ちょっといいかー?」

「あっ、はーい! ……ごめん!羽島、麗ちゃん、ちょっと私行ってくるね」


陸上部員に呼ばれた朝霧はそう言って陣地の方へ駆けていく。

朝霧がいなくなってから榊原が俺の顔を覗き込み、小さく尋ねる。


「羽島君……何かあった?」


一瞬動揺したが、顔には出さず答える。


「いや……何も」


すると、榊原は「……そう」とだけ言って、トラック上の方に目を移した。

顔には出していないつもりだったが、榊原は俺から何かを感じ取ったのかもしれない。

そんなことを思いながらふと榊原に目をやると、トラック上にあるスタートラインを見つめる榊原の横顔には、いつもの柔らかく温かな笑顔はなかった。

代わりにどこか寂しげな表情をしていて、俺は夏だというのにまるで冬に降る雨が首筋に当たったかのような感覚に陥った。

榊原が今、何を思ってスタートラインを眺めているのか俺には分からなかった。



そんなことを思っていると、秀一が先ほど同様軽い足取りで観客席に戻ってきた。

「いやぁ~ごめんごめん! 自動販売機探してたら迷っちゃってさ~」

秀一はいつも通りの明るい笑顔を見せる。

その手にはまだ一口も飲まれていないペットボトルのスポーツドリンクが握られていて、目は真っ赤に腫れている。

俺にはまだ無理をしているように見えた。


「榎本君……」


榊原も全てを察したらしい。

困ったような、悲しむような、そんな表情で秀一の名を呼んだ。


「秀一……無理はするな。何のために俺たちがここにいるのか考えろ。一人で全部抱え込むな。辛かったら吐きだせ。俺たちが全部受け止めてやる」

そう告げると秀一は一瞬驚いたような顔をして、またニコニコと笑い出した。


「ありがとう……悠、榊原さん。でも、本当にもう大丈夫。大丈夫だから」


秀一の顔は再び炎が灯ったように熱く、明るく見えた。
その目には『次こそは!』という強い想いと覚悟が現れている。

この顔をした秀一なら確かに大丈夫そうだ。


敗北を味わったことのある者は強い。

負けた時の辛さ、悔しさをよく知っているからだ。

そこから得られるものは勝利した時よりもはるかに多く、そして貴重だ。

人は挫折を乗り越えるたびに強くなる。

だから、秀一は大丈夫。

負けを知るたびに強くなるのが、榎本秀一という男なのだから。


「よしっ!それじゃあ、俺たちも自分の陣地に戻ろうぜ!」

明るさを取り戻した秀一がそう言って陣地へ戻ると、やっと戻ってきた秀一に対し朝霧が口を開く。

「あー! やっと戻ってきた! もー、何してたのー?200Mのレース終わっちゃったじゃん!」

「ごめんごめん! ちょっと道に迷っててさ……」

朝霧に説教された秀一は笑って誤魔化していた。


ようやくいつもの明るい雰囲気に戻った。

俺は秀一と朝霧を見てホッと胸を撫で下ろす。


「榎本君、元気取り戻してよかったわね」

榊原はそう言って秀一の方に微笑みを向ける。
その微笑みにはいつもの優しさ、温かさが戻っていた。

「そうだな。秀一は強い心を持っている。だから、いつか必ず山吹を超える。……俺はそう信じてる」

「ふふっ、やっぱり2人はいい信頼関係を築いているわね」

榊原にそう言われて、なんだかとても照れ臭くなってきた。

「ちょ、ちょっと喉が渇いたから俺も自動販売機で飲み物買ってくる。秀一たちにも、そう伝えておいてくれ」

俺は恥ずかしさを誤魔化すためにそう言うと、勢いよく階段を駆け下りた。


榊原の前だと何故だか自分の本音を隠さずにペラペラと話してしまう。

榊原のことだから秀一に伝えたりはしないだろうが、もし秀一に聞かれていたらと思うと恥ずかしさと照れ臭さで頭が熱暴走を起こしてしまいそうだ。


そんなことを考えながら自動販売機に向かうと、自動販売機の前で爽やかな汗を流しながらスポーツドリンクを喉に流し込む山吹と遭遇した。


「おっ、羽島じゃん」

俺に気がついた山吹はペットボトルから口を離す。

「山吹……」

山吹は自動販売機の横にあるベンチに腰掛けると、「こっちに来い」と手招きをする。

財布から取り出した小銭を投入口に入れ、ペットボトルのお茶を購入すると指示通り山吹の隣に腰掛けた。

俺がベンチに腰掛けると、山吹は天井を見上げる。


「あー、それにしても榎本また速くなったな。危うく負けるところだったわ」


山吹の声からはまだ余裕が感じられた。

もしかするとこいつは本気を出していなかったんじゃないか?

