6 / 28
第一章 夏の終わりに起こった奇跡
第五話 変わらない我が家
しおりを挟む
重い足取りで辿り着いたのは、築うん十年の平屋。実家は相変わらず年季が入っていた。
いつだったか日和が「時代劇に出てくる武家屋敷みたいだね」なんて賞賛していたけど、俺からしてみれば無駄に広いだけの古い家だ。中学時代に祖父母が亡くなってからは、家の中が余計に広く感じた。
古民家といえば聞こえはいいが、住み心地は最悪だ。隙間が多いせいか、夏場はすぐに虫が入って来るし、冬場は隙間風が吹き込んで寒い。唯一気に入っているところといえば、縁側で日の光を浴びながら昼寝ができることくらいだ。
「おばあちゃんちは全然変わらないね。庭もしっかり手入れされてる」
朝陽は躊躇いなく門をくぐり、庭先に植えられた松の木を見上げた。我が物顔で実家に入るものだから、こっちは呆気に取られてしまった。すると朝陽はハッとした表情を浮かべて、慌てて門の外まで戻った。
「この時代では、おばあちゃんちに来るのは初めてだもんね。つい普段の感覚で入っちゃったよ」
その言葉で納得した。未来から来た朝陽は、俺の実家に入り浸っているのだろう。それどころか、ここに住んでいる可能性もある。
この時代に来る直前、俺は朝陽を実家に預けに行こうとしていた。その事実が変わらないのであれば、こいつは高校生になっても、実家に預けられているのかもしれない。そう考えると、複雑な気持ちになった。
「じゃあ、説明よろしくね!」
朝陽はわざとらしくウインクしてから、俺の背中を押す。家族にこいつを泊まらせる交渉をしなければならないと考えると、気が重くなった。憂鬱な気分のまま、玄関の引き戸を開けた。
「ただいま……」
遠慮がちに声をかける。声が小さかったせいか、反応はなかった。
実家の造りは、俺がいた時代と大差ない。だけど細かな部分で違いがあった。
例えば、靴箱の上に置かれた蛙の置物。母さんが『無事に帰る』という縁起を担いで飾っていたけど、大学時代にぶつかった拍子に割ってしまった。母さんがバラバラになった蛙を残念そうに見つめながら、箒で掃いていたのを覚えている。
そのほかにも、玄関に並んでいるスリッパの柄や傘立ての位置も違っていた。勝手知ったる実家のはずなのに、余所の家に忍び込んでいるような感覚だ。
居間まで続く廊下を、音を立てないように歩く。開いたふすまから居間を覗き込むと、誰かがテレビを見ながら寝転んでいるのを見つけた。
あれは、こずえ姉さんだ。彫りの深い整った顔立ちは、外では美人と持て囃されているらしいけど、畳の上にだらしなく寝転んでいる姿を見たら、憧れも木っ端みじんに消え去るだろう。
こっそり観察していると、あることに気付く。目の前で寝転ぶこずえ姉さんは、明らかに若い。疲れ切ったアラサーのこずえ姉さんは、どこにもいなかった。
「もしかして、こずえちゃん?」
隣にいた朝陽がこっそり耳打ちする。俺が頷くと、朝陽が驚いたように息を飲んだ。
朝陽のいる時間軸では、こずえ姉さんはアラサーどころかアラフィフになる。シワひとつない姉の姿を見たら、驚くのも無理はないだろう。
勝手に納得していると、こずえ姉さんが俺達に視線を向けた。その瞬間、カッと目を見開いて飛び起きた。
「ちょっと、お母さん! 圭一郎が女の子を連れてきたんだけど!」
こずえ姉さんが叫ぶと、「ええ?」という素っ頓狂な返事が聞こえた。それからすぐにバタバタと足音を立てて、母さんが走ってきた。
母さんは俺と朝陽を交互に見ると、目を丸くした。
「あら、本当。こんな可愛らしいお嬢さん、どこで知り合ったの?」
「もしかして、圭一郎の彼女?」
こずえ姉さんがニヤニヤと笑いながら揶揄う。その言葉に真っ先に反応したのは朝陽だった。
