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14 愛しているからこそ

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 あの後、デニス様はわたしの返事を聞かないまま無言で踵を返した。

 それから、一夜開ける。

 わたしは一晩中泣きっぱなしで、また高熱がぶり返してしまった。
 ブレイク子爵令息の話によると、デニス様は昨晩、不眠不休で図書館で調べ物をしていたらしい。
 彼は最後まで、わたしをここに留める魔法を探っているようだった。

 わたしが、ここに居てはいけないのは分かっていた。

 彼の言う通り、マーガレットという異物がこの地の魔の瘴気を歪めて、この世界の人々の脅威へとなってしまう。大好きな辺境の人たちを危険に晒すのは……嫌だ。
 
 今思えば、最初から何おかしいと感じていた。
 いくら王都から離れた辺境だとしても、魔の瘴気の量から生態系まで全然違うんですもの。

 わたしだって、王妃教育で国内の情勢はうんざりするほど習ったわ。もちろん辺境のことも。
 その学習した内容と、ここの状況は、あまりにも乖離し過ぎている。
 最初は、実際に見ると文献とは全く異なるのねって驚いていたけど……別の世界だから、こんなにも違っていたのね。

 わたしは顔を上げて、ぐっと唇を噛んでから、自分に言い聞かせるように呟いた。

「……領主の妻として、責任ある行動をしなきゃ」

 そして、おもむろにペンを取る。
 わたしの、最後の仕事。

 それは、デニス様のお母様が嫁入り道具に持って来た、ハーブの本の翻訳だ。手紙に書かれていた隣国のハーブの詳細が分かるように、該当部分を訳しておくのだ。

 わたしがいなくなるということは、彼は他に妻を娶るのだろう。代々辺境を守るアレッド家に、跡取りは必要不可欠だからだ。

 仮に、こちらの世界の自分が後釜で来れば問題ないのだけれど、女神の影響でか、二つの世界の理がどうなっているか自分には解らない。

 だから念のため……本音は他の女性のことなんて考えたくもないけど……わたし以外の令嬢が彼の妻になった時のために、この国の言語に翻訳しておくのだ。

 彼の好きな料理をいっぱい作って貰うために。









 数日後、すっかり熱も引いて起き上がれるようになったので、わたしはマーサが引き止めるのを振り払って、デニス様の執務室へと赴いた。

 中へ入ってそっと扉を閉めて、正面から彼と向き合う。
 青白い顔にげっそりとした様子は、彼の苦悩をまざまざと映しているようで、酷く胸が痛んだ。

 同時に、わたしのために頑張ってくれたことを嬉しく思う。
 彼は、領主として事実が発覚した時点でわたしを始末しなければならないのに、ここまで譲歩してくれた。……その誠意に応えなければ。

 わたしは軽く息を吸ってから、

「帰るわ……。これ以上、領地の皆に迷惑を掛けられないもの」

 数拍して、

「そうか」

 彼は目を伏せながら低い声で一言だけ呟いた。

 その後は二人して口を噤む。ここのところずっと、こういうのばっかりね。
 でも……最後は笑顔でお別れをしなくちゃ。

 意を決して、わたしから口火を切る。

「ねぇ、最後にお願いがあるのだけど」

「なんだ? なんでも言ってくれ。可能な限り叶えよう」と、彼は寂しそうに微笑む。

「最後に小屋が見たいの。それくらい、いいでしょう?」

「あぁ、もちろんだよ」



 わたしたちは二人きりで小屋を見た。ぶらぶらと歩きながら、他愛もないお喋りをする。

 悲しいお別れは嫌なので、わたしは明るく振る舞った。ここに来てからの楽しい思い出や、ブレイク子爵令息への愚痴を面白おかしく彼と話す。

 小屋は、デニス様が最後まで責任を持って作ってくれると約束した。
 わたしは頭に描く完成図を、事細かく彼に話す。内装や、収穫した野菜のお裾分けや、いろいろ。

 この小屋から広がって、領民の生活がもっと豊かになりますように……。









 そして――ついに最後の夜が来た。

 わたしたちは王都にある神殿の女神の間にいた。デニス様の水魔法で、鏡を伝って辺境からやって来たのだ。

 人も街も寝静まって、神殿はひっそりとして一層神秘的に思えた。
 満月が幾多の鏡を静かに照らすときらりと輝いて、幻想的な淡い照明みたいだった。
 あの婚約破棄の日、あんなに意地悪そうに嗤っていた鏡たちは、今は澄まし顔で鎮座していて、思わず苦笑いが漏れる。

「おそらく、この聖なる大鏡が割れたのをきっかけに君はこちらに来たのだろう」

 あの無惨にも粉々に割れた鏡は、今はまるで新品みたいにぴかぴかと煌めいていた。

「こっちの世界の鏡は……割れていなかった、ということかしら……?」

「だろうな」

「じゃあ、こちらの世界のわたしは――……」

 わたしは、それ以上は口を閉ざした。その先は、考えたくもなかったのだ。
 大丈夫、わたしが元の世界に戻ったら、向こうのわたしも元の世界に戻るはずだから……。

 少しの静寂のあと、デニス様は聖なる大鏡の前に魔法陣を描き始める。やっとのことで過去の文献の中から見つけ出したらしい。

 それは、あちら側から来た魔物を元の場所へ帰す魔法だった。
 彼はそれを分解、再構築して、わたしのために新しい魔法を編み出したのだ。


 長い呪文が終わると、聖なる大鏡が淡く光りだした。

 彼がわたしに手を差し出す。わたしはその大きな手を握って、彼にエスコートされながら前へと進んだ。
 一歩一歩、ゆっくりと。

「この聖なる大鏡を潜ると元の世界に戻れるはずだ」

「分かったわ」

 わたしは名残惜しさを振り払って、彼からそっと手を離す。

 そして……一歩、前へ進んだ。

 鏡の表面は水面のように揺らいで、吸い込むようにわたしを受け入れる。
 わたしの身体は、空間の境目なんてないみたいに、すっと鏡の中へと入り込んだ。

 ゆっくりと、振り向く。

 見ると、デニス様が今にも泣きそうな顔でこちらを見ていた。
 わたしは、溢れ出そうな涙を堪えて、彼に笑顔を向ける。

「デニス様、これまでありがとうございました。短い間でしたが、本当に幸せでした」

 それは、くしゃりとした、片えくぼ。
 最後は笑っていたいから。

「俺も……君と一緒に過ごすことが出来て、幸せだった」

 彼も、笑顔を返してくれる。

 そして、

「好きだ、マーガレット」

「わたしも……大好きです。デニス様」

 わたしたちは、どちらからともなく自然に鏡に近付く。

「きっと……向こうの世界の俺も、君を好きになる」

「はい……!」


 そして、キスをした。
 鏡越しの、冷たくて平べったい、無機質なキスを。

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