そんな考えが頭をぎった。


俺には山吹と会って話す機会があればもう1度聞いてみたいことがあった。

乾いた喉に買ったばかりの冷たいお茶を流し込み、一息ついてから尋ねる。


「なぁ……山吹、1つ聞いてもいいか?」

「ん?何?」

「……お前、高校に入ってからちゃんと練習はしているのか?」


すると山吹は一瞬キョトンとした顔をしてから、声に出して笑い出した。


「何を言い出すかと思えばそんなことかよ!羽島、すげぇ深刻そうな顔してるからもっと暗い話かと思って、少しヒヤッとしたわ」


「それで?どうなんだよ」


山吹は長い溜息を吐いてから答える。


「……俺は変わらねぇよ。高校に入ってからも部活にはほとんど顔を出してない。最初はそんな俺に突っかかってくる奴らもいたけど、今では誰もそのことについては口を出してこなくなった。……大切なのは『過程』じゃなくて『結果』。勝てればそれで何も問題はねぇ。実際、さっきも榎本に勝ったしな」


山吹の言葉を聞いて、俺は自分の中で何かがプツリと切れる音がした。


「……本気で言ってるのか?」

「本気も本気。だってそうだろ?どんなに努力しても結果が伴わなければ意味なんてない。……厳しい世界だよな、『才能』の有る者と無い者でこんなにも違うなんて」


山吹はヘラヘラと笑いながら淡々とそう述べた。


俺はそれを聞いて立ち上がる。


「羽島?どうした?」


「……なんで……」


「えっ?」


「なんで……それだけの『才能』を持っていながら、それを伸ばそうとしないんだ……」


「……羽島?」


「お前は、他の誰かが一生かかっても手に入れることができない『才能』を持っているんだぞ!それなのに、どうしてせっかくの『才能』をもっと伸ばそうと努力しないんだ。お前がその気になればもっと上に行けるだろう、それこそオリンピックで金を取ることだって夢じゃない。それなのに……なんで……!!」


言葉が溢れる。


止まり方を忘れてしまったかのように次々と口から言葉が溢れて出てくる。


胸が苦しい。


胸の奥が熱いような、冷たいような、そんな感覚に陥る。



そして——



「……お前が使わないのならその『才能』を誰かに渡してやってくれよ……頼むから……」



喉が焼けるように熱い。


堪えきれない想いが一気に溢れ出した。


怒りなのか、失望なのか、それとも嫉妬なのか、自分でもよく分からない感情がいくつも混ざり合う。



俺の胸から全ての言葉が流れ出た後、山吹は俯き、綺麗に整った顔に影を落とし呟く。


「……そんなの、俺の勝手だろ……」


山吹は不貞腐れた態度でそう呟くとベンチから腰を上げ、そのまま観客席の方へ戻っていった。


ペットボトルは既に結露し始め、ベンチにはポタポタと水滴が零れ落ちていた。


俺は1人、ベンチに座って天井を見上げる。


天井にできたシミをじっと見つめていると、山吹の言葉が頭の中でリフレインし始めた。



—— 『才能』の有る者と無い者でこんなにも違うなんて ——



俺にはその言葉の重さが嫌という程よく分かる。

今までずっと、その言葉の持つ意味について考えてきた。



人は生まれた時から必ず何かしらの『才能』を持っている。

しかし、その『才能』が何なのかを理解している者は少ない。

たとえ、理解していたとしてもその才能が自分の望む才能ではないかもしれない。

もし、自分の望んだ才能を持っているというのであれば、それは紛れもない幸運と言えるだろう。



しかし、自分の望む望まないに関わらず『才能』を持つ全ての者は、責任を持ってその『才能』を活用する義務がある。


山吹の言葉を聞いた俺はそう思った——。
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