「それはあり得ないです!」
朝陽はブンブンと顔を左右に振りながら、笑いながら否定した。その反応を見て、母さんとこずえ姉さんはわざとらしく肩をすくめた。「そうだろうな」と言いたげな反応だ。
こういうのが一番面倒くさい。余計な詮索をされる前に、二人に説明した。
「こいつはネット経由で知り合った友達だ。家族仲がうまくいってなくて、家出したんだって」
家出という言葉に反応して、二人は顔を顰める。不穏な空気が流れる中、朝陽は能天気な口調で挨拶をした。
「初めまして! 私、朝陽っていいます! 圭一郎くんのお友達です!」
人懐っこい笑顔を向けられると、母さんとこずえ姉さんは戸惑いながらも朝陽に会釈した。
「まあ、とりあえず座ってください」
母さんは朝陽を居間に通して、座布団に座るように勧めた。
◇
座敷机には氷の入った麦茶が置かれている。カランとコップの中で、氷が崩れる音が響いた。いつもなら賑やかな母さんとこずえ姉さんも、正体不明の家出少女を前にして戸惑っている様子だった。
こういう場で話を切り出すのは、本来俺の役目ではない。しかしこの状況を招いた俺にしか、説明することはできなかった。
「さっきも話したけど、こいつは家族とうまくいっていなくて家出したらしい。一応知り合いだし、放って置けないからうちに連れてきた」
「要するに、家出少女ってこと?」
こずえ姉さんが眉をひそめながら尋ねる。俺が頷くと、今度は母さんが慌て出した。
「家出なんて大変じゃない! いくらご家族と不仲でも、いなくなったらさぞかし心配しているでしょうに」
慌てふためく母さんに、朝陽はヘラヘラと笑いながら言った。
「大丈夫ですよ。家出することは手紙で伝えてありますから」
母さんとこずえ姉さんは顔を見合わせる。これ以上何かを言われる前に、先手を打った。
「こいつ、行く宛もなくて困ってるから、うちに泊めてあげたいんだ。十日でいいから何とかならない?」
俺は率先して人助けをするような性質ではない。だからこの発言も、母さんとこずえ姉さんからすれば信じがたいことだろう。案の定、二人はあんぐり口を開けていた。
「お願いします!」
ダメ押しをするように、朝陽が深々と頭を下げて頼み込む。その様子を見て、母さんとこずえ姉さんは再び顔を見合わせた。
こういう反応をされるのは当然だ。突然見知らぬ少女を連れてきて、泊めてほしいなんて言われたって、容易に受け入れられることではない。
だけど俺は、この二人の性格を嫌というほど知っている。二人とも他人への労力を惜しまない人間だ。
そんな二人が困っている未成年を前にして、放っておけるはずはない。なんだかんだ言いながらも、朝陽を受け入れてくれることは読めていた。
母さんとこずえ姉さんは、意思疎通するように顔を見合わせる。それからゆっくりと頷いた。
「夏休みの間だけならいいわよ。ただし、親御さんにはきちんと連絡をすること」
やっぱり承諾してくれた。朝陽はパアアッと表情を輝かせる。
「ありがとうございます!」
元気よく感謝の言葉を伝える朝陽を見て、母さんとこずえ姉さんは表情を緩めた。
当面の問題が片付いてほっとしたのも束の間、こずえ姉さんから鋭い視線を向けられた。
「言っておくけど、我が家では不順異性交遊は禁止だからね」
見当違いも甚だしい忠告に、俺はがっくりする。何が不順異性交遊だ。この異常事態に、そんな大それた行為に及ぶつもりはない。
そもそもこいつは、血の繋がった実の娘だ。女子高生が娘といわれても実感が湧かないが、少なくとも恋愛対象としては考えられない。
「こずえ姉さんが心配しているような事には、絶対にならないから」
こずえ姉さんの忠告を、適当に受け流した。
いつだったか日和が「時代劇に出てくる武家屋敷みたいだね」なんて賞賛していたけど、俺からしてみれば無駄に広いだけの古い家だ。中学時代に祖父母が亡くなってからは、家の中が余計に広く感じた。
古民家といえば聞こえはいいが、住み心地は最悪だ。隙間が多いせいか、夏場はすぐに虫が入って来るし、冬場は隙間風が吹き込んで寒い。唯一気に入っているところといえば、縁側で日の光を浴びながら昼寝ができることくらいだ。
「おばあちゃんちは全然変わらないね。庭もしっかり手入れされてる」
朝陽は躊躇いなく門をくぐり、庭先に植えられた松の木を見上げた。我が物顔で実家に入るものだから、こっちは呆気に取られてしまった。すると朝陽はハッとした表情を浮かべて、慌てて門の外まで戻った。
「この時代では、おばあちゃんちに来るのは初めてだもんね。つい普段の感覚で入っちゃったよ」
その言葉で納得した。未来から来た朝陽は、俺の実家に入り浸っているのだろう。それどころか、ここに住んでいる可能性もある。
この時代に来る直前、俺は朝陽を実家に預けに行こうとしていた。その事実が変わらないのであれば、こいつは高校生になっても、実家に預けられているのかもしれない。そう考えると、複雑な気持ちになった。
「じゃあ、説明よろしくね!」
朝陽はわざとらしくウインクしてから、俺の背中を押す。家族にこいつを泊まらせる交渉をしなければならないと考えると、気が重くなった。憂鬱な気分のまま、玄関の引き戸を開けた。
「ただいま……」
遠慮がちに声をかける。声が小さかったせいか、反応はなかった。
実家の造りは、俺がいた時代と大差ない。だけど細かな部分で違いがあった。
例えば、靴箱の上に置かれた蛙の置物。母さんが『無事に帰る』という縁起を担いで飾っていたけど、大学時代にぶつかった拍子に割ってしまった。母さんがバラバラになった蛙を残念そうに見つめながら、箒で掃いていたのを覚えている。
そのほかにも、玄関に並んでいるスリッパの柄や傘立ての位置も違っていた。勝手知ったる実家のはずなのに、余所の家に忍び込んでいるような感覚だ。
居間まで続く廊下を、音を立てないように歩く。開いたふすまから居間を覗き込むと、誰かがテレビを見ながら寝転んでいるのを見つけた。
あれは、こずえ姉さんだ。彫りの深い整った顔立ちは、外では美人と持て囃されているらしいけど、畳の上にだらしなく寝転んでいる姿を見たら、憧れも木っ端みじんに消え去るだろう。
こっそり観察していると、あることに気付く。目の前で寝転ぶこずえ姉さんは、明らかに若い。疲れ切ったアラサーのこずえ姉さんは、どこにもいなかった。
「もしかして、こずえちゃん?」
隣にいた朝陽がこっそり耳打ちする。俺が頷くと、朝陽が驚いたように息を飲んだ。
朝陽のいる時間軸では、こずえ姉さんはアラサーどころかアラフィフになる。シワひとつない姉の姿を見たら、驚くのも無理はないだろう。
勝手に納得していると、こずえ姉さんが俺達に視線を向けた。その瞬間、カッと目を見開いて飛び起きた。
「ちょっと、お母さん! 圭一郎が女の子を連れてきたんだけど!」
こずえ姉さんが叫ぶと、「ええ?」という素っ頓狂な返事が聞こえた。それからすぐにバタバタと足音を立てて、母さんが走ってきた。
母さんは俺と朝陽を交互に見ると、目を丸くした。
「あら、本当。こんな可愛らしいお嬢さん、どこで知り合ったの?」
「もしかして、圭一郎の彼女?」
こずえ姉さんがニヤニヤと笑いながら揶揄う。その言葉に真っ先に反応したのは朝陽だった。
「それはあり得ないです!」
朝陽はブンブンと顔を左右に振りながら、笑いながら否定した。その反応を見て、母さんとこずえ姉さんはわざとらしく肩をすくめた。「そうだろうな」と言いたげな反応だ。
こういうのが一番面倒くさい。余計な詮索をされる前に、二人に説明した。
「こいつはネット経由で知り合った友達だ。家族仲がうまくいってなくて、家出したんだって」
家出という言葉に反応して、二人は顔を顰める。不穏な空気が流れる中、朝陽は能天気な口調で挨拶をした。
「初めまして! 私、朝陽っていいます! 圭一郎くんのお友達です!」
人懐っこい笑顔を向けられると、母さんとこずえ姉さんは戸惑いながらも朝陽に会釈した。
「まあ、とりあえず座ってください」
母さんは朝陽を居間に通して、座布団に座るように勧めた。
◇
座敷机には氷の入った麦茶が置かれている。カランとコップの中で、氷が崩れる音が響いた。いつもなら賑やかな母さんとこずえ姉さんも、正体不明の家出少女を前にして戸惑っている様子だった。
こういう場で話を切り出すのは、本来俺の役目ではない。しかしこの状況を招いた俺にしか、説明することはできなかった。
「さっきも話したけど、こいつは家族とうまくいっていなくて家出したらしい。一応知り合いだし、放って置けないからうちに連れてきた」
「要するに、家出少女ってこと?」
こずえ姉さんが眉をひそめながら尋ねる。俺が頷くと、今度は母さんが慌て出した。
「家出なんて大変じゃない! いくらご家族と不仲でも、いなくなったらさぞかし心配しているでしょうに」
慌てふためく母さんに、朝陽はヘラヘラと笑いながら言った。
「大丈夫ですよ。家出することは手紙で伝えてありますから」
母さんとこずえ姉さんは顔を見合わせる。これ以上何かを言われる前に、先手を打った。
「こいつ、行く宛もなくて困ってるから、うちに泊めてあげたいんだ。十日でいいから何とかならない?」
俺は率先して人助けをするような性質ではない。だからこの発言も、母さんとこずえ姉さんからすれば信じがたいことだろう。案の定、二人はあんぐり口を開けていた。
「お願いします!」
ダメ押しをするように、朝陽が深々と頭を下げて頼み込む。その様子を見て、母さんとこずえ姉さんは再び顔を見合わせた。
こういう反応をされるのは当然だ。突然見知らぬ少女を連れてきて、泊めてほしいなんて言われたって、容易に受け入れられることではない。
だけど俺は、この二人の性格を嫌というほど知っている。二人とも他人への労力を惜しまない人間だ。
そんな二人が困っている未成年を前にして、放っておけるはずはない。なんだかんだ言いながらも、朝陽を受け入れてくれることは読めていた。
母さんとこずえ姉さんは、意思疎通するように顔を見合わせる。それからゆっくりと頷いた。
「夏休みの間だけならいいわよ。ただし、親御さんにはきちんと連絡をすること」
やっぱり承諾してくれた。朝陽はパアアッと表情を輝かせる。
「ありがとうございます!」
元気よく感謝の言葉を伝える朝陽を見て、母さんとこずえ姉さんは表情を緩めた。
当面の問題が片付いてほっとしたのも束の間、こずえ姉さんから鋭い視線を向けられた。
「言っておくけど、我が家では不順異性交遊は禁止だからね」
見当違いも甚だしい忠告に、俺はがっくりする。何が不順異性交遊だ。この異常事態に、そんな大それた行為に及ぶつもりはない。
そもそもこいつは、血の繋がった実の娘だ。女子高生が娘といわれても実感が湧かないが、少なくとも恋愛対象としては考えられない。
「こずえ姉さんが心配しているような事には、絶対にならないから」
こずえ姉さんの忠告を、適当に受け流した。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる